2(First Chapter)

あの騒動を覚えている人は、今では殆どいらっしゃらないことでしょう。
けれどわたしは確かに「そこ」にいました。フラダリラボはわたしにとって故郷であり、わたしはセキタイタウンの地下にある組織の基地で、少女時代のほとんどを過ごしました。

わたしの両親は、フラダリラボがまだ小さな組織であった頃からそこで働いていました。
二人がどのような仕事をしているのか、わたしにはよく分かりませんでしたが、身に付けていた赤いサングラスが、どうにも恐ろしかったことだけは今でもはっきりと覚えています。
偉いお人だけが身に付けることの許される、白と赤のお洋服に二人は身を包んでいました。その娘であったわたしも、当然のように白い服を来て過ごしました。

フラダリラボの施設内でずっと暮らしていたわたしも、赤いサングラスをかけて然るべきであったのかもしれませんが、
どうにも景色が赤くなってしまうことが恐ろしくて、鏡に映ったわたしの姿が不気味なものに思われて、いつも泣いて嫌がっていました。
わたしがまだ年端もいかない子供の頃のことでしたから、両親もわたしの我が儘を聞き入れてくださって、わたしはサングラスをかけることを「免除」されていたのでした。
……けれど、かけていた方がよかったのかもしれません。目に映る全てが赤であれば、お父様やお母様のかけているサングラスの赤に怯えずに済んだのでしょうから。
数少ない子供達の輪からも「サングラスをかけていない」という理由で、仲間外れにされることもきっとなかったのでしょうから。

そういう訳で、わたしの「友達」は、部屋にある小さなピアノだけでした。白と黒の鍵盤を指で叩けば、ピアノはいつだって明るく応えてくれました。
言語のない音だけの時間を、けれどわたしは心から愛していました。そして何より、このピアノには「赤」がありませんでしたから、わたしはそれだけでとても安心できたのでした。

赤は、恐ろしいものでした。少なくとも、まだ年端もいかない頃のわたしには、皆さんの目を覆うその赤とはとても不気味な、恐ろしい色に思われてしまったのでした。
そういう訳で、わたしは赤いサングラスをかけた人がどうにも苦手でした。つまりわたしは全ての人を平等に恐れていたのでした。
相手の目を見ることができないというだけで不安になるものですが、それを「赤」によって隠されてしまっては、わたしなどはひとたまりもありませんでした。

このフラダリラボという組織で、サングラスをかけていない人は二人しかいませんでした。わたしと、組織の偉い人であるらしい若い男性でした。
けれどその若い長身の男性のことも、わたしは恐れていました。彼はサングラスなどかけずとも、十分に赤い人であったからです。
彼は子供のわたしにも優しく微笑みかけてくださったけれど、その黒と赤のスーツといい、炎のように燃え上がる紅い髪といい、
わたしはどうにも恐ろしくて、彼を見上げることができなくて、いつもお父様を盾にさっと後ろへ逃げてしまっていました。
お父様は焦った様子で彼に頭を下げていましたが、彼は特に気分を害した様子でもなく、わたしの頭を一度だけ撫でて、立ち去ってしまうのでした。

赤を恐れるわたしは、自然と、一人になりました。物心ついた時から、わたしの話し相手といえば、お世話をしてくれる女性と、両親と、ピアノくらいのものでした。
そういう訳で、わたしは皆が話している量の半分もお喋りすることができず、そうした機会に恵まれず、それ故に随分と世間知らずな、頭の悪い子に育ってしまったようでした。

お父様とお母様は「世界」というものをたいそう嫌っていました。
二人は今の「世界」を良くするために働いているのだと、上手くいけばお前を新しい「世界」に出してあげることができるのだと、二人はいつも言っていました。
わたしは外にあるらしい「世界」を知りませんでした。
白い壁、明るい蛍光灯、静かに動き続ける空調、姿がぼんやりと映りさえする平らな床、同じ服を着た人、不思議な形をした沢山の機械、決まりきった食事……。
わたしの故郷はそうしたもので出来ていました。此処でいることがわたしにとって至上の幸福であるのだと、誰もがわたしにそう言いました。

初めて外に出たのは、わたしの覚えている限りでは、10歳の頃でした。

午後6時頃のことでした。両親はケーシィというポケモンの不思議な力を借りて、彼等の嫌っていた「世界」へとわたしを連れて飛び出しました。
どんなに恐ろしいところなのだろう、どんなに醜悪なものが待ち受けているのだろう。わたしは怖がっていました。そして事実、外の暗闇に怯えて、泣き喚いていたのでした。
「夜」というものが本来はこのように、暗くて涼しいものであるのだと、わたしはそれまで全く知らなかったものですから、それくらい、閉じた場所で過ごしていたものですから、
わたしはお母様の胎内から外へと放り出されたばかりの赤子のように、驚愕と混乱の渦の中で泣き続けるほかになかったのでした。

わたしは両親になだめられつつ、なんとかミアレシティの大きなレストランの前まで足を運ぶことができました。
ドアを開けるや否や、店の奥から誰かが「いらっしゃいませ」と告げて歩み寄って来ました。
わたしは「世界」に足を着けてからずっと泣き喚いていて、ようやくその嗚咽も止みかけたところでした。
店内は明るく、先程までの夜の暗さと涼しさを忘れさせるような居心地のいいところで、わたしはようやく顔を上げて、「世界」に生きる人の顔を見上げて、そして、驚きました。
その人は、赤いものを何一つ身に付けていなかったからです。

「どうしてあなたは赤くないの?」

わたしはそれまで「世界」に怯えていたことなどすっかり忘れて、金色の髪を持つその男性を真っ直ぐに見上げて、尋ねました。
彼は驚いたようにその青い目を丸くしていましたが、やがてふわりと緊張の糸をほどくように笑って、わたしの目線に合わせるように膝を折って、音もなく微笑みました。

「お嬢さん、トマトをご存知ですか?」

「知っているわ、丸くて赤いお野菜でしょう?」

「ええ、この店にはトマトにパプリカ、ラディッシュなど、赤い食べ物が沢山あるのです。
彼等の赤はとても鮮やかで美しい。ですから私自身が赤を纏わずとも、私は十分に満たされているのですよ」

このとき分かったのは「トマト」だけで、パプリカも、ラディッシュも、当時のわたしにはピンとこない食べ物でした。
けれど私の前に膝を折ったこの男性がとても嬉しそうに「満たされている」と告げるものですから、その蒼い目が至福の心地に美しく細められていましたから、
わたしはパプリカもラディッシュもきっと素晴らしいものなのだろうと、そう確信して「そうなのね、よかった!」と笑ったのでした。

わたしを含めた三人は、レストランの個室に案内されました。
どうやらそこはとても格式の高いところであったらしく、わたしのような子供向けのお食事というものが用意されていませんでした。
お父様は彼に「この子が食べられそうなものを。アレルギーは特にない」と告げました。
赤くない彼は、大きな椅子に座って足を所在なく揺らしていたわたしに向き直り、「何がお好きですか?」と尋ねたけれど、わたしは答えられずに俯いてしまいました。
目の前に出された食事が好きなものであろうと嫌いなものであろうと、毎日、決まりきった食事を食べるのみであったわたしにとって、
その質問はあまりにも無意味なものであるように思われて、そして事実、わたしには「好き」と呼べるものなど何も思いつかなくて、口を閉ざすほかになかったのでした。
彼は困ったように微笑んで、ではこちらで幾つかご用意させていただきます、と告げて、お部屋を出て行ってしまいました。

しばらくして、両親のところには「コース料理」というものの「前菜」が、わたしのところにはビーンズローフが運ばれてきました。
サイコロのように綺麗な立方体が、白く平らなお皿の上に、積み木のように幾つも積み上げられていました。
カラフルなそのサイコロは、どうにもおもちゃのような可愛らしさがあったのでした。添えられたプチトマトも、まるでルビーのようにキラキラと輝いていました。
料理を運んできてくれたのは先程と同じ男性で、先程と同じように微笑んで「どうぞ」と言ってくださったものだから、
わたしは少し不安になりながらも、わたしの手に合った小さめのフォークを握って、そっとサイコロに突き刺して、口の中に入れました。

「それ」が本当に素晴らしいものであったのかどうか、わたしには答えることができません。
けれど確実に、今まで食べたことのない味がしました。
わたしはただそれだけのことにひどく驚いてしまって、これが「美味しい」というものなのかもしれないと考えてしまって、
サイコロ型のビーンズローフを飲み込むのもそこそこに、彼の方を振り返って「美味しい!」と、はしたなくも大声で口にしたのです。
その時の彼の表情の、なんと眩しかったことでしょう。人というものはこのような優しい笑顔を作ることが叶うのだと、わたしはこの時、本当に初めて知ったのでした。

彼は他にも、ミネストローネという野菜のスープと、それから小さなサンドイッチを作ってくれました。
黄色や赤の鮮やかな具材を一つずつ指差して、これは何?と尋ねれば、間髪入れずに彼は答えてくれました。
いつも一人で食事をしていたわたしはどうにも嬉しくなって、手当たり次第に質問を連ねました。彼はその度に答えてくれるのです。とても、楽しかったことを覚えています。

デザートに出された苺のジェラートはとても可愛らしいピンク色の丸い形をしていて、形を崩すことが躊躇われる程でした。
彼はからかうように笑いながら、どうしました?溶けてしまいますよ、とわたしをそっと急かすので、慌ててスプーンを差し入れました。
既に半分ほど溶けていたため、お皿の上にはジェラートのスープが出来上がりました。
本当はその甘酸っぱいスープを掬って飲みたかったのですが、はしたないと言われそうだったのでぐっと堪えました。

食事を終えたお父様は、彼に不思議な模様の紙を何枚か渡していました。彼はそれを受け取ってから個室を出て行き、その紙を幾つかのコインに変えて戻ってきました。
店を出て、お母様に手を引かれながら、わたしは何度か振り返って、美味しい料理を作ってくれた男性に大きく手を振りました。
店先で見送ってくれていた彼は、笑って手を振り返してくれました。
もう夜もすっかり更けている頃だったのですが、わたしは「世界」の暗さも涼しさもまったく気にならなくなっていました。

わたしが初めて目にした「世界」とはこのように、夜の黒と鮮やかな野菜の赤、そしてあの男性の目に宿った青、そうしたもので出来ていたのです。とても眩しかったのです。
そういう訳でわたしにとっての「世界」というのは、お父様やお母様が嫌っているような、恐ろしく醜悪なものなどでは決してなく、寧ろとても心地よく、優しい場所だったのでした。

あの男性がわたしに料理を作ってくれたのは、本当に偶然のことだったのだと、わたしはずっと後になって、知りました。
あの日はシェフの欠員が重なり人手が足りず、まだ修行中の身であった彼が急きょ、厨房に立つことになっていたのでした。
彼の「練習台」に、幼いわたしはきっと都合がよかったのだと思います。

当時のわたしが「美味しい」「美味しくない」と口にしたところで、そんなものは何の慰めにも戒めにもならなかったことでしょう。
あの時のわたしの言葉には、その程度の価値しかなかった筈です。
それでも、彼は事あるごとに「私の料理を初めて食べてくれたのが貴方でよかった」と、祈るように口にしました。
わたしの料理を作ってくれるのはいつだって彼です。そういう訳で、わたしは彼のせいで、彼の美味しい料理のせいで、ひどい偏食になってしまったのでした。


2017.4.6
(10:20)

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