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母に少しずつ、いろんなことを教え始めた。
洗濯物の畳み方、フライパンの洗い方、箒の持ち方、雑巾の絞り方。
掃除機や食洗器や洗濯機の音は恐ろしいものではないのだということ、シャンプーで髪が綺麗になるのと同じように、洗濯物やお皿も洗剤を入れれば綺麗になってくれること。
そうした、とても些末でありきたりな、おそらくマリーや父が一度は母に教えようとしたであろうことを、あたしは今一度、母に教えた。

……取れたボタンを針と糸で縫い付けろと言っている訳ではないし、熱いアイロンでシャツのしわを取ってくれと言っている訳でもない。
針が恐ろしい、熱いアイロンで火傷をするのが怖い、ということなら分からないでもないのだけれど、
あたしが彼女に教えようとしていたのは、怪我をするリスクの極めて低いものばかりであり、それを恐れる道理などまるでない筈だった。
それでも彼女はぽろぽろと泣きながら首を振った。彼女は生きるための何もかもを恐れていた。時の動き続ける世界は、悉く彼女との相性が悪かったのだった。

一つのことができるようになるまでに、母は大抵の場合、一週間を要した。
洗濯だけ見れば、洗濯機に洗剤を入れてスイッチを押せるようになるまでに一週間、それを乾燥機に放り込んでスイッチを押せるようになるまでにまた一週間、
乾いたタオルや下着を畳めるようになるまでに一週間、そして完成した衣服をタンスやクローゼットに仕舞えるようになるまでに一週間、といった具合だ。

ピアノの世界で生きてきた母は、外で生きるための「何か」を覚える、ということをしてこなかったらしい。
そのため、何もかもが彼女を苦しませていた。洗濯物の入ったカゴを持つことにも苦戦していた。どこまでも「とんでもない」母だったのだ。
もっとも、ピアノの世界で生きていた母を引きずり出し、洗濯物のスイッチを押させるなどという酷なことを敷いているあたしもあたしで随分と「とんでもない」娘で、
そういう意味でもあたし達はやはり、親子以外の何者でもないのかもしれなかった。

母の「学習」は決まって昼休み、あたしが昼食を食べるために帰宅する折に行われた。
というのも、母の覚えの悪さは致命的で、あたしが「やっておいて」と指示したものを昼になってもやっていないことがほとんどであったから、
あたしは昼休みになる度に再び指示して、母のぎこちない「仕事」を見届けなければいけなかったのだ。
後になって、それは母の記憶力に問題があるのではなく、母がピアノに夢中になるあまり時を忘れることこそが原因なのだと知り、あたしは苦笑せざるを得なかった。
悪意のない「忘却」であったからこそ、あたしは叱ることも窘めることもできずに、
さてどうしたらいいかしらと頭を悩ませつつ、なんとか工夫して母に「仕事」をさせる、という日々を送っていたのだった。

放っておけば一日中でも、寝食さえ忘れてピアノを弾き続けるこの女性は、こちらの世界での生き方をまるで心得ていなかった。
ピアノの上では誰よりも美しく舞い踊る母の指は、けれども洗濯物を畳むときには、まるで赤子同然の覚束ない動きしかしないのだった。
もう48歳になろうとしている母は、しかしカフェに集うどんな子供よりも手のかかる生徒だった。けれど、構わなかった。手のかかる「子」ほど可愛い、と言うではないか。

マリーも父も、母に生きるためのあらゆることを習得させることができていなかった。
根気よく教え、挑戦を促し、緩慢な「仕事」を見届けるには、二人はあまりにも多忙で、
母に事細かく指導をすることは、しかもそれを毎日のように続けることは、不可能だった。
マリーも父も懸命で真摯だった。ただ、母から少しばかり、物理的な距離として遠かった。それだけの話だ。あたしの教え方がめっぽう上手い、などという訳では決してない。
ただ、あたしが母に一番、近かった。それだけのことなのだろうと心得ていた。そしてあたしは、ただそれだけのことがひどく嬉しかった。

包丁で指を切り、血が出れば母はパニックになった。大声で泣き喚いて、やめて、出て来ないでと涙をぼろぼろ零しながら訴えるのだ。
あたしはその度に、……おかしな話かもしれないけれど、自分の指をちょっとだけ切ってみせて、ほらあたしだって同じよと、怖いことじゃないわと、そうした破滅的な説得を試みた。
血への恐怖、赤色への拒絶。これらを完全に取り払うには、かなりの時間を要した。
けれどこれだって、毎日のようにあの人の前で指を切ってみせることの叶うあたしだからこそ、できたことだ。マリーにも、父にもできない。そして、それでいい。

母の時間は確かに動き始めていた。あたしが強引に動かしていた。随分と緩慢の過ぎる速度ではあったのだけれど、それでも確かに母はできることを増やしていた。

そんな母を連れて、外に出た。
フラワーショップの屋根の下から一歩、二歩と進んで、アスファルトに落ちる影を指差して笑ってみせた。
ほら大丈夫よと、この黒いものはあなたに襲い掛かったりしないわと、影というものに馴染みのない母に根気よく教えた。子供に言い聞かせるように何度も説いた。
それでも母はあたしの贈った日傘を握り締め、泣きながら首を振って嫌がっていた。
駄々を捏ねるように嗚咽を漏らす母の姿は随分と目立っていて、彼女を見ながら笑っている人も確かにいた。
けれどあたしは構わなかった。この女性に狂気を見たいなら、どうぞ勝手にすればいい、と思っていたのだ。

狂気の沙汰を生きている人間は、往々にして自らの足元に蔓延る狂気の色に気が付かないものである。
もしかしたらあたしも既にまともではなくなってしまっていて、だから母のことにも自分のことにも、正常な判断を下せずにいるのかもしれない。
構わない。異常な環境の中で正常な人間は生きていかれない。生きるための狂気を、生きるための異常を、あたし達から取り上げられる者など誰もいない。

そういう訳で異常な母は数日間、屋根の下で首を振るばかりであったのだけれど、母の腕の中からフラベベがぴょんと飛び出して、日向を気持ちよさそうに漂い始めるや否や、
待って、と縋るように、置いていかないで、と乞うように、一歩を踏み出してフラベベに手を伸べてしまった。
あまりにも呆気なく訪れた転換点に、あたしは思わず苦笑した。手を引く人間は必ずしもあたしではないのだという、そうした当たり前のことを知った。
母の世界は動き始めると同時に、少しずつ広がり始めてもいるようであった。

一歩が達成されれば、あとは簡単だった。あたしのプレゼントした日傘を差した母の歩みは少しずつ、けれど確実に伸びていった。
影の恐ろしい形を隠せて、更に日光の眩しさを防ぐこともできる日傘というアイテムを、母はとても気に入ってくれた。
これがあれば何処にだって行ける気がするわ、などと、大仰なことまで言ってのけるのだ。

けれども針金細工のような頼りない身体の母が、ミアレの大都市を長時間練り歩くことなどできる筈もなく、
出かけられる場所は随分と限られていたのだけれど、それでも母は満足そうにしていた。
街の至るところに植えられている金木犀の木に母は興味を示していたけれど、まだ花の咲かない頃だったので、
あと3か月もすれば咲くからね、とあやすように説明して、ええ、と頷く母に見えないように、金木犀の枝を、いつかお姉ちゃんがしていたようにポキリと、折った。

あいつは生きるには易し過ぎた。母は生きるには優し過ぎた。そしてあいつは死に、母は生きようとしている。
ざまあみろ、と囁いたその声音は、母には聞こえていない。聞こえなくていい。
あたしというのはこのように、やはり優しくない造りをしているものだから、きっとこれからもしぶとく生き続けるのだろう。
それでいい。あたしは生きていたい。母にも生きてほしい。その願いが今、叶いつつある。

外に出掛けるようになってから、母の食事の回数が増えた。
相変わらずその量はあたしの半分以下、といった具合で、やはりそれは「異常」の範疇を出ないものだったのかもしれないけれど、
それでも小さなミカンを朝食に食べたり、お昼に食べるクッキーが2枚から3枚になったりといった、確かな変化があり、その全ての変化があたしを驚かせ、喜ばせていた。

食べる回数と量が少しだけ増えた。体力が少しついた。外をしっかりと歩けるようになった。お日様の光を怖がらないようになった。毎日のように洗濯をしてくれるようになった。
まるで生まれ直しているかのように、母は「白」から少しずつ、世間の色に染まっていった。
生きるために必要な知識を少しずつ身に付け、生きるために必要な技術を少しずつ磨いた。
母の世界はそうして、花が開く様よりもずっと緩やかに、ずっと鮮やかに、広がった。

けれども鮮やかな変化の中に身を置きながら、母はやはり白いものばかり好んでいた。
ブティックに足を踏み入れても、手に取るのはやはり白い鞄や白い靴、薄い黄色のカーディガンといったものであった。そしてその白の全ては、とてもよく母に似合っていた。
どれだけ世間の鮮やかさを知っても、どれだけ世間の騒音に馴染んでも、やはりこの人の本質は無垢で静かで夢見がちなところにあるのだと、
あたしは日傘を子供のようにくるくると回しながら笑う母を見て、そう確信せずにはいられなかったのだ。

「世界って丸いのね」

これはそんな母がこの間、ミアレシティの大通りをぐるりと一周することができた日に、彼女の口からぽろりと零れ出た一言であった。
あたしはその言葉がおかしくて、おかしすぎて、お腹を抱えて笑ったのだった。

母の言う「世界」とは、このミアレシティを指している。
故にミアレの街が綺麗な円状をしていること、趣のある背の高い建物が街をぐるりと囲むように並んでいることを指して、彼女は「世界が丸い」としているのだ。
その世界に外があること、世界はこの平面的な丸い場所に収まるようなちっぽけなものではないことを、この子供のような女性はまるで知らない。知りようがない。

でも、本当に世界は丸いのだ。あたしはそのことを知っている。
あたし達の住む世界というのが立体的に丸い形をしていること、あたし達は大きな球体の表面に暮らしていることを解っている。
その中心に引き寄せられる「引力」とかいう力によって、あたし達は宇宙に放り出されることなく、こうしてアスファルトに立つことができているのだということも、解っている。
でも、きっと母は世界が球体をしていることを知らないのだろう。宇宙というものにも見当が付いていないのだろう。
もっとも、あたしだって宇宙に行ったことなどない。知った気になっているだけ。世界のことも宇宙のことも、ミアレという美しい街のことだって、本当はまだ、よく知らない。

「でもこの丸い世界の外にも、まだまだ素敵な場所は沢山あるのよ。たとえば南にあるゲートを抜けると、綺麗な庭園があるわ。あなたに懐いているフラベベとはそこで出会ったの」

だからあたしは、知ったつもりになっていることではなく、確実に知っていることだけを話して聞かせる。
日傘を子供のようにくるくると回しながら、母は不安そうに、けれど少しだけ楽しそうに目を細めてあたしの話を聞いてくれる。

「今度、お父さんと一緒に出掛けてみるといいわ。とても綺麗なデートスポットだから」

「まあ、素敵ね。そういえばわたし、デートというものをしたことがないのよ」

とんでもないことを言い出した母に、やはりあたしはお腹を抱えて笑わなければいけなかった。母を軽蔑するつもりはないけれど、それでもおかしいものはおかしいのだった。
……ほら、この女性は知らないだけだ。あたし達が世間のあれこれを知ったつもりになっているだけだ。
そんな母やあたしに狂気を見たいのであれば、どうぞ勝手にすればいい。それでもあたしは楽しいのだった。どうにも愉快で堪らなかった。こんな狂気なら、悪くないと思えた。
生きるって、ほら、こんなにも滑稽だ!


2017.4.24
【18:22】(48:-)

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