SS

・ジャンルはすべてポケモン
・短編未満、連載番外、if、パロ、なんでも詰め合わせ

SSにも満たなさそうな会話文、極端に短いもの、本編に組み込む予定のない突発エピソード、などはタグ「ちりがみ(塵)」に格納します。


▽ 冥界の秤が傾くまで

2019.02.07 Thu * 11:37

知らない旋律だった。彼女らしくない、あまりにも覚束ない音運びだったものだから、あたしは少しだけ驚いた。 新しい曲でも作ろうとしているのかしら。……いや、それならば楽譜と共にペンを傍へと置くはずだ。 もしかしたら、誰かに曲を紹介されて、それを聞くだけでは飽き足らず、自分で弾こうとしているのかもしれない。 あたしは花の水を替えようとしていたことなどすっかり忘れて、その知らない音の出所を探ることに執心していた。 あの彼女を苦戦させるなんて、余程難しい曲なのだろう。 その「超絶技巧」と称すべき難題を母へと紹介してきたところに、あたしは彼女の実力に寄せられた信頼を見て、嬉しくなった。 彼女がその難題を解く瞬間をこの耳で聞き届けてみたいと思い、あたしはもうしばらく、この空間にとどまることを選んだ。 一輪挿しの置かれた小さなテーブルの脇に腰を下ろし、防音工事の施された白い壁へと凭れかかるようにして楽な姿勢を取った。 目を閉じて、彼女のぎこちない音が、徐々に確かなステップを刻み始める様子を、狭い小部屋の中で静かにただ聞いていた。 高音の細かい指の動きは彼女の十八番だ。キラキラと星が瞬くように奏でられるそれは私に、様々なものを想起させる。 たとえば、強い風の吹く日に4番道路へ出かけると、満開に咲いた花の赤や黄色が空へと舞い上がることがある。 この、高く小さく軽やかな音は、あの花びらに似ているようにも思う。 またたとえばこの前、お姉ちゃんとエンジュシティに出掛けた時に、丸い棘がたくさん付いた、不思議な形の硬いお菓子を食べた。 金平糖、と呼ばれるそれを全て食べきってしまったときの、袋の中に残っている小さな砂糖の欠片。あれにも少し、似ていると思う。 そうした、ささやかに鮮やかな美しい高音を飲み込むかのような、灼熱の地を這うが如き低音が、 彼女の左手によりひっきりなしに紡がれ続けているものだから、あたしは、そちらについても耳を傾けざるを得ない。 彼女はできるだけ柔らかく、優しく、その低音を花びらや金平糖のあたたかい受け皿にしようと努めて弾いているようだった。 けれども低い音というものの特質が故に、あたしにはどうしても、そのゆっくりと緩慢に這うものが恐ろしく聞こえた。 灼熱の窯。きっとそこに落とされた彼女のトリルは、その細い指によって紡ぎ出された花びらや金平糖は、 呆気なく燃えて、砕けて、溶けて、なくなってしまうに違いないと思われたのだ。 最初こそ、その覚束なさに驚いたものだけれど、しばらくすればもう、彼女の指はいつもの調子を取り戻していた。 力強く叩く。遊ぶように叩く。わざと音を儚くしてみせる。 薄く目を開けて、すっかりその新しい曲と同化してしまった彼女を盗み見る。 彼女の細い体はまるで昔を思い出させるように揺れている。あたしを不安にさせる揺れ方で、そこに在る。 妖精と遊ぶように、ささやかに鮮やかなお菓子や花を空へと散らすように、高音は踊る。 灼熱を這うように、そこに放り込まれた何もかもを失わせるように、低音は穿つ。 その中央にいる彼女は、全ての音を指先に抱え込む一人の少女は、あまりにも美しい何かを奏でている。 死んでしまいたくなる程に美しい、何かを。 「貴方はまた誘いに乗ってしまうの?」 「いいえ、違うわ」 自らの口からそのような、あの頃を思い出させる言葉が出てきたことに驚き、 そしてピアノを弾くことに夢中になっていたはずの彼女が、聞き手であるあたしの言葉に間髪入れず返答したことに、更に驚いた。 あたしの動揺を許すように柔らかく笑うこの女性は、「あら、そんな顔をして」と困ったように笑う彼女は、もう「少女」の姿をしてはいなかった。 あたしの不安を煽ったあの姿はもう何処にもなかった。 「今のわたし……命を謳歌するようになったわたしにこの曲を紹介したいと、そう言ってくださった方がいるの。 思っていたよりもずっと難しい楽譜だったけれど、とても楽しかったわ。なんだか、命の天秤に触れさせてもらっているみたいだった」 「命の天秤?」 「ええ、死ぬことって、やっぱり全てに避けられずやってくるものなんだわ。すべからく公平に、平等に迎え入れられるべきなの。 まだわたし達の順番は来ていない。だからもう少し、……いいえ、許されるときまでずっと、一緒にいましょうね」 今はこうして、時折少し、ほんの少しだけ憧れているくらいが丁度いいのだと、そうしたことをこの女性はすっかり分かっている。 あなたはわたしより先に行っては駄目よと笑う彼女には、正しく時が流れている。彼女はもう、分かっている。 大きく息を吸い込んだ。一瞬だけ、止めた。真似をするように彼女も息を止めてしまい、それがおかしくて息を吐くついでに笑った。 「なんだか悔しいわ。まるでその人の方が、あたしよりもずっとお母さんのことを分かっているみたいじゃないの」 * 参考曲:リスト「死の舞踏」 

▽ 大きな青と小さな青(アリエッティパロ詐欺)

2019.02.06 Wed * 20:19

羽根のように軽い足跡が、少年の意識をゆっくりと浮上させた。
目を開ければ、少し古いテーブルの木目と、その上に置かれた植物図鑑が見えた。
そして、その何者かは、彼が読みかけたままにしていた図鑑と共に、いた。

彼の知らない存在、彼の見たことのない存在、あまりにも小さな彼の「未知」は、本の上を踊るように歩く。
絵の上でその足は止まり、大きくかがんだり首を傾げたり、そうしたことを繰り返しながら、満足した頃に次の絵へと進む。

見開きの全てを読み終えた何者かは、ぴょんと図鑑から飛び降りて、ページの一枚に両手を伸ばす。
カーテンを開けるように、あるいは布団のシーツをベッドの上へと広げるように、小さな両手は本のページを捲りあげる。
小さな両足は本の右端から左端まで、ページを持ったままコトコトと走る。
これ以上引っ張れないというくらい端まで来たところで、その「未知」はくるりと向きを変え、その両手はページを名残惜しそうに放す。
スキップするように本の中央まで戻り、また紙面の上へと上がる。視界に飛び込んできた新しい文字、新しい絵に、感嘆の息が零れる。

風が吹いた。「未知」は振り返った。目が合った。幼い目がぱちぱちと瞬きをした。花を咲かせるように、笑った。

雲間から太陽の光が眩しく差し込み、窓をすり抜けて本を、その傍へと立つ少女を照らす。
よく晴れた日の空を映したような、野原を駆ける風を可視化したような、美しい川の流れから零れた水のような、
……そうしたあらゆる青を宿した髪が、真綿のようにふわふわと、彼女の微笑みのすぐ傍でなびいている。
同じ青を宿した目は、少年の目を覗き込むように大きく見開かれ、
「そこ」に自分の青が映っていることを認めるや否や、その事実を喜ぶようにすっと細められる。

「あら、同じ色」

少年は体を起こすことさえ忘れて、机に伏した体制のまま、人間の少女の姿をしたその「未知」の青を、あまりにも美しい青を、見ていた。
ああ、これが自分と「同じ色」だなんて在り得ないことだ、と彼は思った。
けれどもし、もし本当に「同じ色」であったならどんなにか幸せであっただろうと、そんな風にも思われてしまった。

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▽ どうして貴方は貴方なの?

2019.02.06 Wed * 9:31

「同情であの子を迎え入れようとしているのなら、やめた方がいいわ」

日付が変わろうとしている頃、ヒビキとシルバーが寝静まった頃。
私だけを起こしてリビングへと招いた母さんは、夜中に起こしたことへの謝罪と共にホットミルクを差し出しつつ、そんなことを言った。

「可哀想、っていう気持ちを持つことはとても大事よ。けれどその気持ちのままに、誰もに手を伸べることはできないの。
貴方は……旅をして立派になったけれど、それでも貴方の手はまだとても小さなものよ。貴方が心を寄せる相手、全員を、救うことはどうしてもできないのよ」

「……私は、シルバーに同情したからこの家に招いたわけじゃないし、彼を救うつもりでこんなことを言っているのでもないの。上手く、言えないんだけど……」

「上手く言えないのなら、想いを言葉にできないのなら、貴方の想いはその程度だったということよ」

あまりにも厳しい言葉に私は息を飲んだ。声音は陽だまりのように静かなのに、その中身はまるで血に濡れた刃のように尖っているのだ。
彼女がひとつ、またひとつ、私の想いを切り捨てる度に、私の喉には傷が増えていった。私は徐々に、彼女へと反論することが難しくなっていた。

「貴方がしようとしていることは、とても大事なことなの。
他人を家に招待することは簡単よ。気心の知れた相手なら、一晩や二晩くらい、泊めることだってできるでしょう。
でも「一緒に暮らす」ということを、それらと一緒にしないでほしい。言っていること、分かるかしら?」

私は、必死に考えていた。どうにかして彼への、シルバーへの気持ちを、この人の納得できるような言葉の形にしなければと、必死になっていた。
今が深夜の0時半であることも、両手で包んだマグカップの中身が冷め始めていることも忘れて、私は考えていた。
旅をして、私は沢山の感情を知ったはずなのに、その感情を表す言葉だって知ったはずなのに、彼への言葉だけがどうにも見つからない。
言葉が、言葉が欲しい。私の気持ちを第三者に分かってもらえるように言語化する力が、もっとあればいいのに。

「貴方は彼を大切に思っている。きっと家族のように大事に。だからこの家に連れてきたのよね?
でも私やヒビキは違うわ。私達は彼のことを何も知らない。一緒に暮らすということは、私達に、他人である彼を「家族」のように認識することを強いるということなの。
その変化を周りに乞えるのは、長い人生のうちで1回だけ。貴方が誰かと結婚する、その1回だけ」

「!」

マグカップを乱暴に置いた。ホットミルクがぽちゃん、と大きく揺れてテーブルに少しだけ散らばった。無造作に砕いたパズルの欠片のように見えた。

「そうだよ、私、シルバーとずっと一緒に生き続けたかったんだ。そのために、二人の帰る場所がお揃いになることがあったなら、それはこれ以上ない幸せだって思ったんだ」

「……コトネ、貴方、」

「それって結婚しなければ叶わないこと? もしそうなら私、一生に一度のチャンスを今、使うよ」

コトネとシルバーの想い合いは障害のゆるいロミオとジュリエットみたいなところがあるかもしれない

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▽ 紙のような羽根のような手

2019.02.06 Wed * 8:44

チャイムの音が遠くで聞こえる。鼻をかみ過ぎたせいで耳が少しおかしくなっているらしく、少しその「ピンポーン」の音がいつもより高く聞こえて不安になる。
ママのスリッパの音がパタパタと聞こえる。お友達が来たのかもしれない。
グズマさんのお母さんかな、と思う。ママと彼女はとても仲が良い。どちらもおぞましいくらいの自愛を飼いこなしているところなんて、そっくりだ。
そうした、侮蔑めいたささやかな反抗心を心の中で唱えて口元を緩ませる。心の中で、唱えるだけにしておく。
ママ達のおぞましい自愛に救われているのは他でもない私なのだから、それを侮蔑しながらも、もう私は拒むことができない。
だから今の風邪っ引きの私はこうして、ママのおぞましい自愛に飲み込まれるがままに、久しぶりの自室のベッドで、こうして看病されている、という訳なのだった。

「……」

耳を澄ましてみる。ママの少し驚いたような声がする。その後に、少し演技めいた、得意げな、それでいて少しばかり恥ずかしそうな低い声が続く。
グズマさんのお母さんじゃない。そう確信することは簡単だった。けれどもその聞き慣れた声の正体を確信するのは、少しだけ難しかった。
「彼だ」としてしまうのは、なんだか随分と傲慢なことのような気がしたからだ。

慌ててベッドから体を起こす。重たい頭を軽く振って、髪を申し訳程度に手櫛でといて、ドアを見る。

ミヅキ、入りますよ」

「!」

さっきよりもずっと近くで、いつもの声がした。それを「いつもの」としてしまった傲慢に、またもや私は不安になった。
きっと風邪を引いているからだ。いつもならこの確信に喜べるはずなのに、きっと風邪が私の心を弱くしているのだ。
早くよくならなければ、と思う。元気になって、鼻をかむためのティッシュの箱を膝の上に抱えたりする必要がなくなればいい、と思う。
そうすればきっといつものように、ドアの向こうの相手をからかえるようになるはずだ。私が不安になるのではなく、相手を不安にさせることさえできるようになるはずだ。

ゆっくりとドアが開く。やや冷たい風が部屋の中へと吹き込んできて、私は思わず大きなくしゃみをする。1回、2回、……ああ、もう1回。
慌てて膝の上のティッシュを引き抜いて鼻を隠すように押し当てる。まだ隠れきっていないような気がして、もう一枚重ねて、乱暴にかむ。
風邪の典型的な姿を目の当たりにした彼は、その細身を大袈裟に折り曲げてくつくつと笑った。

「これはこれは、随分と辛そうですねえ。そんな質の悪いものを使うから、鼻も立派に赤くなっているじゃありませんか。」

「……ありがとうございます、来てくれて。でも貴方じゃなければもっと嬉しかったのになあ」

「そんなことを言っていいんですか?鼻が痛くならないように、このザオボーがわざわざ極上のものを持ってきてあげたというのに」

そう告げてこちらに差し出されたティッシュの箱は、いつも私が使っているものよりもかなり大きくて、こんなものがあるのだ、と私は少し驚いた。
試しに一枚引き抜いてみれば、あまりにもふわふわしていて、柔らかくて、鼻をかむためのものであるはずのそれを何故だか頬に持っていってしまった。
彼が私の頭を軽く叩いたり、私の頬を軽くつねったりする、あの手の心地を私は思い出した。
こんなにも柔らかくて優しいものを彼に重ねるなんて、と思ったけれど、それでも、この偏屈な個性が、私の大好きな個性が傍にいてくれているようで、嬉しくなってしまった。

「変なの、ザオボーさんがこんなに優しいなんて」

鼻声でそう告げれば、けれども彼は怒ることさえせず、そうでしょうとも、だなんて何故だか得意げに、嬉しそうに笑ってみせて、私の頭を優しく撫でた。
それはまさに、つい先程のティッシュのようで、私は喜びを通り越してなんだかおかしくなってしまった。
変だ。もしかして、彼も風邪を引いてしまっているのではないだろうか。

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▽ 地獄の紅色

2019.02.05 Tue * 20:28

最愛のパートナーを見限るための酷い言葉を、彼女は紡ぎ続けていた。
陰鬱な態度がずっと気に入らなかったのだとか、頑としてメガシンカしないその頑固な意思が癇に障るとか、
あんたみたいな最低なポケモンにはあの最低なトレーナーがお似合いだとか、二人でずっと地獄を這っていればいい、だとか。

随分と横暴な物言いだ、今まで散々、そのサーナイトに助けてもらっていたくせに。
などと思ってしまった人がもしいたならば、その人はきっと、この気高い少女の何をも分かっていない。
この、痛々しい程の激情は、傷付けるためだけに吐き出される悪意の刃は、けれども彼女のためのものではなく、地獄へ向かう二人のためのものだ。
二人が、正しく彼女を嫌い、二人で在ることを喜べるようにするためのものだ。
確かに愛したポケモンが、何の心残りもなく元の主のところへ帰れるようにするためのものだ。
そのためならこの少女は、悪魔の仮面を被ることだってできる。

……そうしてようやく「陰鬱」で「気に入らない」「二人」が「地獄」へと戻り、一人になってしまった彼女は、
憑き物が落ちたような晴れやかな顔で、お人形のように美しい所作で、青年に駆け寄り、笑いかけた。

「ふふ、変だわ。一体どうしてしまったというの、ダイゴさん。どうして貴方が泣きそうな顔をしていらっしゃるの」

トキちゃん、」

「私は、どうともないわ。もう平気なのよ。一人に戻るだけ。これまでずっとそうだったことを思い出せばいいだけ。
ホウエン地方でのあれとの旅は、大好きだったあの子との、どんな宝石よりも美しい思い出は、私の見た都合の良い夢だということにすればいいだけ」

造作もないわ、と彼女は笑う。本当に造作もないことであればいいのに、と青年は思う。
強く、強く握り締めている少女の手を取り、両手でゆっくりと開く。女性らしい丸く細長い形の爪、その先にはべっとりと赤い色が付いている。
掌には4つの爪痕と、そこから滲む新しい赤が見えて、暴かれたことを恥じるように少女は肩を竦めて笑ってみせる。
これ程までに悲しい紅色の涙を、彼は見たことがなかった。彼女はこうしていつだって、誰にも見えないように泣こうとするのだ。

「ボク等も地獄へ行ってみるかい?」

「……ふふ、あはは、ご冗談を! 私達はもっとずっといいところへ行くのよ。だってそうしないとあまりにも悔しすぎるわ。あまりにも、寂しすぎるわ」

彼は少女の血塗れの手を包むように、誰もの目から隠すように握って、歌うように笑う少女の隣を歩いた。
地獄の色は手の中に押し殺して、二人はずっと幸せな場所へ行くのだ。そうしなければ、いけなかったのだ。

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