ミルクパズル

8

アサギシティのジムリーダー、ミカンさんのデンリュウが病気で苦しんでいるらしい。
そんな噂を町で聞いた私は、アサギシティの南東にある大きな灯台に向かった。
最上階にはミカンさんと弱ったデンリュウがいて、このデンリュウの病気を治すには、タンバシティという町で売られている秘伝の薬が必要だと教えてくれた。
私は早速タンバシティに向かおうとしたのだが、ここで思わぬことに気付いてしまう。

「私のポケモン達、海を渡れないね」

海を渡ろうにも、水タイプのポケモンが居ないのだった。
草むらで水タイプのポケモンを見かけることは滅多にない。
釣りをすれば出会えるかもしれないが、私はボロの釣竿で釣れるコイキングが「なみのり」の技を覚えてくれないことを知っていた。
困った時には「先輩」にアドバイスを貰おう。そう思った私はポケギアを取り出し、お姉ちゃんに連絡を取った。

『あら、海を渡れなくて困っているのね。それなら私のポケモンを貸してあげる。』

「え、いいの?」

『勿論。コトネが海や湖でお気に入りのポケモンと出会うまで、この子を使ってあげて。
……ただ、バトルでは上手く戦ってくれないと思うから、水場を渡る時にだけ出してあげてね。』

人から譲り受けたポケモンが、トレーナーの力量よりもずっと強くなってしまうと、トレーナーの指示を受け付けなくなってしまうらしい。
ポケモンがトレーナーを認める指標となるのがジムバッジだが、彼女のポケモンはどうやら、4つしかバッジを持っていない私には扱えないようだ。
お姉ちゃんのポケモンは皆、陽気で明るくて、とてもバトル中の指示に反抗したりするようには見えなかったけれど、私は彼女のアドバイスに従うことにした。

そして私は、ポケモンセンターで姉から送られてきた古いモンスターボールを受け取った。
タンバシティの海でそのボールを投げたのだが、まさかスイクンが送られてくるとは完全に予想外だった。
姉は沢山のポケモンを捕まえていて、ヌオーやラプラスなど、そこまで育て上げてはいないが大切な家族として一緒に暮らしているポケモンが数多くいた筈だ。
彼等なら私の言う事も聞いてくれただろう。
それなのにスイクンを選んだ彼女の意図が私には掴めず、スイクンの涼しく美しい背中に揺られて海を渡る最中、そんな考え事をしながら首を捻ってばかりいた。

ロケット団と対峙する覚悟を決めていた私に、彼女が「用心棒」としてスイクンを送り付けていたことを、私は結局、旅が終わるまで知ることはできなかったのだけれど。

海の向こうの町、タンバシティで、私はミナキさんと再会した。
「スイクンが君を乗せて海を駆ける姿を見たんだ!」と非常に興奮していて、その興奮さめならぬままにバトルを申し込まれてしまった。
チコリータやゴーストで何とか勝利を収めると、彼はいかにスイクンが優れているか、いかにスイクンが美しいかについて延々と語ってくれた。
確かに、スイクンはとても美しい。その程度はともかくとして、何か一つのことに熱中できるミナキさんは素敵な人だと思った。

デンリュウの病気を治す薬が売られている薬屋さんは、すぐに見つかった。
秘伝の薬を売ってくれませんか?と尋ねると、店員さんは私の頭の上に乗ったチコリータを見て「そのポケモン、具合が悪そうには見えないが……」と首を捻っていた。
事情を説明すると快く調合を引き受けてくれ、本来ならもっと高いであろう薬を、子供の私でも買える値段で譲ってくれた。

それから、珍しいポケモンを2匹連れている男性を見かけた。
ツボツボとニューラというそのポケモンは、しかし酷く疲れているようにも見えた。
彼曰く「目つきが鋭くて赤くて長い髪の子供にバトルで惨敗した」とのことだ。どうやら彼は私よりも先にタンバシティに来ていたらしい。

そんなタンバシティにもジムがあり、シジマさんという男性が滝に打たれていた。
何とか滝を止めてバトルを申し込み、トゲチックやチコリータで勝利を収めた。
帰りもスイクンに乗ってあっという間にアサギシティに着き、再び大きな灯台を上ってミカンさんの元へと向かった。
秘伝の薬を飲ませるとデンリュウはたちまち元気になり、ミカンさんは私に何度もお礼を言って、ジムへと戻っていった。

そしていつものようにジムへ挑戦し、6つ目のバッジを手に入れた私に、ミカンさんが怪訝そうに尋ねた。

「貴方は何か意図があって、チコリータをそのままの姿にしているのですか?」

「え……?」

「貴方のチコリータは……その、もうとっくに進化してもいい強さに達している筈です」

進化。
その言葉に私は、気にも留めていなかったその事実を突き付けられて、驚いた。
チコリータが今まで進化しなかったことに驚いたのではない。
ゴースやトゲピーが進化を重ねているにもかかわらず、一番長い付き合いであるチコリータがずっと進化しないままであることを、全く訝しく思わなかった私に驚いたのだ。
いつも私の帽子の上にちょこんと乗り、バトルとなればぴょんと飛び出して華麗に技を決める、そんな彼女の姿が当たり前と化していたのだ。

チコリータは、姉のパートナーであるメガニウムのタマゴから生まれたポケモンだ。
いずれは進化して、メガニウムになるのだろう。そんな想定を今までしていなかった私がとてもおかしなもののように感じたが、しかし私は笑うことができなかった。
ミカンさんがとても不安そうな顔をしていたからだ。

「えっと、もしかしたら、チコリータに何か気掛かりなことがあって、それで進化できないのかも。……ごめんなさい、何か的確なアドバイスができればよかったのですが」

困ったようにそう言ったミカンさんに私はお礼を言って、ジムを後にした。
自分の何十倍も大きいハガネールを相手に、リーフストームという草の大技で圧勝を決めたチコリータは、無傷のその身体でいつものように私の背をよじ登り、頭の上に乗る。
頑張ったね、ありがとう。そんな言葉を掛けてあげる筈だった。しかし、言葉が出て来ない。

「……」

この子はどうして進化しないのだろう?私は急に不安になった。
普通なら進化する強さに達した筈のポケモンが進化しない。これは明らかに普通ではないことだった。そしてそれは、どちらかというと悪いことのような気がしたのだ。

もしかしたら、私のせいだろうか?
そんな不安が頭をもたげた。そして急に、自分がこれまで彼女と歩んできた道のりを思って不安になった。
私がこの子に、何か悪い影響を与えてしまったのかしら。だから彼女は進化しないのかしら。

「ねえ、大丈夫だよ。君が進化することで、悪くなることなんか何もないんだよ」

帽子の上に乗っていて、その表情は確認できないけれど、彼女がどんな顔をしているのか、私には解る。
無邪気な、それでいて困ったような笑顔を浮かべているのだろう。生まれて間もない筈の彼女の赤い目は時折、とても大人びた色を映すのだ。

ただの気紛れであればいい、と思う。
強くなりたいのは私もチコリータも同じである筈なのだが、この姿のままでどこまで強くなれるかを彼女なりに模索している最中なのかもしれない。
彼女が進化せずにいるのは、彼女自身のそうした決意の表れか、もしくはただの気紛れ、なのかもしれない。
お姉ちゃんのメガニウムは彼女に似てとてもマイペースだったから、そのタマゴから生まれたこの子も、そんな奔放な性格を引き継いでいるのかもしれない。
進化の速度なんてポケモンでそれぞれ異なっている。気にすることはないのかもしれない。

それなのにこんなにも不安になってしまうのは、私が彼女の言葉を拾えないからだ。

「チコリータ、君は進化したい?」

私の問いに、チコリータはすぐさま頭を振って否定の意を示した。

「どうして?」

そして私は後悔する。この問いは、双方が良くない思いをすることに気付いてしまったからだ。
例えばそれは、単なるチコリータの気紛れだったのかもしれない。
チコリータのままで強さを追い求めたいとする、彼女の明確な意思によるものだったのかもしれない。
進化を恐れる気持ちがあって、それが彼女の進化を妨げているのかもしれない。
他にも考えられる理由は幾つもある。しかしそれらを私が理解できる音にする手段を彼女は持たない。彼女達の音を私達の言語に変換する手段を私は持たない。

この子の言葉が分かればいいのに。

それは私が初めて抱いた、胸を切り裂く程に強い悲しみに似た感情だった。
しかし、それは本当に一瞬だった。私は両手を伸ばしてチコリータを抱き、目の前に抱えたまま真っ直ぐに彼女の赤い目を見つめて問うた。

「ただ単に、なんとなく進化したくないの?」

首を振る。

「チコリータのままで強さを求めたいの?進化しないのは君の拘りなのかな?」

これにも首を振る。

「進化するのが、怖い?」

またしても首を振る。私は困り果てて首を捻り、「うーん、じゃあどうしてだろう」と微笑むしかなかった。
言葉がないなら、その言葉を私が引き取ればいい。
そう思ったのだが、彼女の本音を私はどうにも探り当てることができないらしい。
困ったな、と思ったけれど、私を見上げるチコリータがあまりにも楽しそうに笑ってくれていたので、私も釣られたように頬を緩めてしまった。

気にしなくていいのかもしれない。彼女が進化したくないというのなら、私はそれを信じて従えばいいのかもしれない。
彼女の成長を気に掛けることも必要だが、彼女を信じて見守ることもそれ以上に大切なのかもしれない。
私は手探りでトレーナーとしての道を進み始めていた。私のこの選択を、肯定してくれる人も否定する人も、此処には居ない。

2014.10.25
「痛刻」
※原作でのシルバーはタンバシティでニューラを盗みますが、この物語では少し事情が異なっています。

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