それでも時は動き出す

※曲と短編企画2、参考BGM「決戦!ディアルガ!」
アピアチェーレ、片翼、サイコロの流れを汲んで語られる一人の少年の話。時間軸はサイコロ前編の2話。

一つ年下の、女の子がいた。
その小さな体と澄んだ瞳に似合わず、とても穿った見方をする少女だった。

あの夏の日、ロトムという珍しいポケモンを連れて現れた彼女は、少年と同じ日にヒオウギシティと旅立ち、イッシュを巡り始めた。
ポケモン図鑑を貰い、ミジュマルを託された彼女と、話をするのは随分と久し振りだった。
この数か月間、彼女の姿を見ることは殆どなかった。
たまにヒオウギの町を忙しなく駆けている姿を見たことがあったけれど、その時の少女は、少年が呼び止めるのも憚られる程に、キラキラと輝いた目をしていたのだ。
少年は自分の知らない所で、一つ年下の少女の表情が変わっていくことにとてつもない不安と寂しさを感じた。

いつだってこの小さな少女は、自分の後ろを転びながら付いてくるものだと思っていた。

けれど現実はそうではなかった。少女は少年を見ない。もっと先を見据え、その足で歩きだしていたのだ。

少年の妹のポケモン、チョロネコが、プラズマ団という組織に奪われてから5年が経過していた。彼の旅の目的はそこにあった。
プラズマ団に立ち向かえる程の強さを身に付け、チョロネコを必ず取り戻さなければならなかった。
唯一無二の存在である、祖父が捕まえてくれたそのポケモンを、その思いごと取り返さなければならなかった。
彼は焦っていた。焦り過ぎていた。そして結果として、少女との差は開く一方だった。

そして彼は、気付いてしまう。追いかけられているのは自分ではなく、少女の方だったのだと。
自分は背中を見せているつもりが、いつしか少女の背中を見るようになっていたのだと。
彼が振り返ったその後ろには、もう誰の姿も残ってはいないのだと。

少年は悔しがった。絶望した。チョロネコを取り戻しても、その傷が癒えることはなかった。
広がっていく自らの世界とは裏腹に、少年は満足することをしなかった。少女はもう自分を見てはくれない。自分はもう既に、少女と関わるためのものを失ったのだと。

少年はあの少女のことが好きだった。

「ヒュウに許してもらおうなんて思っていないの」

あれから1年が経った。少年と少女との距離は開く一方だった。
少年はそのことに悲しんだが、少女はそれに気付くことをしないままに、彼女の世界を必死に駆けていた。
そんな彼女を呼び止めた彼は、彼女が置かれている状況を知るや否や、大声で彼女を叱責し、咎めた。
しかし少女は怯むことなく、寧ろその澄んだ青い目をもってしてヒュウを鋭く見据えたのだ。

少年は正義感の強い少年だった。だからこそ妹の奪われたチョロネコのために旅に出て、プラズマ団を許すまいと対峙したのだ。
そして、その激しい怒りはいつだって、彼の大切な存在のために向けられていた。
大切であるその存在が脅かされた時、彼等は盲目となる。それは凄まじい怒りを引き起こす火種にも成り得る。
そして少女は、少年にとって大切な存在だった。少年にとって唯一無二の、憧れと幼い恋心とを向けるに十分な魅力を持った人間だったのだ。

その少女が、脅かされようとしている。その現実もさることながら、何よりも少女が好んでそうした現場に身を投じているという事実は少年に衝撃を与えた。
何故、一体どうして、そんなことを。
シア、どうしてゲーチスの元に向かっているんだ。あいつに会って、何をしようというんだ。お前はその危険な行いの中に何を見出そうとしているんだ。
どうしてそんな奴に情けをかける必要があるんだ。お前はあいつのことが憎くはないのか。お前はプラズマ団のことが許せないんじゃなかったのか。
全ての問いは少年の喉元でぐるぐると回り、そして奥へと沈んでいった。代わりに吐き出した言葉は低く落ち着いていて、しかし少しだけ揺れていた。

シア、お前は間違っている」

そう断言することは簡単だった。少年は自分が間違ったことを言っている訳ではないと確信していた。
確信してから、ああ、この程度の叱責で少女を咎めることは不可能なのかもしれないと思い始めていた。
この、自分より一つ年下の少女は、それでいてひどく聡明で博識で、努力を怠ることをしないこの少女は、少年の言いたいことなど解っている。
自分の行動が間違っている、ひいては世間体に悖るものであるということくらい、この賢い少女は解っている。
解っていながら、譲らないのだ。少女はどう足掻いても彼の叱責を聞き入れない。
少年が、自らの考えを間違っていないと断言するのと同じように、彼女もそれが間違っていると知っていながら、それでもこの選択が正しいのだと確信している。

そこまで少年は考えて、そして絶望した。自分ではこの少女を止められない。
彼女にポケモンバトルで勝った試しがなかった。少女はあまりにも強かった。
ここ半年ほどはポケモンバトルをしなくなっていたが、少女の強さが衰えていないことは、少女の傍らにいるロトムの力強い電光が証明していた。

自分は少女を止められない。この強情な少女の足を止めるだけの言葉を自分は持たない。
もし彼が少女の「大切な存在」であったなら、少女はその懇願を聞き入れたかもしれない。
優しい少女は、きっと自分の大切な存在が心を痛めることに対して、傷付き、自らの行動を躊躇う筈だった。
けれど彼女はそうしない。その理由は明白だった。すなわち少年は、彼女に言葉を響かせられる存在にはなれなかったのだ。
彼の言葉は少女に届かない。彼の懇願を少女が聞き入れることはない。彼は少女の行動を咎められる存在にはなれない。
こんなにも悲しいことがあっていいのだろうか。こんなにも悔しいことがあっていいのだろうか。

「解らねえよ……」

思わず零したその言葉に、しかしあろうことか少女は微笑む。
少年は頭にかっと血が上るのを感じていた。この少女は、これだけの心配と叱責を浴びながら、それを嘲笑うかのように微笑んでいる。
その事実が腹立たしかった。
今思い返せば、その少年を挑発するような微笑みは、少年の絶望が欲した「犯人」を自分に仕立て上げるための演出だったのだろう。
絶望は犯人を求めて彷徨う。打開策を見つけられないままに沈黙する少年の心を、少女は少しでも楽にしようとしたのだろう。
けれどそんな彼女の心の内を汲み取れる程の冷静さを、この時の少年は失っていた。
故に少年は、淡い恋心を向けていた筈の、ずっと自分が守ってきたと思っていた筈の少女に対して、強い憎しみを向けることを選んだ。
打ち砕かれた恋心と羨望と自負は強い憎しみとなって彼を蝕み続けていた。瞼の裏で熱いものがとぐろを巻き続けていた。

少年はボールから自分のパートナーであるジャローダを繰り出した。臨戦態勢を取った少年に、少女が指示するよりも先に、傍らのロトムがすっと宙を飛んでやって来る。
解っている、解っていた。自分がこの少女に敵う筈がない。けれど最後まで足掻きたかった。
足掻けば、そうすれば、もしかしたら自分の思いが彼女に届くかもしれない。
この正義感の強い真っ直ぐな少年は、まだ少女への希望を捨て去ってはいなかったのだ。
それと同時に、少女を憎まずにはいられない状況下におかれ、その衝動に従いながらも、その憎悪を彼女に向けることは何かが根本的に間違っているのだと解っていた。
解っていたのだ。解っていながら、止められなかった。
この心優しい少年にできることは、無慈悲な少女の笑みに耐えながら、その真っ直ぐな赤い目をもってして少女に訴え続けることしかなかったのだ。


お願いだから、届いてくれ。


ドサリ、とジャローダの緑の体躯がゆっくりと倒れる。ヒュウは唇を強く噛みしめて、ボールにポケモンを仕舞った。労りの言葉を掛ける余裕すらなかった。
届かない。自分は彼女を止められない。自分の思いは少女に届かない。少女が見ているのは、自分ではない。
お前は間違っている、とヒュウは小さく呟いた。憎しみを含んだ少女への糾弾すらも弱々しく、彼はもう既に諦めの淵に立たされていたのだ。
ああ、一体、何処で何を間違えたというのだろう?

「それは私が決めることだよ」

どうして自分は、この少女を守ることができないのだろう?

彼女は踵を返して遠ざかっていく。行かないでくれと咎めるための言葉は、しかしもう音の形を取ってはくれなかった。
少年はジャローダの入ったボールを強く、強く握り締めた。
少女が憎いなんて嘘だ。彼女に憎悪を向けられる筈がない。あの微笑みは優しい彼女の最後の演技だったのだ。
今更、それに気付いたところで、少年はどうすることもできないのだけれど。それでも捨てきれない思いがあることを、咎める人間など誰もいないのだけれど。


→サイコロ前編9話へ
2015.3.17
やこさん、素敵な曲のご紹介、ありがとうございました!

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