今世、カードの裏の泥梨より

執筆:2021.1.31(ゲーム本編5章終了後、ケイトSSRバースデーカード実装前)

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「どうか、お大事にしてくださいね」

 丁寧で落ち着き払った、労り深い声音とは裏腹に、怪我を負ったトレイを見上げる目には異様な鋭さと熱さが孕まれていた。真っ直ぐこちらを見上げてくる丸い目は、詳細こそ分からないものの何らかの「決意」に燃えているように見えた。
入学式を終えてすぐの頃に起こったハーツラビュルでのオーバーブロット事件では、寮内のいざこざにただオロオロとしているだけだった監督生。いつも不安そうに周囲をきょろきょろとしているような、少し頼りなくさえ見えた女の子。そんな彼女が唐突に見せたその「目」は、トレイの脳に色濃く印象付いた。あれはこれから大きなことを次々に為さんとする目だ、為せる為せないにかかわらず、とにかく己が決意のもとにどこまでも突き進んでしまう目だ……と、そんな風に思えてしまったのだった。

「なあ監督生。変に思い詰めて、危ないことをしたりするなよ」

 マジフトの大会を直前に控えたこの時期の怪我は、トレイ本人にとっても寮生にとっても大きな痛手だった。リドルを庇って怪我を負い、しばらくは松葉杖生活を余儀なくされることとなったトレイを見て、同寮のハーツラビュル生が残念に思うのはまだ、分かる。だが大会への出場権さえない寮に属する監督生が、トレイの怪我の有様を見てこのような表情になることがどうしても解せず、トレイは少々、狼狽えた。
 そんな彼の動揺など露知らずといった具合に、監督生はその丸い目で再度トレイを射抜き、力強い声音でこのようなことまで口にした。

「でもクローバー先輩。私、大嫌いなんです。こういう不公平で不実で卑怯で、悲しいこと」

 この日、たった二回、自分に向けられたその強すぎる、眩しすぎる目。もし彼女の近くであの目を、あの表情を、幾度となく見ることができてしまったなら。そして彼女の真正面で、このような真っ直ぐな心根を浴びる機会に幾度となく恵まれてしまったなら。……それはもう、彼女に「心を砕くな」という方が難しいのではないか。傍で見守り、支えなければと、思わずに済むことなど、どだい無理な話だったのではないか。
 本来なら今、こうしてその目に射抜かれている自分こそが、監督生のそうした決意に心を砕いてやるべきなのではないか。

「……そっか、ただ本当に気を付けてくれよ、頼むから」

 とはいえ、支えがなければろくに歩けもしない今のトレイが、監督生にできることはほとんど残っていない。故にこのようにして言葉で念押しするのが当時の彼の限界であった。たったこれだけしかできないことを、トレイは残念に、悔しく思った。
 ただ幸いにも彼女は入学して以降、ハーツラビュルの面々を主として順調に「仲間」と呼べる人物を増やしていた。彼女が危うい行動をすれば誰かが止めるはず。そう確信できる程度には、彼女の社交性や人当たりの良さには安定感があった。彼女の「決意」には誰かが傍にいてやったほうがいい。でもそれはトレイ・クローバーでなくともよい。そう結論付けてトレイはそれからの期間、怪我を治すことに集中したのだった。

 後日、マジフト大会が終わった翌日のこと、ケイトが監督生の肩を抱く形でトレイに報告をしにきた。「みんなを怪我させたユニーク魔法、あれの出所を突き止めたんだよ」と彼女の功績を我が事のように話す友の笑顔に、話を聞く側のトレイまで嬉しくなったことを覚えている。ありがとう、とお礼を言えば、彼女は照れを隠すように大きく首を振って笑いつつ、最後にはしっかりとトレイを見上げて、こう返してきた。

「ケイトさんがいろんな方を紹介してくれたから分かったことです。私はただ、勘を当てることに成功しただけですよ」

 おや、とトレイは思った。マジフト大会までの数日間、彼女の「決意」の傍にいて彼女を誰よりも支えた人間が、よりにもよってこの友人であったとは。
 何だか嬉しくなってトレイは笑ってしまった。嬉しさ余って、後輩にするように監督生の頭をわしゃわしゃと撫でてしまった。わわっと焦った声を上げる彼女に慌てて謝罪しながらも、トレイを満たす歓喜の波は引かなかった。よかったな、と今度はケイトへ言葉を掛けた。元々血色の良い顔を更に赤らめて、彼は誤魔化すように肩を竦めて笑った。

 友人が「心を砕いた」結果として、監督生に「ケイトさん」と呼ばれる程に信頼されるまでに至ったこと。その好ましい関係から先、何か一つ二つのきっかけさえあれば、この二人はトレイのお節介の及ばない遥か遠くまで行ってしまうだろうということ。……それらを思ってトレイはひどく満たされた。いいな、とも思ったし、少し寂しいな、とも感じたけれど、二年以上の付き合いである友人が此処まで照れたように、楽しそうに、幸せそうに笑っているのだから、もうそれが今のトレイにとっての全てでいいんじゃないかと思えた。
 トレイとはまた別の事情で、深い人間関係の構築というものをすっかり諦めてしまっているケイトが、監督生との関わりをきっかけとして「諦められない」ことを覚え始めているのなら、それはとても幸いなことだ。喜ばしいことだ。トレイは心からそう思った。嬉しかったのだ、とても。

「監督生、これからもケイトを頼むよ」
「えっ、頼むって……私にできることなんて何も」
「変に気負わなくたっていいさ。ただこいつと一緒に居てやってくれれば、それで」

 乱れた髪を直し終えた監督生は、トレイのそんな言葉を受けて顔を上げた。彼女は「それくらいなら楽勝ですね、任せてください」などという軽口で同意するようなことはせず、少し不安そうに、それでいてこちらに訴えかけるような真っ直ぐな目のままに、口を開いた。

「私と一緒に居たところで、ケイトさんには……クローバー先輩の想定しているような幸せはやって来ないと思いますよ」

 トレイの満たされた心地をなかったことにするかのような、実に冷たい言葉だった。真面目で慎重で、公平性と誠意を重んじる質に違わない、実に彼女らしい言葉でもあった。
 残念ながら、彼女がそう考える理由について尋ねる前に始業開始五分前のチャイムが鳴ったため、三人はすぐさまその場を離れ、それぞれの教室へと足早に向かわなければならなかった。パタパタと駆け出すケイトの軽快な靴音が遠ざかる音を聞きながら、トレイは一度だけ振り返った。躊躇いなく走り去ったケイトとは対照的に、廊下を走らないというルールを完璧に順守しつつ速足で教室へと向かう彼女の小さな背中を見ながら、ふと残酷なことを思い出した。

 そういえばあの子は、元居た世界へ帰りたがっているのだったな、と。
 

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