少しだけ、私の話をさせてもらいたい。
私はカノコタウンという小さな田舎町に住んでいる。
ポケモン研究所がある他には、この静かな町に好んで住む人の民家くらいしか見当たらない、おそろしく寂しい町。
ちょっとした買い物に出るにしても、隣町のカラクサタウンまで行かなければならない。しかもその道中には、野生ポケモンが飛び出してくる草むらがあるのだ。
そのため、ポケモントレーナーとなることと、この町から出られることは同じ意味を持っていた。
故にポケモントレーナーではなかった私は、14歳になるまで、ろくに町の外の世界を知らないままに育ったのだ。
……勿論、そんな話は此処、カノコタウンでは別段珍しい話でもない。
私の近所には、私と同い年の幼馴染が住んでいる。チェレンとベルだ。
聡明で大人びたチェレンと、おっちょこちょいで明るいベルとの相性は良く、いつも二人で一緒に居た。
その二人が、初めて私の家にやって来た時のことは、今でも覚えている。一緒に遊ぼうと誘ってくれた彼等に、私は首を振った。
『外にはトウヤが出られないから、行かない。』
そう言って断った私を、母は困ったように笑いながら無理矢理外へと送り出した。
いってらっしゃい、というトウヤの小さな声が私の背中に突き刺さった。
私には双子の兄がいる。彼は私とは違い、驚く程の虚弱体質だった。
たった数メートル走っただけでも息を切らす。真夏に外に出れば数分で眩暈を起こす。大声を出せば直ぐに咳き込む。彼の身体はとても繊細で脆いつくりだったのだ。
もっとも、それは彼の生まれ持った性質だけが引き起こしたものではない。
彼は極端に偏食だったし、小さい頃から夜更かし、寝坊の常習犯だった。今でも彼は緑黄色野菜を断固として口にしようとしない。
そんな彼の偏った生活習慣は彼の虚弱体質を悪化させた。
それなりに知識を付けた今なら「そんなだから体調が良くならないんだ」と叱ることもできただろう。
しかし、小さい頃の私にはそれが解らなかった。故にトウヤが私と同じように外で走り回れないことが、あの頃はただどうしようもなく悲しかったのだ。
少しお調子者なところはあったけれど、彼は私の双子の兄だ。私は当たり前のように兄のことが大好きだった。
だから、私のしたいことを、私がして楽しいことを、トウヤにもさせてあげたかった。
最初は母に説得をするところから始まった。
私がちゃんとトウヤのことを見ているから。具合が悪くなったら直ぐにお母さんを呼びに来るから。
しかしその懇願に母は頷かなかった。やはり心配だったのだろう。
次に私は、トウヤに健康的な生活をさせようとした。
朝になるとトウヤの部屋のカーテンを開け、毎回の食事では野菜を食べるように促した。
けれど途中で私は思った。きっと早起きしたり、野菜を食べたりすることは彼にとって「苦痛」以外の何物でもないのだ。
それを強いてまで彼が丈夫な体になったとして、彼自身はそれを喜んでくれるだろうか。
もしかしたら、それは私が勝手にそうあればいいと思っているだけであって、彼はそれを望んではいないのかもしれない。
私は「善意の押し付け」という言葉を、その時、初めて実感し、……以来、彼の部屋に入ってカーテンを開けることも、野菜を食べるように勧めることもしなくなった。
そうして、彼を外に出してあげることが不可能だと悟った私は、前述のように「トウヤが行かないから、私も行かない」と、部屋に閉じこもるようになった。
外で遊ばない、所謂「インドア派」となったところで、それは別段苦しいことではなかった。
だって家にはトウヤが居るし、活発な私は家でも同様に、賑やかに走り回っていたからだ。
私はそれで満足だった。それでいいと思っていた。
しかし、母やチェレン、ベルはそんな私の行動を、あまりいいことだとは思わなかったらしい。
『トウコ。今日もチェレン君とベルちゃんが来てくれたわよ。遊びに行ってらっしゃい。』
『トウコ、一緒に遊ぼうよ!』
『毎日ごめんね、ベルがどうしてもトウコと遊びたいって言うから。』
私はそれに従った。従いながら、釈然としない気持ちに襲われていた。
勿論、ベルやチェレンと遊ぶのはとても楽しかった。今まで一人で遊んでいた私にとって、それはとても賑やかで、騒がしくて、面白かった。
同時に、私が楽しめば楽しむ程に、出掛ける時の「いってらっしゃい」というトウヤの声が私を締め付けた。
やっぱりこれはいけないことなのかもしれない。外に出られないトウヤを放って遊びに行くなんて、許されないことなのかもしれない。
そう思いながら、しかし私が彼等と遊ぶことを拒むと、チェレンやベルは勿論、母まで悲しそうな顔をした。
『あれ、今日は友達と遊びに行かないんだ。……そっか、そうだよな、俺と一緒に居た方が楽しいもんな。』
唯一、トウヤはそう言って喜んでくれたが、それでも母の視線を感じて、とても居心地が悪かったことを覚えている。
そうした日々や、彼等の表情は私に、「トウヤのことを思って行動する私は、認められない」という、虚しい気持ちを植え付けるに十分だった。
『いいよ、外へ行く。さあ、今日は何処で遊ぼうか?』
だから私は、怖がりで臆病な私は、折角できた友達と母に嫌われたくなくて、自分の本音に蓋をすることを選んだ。
するとどうだろう。彼等は全く悲しい顔をしなくなった。
トウヤのことを名前しか知らない筈のチェレンやベルは勿論のこと、トウヤを私と同じくらい愛している筈の母でさえ、とても喜んでいたのだ。
『トウコちゃん、明るくなったね。』
『前は時々、怖い顔をしていたから、なんだか気味が悪かったんだよね。』
『トウコが毎日、楽しそうで、お母さんも嬉しいわ。』
変貌した周りのその言葉に、私は驚き、狼狽え、そして絶望した。。
今までの私は暗かったのだろうか。不気味だったのだろうか。楽しそうではなかったのだろうか。
自分の本音は周りを不快にさせてしまうのだろうか。私はこのままで居た方が、本音を隠していた方が、皆に受け入れられるのだろうか。
カノコタウンという田舎町で、私を取り巻く周りの人に嫌われてしまうことは、すなわち完全なる孤独と同義であった。
怖がりで臆病だった私は、それを酷く恐れ、このまま明るくて楽しい女の子として振舞うことを選んだ。
この頃はまだ「本当の自分を受け入れてもらえない寂しさ」よりも「独りになってしまう寂しさ」の方が勝っていたのだ。……そして、それはつい最近まで続いていた。
本音に蓋をすることに慣れてしまえば、それは私の中で日常と化した。
無難な言葉を選び、無難な反応をして、無難に立ち回ってきた。そこに私の意志はなかったけれど、そうして受け入れられた自分を喜ぶ気持ちだけはしっかりと残っていた。
誰も本当の私を知らない。それはとても悲しいことかもしれないが、まだそれを愉快だと思える程には、私の心にもそれなりの余裕があったのだ。
……けれどそれは、私の周りの人が、私を知ろうとしなかったからだ。そういう私も、誰のことも知ろうとしなかったからだ。
つまり私は、孤独を恐れ続けていた私は、けれどもやはりどうしようもなく「独り」だったのだろう。
誰も私のことを知らない。それは当たり前だ。だって私は誰のことも知らなかったのだから。
知ろうとしなかったのだ。知りたいとも思わなかった。
他人のことを知ろうとするには、一歩、踏み込まなければならない。それにはリスクが伴う。「他人に嫌われるかもしれない」というリスクだ。
だから私はそんなリスクを冒してまで、他人を知りたいとは思わない。
きっと他者の本質なんて、きっと、私がずっと蓋をしてきたその内側のように根暗で卑屈で、どうしようもなく悲しいものばかりなのだから。
そんな私の確固たるポリシーを、強烈なインパクトをもってして破った人物がいた。
彼は出会い頭に早口で訳の分からないことをまくし立て、やたらと私に執着し、とんでもない理想を掲げ、矛盾だらけの行動を取った。
そんな彼に私はどういう訳か、自分の本質をさらけ出すことを選んでしまった。
彼になら嫌われてもいいと思ったのだ。何故なら私も、彼のことが大嫌いだったからだ。私の癇に障る言動ばかり取る彼のことが気に入らなかったからだ。
最早失うものが何もないであろう、マイナスからのコミュニケーションはとても新鮮で、斬新で、私に妙な勇気を与えたのだった。
そのおかしな勇気をもって、私は初めて誰かのことを知りたいと思ったし、誰かに私を知ってほしいと思った。
でも、きっと本当は、ずっと願っていたのだろう。だって私は臆病だから。私は「独り」に耐えられる程に強い人間ではないから。
だから私は、再び旅に出ることにした。
これはそんな私の二度目の旅。おかしくて不思議な彼を思い出すための旅。
2014.11.3