青の共有

7

アポロは絶句した。優秀な同期であったランスの初めての失敗に、どのような言葉を掛ければいいのか迷っていたのだ。
聞けば、ヤドンの井戸で子供に遭遇し、任務を妨害された挙句、バトルで返り討ちに遭った、とのこと。

これまで、赤くて長い髪の少年に任務を邪魔されたという下っ端からの報告は、幾度か受けたことがあった。
ロケット団のボスであったサカキの実子である彼のそうした行動は、しかし甚大な被害をもたらすものではなかったため、今まで看過してきたのだ。
早いうちに手を打っておくべきだった。そう悔いるアポロだったが、どうやら今回の事件は彼の仕業ではないらしい。
無名のポケモントレーナー、しかも子供に、幹部であるランスまでもがやられてしまったという事実を、ランスは勿論、アポロや他の幹部達も受け入れられずにいた。

「誰かから借りていたか、譲り受けたポケモンだったんじゃねえか?」

ラムダが煙草をふかしながらそう尋ねる。ランスは苛立ちとやるせなさに表情を歪めながら「知りませんよ」と素っ気なく言い放った。
アテナが笑いながら、やや乱暴にランスの肩を叩いている。
ランスは不機嫌そうにしながらも、自分を気遣ってくれていることに気付いたのか、彼女の手を振り払うことはしなかった。
アポロは柔軟な対応のできる年上の幹部達に救われる思いがした。

「ラムダさんの仮説が今のところ最も現実的ですが、念のため、各部署にも警戒するように伝えておきましょう。
ランス、子供の特徴を覚えていますか?それと、連れていたポケモンとその数を」

アポロがそう尋ねると、ランスは間髪入れずに答えた。

「チコリータです」

「……え?」

「だから!チコリータ1匹です!何度も言わせないでください!」

乱暴に机を叩いてランスは叫んだ。沈黙が会議室を支配する。
趣味の悪い冗談は止してくれ、と言いたくなるような彼の報告に、しかし4人とも思い当たる節があったのだ。
その子供のでたらめな強さは、3年前のあの少年を思い出させた。
サカキの率いるロケット団を解散に追い込んだ一人の少年。常にピカチュウでバトルを挑み、悉くこちらに敗北を突き付けたその姿はまだ記憶に新しい。

「……まさか、あの少年ですか?」

「いいえ、女でした。部下の一人がカメラを持っていたので、写真を撮らせておきましたよ。
井戸の中は暗かったので、はっきりとは写っていませんが」

ランスはそう言って、ポケットから1枚の写真を取り出した。
アポロを含めた3人の幹部はそれを見るために身を乗り出す。代表でアポロがその写真を受け取ると、暗がりながらもその子供の姿を捉えることができた。
ランスのポケモンと戦っているのは、確かにチコリータである。
それに指示を出す子供は、大きなリボンの付いた帽子を被っている。表情は暗くてよく確認できない。

……大きなリボンの付いた帽子。

「確かに子供ね。何処にでも居そうな子だけど」

「シルバーの坊ちゃんと同い年くらいじゃねえか?確か坊ちゃんは今年で12だったよな」

幹部達の会話を聞きながら、アポロは目を伏せて沈黙した。
大きな赤いリボンの帽子。自分はこの帽子を何処かで見たことがある。以前にこの子供と会ったのだろうか?
アポロは強烈な既視感を感じながらも、その正体に辿り着くことができずにいた。

「どうしたんだ、アポロ。眉間にしわが寄ってるぞ」

「……いえ、何でもありません。明日の朝礼で全団員に知らせます」

予想もしていなかった人物の登場に、幹部達は焦っていた。一刻も早く作戦を実行に移す必要があった。



この日から組織は慌ただしくなり、アポロは休む暇もなく各部への指示や情報収集に追われていた。
勿論、組織を抜け出して気分転換などしている場合ではなかった。何の前触れもなく訪問を絶った自分をあの少女はどう思っているだろう。
来ても来なくても変わらないと笑った彼女のことだ。自分がやって来ないことにも気付いていないかもしれない。
そしていつものように落ち葉に身体を埋めて、分厚い本を読んでいるのかもしれない。
早く忘れてくれ、忘れてほしいと願いながら、忘れられたくないと胸の奥深くで声をあげるその本音にアポロは苦笑した。

チョウジタウンでアテナまでもがその子供に負かされたと知り、計画は更に加速した。
最早時間との戦いだった。あの子供が強すぎることに誰もが気付いていた。一刻も早くボスを呼び戻す必要があった。
おそらく、アポロでも手に負えないだろう。そして最高幹部であるアポロが敗北するというその意味を、誰もが正しく理解していた。
あの子供がラジオ塔に駆けつけるのが先か、ボスがアポロ達の呼び掛けに応えるのが先か。

ボスはお戻りになるだろうか?

そんな疑念を、しかしアポロは決して顔には出さなかった。
誰もが焦っていた。誰もが不安に苛まれていた。だからこそ、それを束ねるアポロが不安を表出する訳にはいかなかったのだ。

「私はペンどころか、部下と組織を守る剣すらも持ち合わせていないのかもしれません」

そんな弱音を、アポロは誰もいない空間でしか呟くことを許されない。
「ペンと剣が欲しい」と言った少女を思い出す。彼女は弁護士になれただろうか?彼女はそのペンと剣で、どのように彼女の大切なものを守るのだろう。
その想像はアポロの心を軽くした。自分と出会ったことを「縁」だとしたクリスの、聡明さと愚かさがおかしくてアポロは笑った。

あの空間での優しい記憶は、ロケット団が再び解散するその日まで、アポロの心を支え続けていた。



「ごめんなさい、止められなかったわ」

「アテナ、お疲れ様でした。次の指示をしてもよろしいですか?」

ラジオ塔の最上階で、アポロは夜のコガネシティを見下ろしていた。
少し考えれば解ることであった。サカキですら敵わなかった少年にそっくりなあの子供を、どうして我々が押し留めることができただろう。
しかし、どうしても諦めることができなかった。最高幹部であるアポロの諦めはロケット団全体の諦めを意味し、それは自分を慕い集まってくれた団員達への裏切りに相当する。
アポロは彼等の居場所を、自分の居場所を見限りたくなかったのだ。そこに未来がないと知っていながら、どうしても諦めることができなかったのだ。

「団員を連れて、一刻も早くジョウト地方から出てください。次の地方はお任せします。ランスとラムダさんにも伝えてください」

アテナの沈黙は雄弁で「貴方はどうするのか」と声高に問い掛けていた。
アポロはふっと笑う。脳裏に過ぎったのは、あの少女の「ペンと剣が欲しい」という言葉だった。

「私は、サカキ様とは異なるやり方で、責任を取ろうと思います」

「……どういうことかしら?」

「ご想像にお任せします。ただ、私も最高幹部としての矜持がありますから、そう簡単にやられはしませんよ。……では」

アテナの更なる問い掛けを遮り、アポロは携帯の電源を落とした。もう使わないであろうそれを両手で折り、更に床に落として足で何度も踏み付ける。
安っぽい金属の音が小気味よくアポロの鼓膜に届く。やるせなさや不甲斐なさを小さな電子機器にぶつけていた。

自分は何処で間違ったのだろう?アポロは思案する。しかし、答えなど出る筈がないのだ。
自分が最高幹部としての器ではなかったのかもしれない。ラジオ塔を占拠するという計画がそもそも間違いだったのかもしれない。
最初から、全てが間違っていたのだと言われたとして、アポロにはそれを反論できるだけの自信と根拠がなかったのだ。
全てが宙吊りの状態でふわふわと進んでいた。やはり自分には、組織を統べるなど無理な話だったのだ。

最高の統率者を欠いたこの組織を、3年間、何とか率いてきた。そして、彼等を無事に逃がすこともできそうだ。それで十分だと思った。
けれども、この結末がやるせなくて、自分の無力さがもどかしくて、どうしようもなかった。
悔しい、のかもしれない。まるで子供のようだ、とアポロは笑う。
その背後で、エレベータの到着音が小さく鳴った。

2014.10.15

< Prev Next >

© 2021 雨袱紗