青の共有

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「どうして、弁護士になりたいのですか?」

ずっと疑問に思っていたことを尋ねると、クリスは読んでいた本から勢いよく顔を上げ、目を輝かせた。
「よくぞ聞いてくれました」というようなその表情にアポロは苦笑し、彼女の隣に腰掛けて話を聞く準備をする。

「私は、ペンと剣が欲しいんです」

その言葉に「ペンは剣よりも強し」という有名な格言が掛けられていることを即座に悟ったアポロは首を捻った。
その格言に従うならば、彼女が欲するのはペンの力だけである筈だった。そして弁護士になることを彼女は「ペンの力を手にする」ことだと信じているらしい。

「この世界には、力技で救うことのできないものも沢山あるみたいですから。だから私は弁護士になって、ペンを持つんです。
剣で救えないものは、ペンで救います。ペンで救えないものも、剣でなら救えるかもしれない。両方を持っていれば、自由に動けるでしょう?」

「……貴方の剣、とは?」

「勿論、この子です」

クリスはポケットからモンスターボールを取り出して、掲げた。中には以前戦ったメガニウムが入っている。
弱点の多い草タイプであるメガニウムを、自らの切り札としていることにアポロは危うさを感じたが、直ぐにそれは杞憂だったと思い直した。
炎タイプのかえんほうしゃですら、簡単に退けてしまう程の強さだ。彼女の剣となるには十分だろう。

奔放でマイペースな少女でありながら、どこまでも強さに貪欲なその姿はアポロに衝撃を与えた。
弱点の多い草タイプのメガニウムをあそこまで強く育て上げるにはかなりの根気と努力が必要である筈だ。
その上、生半可な努力ではなることができない弁護士を目指して、今もこうして本を読んでいるのだ。
そこまでして、彼女が救いたいものとは一体何なのだろう。
アポロに沸いたのは純粋な好奇心だった。

「貴方は一体、何を救いたいのですか?」

「……さあ?」

思ってもみなかった返答にアポロは絶句した。
可笑しな顔、と少女はアポロを見上げてクスクスと笑っているが、本当におかしいのは少女の方であるとアポロは断言したい気分だった。
まさかこの少女は、確固たる目的もないままにただ力だけを付けているとでも言うのだろうか。
何かしらの努力をしていなければ落ち着かないのか、それとも自分に「救いたいもの」を隠しているのか。
後者はあり得ないなと考え直し、そしてそう確信している自分に苦笑した。
アポロが少女に対して誠実で在ろうと決めたのは、少女が彼に対して誠実だったからだ。

「今は特にないけれど、そのうち、力が必要になる時が来るかもしれないでしょう?
その時に、もどかしい思いはしたくないんです。もっと私に力があったならって、そんな風に、後悔したくないんです」

そう紡ぐ少女は、どう考えてもアポロが住むような「こちら側」の世界など知り得ない筈なのに、その全てを知っているかのようだった。
世の中には、一人の人間の力などではどうしようもない程の理不尽が渦巻いていて、その理不尽に飼い殺され、不正を働き、働かれる人間が数多く存在していること。
そんな世界で強かに生き抜いていくためには、平和的解決や正論の羅列ではどうしようもない場合もあるということ。

彼女は明らかに「ペンで解決できない世界」のことを意識していた。
この奔放でマイペースで、日陰を知らぬままに大きくなった筈の少女が、アポロの住処で強かに生き抜く為の術を備えていることは、アポロに若干の違和感を植え付けた。
自分よりも遥かに各上の人物を相手にしていることに、アポロはようやく気付いたのだ。

「本当なら、弟を元気にするためにお医者様を目指す、っていうのをやりたかったんです。でも、どうしても医学書の内容は頭に入って来なくて」

「おや、既に試したんですね」

「完全にお手上げでした。私は典型的な文系だったみたいです」

そう言って、本に視線を戻したクリスに、アポロはそれ以上話し掛けることをしなかった。
ひょっとして、今此処に自分が居ることは、彼女の「力を得るための時間」を奪うことになるのではないだろうか。そんなことを考えてしまったのだ。

アポロは自分が滑稽で堪らなかった。
自分の立場と自分の思いが背反し、アポロを引き裂きそうだったのだ。

最高幹部としての自分なら、この少女を放ってはおかないだろう。
クリスが強大な力を手にしていると気付いた時点で、彼女が自分の組織の害とならないようにポケモンを奪ったり、あるいはその力を組織のものとする為に勧誘したりする筈だ。
その正しい判断をアポロは選択できなかった。それはアポロがクリスを知り過ぎていたからである。

アポロの本音はこうだ。この少女を自分の組織に関わらせたくない。どんな形であれ、自分と少女はこの場以外で関わってはならない。
ならばアポロの取るべき行動は、一刻も早くこの場所から姿を消し、少女が自分を忘れてくれることを願うことであった。
しかし、そうすることもできずにいる。自分はこの少女に忘れられたくはない。この時間を手放したくもない。
その理由はもうとっくに解りきっている筈なのに、言葉にしてしまうのが、酷く恐ろしい。

「だから、アポロさんが困った時は、いつでも呼んでくださいね。私には、貴方を助けるためのペンと剣がありますから」

その言葉を、アポロは脳裏で丁寧に咀嚼し、微笑んだ。
そうであればどんなに幸福なことかと思い、そう考えるだけで十分だったのだ。
もう十分、十分だ。日陰に生きるアポロは、もう十分に、この少女から幸福を受け取っていた。

「まだ弁護士になってもいないのに、そんな大口を叩いていいのですか?」

「じゃあ、私が弁護士になるまでは、困らないで」

そんな冗談を聞きながら、アポロはふと、空を見上げる。

自分にも、少女にも、為さねばならないことがあり、その為に努力を重ねていた。
住む場所も歩む方向も違う二人の足並みが、偶然にもほんの数週間だけ、揃った。それだけのことだったのだ。

「お兄さん。「縁」って言葉、信じますか?」

「……それは「運命」とはどう違うのですか?」

奔放でマイペースな少女は、唐突に話の流れを変えてアポロに尋ねる。
その質問に質問で返すと、クリスは楽しそうに笑って続けた。

「運命は、一瞬を装飾してくれる綺麗で純粋なものです。縁は、その巡り合わせで自分が不幸になっても幸福になっても、その全てを背負うという、重いものなんです」

「面白い考え方をしますね」

「私、この言葉が好きなんです」

「ほう。どんな時に使うのですか?」

好奇心のままにアポロは尋ねた。
まさかその後にこんな言葉が返ってくると、どうして想像できただろう。
アポロはクリスと顔を見合わせた。双方が双方を同じ色の目に映しながら二人は笑った。

「私がアポロさんを好きになったのは、貴方に出会ったからです」

「……」

「ほら、ね?これって「縁」でしょう?」

この日を境に「此処で会う」という、二人が交わした再会の約束は破られ、二度と果たされることはなかった。

2014.10.14

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