(地獄の紅色と失格の烙印をどうぞこの満面の笑みに押し付けてくれの間にあったかもしれない話で、かつ短編「正気の天秤」の流れも汲んでいる)
花と戯れるように生きているような子だった。
道花に、草むらに、花屋に、公園の花壇に、鮮やかな色を見つけると、彼女はその顔にぱっと花を咲かせて駆け寄り、躊躇いなくその一輪を手に取る。
誰の許可を得る必要もない道花の小さな花も、お金を払って手に入れる花屋のそれも、彼女にとっては等しく花であるため、それを我が物にするための行為は惜しまないのだ。
ある時はしゃがんでそれを摘み、ある時は膝を曲げぬままに引っこ抜き、ある時は花屋のカウンターにお金を置いて、またある時は悪戯を楽しむように花壇の花を手折る。
その花を鈍色の目で愛でながら、花びらに手をかけて一枚ずつはがし、まるで足跡を残すように地面へと落としていく。
青年とお喋りをしながら、最愛のパートナーと共に道を歩きながら、あるいは自転車に乗りながら、その奇行は息をするような自然さで繰り返される。
青年はもう驚かない。少女ももう、花を殺す遊びに後ろめたさを感じたりはしない。
そうした奇行、少女が旅を始めてからずっと続いていたその遊びは、けれどもいつも隣にいた最愛のパートナーがいなくなると同時に、ぱたりと絶えてしまった。
それは、青年がこの少女にプロポーズをしたタイミングとも重なっていた。少女があのサーナイトと別れた日こそ、青年が彼女の薬指にプラチナリングを通した日であったのだ。
故に、パートナーの喪失が少女をそうしたのか、あるいは青年のプロポーズが彼女を変えてしまったのか、彼には、……いや、きっと誰にも分からない。
「振り返らないでね、ダイゴさん」
ミナモシティのコンテスト会場、その周りを彩るように植えられた赤や黄色のチューリップを見るために少女は膝を折る。
彼女はもう、花を摘まない、手折らない。チューリップの花びらを一枚ずつ千切って、ミナモシティの潮風に吹き流すようなことはしない。
ただ、優しく目を細めてその花を撫でる。朝露の付いたチューリップは彼女の視線を喜ぶように震える。
「私達はもっとずっといいところへ行くのだから、後ろを見る必要なんかきっとないわ」
彼女の言っていることがよく分からなかった。分からないなりに、彼女がそれを声に出すことには意味があると思ったので「そうだね」と同意した。
すると彼女は驚いたようにこちらを見上げ、クスクスと笑う。笑顔でありながら、その眉は困り果てたように下げられている。また、その視線が花へと落ちる。
「……いいえ違うわ、そうじゃないの。きっと私、後ろを見られることが恥ずかしいのね。私の足跡は私が殺した花の形をしているから。
私が千切って、ぐしゃぐしゃに潰した花の死骸が、褪せた色で私を恨めしそうに見上げていることを思うと、恐ろしくなってしまうから」
「……」
「ごめんね。私、貴方の仲間を何輪もひどい目に遭わせたのよ。私、人の面を被った悪魔なの」
随分とまともなことを言う彼女は、もしかしたらまだ寂しいのかもしれない。
最愛のパートナーを地獄へと送り出したことによる喪失感は、まだ彼女の胸にぽっかりと穴を開けたままであるのかもしれない。
青年はそう思った。その喪失感をどうにかして埋め合わせることができればいいのにと思った。けれどもその役目に自分が名乗りを上げるのは、随分と傲慢なことであるように思われた。
あのサーナイトの代わりなどできるはずがない。青年は彼女の婚約者でこそあれ、彼女の最愛のパートナーではない。
「罰が欲しいかい、トキちゃん」
「罰?」
「花を殺した君の罪を、ボクが裁いてあげようか」
彼女は今度こそこちらへ顔を向け、立ち上がった。大きな鈍色の目は彼の言葉を楽しむように、訝しむように、期待するように、ぱちぱちと恣意的に瞬きを繰り返している。
それでいてその色は、仮に青年がどんなに立派な文句を紡いだとしても、自身の憂いを晴らすには至らないであろう、という悲しい確信に満ちている。
彼はダイゴであり、サーナイトではない。そのようなこと、青年が指摘せずともこの少女はとてもよく分かっている。
自己の救済を諦めたように、彼の言葉の無力さを許すように、恣意的な瞬きがぴたりと止む。
……失ったことにより生じた穴は、彼女自身が埋めるべきだ。青年にできることは、そうした、穴を埋める作業をのんびりと行う彼女の傍に在ることだけだ。
ただそれだけ、寄り添うだけ。隣で「そうだね」と相槌を打つだけ。
「君を手折るよ」
そうしてたまに、このような物騒なことを思い付いて、彼女を笑わせてみせるだけ。
「君の未来、君の自由、君の愛、その全てをボクが奪う。君は一番美しい時に、これからもっと美しくなれる時に、ボクに摘まれる、手折られる。
そしてボクは、君の死骸を靴の裏に引きずって生きていく。ボクの足跡はいつまでも、いつまでも、君の色のままだ」
硬直した少女の目を覗き込みつつ、青年は「どうだい、いい具合に物騒だろう」とからかうように告げた。
ややあって少女はお腹を抱えて笑い始めた。その眉はもう下げられていなかった。彼の期待した反応であった。彼はこうして彼女が笑ってくれるだけでよかったのだ。
何の解決にもなっておらずとも、最適解を導き出せなかったとしても、それでもこの「答えのない状況」を二人の好みに合わせて修飾することはできる。
地獄の色も、もっとずっといいところの色も、二人で決められる。だからこれでいい、構わない。
「でも、0点ね」
「あれ、随分と辛辣じゃないか。そこまで楽しんでおいて酷評するなんて」
「だってそれじゃあ断罪にならないわ。だってこんなにも嬉しいのに。こんなにも、救われたと思ってしまうのに」
成る程確かにそれならば0点だ。そして、それならばいっとう都合がいい。