11(Second Chapter)

私の話を聞かせてくれ、と言われたことはこれまでにも幾度かありました。その度に、今回もそうなのですが、申し訳ない気持ちに襲われるものでした。
別に自分のことを話すことに抵抗はありません。私のつまらない話でよければ幾らでもお聞かせしましょう。
芸術家の端くれとして、自らを表現し得るものの何もかもを私は正しく評価しているつもりです。
たとえそれが「言葉」という、私の、どちらかといえば苦手とするものであったとしても、ある一定以上の誠意をもって、その自己表現の手段にも取り組むべきだと、考えています。

けれどもそうした、私の努力にもかかわらず、私の話が他人を心から喜ばせるに至ったことは数える程しかありませんでした。
芸術というものは努力なしには成り立ちませんが、やはりセンスというものも必要であるようです。
そういう意味で私は「お喋り」というものに、悉く向いていない人間であったのでしょう。

私は別段鈍く出来ている訳ではありません。寧ろ感性は鋭い方であるという自負があります。ですから愛想笑いと心からの笑顔の区別など容易につきました。
私の下手な話のために、聞き手は無理をして笑うことになる。面白くもないのに、楽しくもないのに、嬉しくもないのに、微笑んでくれる。
それは……少なくとも私にとっては耐え難いことでした。料理やバトルの挫折は私を鼓舞する有益なものでしたが、愛想笑いというものは殊の外、人の精神を削るのです。
故に私は、お喋りというものを極めようと思えませんでした。おそらくお喋りという分野においてのみ、私の心はぽっきりと折られてしまっていたのでしょう。
そういう意味では、やはり私と彼女はとてもよく似ていました。今も、勿論似ているつもりです。

……前置きが長くなってしまいましたが、貴方なら、私の言いたいことを察してくださったのではないですか?
つまり「私のつまらない話に優しい笑顔など浮かべる必要は全くない」ということです。「貴方はどうか優しくならないでください」と、そういうことを言いたかったのです。
ただそれだけのために、随分と時間を取ってしまった。これもおそらく芸術に生きるものの性なのでしょう。……勿論、私はこの性分を悔いたことはただの一度もありません。

それにしても「優しい」とは随分と複雑怪奇な、おどろおどろしいものですね。そうしたことも、ええ、私はとてもよく知っているのですよ。

さて、私は先程も言ったように、喋ること自体は嫌いではありません。
けれども私が本当に「私」のことを話せていたかと言われれば、……おそらく世間一般的には「否」であったのでしょう。
何故なら大抵の場合、私の話はものの数十秒もすれば料理のことへ、あるいはポケモンバトルのことへとすり替わっていたからです。
特に意識するまでもなく、いつの間にかそうなっていたからです。

「料理の話が聞きたい訳じゃないよ」と、修行時代、年の近い同僚たちにもよく言われました。
私の口から食材の名前が飛び出すや否や「ほら、また始まったぞ」と笑われる、といったこともしばしばありました。
何十年も後に分かったことなのですが、彼等は私の趣味、本や音楽の嗜好、好きな女性のタイプ……などといったことを、私の口から聞きたがっていたらしいのです。
当時、まだ青年と呼ぶべき年齢にあった私はそのことに全く思い至らず、それ故に彼等に随分と、退屈な思いをさせてしまっていたようでした。

けれどもそうしたことをはっきりと問われたところで、おそらく私は何も語ることができなかったでしょう。
この世界において真に楽しいことは料理とポケモンバトルであり、それ以外のところなどまるで見えていませんでした。
本も、料理関連のものを除けば殆ど読んでいませんでしたし、音楽を聴いて楽しもうとしたこともありませんでした。恋をする自分の姿など、考えもしませんでした。

ただ、彼等は私の「これ」を悪癖だと言っていましたが、私にはそうは思えませんでした。
……というよりも、私はピントのずれた回答をしているつもりは更々なかったのです。私は至って真面目に回答していました。私のことを話していました。
その結果、話題が料理やバトルの方向にシフトしたのだから、つまりはそれらが「私」であるということだったのでしょう。
私の興味と熱意は芸術にのみ向けられていて、それ以外のものが入り込む隙などなかったのです。

厨房で料理の腕を磨くこと、ポケモンバトルで水タイプを極めること、その二つが私の全てでした。
その他の、生きるためのあらゆることというのは、ひどく億劫で煩雑で、低俗なことのように見えていました。
仕事以外に夢中になれることがある「私」の姿を、想像することができませんでした。
本や音楽に楽しみを見出すことも、恋に心を躍らせることも、どうにも、難しすぎるような気がしました。
男性という免罪符が、私の世間への無知と無視を加速させ、その結果私は、一般的な教養や良識といったものをあまり持ち合わせない人間になってしまっていたようでした。

料理をすること、食材を吟味すること、ボールを投げること、ポケモンに指示を出すこと。
その全てが私の「呼吸」を構成しており、それらを欠いた生活など考えられませんでした。
生き物は、呼吸ができなくなれば死ぬものです。呼吸を求める生き物に何の罪があるというのです?
それと同じことだと考えていました。ポケモンと共に戦えなくなったとき、あるいは料理ができなくなったとき、それがおそらく私の死ぬときなのだろう、とさえ思っていました。

人は私を随分な変わり者であるようにみなしていました。構いませんでした。
この美しいカロスにおいて、同じような輝きばかりを放っていてもうずもれていくだけであると私は解っていたからです。
ポケモンバトルの世界も料理の世界も、同じように厳しく険しい。けれども妥協したくありませんでした。己の歩みに満足したくありませんでした。諦めたくありませんでした。
故に私は生き残らなければいけませんでした。そのための努力を怠ったことは一度もありませんでした。
……その二点、料理とバトルのことに関しては、本当に、一瞬の怠慢さえも経験したことはありません。
ただしその二点以外のことに関しては、怠慢などという生温い言葉では言い表せないくらい、随分な出来損ないであったのですが、
それさえも、私がこの芸術という世界で生き残るためのスパイスだと考えていました。
私は生き残るために、生きるためのあらゆることを犠牲としていました。それを「犠牲」であるとさえ、当時の私は考えもしませんでした。

生きるためにしなければいけなかった筈のこと、掃除や洗濯や人との交流といったものを全て遠くへと押し遣って、私は持てる力の全てを料理とバトルにぶつけていました。
休日は週に一度必ずありましたが、一般的な休暇、と呼べる過ごし方をおそらく私はしていませんでした。
けれどそれが一体何の問題になるというのでしょう。貴方は休日だからといって息を止めるのですか?止めないでしょう。
同じことです。休みの日だからといって、食材を手に取らない日があっていい筈がありません。少なくとも私において、それは許されないことでした。

それに、休日というのはいいものですよ。普段は人で溢れ返っているレストランの厨房も、休日は寂しいもので、一人か二人程度しか顔を出していなかったのです。
修行中の身で、一日に一回、包丁を握らせてもらえればいい方であったような時代でさえも、休日の静かな厨房でなら、思う存分、好きなように料理をすることができました。
私の熱意を買ってくださった腕利きのシェフに、直接、教えを乞うことができたりもしたのです。あの時代も、あれはあれでよかったのでしょうね。

ポケモンバトルは大抵、バトルシャトーというところで行っていました。
あの場所には各町のジムリーダーが頻繁に顔を出していましたから、充実したバトルには事欠きませんでした。
爵位を順調に上げていた私の名前は、ジムリーダーの候補として何度か挙がっていたらしく、勧誘されることもたまにあったのですが、私はその度に断りを入れていました。
挑戦者の実力に合わせること、挑戦者の成長を促すこと、そうしたことを意識しながら戦うことは私にはとても難しいことでした。
立派な仕事であることはよく理解しています。ですが当時の私には、ジムリーダーは「手加減して戦うことを余儀なくされる、窮屈な職」であるようにしか思えませんでした。

私は魅せたかった。
丹念に育て上げたポケモン達が、水の上で美しく戦う姿を「芸術」として、その力をもって挑戦者を圧倒したかった。自らの誇りをかけて自由に戦い続けていたかった。
ポケモンリーグという場所が、そんな私の夢を叶えてくれました。この喜び、貴方なら理解していただけると信じています。

それに、四天王という役は私の思っていた以上に暇で、私は四天王になってからもそれまで通り、レストランでの仕事をすることができていました。
チャンピオンロードという険しい場所で、ポケモントレーナーはある程度淘汰されてしまい、ポケモンリーグに訪れることの叶う人間はほんの一握りだったのです。
それに辿り着いたところで、全ての挑戦者が水タイプの門を一番初めに叩く訳ではありません。
カロスには電気タイプのポケモンがそう多くありませんでした。水タイプへの有効打を持っていない、ということを理由に、水門の間は避けられる傾向にあったのです。

故に私のところには、挑戦者がやって来た、という連絡が一日に一度入ればいい方、といった具合でした。
他の地方ではどのような具合だったのか、私は把握することができていませんでしたが、少なくともカロスのポケモンリーグは、そういう意味で随分と寂れていました。
寂れている、というと聞こえは悪いですが、私にとってはその寂れ具合はとても心地よく、都合もいいものでした。
あの職には5年以上就いていましたが、叶うならもう一度、あの場所で挑戦者と思いっ切り戦ってみたいものですね。

そういった具合で、私はポケモンバトルも料理も、人並み以上には熱心に取り組んでいたつもりです。
ただ、私は自分の実力に誇りをもっていましたが、自分の努力や鍛錬に驕ったことは一度もありませんでした。それが「すごい」ことであるとは、あまり思えなかったからです。
料理もバトルも、私にとっては呼吸同然の存在でした。怠ることなど考えられませんでした。呼吸をやめれば人は生きていかれないのですから、当然のことでした。

熱心に働いているだけ、修行をしているだけ、呼吸をしているだけ。けれどそんな私を皆さんはとても高く評価してくださいました。
そう考えると、随分と畏れ多い話のようにも聞こえてきますね。呼吸など、誰にでもできることである筈ですが。
私にとっての呼吸が料理とポケモンバトルであったように、皆さんにも何かしらの「呼吸」があって然るべきで、
その「呼吸」を怠らないことは、生き物として当然のことであり、むしろ怠らないことなどできる筈がなかったのですが。

ああ、でも私は一人だけ、とても苦しそうに呼吸をしていた人間を知っています。


2017.4.26
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