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※後半、生々しい描写があります。

それからも一か月に一度、お母様が私にお金を下さいました。わたしはそれを全て、彼に会うために使っていました。
月に2回、一人で外に出るようになりましたが、それ以外はフラダリラボの地下で、一人の時間を過ごしていました。ピアノと向き合うだけの毎日でした。
今までずっとそうだったのですから、それを悲しいことだとは、異常なことだとは思っていませんでした。思える筈がありませんでした。
わたしは「皆と違う」ということの恐ろしさに、まだ気が付いていなかったのでした。

13歳の誕生日を1か月後に控えた夜のことです。彼はこのお店の「電話番号」というものをわたしに教えてくれました。
3年の下積み経験を経て、彼の料理の腕が偉い人に認められたらしく、これからは彼もシェフの一人として、厨房に堂々と立たせてもらえるようになる、とのことでした。
とても素敵なことなのだと、彼が立派になったということなのだと、それだけを噛み締めて、わたしは笑顔でおめでとうと何度も言いました。
だから、わたしよりもずっと喜んで然るべきである筈の彼が、複雑そうな笑みを浮かべていた理由に、わたしはどうしても思い至ることができなかったのです。

厨房に立つ時間が増える。他のお客様のための料理を作る時間が増える。
それはすなわち、わたしのためだけに時間を作ることができなくなることを意味しているのだと、
彼は偉くなったことを喜ぶと同時に、わたしとの時間を思うように作れなくなることを悲しんでいるのだと、そうしたことにわたしはまだ、気が付いていませんでした。
そのような簡単なことを察せない程に、わたしはとても鈍く出来ていたのでした。

「来てくださるときは、1週間前にこの番号にかけて、予約をしてください。そうすれば私も、貴方のために時間を作ることができますから」

「予約とは、何をどうすればいいの?」

「電話に出た相手に、名前と、来る日と、時間と、それからこのズミの名前を言ってください。貴方は私の最も大切なお客様ですから、最優先で予定を空けさせていただきます」

それがどれほど「特別」なことであるのか、当時のわたしにはよく分かっていませんでした。
ただ、彼が忙しくなること、これからも彼の料理を食べるために予約というものが必要であること、わたしに理解できたのはそれくらいでした。

たった一人の「お客様」のために、稼ぎ時である夕方から夜にかけてのディナータイムを2時間程度、空けておく。
やっと厨房に立てるようになったばかりの彼には許されないようなことだったのですが、彼は一番偉い人に頭を下げて、こうすることに決めてくださったようです。
おそらく、並大抵のことではなかったのでしょう。それでも彼はわたしを、いつまでも「特別」にしてくれていました。
彼とわたしが会うために必要なものは、お金だけではありませんでした。そうした彼の配慮によって、努力によって、わたしは彼に会うことができていたのでした。

ピアノを弾き、サラダにドレッシングをかけ、チョコレートを食べるだけの生活を続けて3週間が経った頃、わたしはお父様に電話を借りて、彼が教えてくれた番号を押しました。
プルルルという緊張感のある音のあとで聞こえてきた男性の声に、必要な要件を全て言おうとしたのですが、「アルミナ」という名前だけで、相手の方は全てを察したようでした。

『ああ、ズミのお得意様ですね。いつもありがとうございます。いつお越しくださいますか?』

わたしの知らない人がわたしを知っている、という事実が、どうにも嬉しくて、わたしは上擦った声で日時を告げました。
電話の向こうで、その声は優しそうに笑いながら『畏まりました』とお返事をしてくださいました。

わたしが知られているという事実は、実のところそう珍しいことでもありませんでした。むしろわたしにとっては当然のことでした。
フラダリラボの地下基地において、サングラスをかけていないわたしは悪目立ちしていましたから、皆がわたしのことを知っていました。
けれどわたしは、あまり、そのサングラスをかけた方々の区別がついていなかったのです。
顔の半分を覆う真っ赤なサングラスのせいで、彼等の表情はまるで解らず、故にわたしは両親と、フラダリラボの代表の方しか、確信をもってお呼びすることができずにいました。
お世話をしてくれる女性も、朝食を作ってくれる男性も、わたしにとっては皆、知らない人でした。わたしは知らない人に助けられて、ようやく、生きていくことができていたのです。

わたしの地下での生活は、わたしとピアノとお父様とお母様と、お母様のポケモンであるケーシィとで回っていました。
それ以外にも人は大勢いましたが、わたしは彼等に興味を向けることをしませんでした。というより、興味を向けることができませんでした。
他の皆さんは一様に赤いサングラスをかけていましたから、わたしは彼等のことを、ただ「怖い」人であるとしか思えなかったのです。

けれど「世界」の人は違いました。お父様とお母様は、「世界」とはとても恐ろしく惨たらしい、醜悪なところだと言っていましたが、私にはそうは思えませんでした。
「世界」は恐ろしい赤色をしていません。「世界」はわたしを弾いたりしません。
彼はいつだって笑顔でわたしを迎えてくださいます。わたしの目線に膝を折ってくださいます。わたしの目をしっかりと見て話をしてくださいます。
わたしにとって「世界」とは、そうした、赤くない、優しい姿を呈していたのでした。その「世界」はいつだって、青い目をしているのでした。

そういう訳でわたしは「世界」を愛していましたが、だからといってわたしの暮らしている地下をこの上なく嫌っていた、という訳ではありませんでした。
赤い色は恐ろしいものでしたが、自室にいればその赤を見ずに済みました。白と黒の鍵盤だけを追いかけていればよかったのです。それでよかったのです。

わたしは赤いサングラスをかけていません。わたしの髪は赤く染められていません。わたしのワンピースには赤いラインが入っていません。わたしは赤いタイツを履いていません。
わたしは赤よりも、青が好きでした。彼の目の色が好きでした。赤は、できることならあまり見たくはありませんでした。
綺麗だと、鮮やかで美しいと思える赤は、彼の作ってくれる料理の、白いお皿の上に踊る、トマトやパプリカやラディッシュといったものしかなかったのでした。
その他の赤は、どうにも、恐ろしいものに思えて、だから、

「それ」がわたしの身体から出てきたとき、本当に、死んでしまいたくなったのです。

運の悪いことに、それが起こったのは丁度、彼のレストランでデザートを食べているときでした。
レモンのジェラートに、真っ赤な苺のソースがかけられていたので、最初はそれをスカートに落としてしまったのかと思ったのです。
けれどもそうではありませんでした。わたしが立ち上がった途端、それはわたしの脚をつう、と赤く汚していったのです。

わたしは本当に恐ろしくて、悲鳴を上げて泣き叫びました。一万円札を五千円札に変換しに行っていた彼が慌てて戻ってきて、わたしは彼に、縋り付きました。
どうしようズミさん。助けて、これを止めて。赤いものがわたしの中から出てくるの。お願い、何とかして。わたし、死んでしまうかもしれない。
そんなことを、金切り声で訴えていたような気がします。わたしはただ、恐ろしかっただけなのです。

わたしの異常な言動と、脚を伝う赤い液体に、彼も愕然とした表情になりました。
叫び続けるわたしを抱きかかえて個室を飛び出して、近くを通りかかった女性に「キュウキュウシャ」を呼んでくれと怒鳴りました。
彼女もひどく驚いたような表情になりましたが、わたしの脚を伝う赤い液体を見るなり、安心したような、呆れたような、そうした複雑な目の細め方をしたのです。
女性は彼に、わたしを下ろすように言いました。彼は躊躇いましたが、女性がもう一度促すと、わたしをそっと下ろしてくれました。

「大丈夫ですよ、アルミナさん。貴方は怪我をなさった訳でも、病気になった訳でもないのです。女性であれば誰でもこうなるのです。だから、怖がらなくてもいいんですよ」

まるでお母様のような優しい声でそう言ってくださいましたが、わたしにはとても信じられませんでした。
彼女はそっとわたしの手を取って、廊下の奥へと連れて行きました。彼女に手を引かれながら、わたしは一度だけ、振り返りました。

廊下に取り残された彼がとても不安そうに眉を下げていたことと、わたしに触れていたその両手が真っ赤に染まっていたことを、今でもはっきりと覚えています。

女性はわたしをお手洗いに連れて行ってくれて、新しいお洋服を用意してくれました。
不思議な肌触りのする、布のような紙のようなものを渡してくださって、彼女はその使い方を教えてくださいました。彼女はとても親切にしてくださいました。
けれどわたしには彼女の声が、どこか遠くの方から聞こえてくる悪魔の囁きのように思われたのでした。

1か月のうち数日間、わたしは体から赤いものを出さなければいけないのだそうです。
わたしが女性であるから、わたしが「少女」から「女性」になろうとしているから、起きる変化であるのだそうです。
彼女はわたしの脚を伝う禍々しい赤のことを「ケイケツ」と呼びました。わたしには何のことか解りませんでした。
そもそもわたしは、ケイケツどころか「血」というものさえ分かっていなかったのです。

あの地下にて、血を流すような怪我をすることはまずありませんでした。ピアノの角に腕をぶつけても、赤がわたしの体から飛び出すことなどなかったのです。
ハサミや包丁といった刃物を、わたしは触ったことがありませんでした。平らな床では転んだところで紫色のアザができる程度で、出血など、する筈がなかったのです。
わたしは自分の体の中に血管というものがあり、その中を真っ赤な液体である血が流れているのだということを全く知らないままに、15の時まで、育ちました。

そうしたわたしのひどい世間知らずを、けれどその女性も、両親も叱りませんでした。
彼も叱りませんでした。そもそも彼だって「ケイケツ」のことを知らなかったのですから、わたしの無知を叱りようがなかったのでした。

それ以来、あの女性が教えてくださったように、1か月に一度くらいの周期で「それ」はやってきました。
布のような紙のようなそれをショーツに当てていれば、脚を赤い液体が伝うこともなくなりました。それが全て赤を吸い込んでくれるからです。
けれどその度にやってくる重い腹痛も、身体が火照るような感覚も、お手洗いの度に目にしなければならない赤色も、どうにも気味が悪くて、恐ろしいものでした。

わたしは自分の体からその「赤」を取り除きたくて堪らなくなることがよくありました。溢れる赤にスプーンを浸して、その赤色を全て掻き出したくなってしまったのでした。
けれど体の中に冷たいスプーンを差し入れるということは、わたしの中に赤色があるということ以上に、わたしにとっては恐ろしいことでした。
何度かスプーンを持ってお手洗いに行ったことはあったのですが、表面をそっとスプーンの先でつついたりなぞったりするだけで、
その「中」に冷たい金属を差し込んで、赤色を全て外へと掻き出す勇気など、まるで持つことができなかったのです。

そういう訳で、わたしの中にその赤色は留まり続けました。少しずつしか流れ出てくれない赤を、わたしは恨めしく思っていました。
わたしの中に巣食う赤色を忘れたくて、わたしは益々ピアノに夢中になりました。黒と白の世界はただ無機質で、生々しくなくて、わたしはとても安心することができたのでした。


2017.4.7
(15:25)

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