ミルクパズル

5

ウツギ博士から預かったタマゴが孵り、トゲピーが生まれた。
少し臆病な彼女も含めた3匹で、キキョウシティのポケモンジムに挑戦し、ジムリーダーのハヤトさんに辛くも勝利を収めた。
ポケモンセンターの前で、綺麗な着物のまいこさんに出会った。私が抱きかかえていたトゲピーをとても珍しそうに見ていたのが印象的だった。

キキョウシティを西に進めば、大都会のコガネシティに、更に北へ向かえば風情溢れるエンジュシティに辿り着く筈だった。
しかし、おかしな木が道を塞いでいて通れず、私達は南へと向かった。
アルフの遺跡でアンノーンに追い掛けられたり、親切な男性にきせきのタネという道具を貰ったりした。

野生のポケモンとのバトルではゴースが快勝を収めていた。
彼等が主に繰り出してくる、たいあたり、はたく、ひっかくといったノーマルタイプの攻撃は、ゴースには全く効果がない。
相変わらずケタケタと楽しそうに笑いながら、次々と技を繰り出すゴースを、まだバトル慣れしていないトゲピーはじっと見ていた。彼なりに勉強しているのだろう。
チコリータは相変わらず、私の帽子の上に乗っている。弱点の多い草タイプではあるけれど、負けず嫌いで勇敢な性格から、パーティを引っ張るエースとして活躍してくれている。

つながりの洞窟を抜け、ヒワダタウンに辿り着いた私は、とある組織と対峙することになる。
その組織の名前は、ロケット団。
3年前、一人の少年によって解散に追い込まれた「悪の組織」だ。

事の始まりは、お姉ちゃんとの電話だった。

『今はヒワダタウンに居るのね。ヤドン、可愛いでしょう?』

「え、ヤドン?この町に居るんだ」

『あれ、見かけなかった?おかしいなあ。私が旅で立ち寄った時には、それこそヤドンの居ない通りを見つける方が難しいくらいに、沢山居たんだけど。』

ヤドンは、ピンク色の身体をした、とてものんびりしたポケモンだ。お姉ちゃんの図鑑で確認したことはあったけれど、実際に見たことはない。
姉の話にあったヤドンを探して、私はこの小さな田舎町を歩き回ったが、1匹も見つけることができなかった。
町からヤドンが消えた。たったそれだけのことだけれど、どうしても気になって、私は町の人に話を聞いてみることにした。

そして私は、ヤドンが消えたのがつい最近であること、それと同時期に怪しい黒服の人間がヤドンの井戸に出入りするようになったことを知った。
町の人達が口にした「ロケット団が復活したらしい」「彼等がヤドンのシッポを切って売りさばいている」という言葉。
攫われたヤドンは、町に住んではいるものの野生のポケモンで、誰かから盗んだものではないため、警察も手出しができない状態らしい。

「……」

それは私が初めて抱いた、身を焦がす程にふつふつと沸き立つ怒りだった。
……どうやら度を越した怒りというものは、人の理性と自制心、そして冷静な判断を奪うらしい。
ウツギ博士に「無理をするんじゃないよ」と釘を刺されていたにもかかわらず、私は単身でヤドンの井戸へ足を運んでしまったのだ。

「シッポを取るのを止めろって?……何よ!幹部のランス様の命令を無視しろっていうの?」

「……」

そして、人はあまりの怒りに襲われると言葉を失うらしい。
私はヤドンの井戸に入るや否や、3人のロケット団に囲まれたけれど、恐怖を感じる暇なんてなかった。ただ私は必死だった。
彼等はズバットやコラッタを出して攻撃を仕掛けてくる。チコリータが息をつく間もない程にはっぱカッターを繰り出し続ける。

「まずい、この子供、強いぞ!」

「応援を呼べ!ランス様にも連絡するんだ!」

彼等のポケモン達を瀕死の状態にまで追い込んでしまったことで、私はようやく我に返る。
私は何をしているのだろう。何が許せないというのだろう。
パタパタと彼等の足音が洞窟の奥へと消えていくのを見届け、私はただその場で立ち竦んでいた。自分の取った行動が信じられなかったのだ。

ヤドンのシッポを切り、金儲けの為に売りさばくという発想は、今までワカバタウンの平和で幸せな世界で生きてきた私には存在し得ないものだった。
それが商売として成立するということは、ヤドンのシッポを求める人間が、この世界に居るということだ。
あまりにも利己的で惨いその行為と事実は、私にショックを与え、相応の怒りを抱かせるに十分なものだった。
頭に血が上り過ぎているという自覚はあったけれど、ここまで来てしまえばもう後には引けない。私は意を決して井戸の奥へと歩を進めた。

「!」

そこに居たのはヤドンだった。それも1匹や2匹ではない。
見ているこちらが拍子抜けてしまいそうな、攫われてシッポを切られたとはとても思えないような能天気な表情をしていた。
しかしそのシッポは確かに一様に切られており、切り口はとても滑らかで、鋭利な刃物で躊躇いなく一気に切り取られたことが見て取れた。
普通に生きていれば見る事のない、ポケモンの身体の「断面」を不本意ながら見てしまったことに私は青ざめる。

「誰ですか?」

愕然とする私に、ヤドンの群れの向こうから鋭い声が飛んだ。
カツカツという音が、静かになった洞窟の中に響く。ただの靴音だと頭では理解しているのに、身体は何故か強張った。
暗くてよく見えなかったが、彼の被っている帽子や身に纏う団服は、今まで戦ってきた団員達のものとは少し違っていた。
おそらく、偉い人なのだろう。私の頭はそれくらいの推測しか立てられなかった。

しかし、そうした幼稚な推測だけで十分だったのだ。
この人がロケット団という組織の中でどれくらい偉くて、どれくらい残虐なことをしてきて、どれくらい強いポケモンを連れているのか。
そうした情報は、頭に血が上った私には最早不要であった。

「ヤドンを連れ去って、シッポを切るように命令したのは貴方ですよね」

「ええ、そうですよお嬢さん。私はロケット団幹部のランスといいます。以後、お見知りおきを」

そう、それだけで十分だったのだ。

「ここにいるヤドンは全て野生です。私達がどう扱おうと、誰にも迷惑などかけてはいない筈ですが?」

「そうです。貴方達のしていることは法に触れていない。警察は動かない。だから私が此処に来ました」

私のその言葉に、ランスさんの顔色が変わった。深く被られた帽子の奥で、冷たい目が私を見据える。
警察が動けないということは、野生のヤドンのシッポを切ることが法に触れていないということだ。
お姉ちゃんがぶつぶつと呟きながら暗記していた沢山の法律に、今のロケット団の行動を取り締まってくれるものはどうやらないらしい。
そして、きっと彼等はそれを知っているのだ。その状況を利用して、好き勝手にヤドンに酷いことをしている。

「私はロケット団で最も冷酷と呼ばれた男……。私達の仕事の邪魔などさせはしませんよ!」

それは私が初めて抱いた、広い世界の理不尽に対する、吐き気がする程の息苦しさを伴う感情だった。
彼の繰り出すズバットとドガースは、先程まで戦ったロケット団員のポケモンよりも遥かに強かった。
しかし私は怯まない。怯むわけにはいかない。
チコリータも私の姿勢に呼応するように、更にはっぱカッターの威力をあげた。彼のポケモンはあっという間に倒れてしまう。

……私は少し、勘違いをしていたのかもしれない。

「確かに我らロケット団は、3年前に解散しました。しかしこうして地下に潜り、活動を続けていたのです」

ランスさんが、傷付いたポケモンをモンスターボールに戻しながらそう説明する。
とてとてと覚束ない足取りで戻ってきたチコリータの顔色が、ほんの少しだけ悪い気がする。連戦で疲労が溜まっているのかもしれない。
私は彼女をそっと抱き上げて、ランスさんに向き直った。

「貴方ごときが邪魔をしても、私達の活動は止められやしないのですよ」

「……」

ランスさんが周りの団員達に「引き上げますよ」と指示を出す。
あっという間に彼等は居なくなってしまい、後には私とヤドンだけが残された。

「……ヤドン、ごめんね。もっと早く来てあげられたらよかったんだけど」

私は少し、勘違いをしていたのかもしれない。
ワカバタウンにある、私の小さな、とても幸せな世界のまま、それがずっと遥か彼方まで広がっていると想像していたのだ。
旅をする中で、私は沢山の素敵な人やポケモンと出会い、その素敵な世界を広げる筈だった。
世界には、それと同じだけ、どす黒い色をした理不尽が渦巻いていることを、私はこの日、初めて知ったのだ。

この世界は、何処かおかしい。

2014.10.22
「憤怒」「苦悩」

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