19 determine

「それじゃあ、あんたは名実共に私の後輩になるのね。シアとポケモンバトルができる日が今から待ち遠しいわ」

「お、お手柔らかにお願いします……」

楽しそうに笑うトウコ先輩に、私はそう懇願した。
タマゴを貰った日の翌日、いつものようにアクロマさんのところへ向かおうと家を出ようとした時に、玄関でトウコ先輩とNさんに鉢合わせたのだ。
出掛ける準備をしていた私に遠慮してくれたのか、こうして家の外で軽く話をするだけに留まっている。

彼女はまじまじと私の腕の中にあるタマゴを覗き込み「随分小さいのね」と呟いた。
彼女もタマゴを孵したことがあるらしいが、その時は両手でやっと抱えられるくらいの大きさだったらしい。
サッカーボールより少し大きいくらいだったわよ、と手でその大きさを作って教えてくれた。……それは、持ち運ぶのが大変そうだ。

タマゴは、トレーナーが連れ歩くことで孵るようになっているらしい。野生のポケモンでも、親がそのタマゴを常に近くに置いているのだそうだ。
流石に寝る時や食事の時は傍らに置いているが、そうでないときには腕に抱え、本を読む時もずっと膝の上に置いている。
ひんやりしているそのタマゴは、夏を目前に控えた暑い気候の中で異彩を放っている。
しかし私はその冷たさが、外気の険しい気候の中にいる自分を労ってくれているような気になって、とても心地よく、嬉しかったのだ。

Nさんが、私のタマゴの目線に屈んだ。
どうしたのだろう、と思っていると、トウコ先輩があからさまに嫌そうな顔をして彼に話し掛ける。

「ちょっと、N。もしかしてあんた、早速ポケモンの声を聞いているんじゃないでしょうね」

「え、タマゴの殻越しに、声が聞こえるんですか?」

彼女の追求と私の質問に、彼は笑顔で頷いてみせる。

「キミに早く会いたいと言っているよ。もう直ぐ出て来られるかもしれないね」

「!」

私は息を飲んだ。そこには純粋な驚きと、不思議な力を持つ彼への羨望と、少しばかりの嫉妬が混ざっていた。
そんな私の複雑な思いを汲み取ったかのように、トウコ先輩は肩を竦めてNさんを睨む。

「狡いでしょう?こいつは私達がポケモンと重ねてきた時間をいとも簡単に超越してみせるのよ。本当にデリカシーのない、嫌味な奴よね」

そしてようやく私は彼女の、Nさんを見る視線に含まれた複雑な色を理解する。
きっと彼女は、悔しかったのだ。誰よりも自分のポケモンを愛している彼女が、しかしそのコミュニケーションでNさんに及ぶことはきっとない。
その圧倒的な差に彼女は納得がいかなかったのだろう。理不尽だ、と思ったのだろう。
しかし彼女はその理不尽に屈することはしない。いつだって「調子に乗らないでよね」とNさんに辛口を浴びせ、自分の方が上だと豪語するのだ。

そんな彼女が、しかしそんなきつい言葉程にはNさんを嫌ってはいないということも私は知っている。……寧ろ、Nさんはトウコ先輩にとってかけがえのない存在なのだ。
だからこそ、彼女はNさんに辛口を浴びせる。そんな自分をも彼は受け入れてくれると、知っているからだ。
いいなあ、と呟けば、トウコ先輩は「でしょう?本当に狡いんだから」と笑うが、私は肩を竦めて首を振る。

「違いますよ、トウコ先輩とNさんのことです」

そう言えば、彼女は不思議そうに首を傾げてみせた。

そんな話を続けること数分、彼女達はレシラムとゼクロムをボールから出した。いつ見ても、神話に登場する伝説のポケモンがこうして2匹揃う様子は圧倒的だ。
黒い方のポケモン、ゼクロムに飛び乗ろうとした彼女は、何かを思い出したかのように、踵を返して私に駆け寄ってきた。

シア、まさかポケモントレーナーになって満足しているんじゃないでしょうね?」

え、と私は声をあげる。それはいけないことだったのだろうか?
トウコ先輩は大きく溜め息を吐く。それから私の肩をポンと叩き、何処か含みのある笑いをした後で、とんでもないことを紡いだのだ。

「あんたはポケモンをもう一匹貰って、旅に出るのよ」

折り畳み式のタブレットを操作していた彼は、ピタリとその指を止めた後、その金色の目を見開いて振り向いた。
「もう一度言って頂けますか?」と尋ねる、その目に私は当惑の色を汲み取る。そのことを素直に嬉しいと感じてしまう。私はまだ愚かで幼かった。

「旅に、出ることになりました」

「……それはまた、急な話ですね」

「私の先輩に、お手伝いを頼まれたんです。ポケモン図鑑を貰って、イッシュのポケモンの分布を調べるために、旅に出ます」

オイル時計の青が、底に落ち切ったのを確認して、私はティーカップに紅茶を注いだ。

「暦が夏になる頃には、ヒオウギを出ることになると思います」

「夏、……もう直ぐですね」

訪れる沈黙。間を満たすのは紅茶の甘い香りだ。
彼は紅茶に口を付け、しかしタブレットに視線を落とさずにその金の目を空中に漂わせている。

「本当は、断ろうと思っていたんです」

そう、私は断るつもりだった。ポケモントレーナーになるということと、旅に出るということは同義ではないと思っていたからだ。
だからこそ、私はアクロマさんからこのタマゴを受け取ったのだ。
私がポケモントレーナーになっても、変わらずに此処へ通うことができるという安心感があったから、受け取れたのだ。

しかし、私はトウコ先輩の頼みを引き受けてしまった。
旅への憧れがなかった訳ではない。いつかはしたいと思っていたのだ。しかし同時に、それは今ではいけないとも思っていたのだ。
私はこの人の傍で、知りたいことがまだ沢山あったし、何より彼との時間を失うことを、私の本音は激しく拒んだからだ。
にもかかわらず、その決断をしたのは、彼が私にタマゴを預けた理由を思い出したからだ。

『ポケモンの力を引き出すのは、誰かを思う心と、そのために力を発揮したいと望む意志なのだと、その貴方自身の言葉を、真実にできるかどうか、見届けたくなったのです。』
彼のその意志を受け継ぎ、私がポケモントレーナーとして成長する、その為には、この町を出なければいけないのかもしれないと感じていたのだ。
私は強く生きなければならない。この理不尽な世界で、強く生きなければならないのだ。
遠く、イッシュの空で紡がれた伝説のように。そのポケモンを従えた二人の先輩のように。
その為の力を私が身に付けるには、このヒオウギという静かな町は、あまりにも狭すぎるような気がした。

それに、私はもどかしさを感じていたのだ。
『けれどそうした世界を、大人達は貴方に差し出したかったのでしょう。その為には、理不尽なもの、汚れたものを隠す必要があったのです。
大人達は、理由もなく貴方の目を塞いでいる訳ではない。』
そう言った彼のことを、私は理解できていなかったのだ。私の知らない彼の姿がまだ、隠れていて、それを見るにはまだ私は幼く、弱い存在だった。
彼と同じ地面に靴底を付けるには、私よりも長い時を生きた彼と同じくらいの経験を重ねる必要があったのかもしれない。私はそんな風に思い始めていた。

旅をすることで、私の世界は更に広がる気がしたのだ。私と、私のポケモンは、旅をすることで強くなれる気がしたのだ。
そしていつか、彼に私の拙い理論を証明できる日が来ると信じていたのだ。
だから私は、この優しい空間と優しい人から離れることを選んだ。

「しかし心配ですね」

彼は、困ったように微笑む。

「傘は携帯しておいた方がいいですよ。夏は天気が変わりやすいですからね。
それから、知らない人間に軽い気持ちでついていかないように。わたしのような、何も考えていない人間ばかりではないのですから」

「は、はい。分かりました」

私は頷いてみせたが、きっとそれすらもまだぎこちないのだろう。

旅に出る。その実感がまだ湧かない。
私はもう直ぐ、ポケモントレーナーになってあの住み慣れ過ぎた家を出るのだろうか。
トウコ先輩のように、大きなポケモンの背に乗ってイッシュを巡るのだろうか。
アクロマさんと歩いたヒオウギの町を、ポケモンと共に歩くのだろうか。

それらは酷く新鮮で甘美な世界だったが、それ故に不安をも伴った。
少なくとも、旅先ではびしょ濡れになった私に傘を差し向けてくれる人間は居ないのだ。

「わたしは貴方の旅路に手助けすることができませんが、代わりにその子を連れて行ってあげてください。……彼女のことを宜しく頼みましたよ」

彼はタマゴに触れてそう話し掛けた。ふわり、と空気が揺れる。
私の中で常に吹き荒れている言葉の嵐は、私のものでありながら私では収拾がつかない。
それを声に出した所で、それは私が伝えたいと思うものの半分にも満たない。
何故か彼の前では頻繁に発生するその「もどかしさ」は、彼が言葉を操る立場に転じた途端、神秘的で高尚なものになる。
そして彼は、そんなもどかしい思いを抱えたままの中途半端な私を許してくれる。

彼の傍は、とても優しく、それ故にとても悔しい。
だから私は、旅に出ることを選んだのかもしれなかった。

2014.11.16

デテルミネ 決然と