「零度の花」に代表されるゲーチスさんのシアに対する「愛」っていうのは割と真面目なあれであり、言語化するなら綺麗に「愛している」ということになるのだと思います。
彼女が苦しんでいるなら手を差し伸べるし、彼女を守れる場所にいるならばその立場に自身が相応しいか否かとかそんなこと考えずにすぐ飛び出せる、そうした心持ち。
ただ「千行の雨」にも書いたけれど、彼はシアへ恋慕めいた感情を抱くつもりは更々ないのです。年が離れすぎているから。共鳴することを許されない関係だから。
その現状を無視して彼女を奪うことはきっとゲーチスさんの考える「愛」に反するから一歩引いているのだと思います。彼はかっこいい男ですよほんま。
一方のザオボーさんは先程書いた「零度の花・裏」とか、一番分かりやすいのはマーキュリーロード本編のStone to Stoneだったりするのですけれども、
ミヅキのことをそれなりに好ましく思っていて、彼女のことを誰よりも、きっと彼女を最愛としたグズマさんよりもよく理解しているのだと思うのですが、
彼もまた、ゲーチスさんと同じようにミヅキへ恋慕めいた情は持っていません。でもそれは「抱くべきではないから」ではなく「抱きたくないから」が正しい。
彼の「愛」は「愛でている」と同義であり、彼女の方から助けてくださいというアプローチがない限り、彼から手を出すことは基本的にありません。
傍で小石が不格好にコロコロと転がりながらもちゃんと生きようとしているのを眺めていて、たまに頼まれれば「はいはい」と気怠くサポートするくらいが丁度いいのです。
ただそんな彼が唯一「情が移ってしまった」として頼まれてもいないのに自ら行動を起こしたのが第二章の氷を溶かす場面であり、
あの瞬間だけは彼、本気でミヅキを愛していたのかもしれないなあ、と思ったり。
両者とも、彼女達のことを大事に思っています。
でもゲーチスさんは彼女を生涯手放すつもりなどなく、ザオボーさんはいつでも手放せるけれど彼女が離れていかないことを知っている、という、そんな感じ。
……駄目だ書いていて余計に訳分からなくなってきたぞHAHAHA