23:フェルマータの魔法

その日から、フラダリとシアは時間を作って、ミアレシティで時折顔を合わせるようになっていた。
大通りをのんびりと歩いたり、広場のベンチに座ったり、近くのカフェでコーヒーを飲んだりもして、彼等は言葉を重ねていった。
この5年間の「彼女」のこと、彼女の緩慢な自殺をどのように思っていたのか、他に打つ手はなかったのか。
過ぎ去った時間を追憶しながら、二人は言葉を重ね続けていた。時に怒鳴り、時に泣きながら、彼等はその喪失を徐々に紐解いていった。
そこにプラターヌも加わって、3人で話をすることもあった。
シェリー」を知る人によって、彼女の短すぎる人生が議論され、何度も過去のシミュレーションが繰り返された。

何故「彼女」は死ななければならなかったのか?

彼女を想い、彼女の死を語ることの許された彼等は、そうして少しずつ、彼女の死を受け入れ始めていたのだ。
死を選んでしまった彼女の、緩慢な自殺に飛び込んでしまった彼女の心境を、彼等は長い時間を掛けて理解することができるようになっていた。
けれど、どうしても共鳴することはできなかった。その死が残された人物に与えた絶望を、彼等は誰よりも理解していたからだ。

彼女の選択は、その緩慢な自殺は、間違っていたのだ。
愛されたいがために取る武器としては、死はあまりにも退廃しすぎていた。その緩慢な自殺は、彼女の臆病と視野の狭さとが引き起こした悲劇だったのだ。

それでも彼女は最期まで、笑顔で生き続けていた。自らの選択に、彼女は最期まで誇りを持って生きていたのだ。
その歪み過ぎた強さと弱さを、彼女を蝕んだ残酷な悲劇を、残された彼等は忘れてはいけなかった。
こうした討論を何度も何度も繰り返し、結論めいたものは幾つも組み立てることができた。
けれどそのどれもが確信を持って紡がれたものではなく、正しい答えはいまだに見つからなかった。

「世の中には、答えなどない問題の方が多いのだと、私の大切な人が言っていました」

シアはローズ広場のベンチで、ぽつりとそんなことを呟く。
自らがイッシュを旅した時に教えてもらったその言葉は、あの頃の彼女の心を温め、苦悩をそっと引き取るだけの力を持っていたのだ。
あれから長い時間が経ったが、その言葉の持つ力は今でも衰えることなく、シアを支え続けていた。
彼女が大切に思う人の言葉には、いずれもそうした温もりと力があったのだ。

「きっと、それでいいんですよね。私達はシェリーの思いを紐解いて、理解することはできても、その思いに共鳴することは絶対にできない。
寧ろ、そうでなければいけないんですよね。だって共鳴してしまったら、彼女と同じ選択をしたら、私達は、私達と同じ悲しみを皆に与えることになってしまうから」

彼等は失った「彼女」を理解することを求めていた。
けれどその反面、決して彼女の「緩慢な自殺」の動機に共鳴してはいけないのだと知っていた。
そうして彼等は少しずつ、失った存在を受け入れられるようになっていった。


彼女はいない。それでもこの世界は愛しいのだと、そう思えるようになっていた。


そしてフラダリの元に84通目の手紙が届いた頃、シアはいつものように彼女を追悼するための服を身に纏い、ミアレのカフェを訪れていた。
ベージュの落ち着いた色に塗り変えられたその建物の扉を、そっと開ける。
フラダリと彼女は何度も話をしていたが、このカフェを訪れるのは、初めての邂逅の日以来だった。
ただし、あの時とは大きく異なる点が一つある。

「あれ、お姉さん、どうしたの?おじさんに用事?」

カフェにいた子供達がシアに気付き、話し掛けてきたのだ。そう、今日は子供達が此処にいる。そして彼女は寧ろ、この子供達に会いに来たのだ。
小さな男の子に手を引かれ、シアはカウンターに座っていたフラダリの元へと案内される。
こんにちは、と小さく頭を下げたシアに、フラダリは微笑んでから子供達に向き直った。

「この女性は今まで、わたしがしている活動を影で支えてくれていた。
普段はイッシュ地方で働いているのだが、これからは一週間に一度だけ、このカフェで君達の指導をしてくれることになった」

それはつい先日、二人の間で交わした約束だった。
シアは以前からフラダリの活動に手を貸していたのだが、「シェリーが関わっていた子供達のことを近くで知りたい」と、彼女の方から申し出てくれたのだ。
フラダリとしても、元々は二人で続けていたこの活動を、ずっと一人で担っていくことの難しさを切に感じていたため、この申し出はとても有難かったのだ。
また、シアはこの場所でシェリーを知る子供達と関わり、彼等のことも本に書きたいと思い始めていた。
そのための同意を得て、彼等と実際に話をしたかったのだ。
シェリー」を知る人物は、フラダリやプラターヌを置いて他にいないけれど、「彼女」を知る人物は此処に大勢いたのだと気付くことができたからだ。

シアはこの場所で、シェリーと関わった子供達のことを知る。フラダリは一週間に一度、このカフェでの活動をシアに手伝ってもらう。
そうした相互に利益を得られる関係を、二人は先日の話で成り立たせていた。
二人はこの1年の間に「彼女」との過去を共有し、「彼女」の愛した世界を守るための、同士のような関係になっていたのだ。

フラダリの言葉に子供達は歓声を上げ、彼女の元へと集まって来た。
「ポケモンバトルは強いの?」「どんなポケモンを連れているの?」「イッシュからどうやって来たの?」「その薬指の指輪は誰から貰ったの?」
彼等の無邪気な、それでいて容赦なく次々と繰り出される質問に、シアは一つずつ慣れた様子で答えていく。

それなりに強いと思うよ、私、イッシュリーグのチャンピオンになったこともあるんだから。
普段はこのロトムやダイケンキ、クロバットと一緒にいるよ。カロスでは白い花のフラベベを捕まえて、今ではフラージェスに進化しているの。
私はいつもクロバットに乗ってカロスに来ているんだよ。私のクロバットは世界一速いのよ、今度見せてあげるね。
この指輪は私の大切な人から貰ったの。彼とお揃いなんだよ、綺麗でしょう?

そんな質問を繰り返している中で、小さな女の子がシアの服の裾を引っ張った。
どうしたの?と身を屈めて尋ねるシアに、彼女は小さな声音でその問いを紡ぐ。

「お姉ちゃんの名前は?」

その言葉にシアは息を飲んだ。心臓が大きく揺れる音がした。
けれどそれは一瞬で、彼女は直ぐに笑顔を取り成して得意気に笑ってみせたのだ。

「私はシェリー。皆が大好きなあの子の親友なの」

フラダリはその名前に驚き、目を見開いた。
シアはそんな彼を一瞥し、自分の唇に人差し指を立てに添え「言わないで」と笑ってみせた。

子供達にとっては、「シア」こそが「彼女」なのだ。同じ名前を出して当惑させる必要は何処にもなかった。
そんな彼女の小さな配慮によって、彼女は自身の名前を「彼女」と同じように偽ることを選んだのだ。
まるで名前を交換してしまったみたい。そんな風に思ってシアは笑った。
こんなものを交換する親友なんて、きっと私達を置いて他にいない。そんな風に思って温かい気持ちになる。
「彼女」の記憶はただ優しかった。長い月日と数え切れない程に交わした言葉が、その記憶を優しいものにしてくれたのだ。

シアお姉ちゃんを知っているの?」

「そうよ、皆よりもずっと長く、私はあの子と友達だったんだから」

その言葉に、子供達は歓声を上げて、更に彼女へと質問を嵐のように飛ばし続けた。
ああ、シェリー。貴方はこんなにも愛されていたのね。そう思ってシアはクスクスと笑う。
「彼女」がいなくなって2年が経った今でも、このカフェに通う子供達の大半は彼女を覚えている。今でも彼女を慕っている。
そんなことを子供達は言わないけれど、そのキラキラと輝く目が何よりもその事実を雄弁に語っていたのだ。

「私、あの子のことを本にしようと思うの。皆が知っているあの子のこと、私に少しずつ聞かせてくれないかな?」

「僕等の話が、本になるの?」

そう言ってシアを見上げるその男の子の目に、拒絶の色は微塵も浮かんでいなかった。
いいの?と、いつか「彼女」に問い掛けたように紡げば、彼はぱっと花を咲かせるように微笑んで「いいよ」と答えてくれた。
顔を上げ、シアは子供達の顔色を窺うように視線を泳がせた。そのキラキラした目は、一様にシアを真っ直ぐに見つめていた。
ああ、これが「彼女」の愛した世界なのだと、彼女はようやく知るに至ったのだ。

シアお姉ちゃんはね、ポケモンバトルが強くて、料理が上手で、とても優しい人なんだよ」

そう得意気に語った女の子の頭を撫で、シアはふわりと穏やかに笑ってみせた。
「あら、そんなこと、私は誰よりも詳しく知っているのよ?」とは言わない。「その料理は私が教えたんだよ」とも告げない。
息をするように彼女は隠し事を重ねた。シアは「彼女」に誠実であることを選んだが為に、彼女がかつて嫌った「狡い大人」になることを覚えていた。
それは生きるために取らざるを得なかった悲しい武器で、けれど彼女はもう、その武器を振ることを躊躇わなかった。

シアは何があっても、私の親友でいてくれるのよね。』
「彼女」の声がシアの脳裏を掠めた。彼女はそんな狡さを振りかざしながら、まるで女神のように慈悲深く微笑む覚悟すら出来ていたのだ。


2015.4.4

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