ストックの花言葉

※ホワイトデー企画

その日、彼は私をミアレシティのカフェに連れて行ってくれた。
シアさん、14日は空けておいてください。』と言われ、何のことかさっぱり解らなかった私だが、宿を借りていたポケモンセンターを出た瞬間、その意味に気付くことになる。
ミアレには数え切れない程のカフェがあるが、今日はどの店でも共通した看板が掛かっているのだ。
ホワイトデーキャンペーンと称して、パフェやケーキが半額となっているらしい。

「わたしも貴方のようにクッキーを手作りできればよかったのですが、こちらの方が確実に美味しいものをご馳走できますからね」

アクロマさんは肩を竦めて笑ってみせた。
朝の10時にもかかわらず、カフェは多くの人で賑わっていた。女性客が大半を占めるその中にも、彼は臆することなく入っていく。
私もその後に続き、窓際の席を勧められるままに席に着いた。

「私も、そんな美味しいものを作れた覚えはありませんよ」

「とんでもない、あのクッキーは本当に美味しかったではありませんか」

彼は肩を竦めて楽しげにそう答えてくれた。
あのクッキー、とは、私がクリスマスやバレンタインの時に作った紅茶のクッキーのことだ。

イッシュでの騒動が一通り片付いた12月のクリスマスに、私は初めて自分で料理をしようと思い立った。
クリスマスという行事に便乗して、お世話になり続けてきた彼に何か贈りたいと思ったのだ。
思案を重ねた結果、食べ物が最も無難ではないかという結論に達した。

キッチンに立った経験が皆無であった私だが、女の子として、プレゼントするお菓子くらいは自分で作っておきたい。そんな思いから私はお菓子作りの本を購入した。
分量を正確に測り、オーブンの予熱を怠らず、レシピに書いてある通りのことをすればそれなりのものができることを知り、私はとても安心した。
お菓子作りというからには、もっと特殊な技量が必要になるのだと思っていたからだ。少なくとも、混ぜて型を取って焼くだけのクッキーにはそれは必要なさそうだった。

先ずはプレーンの生地で一度練習し、その後でダージリンの茶葉を入れた。
クッキーに使われる茶葉は、香りの強いアールグレイが一般的なようだけれど、私は敢えてダージリンに拘った。彼がダージリンの茶葉を好んでいることを知っていたからだ。
ようやく焼き上がった時の感動は凄まじいものがあった。完全に冷ましてから袋に入れ、淡い黄色のリボンをかけて渡した。
去年のクリスマスに渡したところ、とても気に入ってくれた。
バレンタインの時にも同じものを催促された時には私も驚いてしまったけれど、それだけ楽しみにしてくれているのだと判れば当然、キッチンに向かう足取りも軽くなった。

「あれと同じもので良ければ、また作りますよ」

「本当ですか!」

思いもよらない反応に私は目を見開く。
私よりも一回り年上の彼が、こんな子供の作るクッキーをどうしてこんなにも喜んでくれるのかしら。
その理由に私は辿り着いていなかったけれど、それは至極当たり前のことなのかもしれないと思い始めていた。
私だって、彼が何かをご馳走してくれたり、彼が何かをプレゼントしてくれたりすれば、彼の比ではなく喜ぶに違いないのだ。
もっとも、そんなものがなくたって、私は十分に嬉しいのだけれど。

「わたしは料理の経験がないものですから、あのようなものを作れる才能を素直に尊敬しますよ。市販のクッキーと並べても遜色ない出来栄えでしたから」

……それは、お世辞だと思う。
市販のクッキーは、一ミリの誤差もないように大型の機械で一度に大量の型抜きを行っている。
それに引きかえ、私の作ったクッキーはアイスボックスクッキーというもので、筒状に生地をまとめたものを横に切っていくだけという代物だ。
型抜きをする必要がない代わりに、どうしても大きさに誤差が生じる。事前に冷蔵庫で生地を冷やして硬くしておかなければ、切っている時に筒がぐにゃりと崩れてしまう。
出来上がったクッキーの形は、とても市販のそれと並べられるようなものではなかった筈だ。
けれど、彼のそんな言葉が素直に嬉しかったので、私は肩を竦めて微笑み「ありがとうございます」とお礼を言った。

「でも、料理の経験は私も皆無だったんですよ」

「……そうなのですか?」

「キッチンに立ったことなんてありませんでしたから。一時期、紅茶を入れる練習をしていたくらいで、料理と呼べるようなものは作れませんよ」

そもそも私は、朝食として出されるトーストに、どうやって綺麗な焦げ目が付けられているのかを知らない人間だったのだ。
一度、自分でトースターに食パンを入れて、適当に焼き時間を5分に設定したら、ものの見事に焦げてしまったことがある。
私の料理のスキルはその程度だ。クッキーが作れたのは奇跡と言ってもいいだろう。
けれどちゃんと料理本を読み、その手順に従って行えば私でもそれなりのものが作れたという事実は私に自信を与えていた。
今度はもう少し違ったものを作ってみようかな。そんなことを思っていると、私は気付いた。

アクロマさんの表情が、僅かに変わっている。

「どうしたんですか?」

思わずそう尋ねていた。
彼は寡黙な人間ではなかったけれど、自分の思いを積極的に口にするタイプの人間ではなかった。
だから彼にほんの僅かな違和感を見つけた時は、私から尋ねるようにしていたのだ。
それが私の杞憂である時もあるし、そこから彼の本音を聞き出せることもある。だから私は彼の表情から何かを拾い上げることを止めなかった。
私は彼ほど頭がいいわけでも、賢いわけでもない。だから彼に歩み寄りたいなら、自分から何かを見つけなければならない。
もっとも、たとえ何も見つけられなかったとしても、それはそれで構わなかったのだけれど。これ以上近付くことを望まなくとも、今のままで十分に幸せだったのだけれど。

シアさん、貴方は料理をしたことがなかったのですか?」

「はい、ご飯はお母さんがいつも作ってくれていたので」

「ではどうして、クッキーを作ろうと思ったのですか?」

彼は少しだけ楽しそうに口元を緩めて、私にそんな質問を投げた。
何がおかしいのだろう。私はその問いに答えるために口を開く。

「アクロマさんに、何か贈りたかったんです。今までずっとお世話になっていたので。
何がいいかずっと考えていて、結局、食べ物が一番無難かなと思ったので、クッキーを作りました。アクロマさんがダージリンを好きなことは知っていましたから」

「では、わたしにクッキーを贈るために、貴方は初めてキッチンに立ったのですね?」

勿論です、と答えようとした言葉が行き場を失った。
トクン、と心臓がいつもと違う揺れを見せた。カフェの中は暑くないのに、頭がぼんやりとした曇りを見せ始めた。
何かが、おかしい。
私はアクロマさんに何かをプレゼントしたかった。クッキーがいいと思ったから料理に挑戦した。何も変なところなどない筈なのに、私の身体は平静を保ってはくれない。

「あれ……?」

私は自分の頬に片手を当てた。火照っている。

「ご、ごめんなさい。何が恥ずかしいんだろう……」

私は慌てていた。一体、何が恥ずかしいというのだろう。
初めて作った、味の保証もできないようなクッキーを、彼に贈ってしまったことが?
彼がダージリンを好きだと言ったからダージリンの茶葉にしたのだという種明かしを、うっかりしてしまったということが?
それとも、アクロマさんにクッキーをプレゼントしたこと自体が?彼にクッキーを贈るために私が初めてキッチンに立ったということが?
あるいは、その全てが?

困ったように笑った私の頭を、彼は少しだけ身を乗り出してそっと撫でてくれた。

「こちらこそ、意地悪な質問をしてしまい申し訳ありません」

その言葉に私は首を捻る。今の質問は意地悪だったのだろうか。火照った頭では上手く考えることなどできそうになかった。
けれど、と私は思った。この恥ずかしさの正体はよく解らないままだったけれど、一つだけはっきりと分かることがある。

「また、あのクッキーを食べてくれますか?」

「勿論ですよ」

間髪入れずに返ってきたその言葉は、お世辞では決して紡げないものだった。
彼が私の拙いクッキーを喜んでくれるというその事実が、どうしようもなく嬉しい。この想いだけは、間違いない。
だから今はこのままでいいと思った。

もし彼が何かを望んでいるのだとして、彼はその望みを絶対に言葉には出さない。だから私が、彼のちょっとした違和感から拾い上げなければならない。
いつか、私が彼の願いを拾い上げられるまで、この時間が続けばいいと思った。そしてそう願わずとも、この時間は変わりなく続いていくのだと確信していた。
……先ずは、恥ずかしくないクッキーを作れるように練習しておくことにしよう。

「さあ、何を注文しますか?」

彼はメニューをこちらに向けて尋ねてくれた。私は今まで積み重ねていたその思考をぽいと放り投げ、最も美味しそうなケーキを探すために目を凝らす。


2015.3.14
※愛の絆、見つめる未来 等

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