4.6:調子外れの葬送歌は流暢に

※曲と短編企画2、参考BGM「Synchronicity~巡る世界のレクイエム~」
同連載番外「悠久を焦がす赤百合」と「愛のダイヤグラム」既読推奨

少女が歌っていた。
ぎこちない旋律で、フラダリの知らない歌を紡いでいた。歌詞はないようだ。否、あるのかもしれないが、フラダリがそれを聞き取ることは困難だった。
そもそもの問題として、少女の歌は上手くなかった。抑揚や発音が完全に素人のそれだったし、音も頻繁に上擦りメロディと思わしき部分を外していた。
けれどその「上手くない」少女の歌声が、フラダリの予想していたものと大きく異なっていたため、驚かざるを得なかった。

フラダリは少女の歌を聞いたことがなかったが、その口から歌が紡がれることがあるとすれば、その音は弱々しく、不安気に震えているものだと思っていた。
どこまでも臆病で、自信なさげに旅をしていた少女は、その臆病を歌唱の面でも発揮する筈だった。
その旋律を紡ぐことに対する自負と、自らの口でその音を紡ぐことへの誇りがまるでないような、そんな頼りなげな歌をそろそろと紡ぐのだとばかり思っていた。
「間違っていたらどうしよう」という不安気な旋律。それこそがあの頃の、カロスの言葉すらも満足に紡げなかった少女に相応しいものだと信じていたからだ。

そう思ってしまう辺り、そしてその予測が目の前の少女の歌声と重ならない辺り、フラダリはまだ少女のことを一片も理解できてはいなかったのだろう。

少女はとても楽しそうに歌っていた。
自分の歌が決して上手くないことを、彼女も自覚している筈だった。
寧ろ彼女が為す評価はどのようなものであれ、第三者が為すそれに比べて何倍も厳しく否定的に行われていた筈だった。
だからこそ、決して上手くはないその歌を紡ぐその行為が、フラダリにはどうしても信じられなかったのだ。

「聞くに堪えない歌でしょう?」

「!」

少女は流暢なカロスの言葉でそう紡ぎ、振り返った。その傍にはカサブランカの花が活けられた花瓶が鎮座している。
音を立てずに部屋へと入ったつもりだったが、背を向けている彼女には何故か気付かれていたらしい。
楽しそうにクスクスと笑う少女の表情は、彼女が旅をしている時には決して見られないものだった。
彼女はいつだって不安気に、頼りなげに、それでいて強情とも言える程の頑固さで旅を続けていた。
幸いだったのは、彼女の連れているポケモン達が彼女のそうした思いに応えるように強さを増していったことだろう。
……否、これを幸いだと言っていいのだろうか。
彼女の思いはポケモン達を強くし過ぎていた。それこそ、単身フレア団のアジトに乗り込んで組織を解散に追い込めてしまう程に。
恐ろしい程の早さで8つのジムを制覇し、カロスリーグのチャンピオンに呆気なく上りつめてしまう程に。

今でも、フラダリは考えることがある。
もしも彼女が、あの5人の子供達の中でメガシンカを使いこなす存在として選ばれなかったなら。
もし彼女のポケモン達に強くなる素質が備わっていなかったなら。
もし彼女が自分と出会わなかったなら。

そう、今のこの状況は紛れもなく、選択と偶然の連続にもたらされたものだったのだ。
人はそれを運命、あるいは奇跡の巡り合わせと呼ぶのだろう。

その運命とやらのおかげで、またしてもフラダリは少女と顔を合わせることになった。そして奇妙な同居生活が始まった。
フラダリカフェの奥にあるアジトの一室に住み込んだ少女を、フラダリはもう咎めなかった。
少女の所持品は驚く程に少なく、ここで暮らすために実家からこっそりと持ってきたものも数えるほどしかなかった。
ものに対する執着が恐ろしい程にない子だった。そしてそれは彼女にとって、ものはその使用対象以外の何物でもないことを意味していた。
ものに込められた人の思いや、そのものに対する思い出を、少女は悉く切り捨てた。
ポケモンに大きすぎる愛を注いでいた彼女からは考えられない程に、ものに対するそれは淡白で冷徹だった。

少女はフラダリとの再会を経て、良くも悪くも憑き物が取れたようにさっぱりと明るくなった。
臆病で卑屈な少女の面影は、今の歌い続ける少女には見つからない。
彼女はもう何もかもを怖がったりしない。カロスの言葉を紡げずに深く俯くこともしない。ごめんなさい、と謝る回数は驚く程に減った。よく笑うようになった。
彼女をここまで変えたものは一体「何」だったのだろう?
フラダリとの再会を経てこのように変わったのだとするならば、では自分の「何」が彼女をここまで変えてしまったのだろう?

「……」

少女はものに対する執着が極端に少ない筈だった。このアジトに持ち込まれた彼女に私物の少なさがそれを示していた。
だからこそ、フラダリが送った赤いカサブランカの花束をここまで大切にする少女が、やはり彼にはどうしても信じられなかったのだ。
大きな花瓶に活けられたその花は、しかしもう赤い色の殆どを失っていた。茎も柔らかな曲線を描き、重力に従うように垂れていて、寿命を迎えていることは明白だった。
けれど少女はその花を捨てない。日を跨ぐごとに醜く腐敗していくその様を、少女は寧ろ好んでいるかのように目に焼き付け続けた。

「お花には、歌を聴かせるといいって、誰かから聞いたことがあったから」

「……ああ、わたしも聞いたことがあるよ」

「でも私の歌は下手だから、余計に弱らせてしまうかもしれませんね」

フラダリにはその花が、もう既に枯れているように見えた。そして、その観測はおそらく間違ってはいない。
死の淵にいる人間に延命医療を施せば効果が得られるが、既に死んでしまった人間にそれを施しても何の意味もない。
生きている花に歌を聴かせれば元気になる。その真偽は確かではなかったが、仮にそれが根拠のある説だとして、しかしこの花にその歌を聴かせる意味などない筈だった。
この花はもう既に、生と死のラインを大きく踏み越えてしまっている。腐敗が進み始めているその花は、もうこちら側へは戻って来ない。

「……」

けれどフラダリはそれを指摘することができなかった。少女があまりにも優しい笑顔を湛えて歌の続きを紡ぎ続けたからだ。
フラダリにはその歌が、死した花を見送るための葬送曲のように聴こえたのだ。

ほんの10日前に、フラダリは少女にその花束を買い与えた。彼女はその頬を綻ばせて喜んだ。
しかし彼女はフラワーショップから戻って来るなり、その美しい花束の包みを勢いよく紐解いたのだ。
驚くフラダリをよそに、そしてフレア団のアジトの中を走り回って、空の花瓶を探し出してきた。
少女は大きな花束をその花瓶に、一本ずつ愛おしむように刺し、毎日決まった時間に水を変えた。暇さえあればその花に向けて話し掛けていた。

『よかった、今日も綺麗に咲いていますね。』
『カサブランカの花は、どうしてあんなに誇らしげに咲くのでしょうね。』
『ずっと蕾だった花が咲いたんですよ。後でフラダリさんも見に来てください。』

あの日以来、少女の口から赤いカサブランカの名前が出ない日はなかった。
たった一つの花束を、少女は驚く程に大切に飾り、愛でていた。ものに執着がないとばかり思っていただけに、その行動はフラダリを驚かせた。
君はものに込められた人の思いや誰かとの思い出に頓着しない人間ではなかったのか。
そう言いかけて、止めた。それを彼女に問い詰めるのは何かが違う気がしたし、何より彼女がカサブランカに向ける眩しい笑顔を曇らせたくなかったのだ。

けれど、フラダリが少女に贈ったのはカサブランカの「生花」だった。
時が経てば色褪せる。ユリ科に属するカサブランカは水分が多いため、ドライフラワーにすることもできず、腐敗していく。
美しさを完全に失ったその花に、しかし彼女は嫌悪の視線を向けることはしなかった。
寧ろ優しい、ともすれば羨望の色を持ったような眼差しで、花瓶の中の枯れた花を見つめ続けていたのだ。

少女は明るくなった。臆病で卑屈なあの頃の彼女を、上手くはない歌を紡ぎ続ける少女に重ねることはもう、できない。
けれど少女をこのように変えてしまったのは、本当に「自分」だったのだろうか?

「その歌を教えてくれ。私も歌おう」

その言葉に少女は目を見開いた。
以前の少女なら、激しく被りを振って拒絶していた。私はフラダリさんに正しい旋律を教えられる自信がないから、と、顔を真っ青にして拒んでいた。
けれど今は違う。少女は優しく微笑んでフラダリの手をそっと引く。

「フラダリさん、歌がお上手なんですか?」

「少なくとも、君よりは正しく歌えると自負している」

その言葉にも少女は傷付いた素振りを見せず、とても楽しそうに声をあげて笑うのだ。
フラダリも釣られたように微笑みながら、色を失ったカサブランカを一瞥する。
直視するのも躊躇われる程に腐敗の進んだその花に、少女が「何」を重ねていたのかを、この行為に「何」を見出していたのかを、この時のフラダリが知る筈もなかった。

私の音を追い掛けてくださいねと少女は紡ぎ、やはり少しだけ上擦った、調子外れの音色を奏でる。フラダリはそれに笑いながらも、言われた通りに音を追い掛ける。
「今」思えば、少女はフラダリに予行演習をさせてくれていたのだろう。
それは失ったものを受け入れる過程だった。

ああ、けれど少女の声音が上擦っていたのは、本当に彼女の歌が下手だったからなのだろうか。


2015.3.18
泉さん、素敵な曲のご紹介、ありがとうございました!

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