Empathic painful love

更新:2020.12.4(ゲーム本編5章前編2更新後、中編更新前)
※四章直前の時間軸

<1>

 倒れるなら余所でやればいいものを、この監督生はよりにもよって俺の縄張りでスタミナ切れを起こしやがった。うんざりしながら抱き上げて、予想通りの身の軽さに呆れつつ、涼めそうな木陰へと運んでやる。周囲に人の気配は感じないものの、何処で誰に視線を向けられているか分かったものではないため、敢えて乱暴に見えるように加減して芝生の上へと転がしておいた。
 うつ伏せにさせられたこいつは、尖った草が頬を撫でたのがくすぐったかったのか、暑さに唸りながら笑うという器用な真似をやってのけた。サバナクローの寮服でも息苦しさを覚える熱帯植物の栽培エリアに、こいつは長袖長ズボンの分厚い制服をきっちり着込んだ状態で、一体何十分居座っていたというのか。真面目というのも困りものだ、せめて上着くらい脱ぎ捨ててしまえばよかったのに、こういう時に融通を利かせられないようでは。

 などと心中で悪態付きながら五年生、……ではなく、三年生のレオナ・キングスカラーは芝生の上に臥せった監督生の隣に腰を下ろした。涼しい風の吹く温帯エリアが熱中症を起こした体を冷やしてくれることを期待しつつ、マジカルペンを一振りして鞄の中からタオルとペットボトルを引き寄せておいた。
 ちなみに彼のクラスは現在、魔法史の授業中である。二年の腹心、ラギーに見つかれば「来年、同じクラスになっちゃうかもしれないッスよ」などと、揶揄と共にサボリを咎められることだろう。やれやれと思いながら、レオナはふと、その時隣にこいつがいれば欠席の免罪符になりそうだと気付き、成る程随分といいところで倒れてくれたものだと面白おかしく思い直すことで一人静かに心の安寧を図ったのだった。

 監督生がその腕の中に閉じ込めていた植物は、治癒薬の効能を長持ちさせるために使われるものだ。一年の頃、散々その植物を手に取った覚えがある。だが彼女が抱えているそれは、とても一人で使い切れるような量ではない。お人好しなこいつは、また何処かの雑用を断り切れず、二つ返事で引き受けてきてしまったようだ。予習のために錬金術の教室を借りたいと申し出たら、交換材料として雑用を言いつけられたとか、そんなところだろう。
 魔力というものを持たないこいつが、他の奴等と同じようにできる授業は限られている。飛行術の折、宙に浮かぶクラスメイトを羨ましそうに眺めながら教員の手伝いに回っていたこいつの姿をレオナは覚えていただけに、自分の手で何かを作り出せる余地のある錬金術なら思う存分実習に参加できてさぞかし楽しかろうな、などと考えてしまった。
 その楽しさ余ってこのザマである。このように倒れてしまっても尚、草の先にくすぐられて暢気に笑うことができているこの異分子は、呆れとか無様とかを通り越していっそ憐れだった。そんな王様の同情を誘っているとは露知らず、小さな体がもぞ、と身じろいだ。

「……あ、れ?」
「おい、急に起きるなよ」

 ぱっと目を見開いた監督生は慌てて手を芝生の上へと付けたので、レオナは間髪入れず釘を刺した。にもかかわらず勢いよく上体が起こされたために、こいつは頭を押さえて呻きながら芝生の上へと逆戻りすることとなった。小さな手の隙間、薄く開いてこちらを捉えようとする目はどうにも虚ろでぐるぐるとしている。そら見たことか、と嘲笑してやれるのがレオナ・キングスカラーという男だが、生憎、女性に対しても「そう」できるような無粋な神経は持ち合わせていなかった。
 さて此処で、普通の女性に大してなら、その華奢な背中に腕を差し入れて抱き起こし、水の一本でも甲斐甲斐しく飲ませてやる……というのが、あの国で育ったレオナの模範行為であるはずなのだが、彼には生憎、この監督生に対して素直にそうしたことを行えない理由がある。そう、今年立て続けに起きた、レオナ自身を含むオーバーブロットの件だ。こいつが一筋縄ではいかないことを嫌という程に知ってしまった身、あまり好ましくない姿をこいつに覚えられている身としては、ただ女性であるというだけで親切を働こうという気になれないのもまた事実であった。
 女性であるから無下にできず、監督生であるから親切にもできない。そういう事情からレオナは少しばかり、悩んだ。

「熱中症だ。長袖の制服なんざ着込んで熱帯エリアに居座る奴があるかよ」
「あ、わた、ごめんなさ、レオ……さ、ん?」
「舌回ってねえじゃねえか。ほら飲め、水」

 顔色はそこまで悪くないように見えたが、いつものはきはきとした言葉が出て来ないところを見ると相当熱にやられているらしい。蓋を開けたペットボトルの手渡しで済めばよかったのだが、一人ではまともに起き上がることも叶わない奴にこれで飲めというのも酷な話だろう。「みっともねえザマだな」と嘲笑する代わりに「面倒を掛けやがって」と悪態付いて、監督生を抱き起こすための理由付けとした。これはとても、とても不本意な救助である。そうやって自身にも監督生にも意識付けを行わなければまともに触れることさえできやしなかった。そういう意味では監督生が倒れたりせずとも、レオナの中でこの異分子はとっくに「面倒」を極めていたのだろう。

 二口。咳き込みながらなんとかそれだけ飲んだ彼女の、口に含み切れなかった分の水が滴る顎にタオルを押し当てる。冷たく濡らしておいたそれに頬を預けて彼女は目を細めた。苦痛があるのかそれとも心地いいのか、眉がひそめられたままなのでよく分からない。取り敢えず今できる範囲で涼しくしてやるべきだろうと判断し、左腕で背中を抱き支えたまま、右手を伸ばして制服のブレザーのボタンを外した。

「これも、もう脱いどけ」
「え、……わっ、やめ、やめてください、お願い」
「あぁ?」
「財布……今、なか、なくて」
「カツアゲじゃねえよ、失礼な奴だなお前、後で覚えてろよ」

 この俺が金に困っているように見えるのか、と呆れそうになったのだが、ぼんやりとした意識の中でもそのような言葉が咄嗟に出てくるあたり、こいつはこれまでカツアゲめいた被害に少なからず遭ってきたのかもしれなかった。
 なんだそれはどこの寮だ、などと考えずとも分かる。筆頭は間違いなくレオナの管轄下、サバナクロー寮生だろう。弱肉強食の精神を否定するつもりは更々ないが、こんな奴の財布を絞ったところで雀の涙ほどくらいしか出て来ないだろうに。最低限の品位は保っておけ、弱者をみだりに蹂躙するような真似は許さない、と釘を差しておくべきかもしれない。鬱憤のはけ口にされているのなら尚更、馬鹿なことをするなと諫めるべきところだ。自分がそう口にするだけで、監督生周りの環境は一気によくなるだろう。己が咆え声の影響力を把握しているレオナはそう確信する。確信して、さていつ奴等を集めたものかと実行の算段まで立て始めている。らしくない、と思った。だがまあいいか、とも思った。咆えるくらいのことならしてやってもいいだろう。それがたとえ、この厄介でいけ好かない異分子のためであったとしても。

「……涼しい」
「だろうな」
「ありがとうございます」

 いつもの言葉が少し戻ってきたことに安堵しつつ、安堵した己に心地の悪さを覚えて、レオナは監督生を芝生の上へと戻した。俺は最低限の救助しかしてやるつもりはないと知らしめる意図をもって、努めて乱雑に、けれど衝撃は与えないように。
 彼女はそうしたレオナの行動に傷付く素振りを一切見せなかった。当たり前だ、まともに喋れない程に衰弱していた身で、こちらの不本意さなど推し量れるはずもない。ガキのような意地を張ってしまったことを恥じながらも、そのような恥をこちらに抱かせてきたという被害意識の方が上回ったので、レオナは監督生を睨みつけながら尋ねる羽目になった。

「頭痛はマシか? 吐き気はないのか」
「頭は……まだ痛いけれど、少し楽になりました。タオルが気持ちよくて、うれしい」
「そうかよ」

 彼女はその視線に気付くことなく、体を丸めてタオルの端を胸元へと抱き込んだ。幼い子供がするようなその仕草は、僅か五歳の甥を持つレオナには見覚えのありすぎるもので、手を伸ばしてやるべきだという思いにさせられてしまった。だが未来の王子に差し出すべき腕はあっても、この異分子に差し出してやれる腕はないはずだと言い聞かせて、彼は寸でのところで己が右手を押し留めた。

「迷惑かけてごめんなさい。水も、タオルも、レオナさんのものですよね、後でちゃんと」
「ああもういい。水もタオルも全部やる。いいか、なけなしの金で水なんざ買い直したりするなよ。そいつを律儀に洗濯して返してきたりなんてのも御免だ。甘ったるい花の匂いがする洗剤で洗われたヤツなんざ使えたもんじゃねえ……おい、何笑ってんだ」
「レオナさんが、優しい」
「砂になりてえのか」

 とまあこういった具合に、無下にも親切にもしきれない状態で悩んだ結果、彼がこの少女に為したのは、彼がこれまでどのような相手にも取ったことのない、中途半端でもたついた、じれったいと形容されても致し方ないような扱いでしかなかった。此処に本当にラギーがやって来たならば「レオナさん、それ、恋でもしてるみたいッスよ」などと揶揄してきたのかもしれない。そういう意味でレオナはこの植物園の温室エリアに、自分とこいつの気配しかないことにほとほと安堵したのだった。

「それで?」
「……えっと、ありがとうございます?」
「そうじゃねえ、なんでこんなことになったのかって聞いてんだ」
「ふふ、でもレオナさん、事情なんかもうお察しって顔ですよ? 考えなしに動いて、はしゃいで、挙句みっともなく倒れた私に呆れている。そうでしょう?」

 芝生と頬の間に冷たいタオルを挟み込むようにした彼女は、喉だけで浅く笑いながらそんなことを言った。よし、頭も回るようになってきたみたいだな、と安心しつつ、それだけ元気なら容赦しないぞと、木漏れ日に目を細めた彼女の額をコツンと爪で弾いてやる。

「あれこれ楽しもうとするのは結構だがな、楽しむ前の準備で力尽きてちゃ世話ねぇだろうが」
「そうですね、でもちょっと無理をしたくなったんです。クルーウェル先生が珍しく私に頼み事をしてくれたから、嬉しくて、早く取ってこなきゃって焦ってしまって、体温調節をおそろかにして熱帯エリアを歩き回って、……えっと、このザマです」

 彼女の口から零れ出た「事情」とやらは、果たしてレオナの想定通りの形をしていた。成る程すなわち、異世界にその身ひとつで放り出されたか弱い草食動物は、魔法を使えるというだけの強者共にいいように使われることを是としてしまっているという訳だ。
 自分の「楽しみ」を得るためには周囲に尽くす他にないと思っている。欲しいものを手に入れるだけの口も頭も手も牙も、自分は持ち合わせていないと頑なに信じている。レオナはそうした監督生の振る舞いに、強烈な違和感を覚えずにはいられなかった。この異分子が、誰かに徹底的に尽くすだけの才しか持ち合わせていないようにはどうしても思えなかったのだ。
 だってそうだろう。ただ無力なだけの奴に、三人の寮長のオーバーブロットが鎮められて堪るかよ。

「お前、どうかしてるぜ。ラギーやあのタコ野郎みたいに報酬や等価交換で動いてんならともかく、無償で? 善意で? 身を粉にした献身で? この学園に尽くしてみせますって面で? ……なぁ、そんなの割に合わねぇだろう」
「割に合うかどうかは私の心が決めることです。たまにこうなるくらいの損失なら私はちっとも気にしませんよ」
「たまにねえ。俺の目にはお前がいつも要らねえ苦労を背負わされて……いいやそんな受動的なもんじゃねえな。お前自身が進んで苦労を買いに行っているように見えるぜ」

 彼女は少しの沈黙を置いてから、寝転がったままクスクスと笑い始めた。熱中症の名残でまだ目は虚ろであるが、明らかに喜んでいると思しき笑い方だ。レオナが嫌な予感を覚えるのと、その小さな口がめでたい言葉を紡ぐのとがほぼ同時だった。

「……気付きませんでした。レオナさん、そんなに私のことを見てくれていたんですね」
「馬鹿言え。お前如きのことなんざちょっと見るだけで分かる」
「ふふ、ちょっとでしたか。じゃあもう少しだけ見てくれませんか? そうしたら誤解も解けるかもしれないから」
「俺の目に狂いがあるとでも言いたげだな」

 にっと細められた目が無言のうちに肯定を示していて、レオナは苛立つ。眼差しこそ柔らかいものであったが、要するにこいつの言わんとしているのは「貴方は私のことを何も分かっていない」ということではないか。
 不遜極まりない反論である。相手がこいつでなければ苛立ちに任せて爪でも牙でもちらつかせていたところだ。だが目の前にいるのは、丁重に扱うべき女性である。親切にしてやることに抵抗を覚える程度にはいけ好かない奴でもある。だからレオナは牙と爪を仕舞い、こいつと同程度の生物になり下がったフリをして、言葉による攻防のみで受けて立とうとしている。そうしてやってもいいと思える程度には、レオナはこれまでも彼女のことを見ていたはずだ。たとえその視線が導いた結論を「的外れ」だと糾弾されようとも、彼女を見ていた分の時間が無に帰す訳ではない。

「私、レオナさんが思ってくれている程、憐れな立場じゃないつもりですよ」
「成る程な、望んで苦労を買っていやがるって訳か」
「ええ。この、怖いところも楽しいところも沢山ある不思議な世界で、ちょっと苦労してみたいなと思えるくらいには、私、この学園での生活や知り合えた皆さんのこと、好きなんです。だから」
「どうせすぐ帰っちまうのにか?」

 そう、時間は無に帰さない。レオナでさえ、時は砂に変えられない。特に思い出の付随する時間はいつまでも残るものだ。そして二度とは戻ってこないものだ。こいつと柔らかい口論に興じている、今この瞬間だって。

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