エンドロール

カルムは愕然とした。久し振りに出会った知り合いの指に、信じられないものを見たからだ。
白い肌にシルバーのリングが嵌められている。ただでさえ指輪は目立つのに、よりにもよって左手の薬指だ。
そんなところにリングを嵌める意味を、この少女は理解しているのだろうか。
ただ言えるのは、目の前の引っ込み思案で目立たないことを美徳とするこの知り合いが、こんなものを自分で買う筈がないということである。
つまりはおのずと結論が出てしまう訳で。

「驚いたな。お隣さんにそんな相手が居たなんて」

「……」

「年上?まさか同い年の男がそんなものを渡したりしないよね」

尋ねてからカルムはしまったと思った。この少女は、自分に対して極度の怯えを見せていたのだ。自分は彼女に恐れられているのだと失念していた。
今も投げかけた質問に、怯えたように身体を硬直させて黙ったままだ。カルムは困り果てて溜め息を吐いた。

この少女との会話はいつもそうだった。こちらは普通に話している筈なのだが、彼女はいつだって自分に口を開かない。
聞かれても最小限のことしか答えず、用が済むと足早にその場を去った。
最初こそ人見知りの類だろうと思って気にしてはいなかったのだが、何度バトルを重ねても、何度旅先で出会っても、彼女の姿勢は変わらなかった。
ティエルノやトロバにもそのような態度を取ってはいたが、自分へのそれは度を越しているとカルムは確信していた。
つまり自分はこの少女に嫌われていると、そう断言するに十分な理由が揃っていたのだ。

「……君でも恋愛が出来たんだね。オレやティエルノ達とはまともに話も出来ない癖に」

思わず吐き出したそんな言葉に、少女は泣き出しそうな顔をする筈だった。
消え入るような声で「ごめんなさい」と言い、慌てて立ち上がり、このカフェを飛び出していく筈だった。
そうすることで、カルムの無意識の内になされた腹いせが完了する筈であった。
しかし驚くべきことに、少女は言葉を紡がない。彼女の十八番である筈の謝罪が聞こえて来ないのだ。
思わず彼女の顔を見たカルムは沈黙した。彼女は泣きそうな顔をしてはいなかったからだ。
そして彼女は謝罪でも拒否でもなく、初めて自分から言葉を投げたのだ。

「どうしてそんなことを言うんですか?」

その一言はカルムに強烈な打撃を与えた。
確かこの少女と自分とは同い年だった筈だ。それなのにそんな改まったような敬語を使われる意味が解らなくて、しかしそれ程までに二人の隔絶は深かったのだと思い知る。
何処で間違ったというのだろう。自分の何がいけなかったのだろう。
絶望は犯人を求めて彷徨う。少女のせいなのか、自分のせいなのか、それとも他の知らない第三者の力が働いたのか。
ただカルムに解るのは、もう戻れないところまで来てしまっているということだ。それは始まってすらいなかったのだけれど。それをたった今知ってしまったのだけれど。

「……」

少女は自分を避けていた。自分を極度に恐れていた。
しかしそれは、少女の持っていた元来の引っ込み思案な性格によるものだと信じていたかったのだ。
重ねていく時間の中で、いつか自分が彼女のそうしたどうしようもない面を変えられると信じていたのだ。
それを可能にするだけの距離の近さを、自分は彼女と保っていると確信していたのだ。
しかしそれらは何と軽はずみな思い上がりであったことだろう。

「ねえ、オレの何が怖いの?」

苛立ったカルムはそう尋ねていた。
オレの何が気に入らないんだ。どうしてオレが避けられなければならないんだ。
カルムの中で、この内気な少女を犯人に仕立て上げるための準備が整い始めていた。事実として、先程少女が投げてしまった言葉はその準備に拍車を掛けた。
カルムは少女を憎み始めていた。それはカルムが少女を手に入れられなかったからである。

「オレ、言ったよね。怖がらなくていいって」

「……」

「ずっと、今もオレが怖い?そんな敬語を使わなければいけない程に?」

カルムは思い上がっていたのだ。それは子供の特権であった。
自分の影響力は少女の核心に及ぶと信じていたのだ。人は人によって変えられるものだと信じていたのだ。だって人は一人では生きてはいけないから。
そう信じていたカルムは忘れていたのだ。この無口で臆病な少女にも人格があることを。
この少女にもカルムと同じように尊厳があり、無口で臆病であるというそうしたマイナスの人格でも尊重されるべき価値を持つのだということを。
少女の世界は少女を中心に回っているのであって、いくら彼女が臆病だからといって、その核心を第三者に明け渡すようなことがあってはならないということを。
しかし、そのような残酷で優しい真実を知るには、カルムはあまりにも若すぎたのだ。

「はい」

凛とした声で紡がれたそれを、カルムは遠いところで鳴るベルのようにただ茫然と聞いていた
それはいつもの返事でありながら、全く異なるものであった。いつもならそうした返事は消え入るような声で紡がれ、すぐ後に謝罪の言葉が続く筈であるからだ。
しかし少女がこの時続けたのは謝罪ではなかった。彼女は再び言葉を投げたのだ。

「でも、カルム君のせいじゃない」

「……」

「私が悪いんです。ごめんなさい」

いつもの謝罪ですら、全く違う色を持って彼に突き刺さった。
もう少女は逃げ出さない。声は尻すぼみにならない。代わりに深いグレーの目でしっかりとカルムを見据えていた。
その姿勢に、皮肉にもカルムの方が逃げ出したい衝動に駆られた。

少女の口から自分への謝罪を聞いたことで、これでようやく晴れてこの少女を犯人に仕立て上げられる筈だった。
カルムがこんなにも苛立っているのは他でもない少女のせいで、故にこの場から早々に立ち去ることが、
自分を恐れる少女のためにも、その少女に害を被った自分のためにもプラスになる筈だった。
それなのに、足はアスファルトに張り付いたまま動いてはくれなかった。
何故ならカルムの失ったものがあまりにも大きすぎたからだ。

カルムは八方美人ではない。誰に避けられようが恐れられようが構わないのだ。
故にこの少女が自分を恐れていると気付いた段階で、この少女と距離を置くことが、メガシンカを使いこなすことを旅の目的とする彼の最善の道であった筈だ。
しかしそうしなかったのは、そこに彼の主観が入っていたからだ。理屈や効率では推し量ることの出来ない引力がそこに存在したからだ。
つまるところ、彼はこの少女を、新しいチャンピオンにまでなった少女を、それでいて酷く臆病で引っ込み思案な少女を。

『やー、シェリー!メールありがとう。今はミアレに居るのかい?』

ぐるぐると思考を巡らせていたカルムは、向かいに座っている少女の鞄から電子音が鳴ったことも、少女がホロキャスターを取り出したことにも気付かなかった。
そこに映ったのは、カルムもよく知っている人間だった。しかし驚くべきはそこではなかった。
プラターヌ博士のホログラムに、少女が今まで見たことのないような表情を浮かべたのだ。

『また遊びにおいでよ。デクシオやジーナも楽しみにしているよ。勿論、ボクもね。』

それじゃあ、と切られたホロキャスターを鞄に仕舞い、少女は立ち上がった。
もう行くの、と引き留めることもできたのかもしれない。プラターヌ博士なの、と問い詰めて、その反応を見てもよかったのかもしれない。
しかしいずれにせよ、もう全てが手遅れだったのだ。彼のホログラムが消えた今、もう少女は笑わない。その笑顔は自分には向けられない。

少女は立ち上がり、財布から自分の分のコーヒー代を出してテーブルに置いた。
要らないと言うことすら出来ずに、カルムは深々とお辞儀をする少女を茫然と見ていた。
少女は踵を返して歩き出す。長い髪がふわふわと揺れている。
一つしかないものは分け合えないと言ったあの人の言葉を、カルムはようやく理解するに至ったのだ。

2014.2.13
当サイトにおけるカルム君不遇率の何と高いこと。

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