※ED後、もしかしたら「土壁は溶ける」の続きかもしれない
リリィタウンの島キングであるハラの自宅には、多くの人が集まっていた。
研究所の博士、各地のキャプテンと島キング、ポケモンリーグ四天王……。あまりにも豪華な面々は、しかしただ一人のために喜んで時間を割き、此処にいた。
今夜の主役は、アローラリーグの初代チャンピオンだ。彼女が、あの子供が、今日で12歳になったのだ。
アローラの住人はその事実を、彼女ではなく彼女の母親から聞き知るに至ったらしい。
ハウの母親からハウへ、ハウから島キングであるハラへ、そして隣町でキャプテンをしているイリマへ……といった具合に、その情報はあっという間に広まった。
祝い事をしよう、という提案はおのずと彼等の口から出てきたのだが、どうやら初めはメレメレ島の住人だけで祝うつもりだったらしい。
しかしイリマが「マオさんたちも誘っていいですか?」と口にして、それに乗じるようにハラも「ではライチやクチナシにも声を掛けておきましょう」と笑い、
そうした調子でそれぞれの島のキャプテン、島キング、四天王……といった具合に、今日という日の意味するところはアローラ全土に知れ渡ることとなっていた。
勿論、その知らせはエーテルパラダイスにいるグラジオの耳にも入った。彼を誘ってくれたハウに快く参加の意を示しながら、しかし彼はふと、思ったのだ。
きっとあいつは、あいつ等が企画した誕生日パーティを喜んだりしないだろう。
……勿論、アローラの住人は本気で彼女を祝いたかったのだろう。彼女はアローラの人気者だ。グラジオの目にはそう見えていた。
UBの脅威からアローラを守り、ポケモンリーグの初代チャンピオンになり、ロイヤルバトルでも活躍する小さな女の子の姿は、誰よりも目立っており、誰よりも輝いていた。
彼等が彼女を、アローラに輝く宝石を、祝いたくない理由など何処にも存在しなかった。
故にこの人数が集まったのも、皆が至極楽しそうに彼女の特別な日を祝っているのも、当然のことであった。
グラジオにはそれが解っている。この祝いの席は設けられるべくして設けられたのだということが、彼にはとてもよく解っている。
けれど、彼の隣で小さくなって、困ったように笑いながら料理に殆ど手を付けようとしない彼女には、そこのところがよく、解っていないらしい。
不安そうに首を傾げて愛想笑いを絶やさない彼女は、きっとこう思っていることだろう。
「どうして皆、そんなに笑っているの?」
「好きでもない人の誕生日をお祝いすることの、一体何がそんなに楽しいの?」
……そうした歪な思考を読むことができる程度には、グラジオはこの子供のことをよく見ていた。
グラジオよりもずっと強い少女の、グラジオよりずっと脆い部分を、彼はずっと見てきたのだ。
そんな彼は、ふうと彼女に聞こえるように溜め息を吐いてみせる。
この賑やかな場において「楽しめていない」のは、何も彼女に限ったことではないのだという風に、見せしめるように深く大きく吐く。
そうすれば彼女は弾かれたように隣を見て、ふわりと安心したように笑う。それが解っているから、グラジオは楽しんでいない振りをする。
この少女を安心させるには、善意ではなく悪意の方がいいいのだと、そうしたことを解っているから、彼は少女を睨み付ける。ほら、彼女は嬉しそうにクスクスと笑う。
グラジオはいよいよ不機嫌そうに眉をひそめつつ、その実この上なく安堵している。よかった、笑ってくれた、これはきっと心からの笑顔だ、などと思ってしまう。
いつものようにヘラヘラと笑っていればいいのにと思う。楽しむべきときに楽しめないなんて、難儀なことだと思う。
12歳になったばかりの彼女の、零れ落ちそうな程に大きな瞳は、けれど11歳だった頃と何も変わっていない。怯えた目だ。悪意に喜び善意を恐れる煤色の目だ。
そしてグラジオはその煤色を見る度に、喉の奥に氷の塊を押し込まれたかのような、得も言われぬ息苦しさに襲われるのだった。
その目をするべきは、お前ではない筈なのに。
「お料理、まだまだあるからいっぱい食べてね!」
キッチンから、エプロン姿のマオとライチが姿を現し、鮮やかな料理の盛られた大皿をテーブルの真ん中に豪快に置く。
代わりに空になった皿をひょいと取り上げ、くるりと踵を返して去っていく。
ライチは去り際、ミヅキの肩を抱くようにしてぐいと顔を寄せ、楽しんでいるかい?と尋ねて見せる。
ミヅキはぱっと笑顔になって、勿論ですよと、どれもとっても美味しいですと、呪いの言葉を吐いてみせる。
彼女の惨たらしい処世術は、11歳の頃から既に完成されていた。完璧な笑顔であり、完璧な博愛であった。
その「勿論ですよ」が「楽しくなんかありません」に変わる日は、果たして訪れるのだろうか。
「どれもとっても美味しいですよ」が「私の食べられないものばかり持って来ないでください」に化ける瞬間は、果たしてこの少女のものになることが叶うのだろうか。
料理は絶えることなく運ばれ続けている。笑顔は絶えることなく溢れ続けている。アローラの若者はとにかく、よく食べ、よく笑い、よく動くのだ。
かくいうグラジオもその「アローラの若者」の一人であり、その細身に似合わず大量の料理を次々と口に運んでいく様を、隣に座っている「主役」は驚いたように見ている。
寄越せ、というようにそちらへと片手をくいと伸ばせば、少女は益々驚いたようにその煤色の目を見開く。グラジオはからかうように、呆れたように、許すように、小さく笑う。
彼女の前に置かれたマラサダ、それを指先で示しつつ、「どうせそれも食べられないんだろう?」と確認を取る。
彼女は嬉々として両手でそれを掴み、まるで自らの宝物を託すかのように、グラジオの白い手の中にそれを落とす。
「悪いな」と小さく笑って、グラジオはマラサダへとかぶりつく。彼にとっては甘すぎるそれは、殊更に彼の好物であるという訳では決してなかった。けれど、構わなかった。
グラジオは大食いである。少なくとも彼女の前ではそういうことにしている。そうしていた方が彼女は安心するからだ。
彼女の前に、彼女が食べることのできないものがいつまでも置かれたままになることのないように、彼は「そこ」にいるのであった。
彼女の「食べられない」「アローラの料理は私に馴染まない」という、笑顔と博愛を信条とする彼女にとって致命的となり得る「瑕疵」を隠すために、
隣で二人分を平らげて、彼女の笑顔と博愛をより強固なものにして、そうして彼女が僅かばかりでも安心できる、そのほっとした溜め息のためにそこへと在るのだった。
「グラジオは本当にマラサダが好きだね」
「ああ、オレはアローラの人間だからな。お前とは違うんだ」
カントーから引っ越してきたこの少女と、アローラで育ったグラジオが「異なっている」ところなど、きっと殆どないのだろう。
故郷が違えども、性別が違えども、輝いていようとそうでなかろうと、少女もグラジオも子供であり、少女もグラジオもそこそこ優秀なポケモントレーナーである。
そんな二人は少しずつ性根が曲がっていて、その歪みが彼等を生き辛くしている。
彼女だって嘘吐きだ。その笑顔と博愛など嘘っぱちだ。ならばそうした彼女に似たグラジオだって、嘘を吐いて然るべきだ。嘘を吐いたって、それを武器としたって、いい筈だ。
だから彼はマラサダが殊更好きでなくとも、好物であると口にする。彼女に自分と似たものを感じているにもかかわらず、お前とは違う、などという物言いをする。
そういうものなのだ。これくらいでいい。お前の神聖な嘘がお前を守っているのなら、オレはオレの邪悪な嘘でお前の在り方を守ってみせる。
「ほら、お前はこれでも食っておけ」
そう告げてグラジオは、自らのポケモンのために取っておいた筈のポケマメを大量に鞄から取り出して、空になった少女の皿にどかどかと振らせる。
そうすれば彼女は驚いたように息を飲んで、沈黙する。皿に落とされた大きな目には、カラフルなポケマメの色が少しずつ映り込んでいる。
恐る恐るといった風に顔を上げた少女が、次に何という言葉を紡ぐのか、グラジオにはある程度、読めてしまう。
「どうして私がポケマメを好きだって、覚えていてくれたの?」
けれどもグラジオは思わず噴き出した。それはたった今、彼が「ある程度読める」として脳内に思い浮かべた彼女の音と、一言一句違わないものであったからだ。
ほら、こういうところのある少女なのだ。誰にでも博愛を振り撒く癖に、その愛とやらが自らの方向へ、同じだけの質量を持って返ってくることなど、まるで想定できていないのだ。
難儀なことだと思う。生き辛いことだと思う。それでいい、構わない。
少なくともお前が「簡易で」「生き易い」少女であったなら、オレはお前の隣になんか座らない。座る必要がない。
「さあな、自分で考えてみろよ。お前はもう12歳だろう?」
何故グラジオが少女のことを「覚えている」のか、何故彼女の好みを「忘れていない」のか、少女にも、思い至ることができるようになればいい、と思う。
けれども同時に、お前がそうしたことの一切に思い至らないままでも一向に構わない、とも思える。
笑顔と博愛を手放せずとも、いつまでも歪んだままでいようとも、構わない。善意を恐れ悪意を喜ぶ彼女のままでも、アローラに馴染めないままでも、構わない。
けれども、そんな強情な彼女が少しでも「変わりたい」という意思を見せたなら、私も君みたいになれるかな、などと少しでも希望をその目に映したなら、
グラジオは容赦なくその細腕で彼女の手を掴み、どこまでもどこまでも引っ張り上げるつもりだった。
途中で彼女が嫌がっても、やっぱり無理だよと泣き叫んでも、容赦しないつもりだった。
彼が彼女に此処にいてほしいのだから、カントーに帰ってほしくないのだから、当然のことだった。
「駄目だよグラジオ、そんなこと私に考えさせないで。私は馬鹿だから、そんな風に言われたら本当に嬉しくなっちゃうよ。
まるで君が私のことを好きでいてくれているみたいだって、そんな勘違いをしそうになっちゃうよ」
「いいんじゃないか、それで」
そうしたエゴの混じった情熱は、彼の胸の奥でずっと燻り続けていた。爆発するときを、彼女の手をぐいと掴んで引っ張れるときを、今か今かと待っているのだ。
だからグラジオは此処にいる。彼女の「変わりたい」を見逃さないために、彼女の変化を誰よりも先に見つけるために、彼女が逃げ出すより先にその手を掴めるように、此処にいる。
「残念だったな、ミヅキ。アローラの陽気な連中は皆、お前のことが大好きなんだよ」
彼女は手酷く傷付いたような、今にも泣き出しそうな顔で、顔をぽっとハイビスカスのよううに赤く染めて、摘まみ上げた一粒のポケマメを、皿の上にぽとりと落とす。
誕生日おめでとう、としたり顔でささやけば、本当に目に涙を溜め始めたので、やりすぎたかと少しばかり反省しつつ笑った。
彼も彼女も子供であったのだから、そうやって、力加減を誤るくらいがきっと丁度良いのだ。
2017.7.29
優風光さん、たいへん遅くなりましたがハッピーバースデー!
→ 嘘の息は甘い