※50万ヒット感謝企画、参考曲「アストレイトラン」
俺が妹に連れて来られたのは、故郷、カノコタウンの西にある海に浮かぶ、あまりにも大きな船、プラズマフリゲートだった。
これは、此処で働き始めてから1か月余りで俺が知るに至った、この不可思議で奇妙な、しかしひどく居心地のいい組織の全てだ。
プラズマ団は総人数100名以上の、おそらくは大企業と呼ばれるのであろう部類に属する、それなりに有名な組織である。
カントーのシルフやホウエンのデボンにはまだまだ及ばないが、それでも知名度で言えばおそらくイッシュ随一であろうという風な認識を、俺自身も持っている。
……もっともその有名さは、決して清い意味ばかりのものではない。
ポケモンの解放を謳った組織としての「プラズマ団」という名を知らない者は、おそらくイッシュにはいないのではないかとさえ思える。
ポケモンを自由で完全な存在にするために、と各地の町で演説を行っていた彼等は、しかし時にトレーナーとポケモンとを引き離すために、暴力的な手段を取ることさえあった。
プラズマ団はそうした「悪い」組織だった。にもかかわらず、この組織はそうした「悪い」頃と全く同じ名前を名乗っている。
その選択はあまりにもリスクのあるものであったように、素人の俺は思うのだが、けれどプラズマ団が名前を変えずに再興することは、結果的にプラスの方向に働いた。
以前とほぼ同じメンバーが集い、以前と全く異なる活動を行う。イッシュに住む人々はその姿に驚き、戸惑い、警戒の視線を向けながらも組織のそうした行動を正しく評価した。
再興したプラズマ団の存在は瞬く間にイッシュ全土へと知れ渡り、また同時にこれまでの「プラズマ団」のイメージを劇的に改善させるに至った。
そんなプラズマ団の頂点に立つのが、かつてそのプラズマ団を壊滅させるに至った、若干14歳の少女である。
セミロングの髪をふわふわと靡かせながら、プラズマフリゲートの廊下を駆けるあまりにも小さな彼女を、団員は「代表」と呼んだり「シア」と呼んだりするが、
当然のように団員の殆どが彼女よりも年上であるため、誰も彼女に敬語を遣わず、寧ろ彼女の方が当然のように、誰に対しても敬語を崩すことはない。
しかし彼等はこの少女、シアに礼儀正しさこそ示さないが、敬意はしっかりと持っているようで、その実彼女をこれ以上ない程に信頼している。
しかし、幾らシアが持つものを持っていたとしても、彼女が彼等よりもずっと幼い子供であることに変わりなく、彼女は悉く無知であり、また無力であった。
彼女自身も自らのそうした面を解っているらしく、そういう時に彼女は他の人間に助力を求めた。
その最たる例が、このプラズマフリゲートでもそれなりの地位にある一人の科学者であり、彼女はその青年のことを「アクロマさん」と呼び、この上なく慕っていた。
シアは好奇心の強い子だった。何にでも興味を示したし、解らないことはその都度、積極的に質問した。
科学者は彼女のそうした質問の全てに答えられるだけの知識と経験とを持ち合わせており、また自らを頼ってくれることの嬉しさも合わさって、彼自身も少女を可愛がっていた。
彼と彼女の姿は年の離れた兄弟にも、師に教えを請う生徒のようにも見えた。
一度だけ、シアと二人で話をする機会を得たことがある。
「君は何にでも熱心に取り組んでいて、本当に尊敬するよ」と何気なく告げたその言葉に、少女は驚いたようにその海色をした目を見開き、そして困ったように笑って首を振った。
「そんなことありません。私は皆の力がないと、何もできない無力な子供のままでした。
私が尊敬される器になっているのだとしたら、そんな風に私を変えてくれたのは他でもない、皆さんです」
「そうかいそうかい、シアは偉いなあ」
「あれ、本当ですよ?だから私、皆の貸してくれた力に相応しい人になりたい。そうやって誠意を示すことしか、私は皆に報いる方法を知らないから」
勿論、貴方の貸してくれた力にも。当然のようにそう付け足して少女は笑う。
14歳でありながら、彼女はこの組織にその身を置くことへの躊躇いを微塵も見せない。その毅然とした姿は一つの組織をまとめるに相応しいものであるように思えた。
だからこそ、この組織の団員の誰もが、彼女に砕けた言葉で接しながらも、心から彼女を信頼し、尊敬しているのだろうと心得ていた。
しかし彼女自身も解っている通り、彼女はまだ子供である。
余程恵まれた、幸せな環境で育ったらしく、世界の闇を覗いたことのないような、騙すために笑顔を振り撒く人がいることを知らないような、
そうした、子供らしい無垢さと過ぎた信頼が生む危なっかしさというものを併せ持った少女であるように見える。
こんな「真っ直ぐな」子に、組織の長など任せておけない。俺のような単純な思考の人間はそう思うのだけれど、それでもシアは頂点に留まり続けている。
「あの子に疑うことを覚えろなんて言わないわ。あの子の分まで私が疑えばいいだけの話だもの」
そう気丈に言い放つのは、俺の双子の妹であるトウコだ。
シアは4歳年上のトウコのことを「トウコ先輩」と呼び、慕っていた。彼女も自らの、狭く閉ざした世界の中に、この子は例外として含めていたようであった。
トウコは4年前のプラズマ団を解散に追い込んだ人間だ。シアが2年前のプラズマ団を壊滅させたのと同じように、彼女もかつてはこの組織に歯向かった人間であったのだ。
そんな彼女が何の因果か、この組織でそこそこの地位を得て働くに至っているのだが、彼女の立ち位置はシアのそれと対極にあった。
彼女は常にプラズマ団のメンバーを「疑っていた」。
シアの愚鈍で愚直なところを補うかのように、彼女は自分以外の全てを敵とするかのような鋭い視線で、団員の全てを監視していた。
妹はシアのように、何もかもを許そうと努められる程に君子めいた人間ではなかったし、
何よりも先ず自分が傷付かないようにと振る舞うような、その豪胆で粗暴な物言いに似合わず保守的なところがあったから、
寧ろこの船の監視役という立ち位置は、彼女にとって馴染みの深い、居心地のいいところであったのかもしれない。
そんな訳で、この広いプラズマフリゲートの中で、少しでも利己的な悪事を企てようとする者がいれば、それは数日と経たない内に彼女の耳に入った。
別にトウコが地獄耳である、という訳ではなく、彼女の隣には常に長身の、緑の髪をした青年がいたのだが、
そうした「嘘や企てを見抜く力」というものは寧ろ彼の方に強く備わっていたのだ。
ポケモンの声が聞こえるという稀有な力を持つ彼は、ポケモン達がトレーナーのボールを介して見たり聞いたりしたあらゆるものを己の情報とすることができた。
「ポケモンは絶対に嘘を吐かない」というのは彼、Nの持論だが、間違ってはいないのだろう。現にそうして今まで、プラズマ団の治安めいたものは保たれてきたのだから。
彼女が疑い、彼が暴く。二人で一つの形を取るトウコとNは、互いが互いの片割れであるかのように絶対の信頼を寄せ、それ故に彼等は二人で二人以上の力を発揮していた。
プラズマ団のために奔走するシアと、それを支える科学者。
彼女の代わりに全てを疑うトウコと、その思いを引き継ぐ形で何もかもを見抜く青年。
この4人の背後に、もう一人、欠かすことのできない人間がいることは、プラズマ団の団員ならおそらく誰もが知っていることであろう。
代表補佐として、シアよりも一つだけ下の地位に甘んじているその男は、かつてのプラズマ団を率い、イッシュを震撼させた張本人である。
プラズマ団は以前とほぼ変わらないメンバーで再興したが、まさかこの主犯までもを呼び戻してしまうとは、俺も完全に予想外だった。
けれど、2年前にプラズマ団が解散してから今までの間に、誰がどのような魔法をかけたのかは定かではないが、彼はあまりにも穏やかな態度でその位置に就いていた。
プラズマ団の団員は彼を、敬意とほんの少しの畏れを込めて「ゲーチス様」と呼ぶ。
科学者の青年とトウコは彼を「ゲーチス」と気軽に呼び捨てるが、トウコの片割れたるNは彼を、親しみを込めて「父さん」と呼ぶ。
それぞれがそれぞれの思いを込めて彼を呼んだ。彼等にとってもこの男が欠かすことのできない存在であることは当然だが、
やはり極め付けとして、このシアのことをもう一度話しておかねばなるまい。
彼の唯一の上司に当たる少女、シアは、常に彼女の隣に在る彼を「ゲーチスさん」と呼び、慕う。代表と代表補佐という関係上、二人が別の場所で仕事をすることは滅多になかった。
Nよりも更に長身の男が、背の低い少女のすぐ隣を歩く。自然と目を引いてしまうその姿を、しかし訝しく思う人間などこの船には誰一人として存在しなかった。
この二人は、まるで互いに「そこ」に在ることが当然のように、互いの存在を特に意識することなく、けれど決して忘れることなく隣を歩いていた。
寡黙な男の言葉を引き取る形で少女が真摯に声を紡ぎ、少女の足りない知識は呆れ顔の男がすかさず補った。
少女はたまに子供のように、「ゲーチスさん」と呼びながら男の手を引くことがあったが、男は呆れながらも拒絶することなく、渋い顔でそれに従った。
彼等の息は恐ろしい程に合っていた。合い過ぎていて、寧ろその二つの息が溶けて一つになってしまいそうな程の共鳴の具合だった。
互いに殺がれた翼を補うように、互いが互いに少しだけ体重を預けて飛んでいるような、そうした、これ以上近くても遠くてもいけない形がそこにはあった。
家族とするにはあまりにも遠すぎるように思えた。恋人とするにはあまりにもそうした想いに欠けすぎていた。
上司と部下の関係に収めるにはあまりにも近く、師と生徒と見るにはどうにも少女の方にイニシアティブがあり過ぎた。
彼と少女を表す言葉はどうにも上手く見つからない。1か月間、彼等をずっと観察していて解らないのだから、おそらくこれからも見つからないままなのだろう。
それならそれでいいと思った。彼等を定義する言葉があったとして、それはあの二人だけが知っていればいいことだと心得ていたからだ。
……以上が、プラズマ団という組織を語るために、欠かせないであろうと判断した5人の姿だ。
けれどこの組織のことをもっと正確に伝えようと思うなら、この5人の話だけではきっと足りないのだろう。
彼等の物語を紐解くためにおそらく必要であった筈の、プラズマ団の解散や再興といった変化の時期に、残念なことに俺は立ち会うことができなかった。
俺がこの船に住むようになったのは、全てが終わってからのことだったのだ。
俺は今の、この姿をしたプラズマ団しか知らない。だからおそらく俺が見た彼等の姿は、彼等の真実とは少しばかり異なっているのだろう。
けれど、今のプラズマ団が俺に見せる姿が虚構だったとしても、それでもその虚構があまりにも素晴らしい形をしているということは、賞賛に値することであると思うのだ。
かつてはイッシュを震撼させ、トレーナーとポケモンを脅かすことしかしてこなかったこの組織が、あまりにも健全な明るい姿で此処に在るということは、
そして俺がこの組織で働くことができ、この船での暮らしに満足することができているということは、とても幸福なことであると、思うのだ。
けれどおそらく彼等はこの場に留まらないのだろう。俺が安寧に甘んじたいと思うこの場所は、しかし彼等にとっては最善では決してないのだろう。
彼等は走り続けている。そうした彼等を誰もが応援している。
この船でその手助けができるのだ。そんな俺に訪れる明日が、待ち遠しくない筈がない。
2016.3.30
里見家さん、素敵な曲のご紹介、並びに企画へのご参加、ありがとうございました!