彼女に出会ったとき、私は20歳でした。バトルシャトーで爵位を上げていた私に、ジムリーダーの誘いがやって来るようになったのも、この頃でした。
20歳というと、本来ならそろそろ厨房に堂々と立てて然るべき年齢だったのですが、私はまだ見習いの身にありました。
ポケモンバトルと料理という、二つのことを極めようとしていた私は、料理の世界へ入る年齢が人より少し、遅かったのです。
一流の料理人を志す者は大抵の場合、15や16の頃に修行に入るようなのですが、私がそれらしきものを始めたのは18歳になってからでした。
それまではずっと、私の呼吸たる「芸術」の熱は全てポケモンバトルに注がれていて、料理の世界を志そうと決心するまでに、少し長い時間が掛かったのです。
その日の夜はシェフの有給が重なっていて、お客様の急な注文に対応できる人間が誰もいませんでした。
加えてその「注文」を実際に食べる人間が、若干10歳の子供であったこともあり、急きょ、まだ修行中の身であった私が、彼女のための食事を作ることになったのです。
見習いとして包丁を握ることは多々あれども、厨房に堂々と立ち、お客様に振舞うための料理を作るようや機会は、これまで一度もありませんでした。
私の気概と緊張とがどれ程のものであったかは、察していただけると思います。
好きな食べ物を尋ねても、彼女は困ったように沈黙するばかりでした。
恥ずかしがっているというよりは、本当に「何が好きなのか」を解っていないといった具合でした。
あまり食に関心のない子であるのかもしれない。皿の上の料理に興味を持ってもらうようにするには、どうすればいいのだろう。
必死に考えた結果、私は食材の鮮やかな「色」にその仕事を任せることにしました。できるだけカラフルな野菜を付け合わせに選び、絵を描くように盛り付けたのです。
ビーンズローフはサイコロ状にカットして、少しずつ食べられるようにしました。食べ慣れていないだろうからと、香辛料の類は少なめにしました。
今の私には、そうした子供への工夫など、息をするようにできます。けれども当時の私にはそれが大偉業であるように思えたのです。私の、初めての仕事だったのです。
そんな仕事の成果を、少女の待つテーブルの上にそっと置きました。
彼女はまるで淑女のような美しい構えでフォークを持ち、音の一切を立てずにビーンズローフにそのフォークを刺しました。
長い時が思い出を美化してしまっているのだとは思うのですが、それを差し引いても、やはり彼女の食器の使い方は素晴らしいものでした。
そのフォークの先に刺さったビーンズローフが、恐る恐るといった風に口へと押し込まれました。しばらくの沈黙を置いて、彼女は確かに、こう言ったのです。
「美味しい!」
誤解のないように言っておきますが、自分の料理を他者に食べてもらった経験なら、これまでにも数えきれない程にありました。
腕利きのシェフは私が休日にこっそりと作った創作料理を食べて評価してくれていましたし、見習いの料理人同士で、まかないを作り合ったことも少なくありませんでした。
私の「呼吸」に対する評価は、再び包丁を握ることが困難となってしまうような厳しいものから、思わず拳でガッツポーズを作りたくなってしまうようなものまで、様々でした。
けれどもこれまで受けてきた評価というのは、料理の世界に従事する方々の言葉であり、それゆえに「呼吸」への専門性に特化した評価を下すことがほとんどでした。
スパイスの量、野菜の切り方、炙る時間、彼等はあらゆる角度から私の「呼吸」を評価しました。私はそれを受けて更なる改良を重ね、修行を積みました。
それが、私のこれまでの「呼吸」の一連の流れだったのです。
目の前の少女は、そうした料理の如何をも知らない存在でした。
このビーンズローフにどのような工夫が為されているのか、どういった点に力を入れたのか、そうしたことを推し測るには、彼女はあまりにも幼かったのです。
彼女は、自分が私の「初めてのお客様」になっていることに気付かないまま、ただその料理を食べて、ただ美味しいと口にしました。
たったそれだけの存在、それだけの言葉、私の「呼吸」を向上させるための、何の足しにもならなさそうなその感想。
けれども私は、彼女のその言葉をどうしても忘れることができませんでした。その「美味しい」を、取るに足らないものとして切り捨てることができませんでした。
少女の強張った表情がふわりと綻んだその瞬間、私は確信したのです。
料理を振る舞うということは、私の「呼吸」を他者に捧げるということなのだと。私の捧げた呼吸という芸術の息吹は、少なくともたった一人を笑顔にすることが叶ったのだと。
この厳しくも美しい芸術の世界で生き抜くための、唯一にして絶対の理を、私は他の誰でもない、この少女の「美味しい」から教わりました。
厨房で腕利きのシェフの手元を盗み見ているだけでは、ただひたすらに技術を磨くだけの修行を続けているだけでは、到底、知ることの叶わないことでした。
……何を当たり前のことを、と貴方は笑うかもしれませんね。
ええ、そうでしょう。料理を美しくするのも、そのための技術を磨くのも、全ては料理を食べる方の時間をより良いものにするためのことです。
そんなこと、おそらく料理人でなくとも、料理を作る人間の大半が知っていることです。
けれども私は随分と偏った人間だったもので、そのような当然のことに、長らく気が付けずにいたのですよ。
恥ずかしい話ですが、私は誰かに「美味しい」と言っていただくために、料理の道を志した訳ではなかったものですから。
ポケモンバトルも同じことで、私は誰かに「いいバトルだった」と言っていただくために、ポケモン達と日々鍛錬を重ねていた訳ではなかったのです。
ただ、その一瞬のうちに繰り広げられる技のぶつけ合いや、フィールドを泳ぐポケモンの美しい姿、
そうしたものを演出する役を「担いたい」という、そうした気持ちで私はバトルの道を突き進んできたのです。
そこに「他者の感想」というものが入る余地などありませんでした。見る人に気に入られるような戦い方をしよう、などとは到底、思えなかったのです。
貴方だって、同じことを考えているのではないですか?貴方は誰かに気に入られるために生きている訳ではないでしょう?貴方は貴方のために、生きているのでしょう?
……思うに、芸術というものは、私達の日常生活に悉くそぐわないものであるのかもしれません。
だからこそ、その道を極めれば極める程に、日常を生きる人間から奇異の目で見られてしまうのでしょう。おかしな人だと、嗤われてしまうのでしょう。
だから私や彼女が「生き辛い」様相であったのは、ある意味いいことであったのかもしれません。
まともではなかったからこそ、芸術の世界で生き残ることが叶っていたのかもしれません。
そういう意味で、少なくとも私に限って言うなら、私のこの歪は本望でした。その結果、仮に私が苦しむことになっていたとしても、呼吸を奪われるより、ずっといいでしょう?
前置きが長くなってしまいましたね。
そういう意味でも彼女はやはり特別であった、ということがお分かりいただければ、十分です。
「美味しい」という言葉は誰にでも唱え得るものですが、彼女が「美味しい」と告げたことにこそ意味があったのです。少なくとも私に限って言えば、全くその通りであったのです。
息を止めるように生きている彼女の、まるで生きているかのようなその言葉は、他の何にも替えようがなかったのです。
あの日、あと一人でもシェフが厨房にいたなら、彼女の「美味しい」はもっと別の誰かに届いていたことでしょう。
ですから私と彼女が出会ったのは全くの偶然です。けれど偶然でない出会いなどあるでしょうか?
人は出会いたい人を選ぶことなどできません。私が彼女と出会いたいと望んだとして、あるいは出会いたくないと願ったとして、そんなものは私の運命の何にも作用しないのです。
人の中で生きるとは、時の流れに身を置くとは、こういうことなのでしょう?
もっとも、この立派な言葉は私のものではありません。娘からの受け売りです。
私は私の呼吸を長年、ずっと守り続けてきたものですから、そればかりに躍起になっていたものですから、
皆が知っているような当然のことに思い至らなかったり、とんでもない無知を発揮したりといったことが少し、いえかなりありました。
そうした芸術の息吹を解さない娘の方が、人の流れの中へと飛び込み、柔軟にあらゆる考えを持ち、多くのことを知るに至っていたのです。私や彼女よりもずっと、若い段階で。
生きるために必要なあらゆることを、私は娘から教わりました。ええ、これではどちらが親なのか分かったものではない。
けれどその歪だって私は本望です。構いません。私は、構いませんでした。
ただ、私のこうした偏屈な思考のせいで、あの子には随分な苦労を掛けさせてしまいました。
……ああ、いけませんね。随分と話が脱線してしまった。おかしいですね。私の話をしなければいけないところだったのですが。
けれどこれが真実です。私の話をしているつもりが、やはり気付けば私以外のことを話しているものなのです。
私は私の本質、などというものに興味はありません。芸術家として私が重視してきたのは、私という存在の「表現」です。
私を構成する表現というのは、料理であり、ポケモンバトルであり、また彼女であり、娘です。それくらいのものです。
芸術家にあるまじきことですが、私は随分と不器用ですから、あまり多くのことを抱え置くことができないのですよ。貴方と違って。
ただ、同じ芸術の世界に身を置いている私と彼女でも、その事情は随分と違っていたようです。
私は望んで芸術の世界に飛び込みました。芸術に呼ばれた訳ではなく、自ら「私を呼べ」と芸術に向かって叫び、食らい付いたのです。
けれど彼女は違いました。ピアノは彼女が望んで手に入れたものではなく、閉鎖的な環境に生きる彼女に「与えられた」ものでした。
偶然にも、彼女とピアノの相性は抜群によいものでした。それ故に彼女は、ピアノを弾くという自らの行為を、芸術の域に至らしめることが叶っていたのです。
彼女は芸術に呼ばれていました。生きるために、彼女はピアノを弾いたのです。そういう意味で、真に芸術家の気質を持っているのは彼女の方です。
貴方も知っていると思いますが、彼女は本当に美しいのですよ。……ああ、勿論、私が彼女と長年連れ添っているのは、彼女が美しいから、という理由では決してありませんが。
私は呼吸をするために料理とポケモンバトルを極めました。その結果、世間というものからひどく遠ざかるに至っていました。
彼女は世間というものから逃れるために、あまりにも狭い世界に閉じこもっていました。その狭い箱庭に偶然にもピアノがあったから、彼女はピアノを極めるに至りました。
その事情は随分と違っていましたが、私も彼女も生きるために、生きることから大きく逸れた、無意味で無価値な芸術というものにどっぷりと浸かっていなければいけませんでした。
そこから這い上がって地を歩いていると、どうにも干上がってしまいそうになったのです。私も、彼女も、耐えられなかったのです。
貴方にも、生物の営みとは全く関係ないところにあるものを、極めたいと、貫きたいと、考えたことがあるのではないですか?
……言い方を変えましょう。貴方は何のために生きているのですか?この惨たらしい世界にしがみついてまで、貴方が志したいものは、何ですか?
申し訳ありません。話がまた逸れてしまいましたね。
けれど私は、私のことも彼女のことも、おかしいとは思いません。度が過ぎていたかもしれませんが、私達は異常なことを考えていた訳では決してありません。
私達は呼吸をしていただけです。生きていただけです。
ええ、解っていますよ。生きていることはきっとこの上ない大罪なのですよね。
2017.4.25
(10:20)