※エピソードデルタクリア後。ネタバレ注意。
「このまま二人で遠くに行きたいですね」
少女は朗らかにそう言った。マツブサは彼女の心中を汲み取れずに困惑する。
困惑してから、今更か、と思い直して苦笑する。
この少女の「よくわからない」という初期の印象は、長い時間が経過した今でも変わらず続いていた。
強すぎるポケモン達を従え、常に笑顔を絶やさず、どんな脅威にも怯むことなく立ち向かうその様に、マツブサはある種の畏れを抱いていたのだ。
それは理解できないものに狂気を見出す過程に少しだけ似ている、と思う。
この少女が「狂っている」とはとても思えなかったが、ある程度の常識を持ち合わせている自分でも「全く理解できない」ことがあるのだと、マツブサはこの年になって実感した。
そして、これが一番理解できないことではあるのだが、この不可解な少女は、何故か、自分を慕い過ぎている。
「ねえ、マツブサさん。海に行きましょうよ。折角、海の近くにアジトがあるのに、皆さん、こんな暗い部屋に閉じこもってばかりじゃないですか」
「……キミはかつて我々が抱いていた思想を忘れたのか?」
「あれ?海、嫌いでしたか?初耳です」
そうではない。我々は人類の発展のために、我々の進化のフィールドとなる大地を増やそうとしていたのだ。
それをこの少女も解っている筈だった。そして、そんな我々の理想に抗う為に、強いポケモン達を従えて我々と対峙した筈だった。
しかし彼女はそんな対立の過去など忘れてしまったかのように朗らかに微笑む。その笑顔はあまりにも眩しく、マツブサを盲目にする恐れのあるものだった。
新生したマグマ団は、新たな活動のために、毎日忙しく働いていた。
そのトップに立つマツブサ、そしてホムラやカガリの負担たるやかなりのもので、その多忙はグラードン復活の為に奔走していた頃のそれをはるかに上回っていた。
休憩は必要だが、あまり余裕のある状況ではない。にもかかわらず、マツブサはこの少女の訪問を受け入れてしまった。
『トキちゃんの来訪ならばいつでも歓迎しよう。』
何故、あんなことを言ってしまったのだろう。
マツブサはその答えに未だ辿り着けずにいたのだ。
「ホムラさんとカガリさん、今日は居ないんですね」
「今回の件の後処理に向かっているのだ。天気研究所や、デボンコーポレーションを回っている。私ももう直ぐ、カイナの造船所に向かう」
その言葉を聞いた少女は、ぱっと顔に花を咲かせた。
スキップするように駆け寄って、マツブサの手を取る。まだ幼さの残るその指はマツブサのものよりも少しだけ温かい。
「それじゃあ、一緒に行きませんか?」
「……キミと?」
「お仕事ついでに、私とデートしてください」
断る理由は、ない。
マツブサは暫しの思案の後に頷く。彼女は本当に嬉しそうに笑ってみせた。
この少女が笑みを絶やしたことはなかった。特に時折見せる、弾けるような笑顔は、何処か不思議な引力を持っていたのだ。
「いいだろう。少しソファにかけて待っていなさい。直ぐに支度をする」
「わーい!ありがとうございます!」
マツブサはその場を立ち去る折に、一瞬だけ振り向いた。
案の定、少女はソファにかけることをせず、こちらをじっと見つめていたので「座っていなさいと言った筈だが」と返せば、肩を竦めて困ったように笑った。
「ごめんなさい、緊張しすぎて身体が動かないんです」
面白い冗談だ、とマツブサは思い、僅かに微笑む。
すると少女は目を見開いて沈黙した。
しかしそれは一瞬で、「ほら、早く行きましょう」といつものように朗らかな笑顔でマツブサを急かした。
*
「マツブサさんとこうして町を歩けるなんて、夢みたい」
少女はマツブサの半歩先を歩きながらそう紡ぐ。潮風が彼女の髪をふわふわと撫でていく。鼻歌でも歌い出しそうだと思っていると、本当に彼女の口から小さな歌が紡がれ始めた。
「そんなに楽しいのかね」
「はい、とっても!」
この少女にとって、自分と町を歩くということは、鼻歌を歌いだす程に楽しいことなのだろうか。夢みたい、と呟く程に嬉しいことなのだろうか。
それは子供ならではの無垢なときめきによるものだとマツブサは解釈していた。しかしこの自分にそんな「ときめき」を見出したという、その事実がどうしてもおかしい。
何処に、そんな要素があったというのだろうか。
「キミは、」
「……?」
「……いや、なんでもないよ」
マツブサは思わず尋ねそうになって、止めた。
何故ならそう尋ねれば、彼女はその目を輝かせてマツブサのことを羅列するに決まっているからだ。
「だってマツブサさんですよ、素敵じゃない訳ないじゃないですか!」と、マツブサには訳の分からない、おそらく彼女にしか解らない独自の理論をまくし立てる筈だからだ。
「聞いていてくださいね、一から説明します」などと、嬉々として紡ぐ少女の姿を、マツブサは容易に想像できたからだ。
それを予測するだけで十分だった。
彼女は相変わらず不可解だが、マツブサに向けられるそれはとても単純で、真っ直ぐなものだったのだ。そして、マツブサはそれを確信できた。
つまりはそうした距離に二人は居たのだろう。
「マツブサさん、マツブサさん」
「なんだね」
「私の名前を呼んでください」
そしてマツブサは少しだけ躊躇う。少女はマツブサを縋るように見上げる。
小さく溜め息を吐いてから、マツブサは彼女の頭を軽く叩いた。
「どうしたのだ、藪から棒に。唐突にそんなことを言うものじゃないよ」
「あーあ、残念。じゃあ、気が向いたらまた、呼んでくださいね」
「残念」と口にはしたが、彼女の笑みは一向に崩れる様子を見せない。
ほんの一瞬でも不満気な表情が覗くかと思っていたが、どうやら彼女の笑顔はそんなものでは消え去らないらしい。
それがおかしくてマツブサは笑った。笑顔の崩れない彼女にではなく、笑顔が崩れることを期待した自分がおかしくて笑った。
ああ、おかしい。彼女のことも不可解だったが、マツブサは彼女と居る自身のことも同様に不可解だった。
この笑顔には、引力がある。
だからなのだろう。それに引き寄せられるように何もかもを承諾してしまうのは。その笑顔に共鳴するように微笑んでしまうのは。
「では行こうか、トキちゃん」
彼女は驚きに目を見開く。
ああ、そういうことだったのか。マツブサはようやく納得する。
自分があの時、彼女の名前を呼んだ理由が、ようやく判明したのだ。
マツブサはとっくに、この引力に抗うことを諦めていたのだ。
唖然とした表情で立ち尽くす少女の手をそっと取り、歩き出す。
力無く握られているだけだった彼女の温かい手は、暫くして驚く程に強い力で握り返された。
クスクスと笑う少女の声が聞こえる。マツブサも僅かに笑ってみせた。これはきっと引力なのだろう。
彼女の名前を呼んだのも、その温かい手を取ったのも、その笑みに共鳴するように微笑んだのも、きっと、全て。
2014.11.29