2.5(S)

「私と生きてくれませんか」

その言葉で、永遠へのカウントダウンが始まったのだ。

私はミアレシティにあるフラダリカフェの地下で、フラダリさんと暮らし始めていた。
私を私だと見抜く人は、もう彼の他にいなくなっていた。「シェリー」を捨てるだけで、私は驚く程に変わることができた。
真っ直ぐに臆することなく前を向ける。間違っているかしらと怖がることなくカロスの言葉を紡げる。毎日を楽しむことができる。
私は最上の時間を手に入れたのだと信じていた。そしてそれを「最上」だと確信するためには、その時間は短ければ短い程によかったのだ。

刹那的にしか生きられない私を、しかし私は誇りに思っていた。全てが正しかったのだと信じていた。

ところで、私が連絡を持っていたのは、実はシアだけではなかった。
私はフラダリさんを見つけた数日後に、セキタイタウンの背の高い民家を訪問していた。そこには愛するポケモンと3000年の時を経てようやく再会した、彼の姿があった。

「こんにちは、AZさん」

彼とはミアレシティで行われたパレードの時以来、顔を合わせていなかった。
AZさんは私の、オレンジ色に染めた髪に少しだけ驚いたようだけれど、私はふわりと微笑んで「綺麗な色でしょう?」と紡いでみせた。
3mを超える大男を、怯えた目で見上げ、頷くか首を振るかしかしなかった人間が、今や堂々とした様子で自分の髪を自慢している。
そんな私はAZさんの目にどんな風に映っていたのだろう。

開口一番に「フラダリさんを見つけたんです」と告げた私に、彼は少しだけ驚いた様子を見せたけれど、小さく「そうか」と呟いただけで特に何も聞かなかった。
私はポケットから手紙を取り出して、彼に渡した。真っ白の封筒を彼は受け取り、首を僅かに傾げた。

「……私はフラダリになった覚えなどないが」

彼はその封筒を裏返して、そこに書かれた人物の名前に苦笑してみせた。
それは私が彼に、フラダリさんに宛てた手紙だった。
カロスの言葉で数ページに渡る手紙を書くのは本当に骨の折れる作業だったけれど、人間、ここぞという時には何倍もの力を出すことができるらしい。
数日かけて仕上げたその手紙を、フラダリさんではなくAZさんに渡すのには理由があった。

「永遠を生きる貴方に持っていてほしいんです。私が死んでから、フラダリさんに渡してくれませんか?」

「……」

彼は私の言葉に隠れた違和感を聞き逃さなかった。「まさか、」と紡いだその声音は低く、恐れと憤りが混じったそれであると私は容易に察することができた。
私は人の顔色や表情、声音から、心を見通すことがとても得意なのだ。

私とフラダリさんを並べた時に、先に亡くなってしまうのは間違いなくフラダリさんの方だと、きっと誰もがそう言うだろう。
けれど真実はそうではないのだ。私はそれを知っていた。
その理由は二つあったけれど、私はそのうちの一つだけをAZさんに告げることにした。

「フラダリさんは、永遠の命を手に入れたんです。だから、先にいなくなってしまうのも、看取られるのも、独りにならずに済むのも私の方なんです」

私は誇らしげにそう紡いで笑ってみせた。
私がイベルタルに命の半分を捧げ、更にはあの花に望んで触れ続けていたことは話さなかった。
そう、彼が永遠の命を手に入れただけではない。私も、普通の人間よりもずっと早くいなくなってしまうのだ。
私が彼より先に死んでしまうことは明白だった。寧ろそれを望んでいたのだ。
AZさんは長い沈黙の後で、大きな溜め息を吐いた。そこには呆れと諦めの色が滲んでいた。

「やはりあの花がある限り、人は同じ過ちを繰り返してしまうのだな」

「それじゃあ、壊してしまいましょうか?」

その言葉に彼は目を見開く。
私はくいと身を乗り出して、AZさんが突き返そうとしていたその手紙を彼の胸に押し当てた。

「貴方が壊せないのなら、私が壊しましょうか?」

私の手紙を持っていてくれる貴方へのお礼に。
そう続けて私は笑ってみせた。彼は手紙を受け取って、困惑したように視線を宙へと泳がせる。

彼があの花に対して、愛着めいたものを抱いていることは解っていた。
戦争を一瞬にして終わらせる威力を持ったその花は、同時に彼の愛したポケモンに再び命を吹き込んでいた。
命を奪い、与えるという、相反することを行ったその花を、彼は憎んでいた。恨んでいた。けれど同時に、決してあの花を消し去るまいと誓っていたのだ。
自らを戒めるための象徴として残しておきたかったのかもしれない。自らが作った兵器の管理を、自らの手で永遠に続けたいと願っていたのかもしれない。
もしくは自らの命が尽きる時が来たとして、その時にあの花を壊して共に去ろうとしているのかもしれない。
いずれにせよ、彼はあの花を壊さない。壊せない。それならば私が、その役目を代行しようかとも少しだけ思った。
その必要はない、と紡がれたその音はしかし弱々しかった。

「お前も知っているだろう。あの花は危険だ」

この時、私の頭に浮かんだ名案を、私は死ぬまで誰にも話さなかった。

そうですね、と呟いて私は困ったように笑ってみせた。諦めた振りをしてみせた。
けれど同時に、これは私にしかできないことなのかもしれないと思い始めていた。私の心臓は大きく高鳴っていた。
私はまだ、この愛しい世界のためにできることがあるらしい。

「木は好きか」

彼は唐突にそんなことを口にした。彼の質問の意図が解らずに私は首を傾げる。
私を見下ろすその視線が「付いて来い」と雄弁に語ったので、私は彼を追い掛けるようにして、その背の高い家を飛び出した。
裏庭には芝生が青々と茂り、花壇に鮮やかな赤や黄色の花が並んで咲いていた。カロスでは飽きる程に目にしてきたその美しさに、しかし私は微笑んだ。
カロスの美しさは、専ら人の多い観光地や町で披露されていた。セキタイタウンのような静かな町に、眩しい程の美しさを誇るものは何もない。
それ故に、この美しさがとても尊いもののように感じられたのだ。この美しい庭は、他でもないAZさんとフラエッテのためのものであると気付いたからだ。

彼は庭の奥へと歩いていき、古びた鉢に植えられた細い小さな木を指差した。
今にも枯れてしまいそうな弱々しい枝と、数える程しか付いていない葉が、その華奢な命をあらん限りに示していた。

「金木犀という木らしい。数日前、ゴミ捨て場に捨てられていた」

美を信条とするカロスの人が、命を簡単に放棄してしまうなんて珍しい、と私は少しだけ思った。
そして彼の金木犀という単語に目を輝かせ、私はその木をじっと見つめた。オレンジ色の小さな可愛らしい花を無数に咲かせるその木を、私は知っていたのだ。

「あの花を壊す代わりに、この木を引き取って育ててくれ」

その言葉に私は息を飲んだ。彼があの花を壊せない、本当の理由に気付いてしまったからだ。
彼はあの花に、彼の愛したポケモンを見ているのだ。フラエッテが抱いている花を模したあの兵器に、彼は花の姿を見てしまうのだ。
だからその花を手折ることも、踏み潰すこともできないのだ。そして「壊しましょうか」などと平然と言ってのける私の言葉を、柔らかに拒絶しているのだ。

「……私、枯らしてしまうかもしれませんよ?」

「構わない。どうせ私も、この木の扱い方を知らない」

その言葉に私は笑って頷いた。
彼の思いを汲み取ったから、というのもあったけれど、何よりこの、今にも死んでしまいそうな木が命を吹き返し、あの綺麗な花を咲かせるところを見たかったのだ。
一つの命が私に託されることの重さを、私は噛み締めていた。何故だか目元が熱くなった。
変なの。私は命を背負うことに慣れている筈なのに。あの花を止めようと走っていた時は、カロスの全ての生き物の命をこの背中に背負っていた筈なのに。

ああ、けれど私はたった一つの私の命を背負いきれずに捨ててしまった人間だった。その命の重さと軽さを誰よりも知っている人間だった。
だからこの金木犀の木を限りなく愛おしく思ったとして、それは当然のことだったのかもしれない。

「AZさん、あの手紙、やっぱりもう一度返してくれませんか?」

「構わないが、どうした」

私は微笑みながらその頭の中で、あの綺麗な花がパリンと音を立てて割れていく様子を想像していた。
あの花はどんな風に壊れてしまうのかしら。あの時のように輝くのかしら。
あの花を壊せば、10番道路の「エネルギーを吸い取る列石」もただの墓標と化して、カロスで起きた過ちを象徴する刻印となるのかしら。
2度も咲いたあの花に終止符を打てる存在に、私はなれるのかしら。

そんなことを思いながらクスクスと笑う私を、AZさんは怪訝な顔で見下ろしていた。
私の永遠が更に美しく彩られようとしていた。

「新しい、オレンジ色の封筒を買いたいんです。彼への手紙は、それに入れようと思って」


2015.4.6
fantaisie-幻想(仏語)

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