<ある娘の手記>
随分と久し振りにこれを書く。
毎日コツコツと続けてきた訳ではないけれど、年に数回、気が向いた時に、まとめてどかっと書いてしまうようなものでしかなかったけれど、
それでも人生のあらゆる局面にこのノートはいてくれたし、きっとこれからもそうなのだろう。
これはあたしの、あたしのためだけの作業だった筈だけれど、マリーはそうした利己的な作業を、「誰かのため」という献身めいた高尚なものにすり替えるのがとても得意だから、
これからマリーに提供することになるこの手記もまた、マリーの手によって、あたしには勿体ないくらいの「物語」に作り変えられていくのだろう。
滑稽だと思う。難儀だと思う。それでもあたしは書いていてよかったと思うし、自分に誇れる物語を紡ぎ続けて来られたことがただ嬉しい。
そしてこの拙い人生が、誰かに勇気を与えられるかもしれないことを、幸せに思っている。
あれからのこと、生き直したあたし達のこと、振り返るならきっとこのようになるのだろう。
マリーは相変わらず「マリー」で在ることを貫いている。
決して本名の方を母に話したりはしないし、母もマリーの本名をとっくの昔に知っているにもかかわらず、気付かない振りをしている。
名前を偽るという、大きすぎる不誠実から始まった二人の友人関係は、けれども何十年もの間、続いてきた。きっとこれからも続いていく。
どちらかが不慮の事故や病気で死んでも、寿命というとても幸いなものによって旅立つことになったとしても、それでも、どちらかの中でどちらかは生き続けるのだ。
彼女達はそうした関係であり、そういう意味であたしの母は、マリーの中の「あいつ」をとっくに凌駕しているのだと言っていい。
母とよき友人関係を持ち続けてくれたマリーは、あたしが18歳の頃に、最後の手紙をようやく渡し終えて、それでやっと、一人の女性として生きることを思い出したようであった。
このとき、マリーは44歳だった。マリーは30年もの間、あいつの呪いを喜び続けていたのだった。喜んでいる振りをしなければ、生きていかれなかったのだ。
歩き出すのが、遅すぎたのだ。あたしも、母も父も、マリーも。
誰も、時の流れを止めることなどできない筈なのに、誰もが時を止めたように生きていたものだから、あたし達は皆、少し年を取り過ぎてしまったのだと思う。
マリーはあいつに呪われていたために。母と父は優しすぎたために。あたしは、優しくなかったにもかかわらず、易しく生きようとしたがために。
そんな中、お姉ちゃんだけは至極まっとうな時の進め方をしていた。……いや、寧ろ一般の人よりもずっと速く、彼女は時を回していたように思う。
15歳で研究所に勤め始めた。22歳で結婚した。次の年に子供を産んだ。飛び級という面倒なものまでして、カロス最年少のポケモン博士になった。
お姉ちゃんはそうやって、誰よりも速く時を回すことで、あいつに呪われまいと必死だったのかもしれない。お姉ちゃんもまた、呪われて然るべき人物であったのかもしれない。
けれどもお姉ちゃんは生きている。生きているお姉ちゃんはとても綺麗で、眩しくて、あたしの自慢の、親友だ。
ミアレの研究所に遊びに行くと、可愛らしい男の子が出迎えてくれる。空色の髪に海色の目をした、理知的で、それでいてとても詩的なところのある男の子だ。
5歳になったばかりのあたしの娘とは4つ違いになる。少し不思議な物言いをするところは、おそらくお姉ちゃんではなく父親の方に似たのだろう。
何度かあたしも、その空色の髪をした男性に会わせてもらったことがあったけれど、とても「奇妙」な人だったから。その奇妙な心地を楽しむように、優しく笑う人だったから。
……そういえば、カフェのオーナーが「お先に失礼」したあと、そのカフェの奥にある居住空間へと足を踏み入れたのだけれど、
ものの一切を処分した、がらんどうの空間の中に、一通の手紙がぽつんと置かれていた。
それはオーナーがあたしに宛てた手紙で、もしあたしが此処へやって来なければどうするつもりだったのかしらと、あたしは苦笑しながらそれを開封した。
中には、あたしへの感謝と、この居住空間を子供達のために使ってほしいという依頼、そしてアローラ地方のことが綴られていた。
カロスには「ポケリフレ」という、ポケモンのケアや毛繕いなどをすることで彼等と仲良くなるという風習めいたものがあるのだけれど、その発祥の地がこのアローラであるらしい。
しかもその「ポケリフレ」をアローラから持ち帰り、カロスに元からあった「ポケパルレ」と融合させて広めたのは、他ならぬオーナーとあいつであったというのだから、驚きだ。
『もしよければ、君からもお礼を言いに行ってくれないか。』
ずっとお世話になっていたオーナーの最後の願いを叶えるべく、あたしは船に乗って、常夏の大地、アローラ地方へと向かった。
オーナーの手紙にあった女性は直ぐに見つかった。
彼女はアローラのポケモンリーグ初代チャンピオンであり、その名前を知らない人間はこの土地には誰一人としていなかったのだ。
かっこいい白のスーツに身を纏った、黒い髪に煤色の瞳を持ったその女性は、初対面であるあたしにも気さくに挨拶をしてくれた。
その背中には、リボンのような薄い身体の生き物がぴったりと貼り付いていて、あたしと目を合わせると、そのポケモンは金属を鳴らすようにキュ、と笑った。
そしてあたしがカロス地方にあるカフェのことと、オーナーのことを話すや否や、彼女は懐かしそうに目を細めて、こう言ったのだ。
「マリーは今、どうしているの?彼女、ちゃんと幸せかな?」
……どうやらマリーは、私の母やあたしにだけではなく、あらゆる土地であらゆる人に「マリー」を名乗り続けていたらしい。
マリーがその強欲が故に手を差し伸べていた相手は、何もあたし達だけではなかったのだ。
「マリーを知っているんですか?」
「そうよ、カロスのあの子がマリーと私を会わせてくれたの。あの子がマリーに私の話をしてくれたから、私達、また、会うことができたのよ」
マリーは一体、何人に嘘を吐いたのだろう。マリーはどれ程多くの人に「マリー」という最大の不誠実を働き続けてきたのだろう。
その不誠実な名前を紡ぐ度に、けれどもマリーはたった一人への「誠意」を貫いていた。
本当の名前では、彼女は友達を作らない。本当の名前を持つ彼女と「親友」になれたのは、あいつだけだ。あいつがそれを願ったから、マリーは「マリー」になったのだ。
……その名前がなければ、マリーの世界はもっと狭く閉じていたことだろう。彼女は自らに「偽名」という不誠実を許すことで、あらゆる人との縁を繋ぎ続けることを選んだのだ。
「今度は貴方の大切な人達と一緒にいらっしゃい。アローラはとっても素敵な土地よ。私、この場所が大好きなの!」
そういう訳で、オーナーとあいつ、そしてマリーが繋いでくれた奇妙な縁によって、あたしにも他の地方の知り合いができた。
彼女はアローラの素敵なところを沢山、紹介してくれたので、あたしの子供がもう少し大きくなった頃に、お姉ちゃんの家族を誘って、一緒に旅行してみようと思う。
人との出会いが世界を広げていく。誰かと言葉を交わす度に、誰かの世界が切り拓かれていく。
母や父は、それまでの閉鎖的な生活を忘れたかのように、あちこちへと飛び回り始めた。
父がレストランでの勤務を減らし始めたのは60歳の頃で、65歳になった頃には完全に「退職」していた。
けれども、料理コンテストの審査員として呼ばれることはしばしばあり、父はこちらについては「退職」する意思をまるで見せていなかった。
呼ばれた場所がどんなに遠いところであっても、シンオウ地方でもホウエン地方でも、彼は躊躇わず二つ返事で出掛けていった。
そしてあろうことか、審査員として呼ばれた地方に、母を同行させるようになったのだ!
まったく、夫というものは、都合のいいところばかり取っていくのだ。
あたしが母を、空の見える場所へと連れ出せるようになるまでに、どれ程の時間が掛かったか、どれ程の苦労が伴ったか。
そうしたことの一切を知らないで、彼はただ、自らの愛した人と外へ出かけていけることへの喜びを噛み締めている。
全く冗談じゃない、と思いながら、ああでもこれだって父が父である所以であり、彼のどうしようもない愛嬌なのだろうなあとも思ってしまうから、
あたしは不満そうに頬を膨らませながら「お土産、沢山買ってきてよね」と、物品をがめつく要求する他にない、という有様だった。
それに、母と「お出掛け」を楽しんでいるのは、何も父に限ったことではなかった。
マリーもたまに、母を誘ってカロスの名所に遊びに行っている。フラベベも、母との散歩をこの上なく楽しんでいる。
あたしだって、母と一緒に買い物をしたり、美味しいプリンを食べに行けたりすることが嬉しくて仕方ない。
それに、人前に出ることを恐れなくなった彼女は、ミアレのコンサートホールで得意のグランドピアノを演奏するようになっていたから、
彼女のファンであった人達の歓喜というのも、相当なものであったのだろうと思う。
あたしも何度か聞きに行ったことがあるのだけれど、何度目かのコンサートで隣に座っていたおばあさんが、
「あの曲を作った人のピアノを、この年になって聞けるとは思わなかった」と、感慨深そうに口にしていたのが印象的だった。
「姿を見せない作曲家」として、アルミナという名前と彼女の曲だけが、長い間、ピアノ業界を独り歩きしているという状態であったから、
いきなり姿を現した母に、音楽に造詣のある人間の多くはひどく驚いたらしい。
ただ、彼等は母が公に姿を現すようになったというその事実よりも、あのようなおぞましくも美しい曲を作る女性が、殊の外「普通」の人であったことに、驚いているようだった。
あたしはそのことをマリーから伝え聞き、お腹がよじれるのではないかと思う程に笑った。
だって、あたしの母が「普通」だなんて!あたし達はいつの間にか「普通」になれていたなんて!
……とまあ、こうした、母を取り巻く全ての人の喜びが、あたしの影の努力により実現したものなのだと考えることは、あたしに確かな達成感と優越感をもたらした。
やっとだ。やっと、此処まで来ることが叶った。
せめてこれくらいの感慨に浸ることくらいは、優しくないあたしにも許されるだろう。
そういう訳で、あたしは生きている。母も父もお姉ちゃんもマリーも、あたしの愛した人の殆どは、生きている。
でも、いつ死んでしまうかなんて誰にも解らない。母や父はもうすっかり老いているし、あたしやお姉ちゃんの子供だって、いつ、危険な目に遭うか解らない。
生きていることは、それ自体がきっと奇跡のような、普通なら在り得ないようなことなのだろう。
だからといって、恐れる必要はきっとない。だってあたしもお姉ちゃんも、その幸いに恵まれ過ぎたが故に、今、こうして生きている。あたし達は懸命に生きている。
いつか来る「死」というものに備えて、その訪れが限りなく優しいものになるように、生きている。やさしくない世界を、生きている。
生きなければいけないと思う。けれどそれと同じくらい、生きていたくないならば、生きなければいいとも思う。
でもあたしは今、生きていること、大切な人達と生き続けられるということが、どうしようもなく、嬉しい。
2017.6.30
【30:34】(60:70)