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「そっか、ごめんなさい」彼女は驚く程あっけなく謝罪の言葉を紡いだ。
少女の質問を即座に引っ込めさせてしまう程に、自分は悲壮感漂う顔をしていたのだろうか。
ここに鏡があったらと思うが、生憎アポロが自身の表情を窺える手段としては、目の前の少女の瞳を覗き込む以外にないのだ。
アポロにそっくりな色をした少女の青い目には、困惑しきった、それでいて沈黙を貫く男の姿が映っていた。
「私、貴方にそんな顔をさせたかった訳じゃないんです」
「……ええ、解っています」
しまった、と思う。何故こんなにも間違った対応を取ってしまったのだろう。
実力の差を見せつけられてしまったからなのか。
思考の海を泳ぎながら、しかしアポロはその正解に辿り着き始めていた。
少女の質問を誤魔化すことができなかったのは、おそらく、アポロが少女に受けてきた誠意のせいだ。
圧倒的なカリスマとストイックさを兼ね備えた、最高幹部としての自分と、奔放でマイペースで、嘘が下手な本来の自分とが天秤に掛けられていた。
この少女を前にしてまで、演技をしたくはなかった。アポロは嘘を重ねるために毎日、彼女の元を訪れていたのではないのだ。
何より、自分に向けられた少女の誠意が、アポロに誤魔化すということを躊躇わせた。
しかし、アポロは少女のように、陽の当たる場所で生きている人間ではない。故に口を閉ざさなければならないことは確かに存在したのだ。
思考の末、少女の誠意を無下にすることなく、かつ最高幹部としての正しい振る舞いを果たす術を思いついたアポロは、おもむろにぽつりと呟いた。
「何を、知りたいのですか」
「え?」
「答えられる範囲で、答えます。言いたくないことは、言いたくないと言います。私は、貴方のような人に堂々と話せる自己を持ち合わせていませんから。
しかし、貴方に嘘は吐きたくない。それで妥協してくれますか?」
それは、今の彼が為し得る、精一杯の誠意だった。
少女が彼の背景にある事情を理解したのかどうかは解らない。否、寧ろ、理解してはいけないのだ。アポロはそう願っていた。
この少女に対しては誠実でありたいと思う反面、自分の世界と彼女の世界を交わらせてはいけないとも思う。少なくとも、彼女にはこちらへと踏み入ってほしくない。
即戦力になり得る、ポケモンバトルの実力を持った彼女を、アポロはその目で確認しておきながら野放しにすることを選んだのだ。
それはアポロが少女を知り過ぎていたからであり、つまるところ、彼は自分と同じ色をしたこの少女に絆されていた。
クリスはその言葉を丁寧に咀嚼し、暫くの思案の末に、目を輝かせ、口を開いた。
「何歳ですか?」
「24です」
「何処に住んでいるんですか?」
「出身はカントーです。今はジョウト地方の会社に住み込みで働いています」
「焼き芋の他に、好きな食べ物はありますか?」
「……フルーツサンド、でしょうか。片手で食べられますから」
「お仕事、忙しいんですね。じゃあ今度、作ってきますよ」
彼女の質問はそんな、他愛もないものだった。
屈託なく問い掛けを重ねているようではあるが、一つ一つの質問を吟味する様子はなく、次から次へと浴びせている状態だ。
アポロが濁した部分には一切触れない。マイペースな少女の優しい気遣いにアポロは安堵していた。
趣味はありますか?どんなお仕事をしているんですか?ヘルガーとは何処で出会いましたか?その髪は染めたんですか?
今は仕事が忙しいので、特にありません。さあ、ご想像にお任せします。カントー地方の都会町の外れにある、小さな草むらで。この髪は地毛ですよ、貴方だってそうでしょう?
アポロはそれらの問い掛けにテンポよく、都合の悪い質問には苦笑することで返した。
返答を続けながら、アポロは少女の顔色をそっと窺う。
自分に質問を重ね続ける少女が本当に楽しそうで、アポロは面食らってしまった。
「楽しいですか?」
「はい、とっても!お兄さんのこと、知りたいと思っていましたから」
この少女を知り過ぎたことを悔いていたアポロに、その言葉は重く響いた。
二人の出会いには、映画や小説にありがちな、ロマンチックな装飾など存在しなかった。
たまたま鈴音の小道を訪れたアポロが、そこで本を読んでいたクリスをたまたま見つけ、たまたまその面妖な風体に好奇心をそそられて話し掛けてしまった。それだけなのだ。
アポロもクリスも、道行く人が振り返るような美貌やルックスを持ち合わせている訳ではなかったし、自分が魅力的な人間であるなどと思った記憶は皆無に等しい。
にもかかわらず、偶然から始まったこの関係は長く続き、この少女は目を輝かせて、特に何の取り柄もないアポロのことを知りたいなどと紡ぎ、屈託なく笑っている。
アポロにはそれが心底解せなかった。少女だけではない、自分のことも解せなかった。この関係は少女からの一方的なものではなかったからだ。
少女だけではない、アポロもまた、この関係を手放したくないと思っていたのだ。
「貴方は好奇心が旺盛なんですね、クリス」
探るようにそう尋ねてみる。それは殆ど確信だった。
第三者から見ればとんでもない驕りだったが、それは紛れもない真実だった。
「いいえ、貴方だからです、アポロさん」
少女が肩を竦めてそう紡ぐことを、アポロは確信していたのだ。
「ええ、私も、貴方だから答えました、クリス」
そして、アポロのこの返事に少女は驚かない。つまりは少女も確信していたのだろう。
アポロが自分に心を許していること、この関係に絆されていること。
「あれ、アポロさんは普段、誠実じゃないってことですか?」
「私が答えられない質問を有していると告白した時点で気付くべきでしたね」
「ふふ、そうですね。でも大丈夫です。本当に誠実でない人は、自分のことを「誠実じゃない」なんて言いませんから」
クリスは屈託なく笑った。
この関係に絆されたその理由を、アポロもクリスも理解しつつあった。そして、それを笑顔で受け入れる準備すら出来ていたのだ。
つまりは、どうでもよかったのだ。
アポロが、クリスが、魅力的な人間である必要は全くなかったし、この関係は、アポロが少女に隠し事をした程度で壊れてしまうものではなかったのだ。
アポロはただ、恐れているだけなのだ。自分の存在が、自分が統べる組織が、この少女の生活すら脅かしてしまうのではないかということに。
アポロはこの少女から何かを奪いたくはなかったのだ。多くを望まないこの少女からは、どうしても。
「また、明日も会えますか?私は、此処で待っていますから」
「おや、私が来ても来なくても、此処で本を読んでいるのではなかったのですか?」
「勿論、お兄さんが来なくても私は此処に居ます。でも、来てくれるととても嬉しいと、そう思ったので」
つまりはそうした距離に二人は居たのだろう。
2014.10.12