常盤色の焦がす指

※ちょっとだけ惨い描写と歪んだ心理描写があります。ご注意ください。

夕方の海は赤い。東の空は暗い。だからガラガラは夕方、東の空に向けて緑の炎を掲げて踊る。
赤や青の炎を見たことはあったけれど、緑色を見たのはこれが初めてだったから、私は随分と驚いてしまった。
こんなにも綺麗な、宝石のような色をした炎があるなんて、私は今まで知らなかったのだ。この、綺麗な綺麗なアローラは、私の知らないことを数え切れない程に教えてくれる。

けれどアローラの土地は、その炎が美しいものであることは教えてくれても、それが変わらず「炎」であることは教えてくれない。
この美しい炎が危険なものである筈がない。きっとこの緑は、そよ風のような心地よい温もりを持っている。
そんな危険な心地を、しかしアローラの美しい世界は邪魔しない。誰も「間違っている」とは言わない。だから思わず炎に手を伸べた。右手をガラガラの炎の中へと差し入れた。

「何をしているんです!」

痛い、と思った。あまりの痛さにじわりと涙が滲むのが解った。
けれどその痛さは、炎に私の手が焼かれる痛みであったのだろうか。このヒリヒリとした痛みは、本当にこの緑の炎がもたらしたものだったのだろうか。
隣から勢いよく伸びてきた大きな手が、私の腕を手折りそうな程の力で握っていた。ぐい、と引き込んで、射るような目で私を睨み下ろした。

これは「その」痛みではなかろうか。貴方のせいではなかろうか。
私の手を折らんとするかのような、強すぎる力で貴方が私の腕を掴むから、私の浮ついた気持ちを焼き焦がすかのような鋭い目で貴方が私を射抜くから、
……だから、私は痛い思いをしているのではかったか。

「……君がこんなにもおかしな人だとは思わなかった」

「ごめんなさい。でも、これは本当にいけないことだったんですか?ガラガラの炎はこんなにも綺麗なのに?」

涙に滲んだ目はひどくみっともない様相を呈しているのだろう。それでも私は臆することなく彼を見上げた。
水を湛えた目で真っ直ぐにその目を見れば、何もかもを焼き焦がす程に赤々と燃える彼の瞳も、熱さを忘れるのではないかと思ったのだ。

彼は狼狽えるように視線を右へ左へと彷徨わせた。今まで炎の中に手を差し入れた人間に出会ったことがないような、そうした、過ぎた驚愕の表情であった。
私が、初めてなのかしら。それもまたおかしな話だと思った。こんなにも綺麗なのに、どうして皆は触れたくならないのかしらと、当然のようにそう思っていたのだ。

アローラの美しすぎる自然、アローラに棲む珍しいポケモン、アローラで暮らしている宝石のようにキラキラとした人間。
そうしたもの全てが私を感動させ、そして少しばかり困らせる。
カントーで生きてきた私にとって馴染みのないものばかりだから、海の向こうに広がっていたこの地は、私にとってまるで「異世界」であったから、私はまだ馴染めずにいる。
だからこの炎はその美しさにあるまじき熱で私の手を拒むのだ。私はまだ余所者なのだ。火傷よりも、この人に腕を掴まれたことよりも、その事実が何よりも痛かった。

「……君がオレのガラガラを綺麗だと言ってくれることはとても嬉しい。
ですが君はもう11歳なのだから、勇気と無謀の区別くらいはつくようにしていなければいけません。人は炎に触れられない、覚えておきなさい」

「でも、貴方は触れられるんでしょう?」

彼は眉をひそめて、訝しむように、呆れたように息を吐いた。
彼の肩から力がふわりと抜けたように見えたのに、私の腕を掴む腕の力は、弱くなるどころか益々強くなり始めていた。逃すまいと繋ぎ止めているいるかのようだった。
変なの、私を引き留める必要など何処にもないのに。この手を逃れてするりと何処かへ消えていったとして、そんなこと、貴方には何の関係もないことである筈なのに。
宝石は、路傍の小石に視線を向けたりしない筈なのに。

「そんな筈がない。オレだってただの人間だ、火傷だってします」

「本当に?」

縋るように、責めるように問い詰めた。アローラの人は皆、とても綺麗だけれど、とても意地悪だ。
自分達の、綺麗で在る秘訣を、そう容易く「余所者」である私に教えたりしないのだ。
この炎に優しく触れる術は必ずある筈なのに、彼等はそうして美しい何もかもに迎え入れられている筈なのに、私は、拒まれてしまう。私はこの炎に触れられない。

「アローラの人は皆、とても綺麗だから、貴方達はこういうものに触れて生きているんでしょう?私がこの炎に触れて火傷をするのは、私が綺麗じゃないからなんでしょう?」

いよいよ困ったように顔を陰らせる彼を見て私は笑った。
次に彼がどのような言葉を紡ごうが知ったことではなかった。私はどう足掻いてもこの炎に触れられないのだから、同じことなのだ。
言葉で人は美しくなんかなれない。私は、貴方の言葉よりもずっと、もっと、あの緑色をした炎が欲しい。

すると不思議なことが起こった。彼は私の手をぐいと引っ張って、山を下り始めたのだ。
「どうしたんですか?」「ねえ、カキさん」「離してください」と、どれだけ彼を咎める言葉を紡いだところで、彼は何も答えなかった。足が止まることもなかった。
怒っているのだろうか、と思う。馬鹿な私に言葉を連ねるだけ無駄だと判断されたのだろうか、とも思う。
どちらでもいい、彼は正しい。

私が髪を金色に染めても、緑色のコンタクトレンズを嵌めても、宝石のようにはなれなかった。どんなに饒舌に言葉を紡いでも、可憐な存在のたった一言には遠く及ばなかった。
きっとそれが真理なのだ。私はあの炎に触れられない。けれどきっとあの子なら触れることができるのだろう。そういうことなのだろう。
そこまで考えて私は口を閉ざして目を伏せた。ヴェラ火山公園の山道は険しく、気を抜けば転んでしまいそうだった。ひどく虚しかった。

ヴェラ火山を下りたカキさんは、ゲート前にいたスタッフさんに救急箱を借りてその場に座り、射るような炎の目で私を手招きした。
すとん、と膝を折って赤茶色の地面に座り込む。尖った砂利が少しばかり痛かったけれど、そんなこと、もうどうだってよかった。
彼は手早く私の火傷の処置を済ませた。やや大げさにくるくると巻かれた包帯の白は、火山の濃い色に染まることなく、陽の光を反射してシルクのように光っていた。

「……アローラの島巡りは、苦しいものだっただろうか?」

彼はぽつりとそんなことを訪ねたので、私は焦ったように「そんなことありません!」と声を張り上げた。
虚勢と取られても構わなかった。ここで「辛い」などと吐き出してしまうよりずっとよかった。優しい情けをかけられるよりも、強情な子だと思われたかった。
私はまだ、自分が宝石でないことを認めたくない。

「とても楽しい。アローラの自然もポケモンも人も、とても綺麗でキラキラしていて、眩しい」

だから私がそこにいないことがとても怖い。
そう、付け足すことは恐ろしくてできなかった。そのような弱音が許されるような距離にこの人はいない。この人だって同様に宝石なのだから、触れようがない。

「申し訳ないのですが、オレにはどうにも君の心理が理解できそうにありません」

本当に申し訳なさそうに眉を下げられてしまったので、私は逆に狼狽えてしまった。
宝石が、路傍の小石の心を推し量れる筈がない。そんなことはよくよく解っているから、今更貴方が謝るようなことではないのだ。解りきったことなのだ。

「ただ、綺麗なもの、神秘的なものに触れていたいとする気持ちだけはとてもよく解ります。オレもポケモンの神秘に焦がれて、キャプテンをしている身ですから」

まるで私のようなことを告げるものだから、いよいよ驚いて目を見開いてしまった。
私の、緑色でも赤色でもない、灰を映したような淀んだ目の中にはきっとこの宝石のような人が映っている。
今だけは貴方のキラキラとした輝きが私の目の中にある。そう思うだけでにわかに満たされた心地がした。

彼は余った包帯を小箱に仕舞い、火傷をしていない方の私の手にそっと握らせた。
この人の手は想像に違わぬ温かさをしていた。そう、あの緑色の炎はこれくらいの温度だと思っていたのだ。
もしかしたらたった今、私は、この宝石のような男性を介してあの緑の炎に触れることを許されているのかもしれなかった。

「君は活発に島のあちこちを走り回っているようだから、もし包帯が汚れてしまったらこれで巻き直しなさい」

「……でも私、カキさんみたいに上手く巻けないと思います」

「ではオレが巻きましょう。汚れたり、解けたりしたら此処に来なさい。ライドポケモンのリザードンなら、あっという間に君を此処へ運んでくれるだろうから」

私は困ったように笑って、彼の有難い申し出を受け入れた。この人が私の来訪を許してくれるなんて、と、信じがたい気持ちでいっぱいだった。
とても不思議なことが起きていた。悉く不思議であったから、そのことに歓喜する余裕はあまりなかった。私はただ、驚いていた。
宝石は、路傍の小石のことなど覚えないと思っていたから。

2016.11.30
2016.12.2(加筆修正)

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