Grief works(S):-1

私を永遠にするための、素晴らしい方法を編み出したのだと思っていた。

「出ておいで、イベルタル」

親友が褒めてくれたストロベリーブロンドを短く切り、濃いオレンジ色に染めた。
赤や黒のものを身に着けて、私は私が潰したあの組織を追悼していた。そして喪服のように、彼の喪失を悼み続けていた。
徹夜で走り回り、セントラルカロスのポケモン図鑑を完成させた。パソコンに預けていた全てのポケモンを逃がした。
友達、博士、家族、全ての人からの連絡を完全に絶った。ホロキャスターの電源を切ってから、もう3日が過ぎようとしていた。

ヒヨクシティの東側、アズール湾に続く小さな浜辺に私はやってきていた。傍の草むらは風にふわふわと揺れていて、その擦れる音が私の耳をくすぐった。
日が暮れてしまったしまった海は、ただ夜を吸って黒く淀んでいた。
けれど寄せては返す波の声は昼のそれと変わらなくて、私は浜辺に座って、その音が草むらのざわめきと重ねるのを楽しんでいた。
イベルタルはそんな私の様子をじっと見ていたが、やがて私の隣にそっと降り、その赤く大きな翼をばさりと畳んだ。
成る程、こうして見ると、確かに翼を収めたその姿は繭のようだ。

「……綺麗でしょう?カロスエンブレムっていうのよ」

私は黒いバッグにつけていた、その小さなエンブレムを掲げて笑ってみせた。赤、青、そして白のラインが入った綺麗なそれは、カロスの救世主たる私に贈られたものだった。
このエンブレムを付けている限り、彼等の私を見る目は完全に、救世主を見るそれになってしまうだろう。
私はそのことを解っていた。だから私は今日、このエンブレムをカロスに返すことにしたのだ。

立ち上がり、それを大きく振りかぶった。えい、と掛け声をあげて私はそれを投げた。
夜の闇にも負けない輝きを持ったそのエンブレムは、しかし何とも呆気ない音を立ててアズール湾の波に飛び込んだ。
イベルタルは何も言わない。それがとても心地よくて、私はその目を見上げて屈託なく笑ってみせた。
エンブレムは遠ざかっていく。縦に横に揺れながら小さくなり、やがて波に溶けるように見えなくなってしまった。
海の底に沈んでしまうだろうか。それとも近くの浜辺に打ち上げられてしまうだろうか。
どちらでもよかった。私の元からあの眩しいエンブレムがなくなった。その事実だけで十分だったのだ。
せめてポケモンが誤飲して、喉に詰まらせないといい。そんな風に思いながら私はイベルタルに向き直った。

「イベルタル、貴方は命を吸い取ることができるのよね?そうやって、永い時を生きてきたのよね?」

ポケモン図鑑には、「翼と尾羽を広げて赤く光る時、生き物の命を吸い取る」「寿命が尽きる時にあらゆる生き物の命を吸い尽くし、繭の姿に戻る」と書かれていた。
その恐ろしく、また神秘的な生き物の姿に私は震えた。
勿論、他者の命を糧として生きていく生き物はイベルタルだけではない。いや、きっと全てのポケモンが、他の何かを、他の誰かを糧としなければ生きてはいけない。
私達は他の生き物の命を奪わなければ生きてはいけないのだ。この世界に生きるとはそういうことだった。
ただ、このイベルタルの「奪い方」が、少し変わっているだけ。とても神秘的で、不思議な方法でその命を糧としているだけ。

フレア団はそこに目を付けたのだろう。だからこのポケモンから、多くのエネルギーを吸い取ることができると判断した。そしてその目論見はきっと成功していた。
私が、あの場に駆け付けなかったなら。イベルタルが目覚めなかったなら。

「ねえ、今ここで私の命を奪える?」

彼の体は黒と赤だけに染められているように思われていたが、その双眼だけは透き通る青色をしていた。
その配色が、今もあのセキタイタウンに生き埋めにされているあの人を連想させて、私は思わず微笑む。こうしていると、あの人と向き合っているような錯覚にすら陥る。
一方のイベルタルは、私のそんな疑問に驚いたようで、その青い目を僅かに見開いた。

「半分でいいの。私が生きられる時間の半分でいい。貴方に引き取ってほしいの」

とんでもない願いを口にしていることを、私はちゃんと解っている。
解っていて、頼んでいるのだ。私の命を奪ってと懇願しているのだ。これが常軌を逸した我が儘であることを、私は誰よりもよく解っている。知っている。
けれど、どうしても止められなかった。

「貴方はフレア団の不思議な機械で、かなりのエネルギーを奪われてしまったでしょう?そのせいで今も、とても疲れているでしょう?」

そう、このポケモンが疲労の表情を浮かべていることを私は知っていた。ポケモンセンターで回復をしても、どんな薬を使ってもよくならなかった。
命を奪う側であった彼が、多くの命を奪われ過ぎたことによるものなのかもしれない。私はそんな風に推測していた。
けれど彼は私の前では、一度も他の生き物の命を吸い取ることをしなかったのだ。道端の花でさえも枯らさなかった。
それが私に対する配慮だったのかは、彼の言葉を聞けない私には解らないけれど。

「貴方が奪われた分には及ばないかもしれないけれど、少しでも貴方が元気になればいいなと思って」

白々しいにも程がある。私は自らの最低な欲張りを叶えるために、この美しいポケモンを利用しようとしているに過ぎないのに。
それでも私は躊躇わなかった。この言葉が彼にとってどれ程の力を持った誘惑となっているかなどということ、私はちゃんと解っている。解っていて、紡いでいるのだ。
彼の目の色に苦しげな躊躇いを見ることは容易かった。本能と理性の狭間でその色はぐらぐらと揺れ始めていた。だから私はその美しい羽にそっと肩を預けて笑ってみせた。

「私はいいの。私はもう十分生きたから。この世界に望むことなんか、もう何もないんだから」

その言葉は本心だった。私はもう、カロスにただの一つの未練もなかったのだ。
今の私はもう、私の我が儘で欲張りな願いを叶えるための力を手にしている。私はもう誰にも屈しない。

私はもう、誰の声にも耳を貸さない。

私を賞賛したカロスの人々も、私を敵対視するあの男の子も、私のことを友達だと言って笑ったあの3人も、図鑑の完成を望む博士のも、全て捨てると誓ったのだ。
私は彼等の望むように生きられなかった。それが全てだったのだ。

カロスの人々の賞賛は、私にこの美しい土地の救世主として、カロスを守った英雄として生きることを強いた。そして私があの人を想うことをやわらかく禁じた。
私を敵対視するあの男の子の鋭い視線に、いつだって私は怯えていた。私のことを認めると言いながら、その目はいつだって私を鋭く貫いていたの。
友達を名乗った彼等は、早々にフレア団のことを忘れてしまった。私は彼等のようにその全てを忘れることはできなかった。彼等のように明るく生きられなかった。
私の旅を最後まで支えてくれた博士に、私は何一つ報いることができなかった。私は旅をして確かに変わったのだろうけれど、それでもカロスに最後まで溶け込めなかった。

最後に図鑑を完成させたのは、私の、プラターヌ博士に対する精一杯の誠意だったのだろう。
彼には何かで報いなければならないと思った。彼はそれこそ献身的とも呼べる程に、いつだって私を気に掛けてくれていたからだ。
けれど、その温かな思いすら、私は笑って受け取ることができずにいた。私は彼の思いに報いることのできない自分をずっと責めていた。
彼が設けてくれたパレードの場でも、私は震えあがる程に恐怖し、怯えていたのだ。そんな私を彼は笑顔で称えた。もう、耐えられなかったのだ。

私はカロスで出会ったもの全てを拒絶し、皆の望んだ私を殺してみせようと誓ったのだ。
そうすることで始めて、私は私に誇れる存在となれる気がした。

唯一、この土地に残して未練だって、私がセキタイタウンの地下で彼を見つければなくなってしまうものだと知っていた。
生きているのかどうかも解らないけれど、それでも私に未練があるとすれば、あの人の顔を見ることなくこの命を絶やしてしまうことだと、知っていた。
だから、彼を探すための時間さえ残しておいてくれたなら、そして幸運にも彼が生きていたとして、彼と話をする時間が残っていたなら、それだけでいいと思えた。
その時間はきっと、生きることに失敗した私にとって、短ければ短い程よかったのだ。


「貴方の羽が綺麗に輝くところを、私に見せて」


その言葉を言い終えるのと、イベルタルがばさりと翼を広げたのとが同時だった。
夜の空へと飛び立った彼は、その翼を大きく広げた。赤と黒の羽が、息が止まる程の眩しさで光り始めた。
恐ろしい程に強い風が、イベルタルに向かうように吹き始めた。浜辺の砂が巻き上がり、夜の闇に渦を巻いた。
私の心臓が一瞬、ほんの一瞬だけ、締め付けられるように痛んだ。息の仕方を忘れてしまいそうになる程の激痛に、私は声すら上げることができずに倒れた。
夜風に揺れていた傍の草木が、一瞬にして枯れてしまった。カサカサという乾いた音が耳に突き刺さった。命の尽きる音はただ心地良く、けれど少しだけ悲しかった。
目眩のする頭で彼を見上げた。

夜空に浮かんだ美しい「Y」の文字を、私はきっと忘れることはないだろう。

忘れていた呼吸が許され、私は思い切り息を吸い込んだ。くらくらと頭が重く痛かったけれど、そんな苦痛も痛みも気にならない程に私はただ、歓喜していた。
ああ、よかった。この子は私の願いを聞いてくれた。私の命は奪われてしまった。この美しいポケモンの中で、私の半分は生き続けてくれるのだ。
私はこれで、やっと。

「ありがとう」

震える足で立ち上がり、砂浜に降り立ったイベルタルに駆け寄って強く抱き締めた。
冷たかったその身体は、熱を持ったように火照っていた。ああ、これが私の命の温度なのだと、気付いて嬉しさに目蓋が熱くなった。

「綺麗……とても綺麗だったよ」

貴方のように美しく生きていたかった。その願いは、こんな歪んだ形で叶ってしまった。
私は泣きながら笑っていた。そこには歓喜と安堵と、そして少しの寂しさが含まれていた。
恐怖はなかった。私にとって死ぬことよりも、このまま「シェリー」として生き続けることの方が何杯も怖かったからだ。

私の存在を永遠のものにするために必要な全てを手にしていた。何もかもが正しかったのだと信じていた。


2015.4.5

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