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12歳になってしばらく経った頃、わたしはお母様のケーシィを借りて、一人で「世界」に出て行くことが許されるようになりました。
夜にしか外に出て行くことを許されず、しかも行き先はあのレストランのみという、とても限定的な外出ではあったのですが、わたしにはそれで十分でした。
彼に会いに行くということが、「世界」へ出て行くということだったからです。
故に他の子供達がいろんなところへ出かけているという話を聞いても、わたしはとくに羨ましく思うことも、わたしに課せられた必要以上の不自由を恨むこともありませんでした。

だって自室にはピアノがあったのです。お喋りの相手は彼と、このピアノだけで十分でした。
お父様が昔使っていたという「楽譜」の読み方を教えてもらってからは、わたしはその本にすっかり夢中になって、何曲も何曲も読み解いてはピアノを鳴らして楽しみました。
上達すれば、お父様もお母様も褒めてくださいました。わたしはそれだけで満たされていました。ピアノと彼さえあれば、他には何も要らないとさえ思えました。

ケーシィは「テレポート」という技を覚えていて、それを使うことでわたしを連れて、あのレストランの前まで瞬間移動することができるのでした。
戻るときも同じようにテレポートを使えば、いつの間にかわたしは地下にある基地に戻ってきている、という寸法なのでした。

加えてお母様はわたしに「お小遣い」というものをくれました。それはあのレストランで、お母様が渡していた、不思議な模様の書かれた紙でした。
これは「お金」というもので、わたし達はこれを使って食事をしたりものを買ったりすることができるのだ、と説明してくれたのですが、
わたしはそんなお金というものがある意味も、それを使って何かを手に入れる意義も、十分に理解することができませんでした。
というのも、此処にいれば必要なものは全て皆さんが下さるので、その「お金」というものを使って、何か他のものを求めたいとはとても思えなかったのでした。

わたしはこの地下で生きてきました。此処で生きることが当然のことだと思っていました。
与えられたものだけを頂いて、暗闇を知らない白い部屋の中で、決まりきった食事を食べて……。
そうした生き方に疑問を持ったことなどありませんでした。与えられたものだけで生きることに慣れ過ぎたわたしは、何かを求めることのできない人間になってしまっていました。
何かを誰かから奪い取りたければ、こちらも何かを誰かに差し出さなければならないのだと、そうした理念を知らずに育ちました。知らずとも生きていかれる場所でした。
故にそのお金をつまらない紙切れだと判断したわたしは、自室のベッドにそれを放り出したままにして、それきり、そのお金というものの存在を忘れてしまっていたのですが、
置きっぱなしのお金に気が付いたお母様がある日、悲しそうに眉を下げつつ、とんでもないことを口にしたのです。

「お金を蔑ろにしてはいけないわ、ちゃんと大事に持っておきなさい。お前はこれがないとズミさんに会いに行くことも、彼の料理を食べることもできないのよ」

頭を殴られたような衝撃でした。わたしはその日、眠ることができませんでした。
一万円、と書かれた紙をベッドの中で強く強く握り締めていました。その不思議な肌触りがわたしを益々不安にさせるのでした。

これがなくなってしまうと、彼に会うことができない。

どうしてお金がなくなると、彼に会えなくなってしまうのでしょう。どうしてお金がないと料理を食べることができないのでしょう。
お金がないと、人に会うことさえできないのでしょうか。お金を使うことで初めて、何かを食べることができるのでしょうか。「世界」とはそういうものなのでしょうか。
でも、それならどうしてわたしはお金を払わずに、お父様やお母様に毎日、会うことができているのでしょう。
あのさして美味しくない料理にお金を払ってなどいないのに、どうしてわたしは毎日あれを食べることができているのでしょう。

お金を払わずに人に会うこと、お金を払わずに食事をすること。……それらは「世界ではない」場所だからこそ許されていることなのでしょうか。
此処が地下であるからこそ、お金というものに価値を見出させないだけで、
本来の地上にある「世界」は、お金がなければ生きていかれないような、お金がないと寂しくて死んでしまうような、そうした、なんとも惨く苦しいところなのでしょうか。
だからお父様は「世界」を嫌っていたのでしょうか。だからお母様は悲しそうな顔をしながらも、わたしにお金の大切さを説いてくださったのでしょうか。

彼もまた、そんな厳しく険しい「世界」の住人なのでしょうか。

……その翌晩、わたしは早速、お母様のケーシィを借りて一人でレストランに行きました。
目の下に黒い隈を作ったわたしを、彼は随分と心配していましたが、それ以上にわたしが一人で彼の料理を食べに来てくれたことを喜んでくれました。
いつもの個室にわたしは通されました。彼はグラスに冷たい水を注ぎながら、「ではアルミナさん、今日はどうしましょうか?」と尋ねました。
あなたの作るものなら何だって美味しい。そう告げるより先に、わたしはポケットからあの紙を取り出してテーブルの上にそっと置きました。

「お父様がどれだけのお金を出していたか、ちゃんと見ていなかったの。今のわたしはこれだけしか持っていないけれど、これがあれば、ジェラートくらいは食べられる?」

彼はひどく驚いた顔をしていました。信じられないようなものを見るような、険しい青の目でわたしとその紙とを交互に見つめていました。
わたしはどうにもいたたまれなくなって、顔が恥ずかしさで赤くなってしまって、間違ったことをしてしまったのではないかしら、とひどく恐れて、眩暈がして、

「大丈夫ですよ、落ち着きなさい」

けれど彼はその表情をさっと隠して、いつもの笑顔で膝を折り、わたしの肩にそっと手を置きました。
長い指がテーブルの上の紙を静かに取り上げて、彼はいつものように一礼してから個室を出て行きました。
すぐに戻ってきた彼の手には、先程とは少し違う種類の紙が握られていました。五千円、と書かれたその紙を、彼は何故かわたしに差し出してくれたのです。

「このお金は、お母様からもらったのですか?」

「お小遣い、だと言っていたわ。これがないとあなたの料理を食べられない、と説明してくれたの」

これがないとあなたに会うこともできないと言われた、とは、何故か口にすることができませんでした。
彼に嘘を吐くつもりは微塵もなかったけれど、それを口にしようとすると、どうにも息が苦しくなって、胸がいっぱいになって、泣きそうになってしまうのでした。
少し不十分であったその説明に、けれど彼は大きく頷いてくれました。

「そうだったのですね。けれどお母様は少し多めにお金を用意していたようだ。これだけあれば、このズミの料理を2回食べることができますよ」

本当に?とわたしは上擦った声で彼に尋ねました。彼は静かに微笑んで、次はそれを持ってお越しくださいと、少し得意気な調子でそう告げたのでした。
わたしは嬉しくなって、よかった、と舞い上がってしまって、すっかりいつもの調子に戻って、お馴染みとなったサイコロ型のビーンズローフをリクエストしました。
彼は他にも、ピクルスという酸っぱいお野菜、ホウレン草のポタージュ、カルボナーラというパスタ、小さなチョコレートケーキと、ジェラートまで用意してくれました。
作るのも、運んでくれるのも、説明をしてくれるのも、彼でした。わたしはそれが嬉しくて、二人だけの時間がとても楽しくて、けれどふと、不安になることがありました。

わたしが一万円札を持ってきたから、彼の料理を、彼との時間を、受け取ることができているのだと、解ってしまったからです。
お金というものが尽きたとき、わたしは彼に二度と会えなくなってしまうのかもしれないと、そういうことを考えるようになってしまったからです。

この、赤を身に纏わない人が作る料理が好きでした。青い目の彼が微笑むところを見るのが好きでした。彼のことがきっと、好きでした。
けれどそうした想いというのは、わたしにとっては「世界」の全てを占める大きすぎる出来事であるにもかかわらず、お金というものの前には悉く無力なのでした。
お金というものを失ってしまえば、わたしはこの想いを手放さなければいけなくなるでしょう。
彼の美味しい料理も、彼の綺麗な青い目も、温かい手も、すっかり忘れて、また一人で生きていかなければならなくなってしまうのでしょう。

そう思うと、お金というものがにわかに、わたしの命綱のように思われてしまったのでした。
この不思議な肌触りを持った紙がわたしの手元から消えてなくなるときが、きっとわたしの命の潰えるときなのだろうと、わたしはこの日、そう確信するに至ったのでした。

美味しくない料理を食べていたときのことを、別段、不幸だと思ったことはありませんでした。
けれどひとたび「美味しい」を知ってしまった途端、わたしは美味しくない料理を食べることにとてつもない苦痛を感じるようになってしまったのです。
きっと、これも同じことなのだろうと思いました。
お父様とお母様は優しいけれど、それでもやっぱり一人でいることが多かったわたしは、けれどそのことを悲観したことは一度もありませんでした。
けれどひとたび「世界」を知ってしまうと、彼との時間を好きになってしまうと、わたしは一人であることにとてつもない恐怖を感じるようになってしまっていたのでした。

もうわたしは一人でなど生きていかれない。もしお金が無くなってしまったら、一人になってしまう。それなら生きていたって仕方がない。いっそ命など捨ててしまおう。
わたしは何の躊躇いもなく、そう思っていたのでした。それが一番の幸いであるのだと、本気で信じていたのでした。

彼は帰り際、いつものドレッシングとチョコレートをわたしの手に持たせてくれました。
手が触れた瞬間、私は少しだけ驚きました。彼の手が以前に比べて冷たくなっているような気がしたからです。
けれどそれは、彼の変化ではありませんでした。彼の手が冷たくなったのではなく、わたしが温かくなっていたのでした。
その変化に彼も気付いたようで、驚きに見開かれた目は、けれどすぐに細められて、貴方の手は温かくなりましたねと、まるで自分の事のように、嬉しそうにそう告げるのでした。
あなたの料理が美味しいから、と告げると、彼は僅かに顔を赤くして、そうですかと相槌を打って、レストランの外までわたしを見送ってくれました。

「私の料理は貴方の手を温めることができていたのですね、よかった」

その言葉にわたしの、手ではなく顔の温度が、言いようのない喜びにかっと勢いよく上がったことを、きっと暗闇を挟んだ向こうにいる彼は知らないでしょう。
そしてわたしも、暗闇を挟んだ向こうにいる彼が吐いた「嘘」に、まるで気が付いていなかったのでした。

彼の務めるレストランの、あの料理の数々は、とてもではないけれど5千円などというお金で食べられるようなものではなかったのです。
彼が食材に工夫を凝らせば、なんとか5千円以内に収めることはできたのかもしれません。
けれど加えて彼は私に、30粒のチョコレートと、ワインボトルいっぱいに詰めたドレッシングを渡してくれていました。
その値段を加えれば、5千円などゆうに超えてしまっていたのです。そういうものをわたしは毎回、頂いていたのです。

足りない分のお金は、ずっと、彼が出してくれていたのでした。彼もまた、お金を使ってわたしとの時間を作ってくださっていたのでした。


2017.4.6
(12:22)

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