9.9(C)

今までメールの遣り取りは数え切れない程にしていたけれど、こうして手紙を書くのは初めてだね。
少し長いけれど、最後まで読んでくれると嬉しいな。

シアはきっと私に手紙を書かないと思うの。でもその理由はちゃんと解っている。フラダリさんに知られないようにするためだよね。
貴方のことはよく解っているつもりだから、手紙を書けなかったことに申し訳なく思ったりしなくていいんだよ。寧ろ、そうした配慮をしてくれたこと、本当に感謝している。
私はもう直ぐいなくなってしまうけれど、この手紙はずっと持っていてくれると嬉しいな。私がシアの描いてくれた絵を、ずっと持っていたのと同じように。

という訳で、5年前に描いてくれた絵をお返しします。
この絵は私の宝物だったの。一人で旅をしている時、これを見ていつも勇気を貰っていたの。ああ、私は一人じゃないんだって。いつもシアがいてくれたんだって。
手放すのは本当に寂しいけれど、どうかこれからはシアが持っていて。

シアから貰った絵は、実はもう一枚あるの。
私がカロスに引っ越すことが決まったあの日に、あの空を飛ぶ船の上でシアが描いてくれたよね。私と、白いカーネーションを描いた絵。
シェリーには白いカーネーションが似合うと思って』ってシアが言ってくれた言葉、今でも覚えているよ。
学の無い私は、白いカーネーションなんて死んだ人に捧げるものだと思っていたから、あの時は少しだけ複雑だったの。
でも、それだけじゃなかったんだね。旅に出てからシアが説明してくれた言葉がどうしても忘れられなかった。

『白いカーネーションは、昔の神話に出てくる花なの。だから「神の花」って呼ばれることもあるんだって。』
神の花、だなんて荘厳な言葉が、私に似合うとはとても思えなかった。けれどシアはその神話をもってして、私にその花が似合うって言ってくれたのよね。
シアはこんな私のことを尊敬していてくれたのよね。それが解った時、とても嬉しかった。ああ、私は貴方の親友なんだって、心からそう思えたの。
あの絵は小さく畳んで、私の服の裏に張り付けてあります。私と一緒に灰になってしまうけれど、私が向こうまで持っていくものの一つだと思っていてください。

シア、私は貴方のことがとても羨ましかった。
その身に余る欲張りを振りかざして、多くの人に協力を仰いで、大切なものの全てを守った貴方を、尊敬する以上に羨ましいと感じていた。
私はシアのような度胸も、誰かに協力を仰ぐ強さもなかった。私に無いものを全て持っている貴方のことがとても眩しかった。
シアのスケッチが「過ぎる一瞬を永遠にするための作業」なんだって解った時、私は胸が痛くなる程に貴方のことを羨ましいと感じていたの。
シア、私は貴方になりたかった。でも貴方になることなんかできなかった。それがとても悔しかった。

けれどそれと同じくらい、……ううん、それ以上に貴方のことが大好きだった。

……賢いシアならもう全てを解っていると思うけれど、一応、5年前のあの日のことを話しておくね。
フレア団を倒して、チャンピオンになった私のことを、カロスに住む誰もが祝福してくれた。
プラターヌ博士も、お隣に住む男の子も、3人の友達も、皆が私を湛えてくれた。私にはそれがどうしても怖かった。
こんなにも多くの人によって、ありもしない私が持ち上げられていくことが怖かったの。
だって私は、この旅を悔いていたのに。フレア団と戦ったことも、チャンピオンになったことも、決して笑顔で喜べるようなことではなかったのに。
私はあのパレードに呼び出される直前まで、フラダリさんを想って泣いていたのに。

「私」が、切り離されていくのを感じていたの。だから私は「シェリー」として、これ以上はもう生きていけないんだって、思った。

だから私は素晴らしい私のまま、いなくなってしまいたかった。
プラターヌ博士や友達、家族とすらも連絡を絶って、名前さえもシアに借りて、完全に「シェリー」をカロスから殺してしまいたかった。
彼等が愛した私はもういない。彼等はいなくなったカロスの救世主のことを思い続けてくれる。愛すべきカロスの英雄として、「私」の存在は彼等によって永遠になる。

とても倒錯的で破滅的な考え方をしていることは解っていた。こんなことをしても何にもならないことは解っていた。
でもそれ以上に私は、生きることに疲れていた。
もう、私に生きていくための手段なんか、残っていないように感じられていたの。私の運命はきっとあの日で袋小路になっていた。わたしはどう足掻いても生きられなかった。

私はきっと、生きるのに向いていなかったの。

でも死ぬのは怖かった。ビルから飛び降りることも、列車に飛び込むこともできなかった。
何より私の大好きな人達に、いきなりの喪失を突き付けてしまうことが躊躇われた。
だってその苦しさを、私は誰よりも知っていたから。フラダリさんを失ったその絶望と同じものを、私の大切な人に与えてしまう訳にはいかないと解っていた。

そんな時に私は、フレア団の秘密基地で捕まえたイベルタルの存在を思い出したの。
ポケモン図鑑には「翼と尾羽を広げて赤く光る時、生き物の命を吸い取る」「寿命が尽きる時にあらゆる生き物の命を吸い尽くし、繭の姿に戻る」と書かれていた。
私はこのポケモンに命を奪ってもらおうと思ったの。私が生きられる天寿の半分を、彼に渡してみようって。
そうすれば、死ぬまでの猶予を私の周りの人に与えてあげられるし、私も苦しい消え方を選ばずに済む。

イベルタルがその翼を広げて赤く輝く姿は、言葉にできない程に美しかった。周りの草花は一瞬にして枯れてしまった。その圧倒的な力に私の心は震えていた。
それと同じ日に、フラダリさんの捜索が打ち切られたと知ったの。だから私は迷わずに彼を探しに行った。数日間、あの穴の中でずっと探していたの。
私は彼に会いたかった。私のこの、過ぎる一瞬を永遠にするための残酷な手段を一番近くで見届ける相手がいるとすれば、それはどうしても彼でなければいけなかったの。
こんな倒錯的で破滅的な手段を用いてしか、貴方の望んだ永遠は手に入らなかったんだよって、
永遠なんて美しくもなんともないんだよって、これが貴方の欲したものなんだよって、どうしても彼に伝えたかった。
彼だけじゃない。私はもっと大きなものに訴えていたのだと思うの。
永遠を糾弾し、カロスを叱責し、それでも皆を愛していたと、本当の「私」で愛されたかったと伝えたかった。


これは私の、命を懸けたメッセージだった。


ようやく見つけた彼が既に永遠を手に入れてしまっていることは少し予想外だったけれど、それでもよかった。彼は生きていてくれたんだもの。
私は彼に看取られることができる。その事実はもう揺るがなかった。
二人で始まったささやかな生活はとても静かで、けれどとても穏やかで優しかった。

……ねえ、シア
私、フラダリさんには沢山の隠し事をしたの。嘘も数え切れない程に吐いた。それはきっと、私が彼を愛するのに必要なことだったの。
でもね、シア。私は貴方に嘘を吐いたことは一度もない。貴方に隠し事をしたこともない。
だってシアは私の嘘や隠し事を、いつだって見抜いてくれたでしょう?だから私は、貴方の前だけでは本当の自分でいられたの。それがとても嬉しかった。

『ふざけないで、シェリー。』
『貴方はそんな理由で命を、半生の時間を他者に捧げられるような人じゃない。私の知っているシェリーは、絶対にそんな理由で命を投げ捨てたりしない。』
『足りないよ、シェリー。今の話は、貴方の全てじゃない。』

シアが声を荒げて、次々に私の建前を破いていったこと、今でもはっきりと覚えているの。
ああ、貴方は私の親友なんだなあって、思った。本当に嬉しかった。

シェリー、貴方はとても負けず嫌いで欲張りで、それでいてとても、とても優しい人なのね。』
『でも、貴方が命を投げ出す必要なんて何処にもなかった……!』
『お願い、生きたいって言って、シェリー……。』

シアが私のことを一つずつ丁寧に紐解いてくれたあの日を、私の生き方を認めてくれた上で、それでも生きていてほしかったと告げてくれたあの瞬間を、私は覚えている。
あの時、シアはずっと泣いていたけれど、私もどんなに泣きたかったことか解らないけれど、でもそれ以上に私はとても嬉しかった。
あの日は私の宝物なの。シア、本当にありがとう。

私は自分の選択を悔いたことが何度もあるの。
死は美しくもなんともなくて、ただ残酷な別離と冷たさをもたらすだけだったと、私はあの日からずっと後に知った。
自分に迫りくるその影に怯えて、夜中に泣いたことだって一度や二度じゃなかった。
けれどどうしても「助けて」と、「死にたくない」と訴えることはできなかった。訴えてはいけないと思っていた。それは私の矜持に関わることだったから。
生と死の、決して踏み越えてはいけない領域を跨いでしまった私が、今更それを悔いて、踵を返す訳にはいかなかった。

私は踏み越えた者として、その全てを笑顔で受け止めると誓っていたの。
シアはそんな私の精一杯の強がりを、汲み取ってくれたでしょう?私を最期まで尊重してくれたでしょう?嬉しかったよ。

25年分の手紙を届けるなんて大きすぎるお仕事を、引き受けてくれてありがとう。
もしシアさえよければ、いつかフラダリさんにも会ってみてくれないかな。私の話をしてもいいし、しなくてもいいよ。
それから、カフェを拠点にしていた新米トレーナーの旅路を支える活動は、その全権をフラダリさんに渡しました。
あの場所が、彼の残りの時間における生きがいとなることを願っています。

もし、こんな欲張りな私が、もう一つだけ欲張ることができるなら、どうか私が、貴方にとって唯一無二の親友で在り続けられますように。


シアには「私を忘れないで」とは、言わない。
だってそんなことをしなくても、シアは私のことをずっと覚えていてくれるって解っているから。


2015.4.1
adieu-別離(仏語)、L'は冠詞

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