孵化するまほろば

執筆:2020.11.25(ゲーム本編5章前編2更新後、中編更新前)
※twst夢企画サイト「Bianca」様、第五回への提出作品、少し修正あり

<1>

 白銅色の光を纏った無数の紙が、深夜の中庭を飾るように飛び交う様はクロウリーを少々驚かせた。静かに羽ばたくそれらのうち、一枚に手を伸ばして掴み取る。小さな丸文字で「トレイン先生へ」と書き出しがあった。クロウリーが目を見張るのと、横から伸びてきた手がそれを静かに奪い取るのとが同時だった。

「放してやってくれ。まだ飛ばせてやりたい」

 手の主、モーゼズ・トレインは咎める言葉を紡ぎながらも機嫌よく微笑んでいた。腕の中の使い魔は彼のやや子供っぽい笑みを許すように大きく欠伸をした。ふわり、と漂ってきたのは上品なアルコールの香りで、クロウリーはこの友人がつい先程まで、一人静かに夜酒を楽しんでいたことを知る。

「おや、貴方酔っていますね? いつもの乾いた古書の匂いはどうしました。こんなにもいい香りのするお酒を私抜きで楽しんだと? なんて薄情な人なんでしょう」
「今日くらい目を瞑ってくれないか。この年になるとこれくらい酔わなければ遊ぶことさえできやしない」
「水臭いですねえ、一緒に飲ませてくれたってよかったでしょうに」

 二つ折りにされた淡く光る紙、便箋と思しきそれを彼は広げる。中にびっしりと書き込まれている文字をクロウリーは読み解こうとしたが、その暇さえ与えまいと彼はマジカルペンを一振りする。たちまちその便箋は蝶の羽のように性質を変え、一回、二回と夜の空気を割いてからふわりと浮き上がり、他の蝶のところへと戻っていった。淡く光る蝶の群れを見上げつつ彼は目を細める。いっとう楽しそうなその横顔が羨ましくなり、クロウリーも倣うように双眼を緩めてみる。夜に煌めくそれは蝶でありながら星のようにも花火のようにも見えて、成る程これを「遊ぶ」と称した友の気持ちがよく分かる気がしたのだった。

「それはまたの機会にしよう。今日は、一人がよかったんだ」
「そう警戒せずとも、貴方の夜更かしを咎めやしませんよ。こんな形でしか彼女の不在を悲しめない貴方のこと、それなりに分かっているつもりですから。……ほら私、気遣いのできる優しい男なので」

 友の考えていることは、何とはなしに分かるつもりである。すなわちこれは彼なりのグリーフワークなのだ。大人であり教師である彼は、昼ではなく夜に、大勢ではなく一人で、泣くことではなく酔うことで、彼女との日々を懐かしむことを選んだのだ。その結果がこの光景である。かつての「監督生」が彼に宛てた手紙、無数のそれが作る蝶の舞である。
 彼は近くで羽ばたく蝶に手を伸ばし、指先だけでくいと招いた。命を宿した生き物であるかのような流麗な動きでそれは宵闇を切り、人差し指の先に止まる。目を閉じた彼はその冷たい繊維、セルロースの塊に触れるだけのキスを静かに落として、再び手を高く揚げる。紙の蝶は散歩を喜ぶように一回、二回とはためいて、夜に浮かび上がる。便箋を二つ折りにして浮遊呪文をかけただけのそれは、一年生でも使いこなせるような簡易なものであったが、……それでも「彼女」ならこの光景をひどく喜んだに違いない。魔法の存在しない世界から来たというあの小さな異分子なら、きっとこの無害な、ただ美しく眩しいだけの蝶を愛したはずだ。クロウリーは確信していた。彼もそうした確信のもとにこの蝶を飛ばしているのだろう、ということも同時に信じられた。

 彼女は今日、紙さえ蝶にならない世界へと戻ってしまった。異世界からの訪問者はこの世界での役目を終え、誰の助けも借りずに帰り道を見つけ、誰にも別れを告げることなく鏡の向こうへと飛び込んだのだ。

 あれだけ多くの生徒を救っておきながら、あれだけ多くの道標を我々に示しておきながら、彼女は誰にも「救われたい」「導かれたい」と願わぬままにいなくなった。たった一人でこの世界から消えゆくことを選んだ。元の場所へ生まれ直すことを迷わず選んだ。見送りさえ求めなかった。
 別れの挨拶も、感謝の言葉も、憎まれ口も、何一つ告げることなく、彼女は消えた。帰還に喜ぶ顔さえ見せずにあっさりと、この世界での彼女は密やかに死んだ。我々に何も遺しはしなかった。引き留める暇さえ与えてはくれなかった。

「ふむ、それにしても何故、彼女は貴方に懐いたのでしょうねえ」

 そんな彼女の「遺しもの」が此処に在る。誰にも何も遺さなかったとばかり思われていた彼女は、こんなにも多くをこの男にだけ遺している。その事実から監督生の想いを推し量ることは実に容易かった。あからさまな唯一性にクロウリーは苦笑するしかなかった。
 おかしいですねえ監督生さん、私はこういうもの、何も受け取っていないんですよ? 私は彼よりもずっと重要なところで、ずっと深く、貴方と関わってきたはずなのに。

「誰かさんと違って、金銭や居住空間の快適性を取引材料としてこき使ったり、身寄りのない状況を利用した脅しを繰り返したりといった非道な真似を一切しなかったからだろうな」
「いやいや、それなら他の学園関係者でもよかったでしょうに。担任のクルーウェル先生の方がまだ、子供にとっては馴染みやすかったと思いますよ。一見すれば誰よりも厳格で気難しそうな貴方を、一番の拠り所にしてしまうなんておかしいのでは?」

 彼は目を細めつつ眉を少しばかり下げた。酷い言い草だ、とこちらを柔らかく非難する心地と、言わんとしていることは分かる、と若干の恥ずかしさと共に同意する心地とが、絶妙なバランスでその目の奥に渦巻いているように感じられた。

「私はただ、彼女が話すあらゆることに相槌を打っていただけだ。特別なことは何も言っていないし、何もしていない」
「……ふむ成る程、読めてきましたよ。貴方は彼女の在り方を無言と不実行で許したんですね。あの子にしてみれば、その時間はとても得難く貴重なものだったことでしょう。異世界からの訪問者、魔法では説明のつかない特別な力を持った異分子に、貴方は、貴方だけは何も求めなかった訳だ」
「教師が生徒に何を要求する必要があるというんだ。生徒の安全を守りつつ教育の機会を差し出すのが我々の仕事だろう。私は職務に反することをしなかったまでのことだ」

 何も言っていないし、何もしていない。彼の口にしたそれは謙遜などではなく、本当にその通りだったのだろう。
 彼は放課後、魔法史の教室に居残り自習を続ける彼女を追い出したりはしなかった。勉強に飽きてペンを置く彼女に、暇なら書類整理を手伝いなさいとこき使うようなこともしなかった。彼女が語る、魔法も使い魔も獣人も人魚も妖精も存在しない故郷の思い出を、つまらないと一笑に付したりはしなかった。逆に過度の興味を持って根掘り葉掘り聞きこむようなこともしなかった。
 魔法のない異世界からやって来た、八つ目の寮の監督生。その特別な立ち位置に更に「猛獣使い」という名前を与え、教師でさえ統括することが困難なNRCの生徒たちの「監督」を命じることも、しなかった。魔法を使えない彼女に、助けてくれと縋り付いたり何とかしろと追い詰めたりしたこともなかった。その結果、求めた以上の働きを為してきた彼女のことを手放しに褒めたりもしなかった。鞭も、飴も、彼は使わなかった。
 時にこの学園での生活を嘆き、家に帰りたいと嗚咽交じりに吐き出したことさえあった彼女を、けれども彼は一度も咎めなかった。この世界は君が思っているよりもいいものだと諭すことも、戻れるかどうか定かではない遠い世界のことなど忘れてしまえと唆すこともしなかった。レポートやテストの採点の合間に相槌を打ち、彼女の本音に静かな同意を示すという「だけ」の姿勢を、彼は最後まで崩さなかった。
 今宵、黒い空にパタパタと舞う蝶の群れこそ、彼女がそんな男に向けた想いの証左に他ならない。であるならばそうした、ともすれば冷たい態度にも取れそうな彼の振る舞いこそが彼女にとっての最善であり、最愛だったのだろう。

「でもこれだけ慕われていれば、それなりに情が湧くこともあったでしょう?」

 それを大事に愛でているこの男だって、彼女に慕われること自体は満更でもなかったはずだとして、クロウリーは紙の蝶を指差しつつ尋ねてみる。けれども彼は平然と「一定の礼節をもってこちらを慕ってくれる生徒を可愛く思うのは教師として当然の性だろう」と静かに模範解答を連ねるのみで、まだ、己が心地を明け渡すつもりはないようだった。

「ちなみにこの手紙たちは? 貴方、いつからラブレターなんて貰っていたんです?」
「いや、受け取ったのは今日が初めてだ。随分と前から書いていたようだが、渡さずそのまま手元に置き続けていたらしい。彼女がこれだけ多くの手紙を書いていたことを、私は今日まで知らなかった」
「……今日ですって?」
「昨日の放課後に彼女から『朝の4時に鏡の間へ』と呼び出されたものでね。もし自分がいなくなってもそれが消えていなければ読んでほしいと、そう言って手紙の束を渡してきた」
「それ、は」

 唐突に開示された情報にクロウリーは狼狽えた。らしくない当惑であった。淡々と事実を連ねるばかりの横顔が、悪戯っぽく静かに笑った。細められた目には優越を喜ぶ色が少なからず込められている。ああほら、もう疑うべくもない。

「ねえ、それきっと、彼女が為した唯一の挨拶でしたよ。誰にも何も言わずにいなくなったものと思っていたのに、貴方にだけはしっかりと帰る旨を伝えていたんですねえ」

 なんてことだ、とゆるく悪態付いてクロウリーは笑った。遣る瀬無いとも、寂しいなとも、悔しいなとも、酷いことだとも思った。けれどもそうした荒れ狂う情緒の果てに頭の中へと残ったのは「彼女が完全な孤独を選ぶ人間でなくてよかった」という、ささやかな安堵だけだった。

 ……非常に残念なことだが、学園から監督生の存在が消えた瞬間のことは誰も把握できていなかった。存在の消失は、魔法ありきで成り立つこの学園においては「魔力の消失」と同義である。感知できる魔力がふいに一人分減れば、誰だって不審がる。けれども魔力の一切を持たない彼女がいなくなっても、誰も気付くことができない。0が0のままであることを何故不審がる必要があるというのだろう? そういう訳で当たり前にやってきた今日という日、彼女が力の限りを尽くして守り抜いたはずの、この学園の新しい朝、そこに彼女がいないことを察せる者は誰もいなかった。各寮の寮長も、学園長であるクロウリーも、あのマレウス・ドラコニアでさえ、彼女の消失に気付かないまま朝を迎えた。彼女の相棒たるモンスター、グリムが「あいつがいない」と騒ぎ始めるまで、誰も監督生の消失を察することができなかったのだから、彼女の隠密行動は実に見事だったと言わざるを得ない。

 そこからの驚愕、混乱、寂寞はまるで嵐のようであった。不在を信じられない者、割れた鏡の前に崩れ落ちる者、ふざけるなと喚き散らす者、ただ悲しそうに目を伏せて沈黙する者、戻ってこいと駄々を捏ねるように泣く者、様々であった。生徒だけでなく学校関係者にも、彼女の喪失が招いた嵐は吹き荒れていた。クロウリーも勿論、それはそれは激しく心を痛めた。
 そのような嵐の最中において、いつもと変わらぬ表情でルチウスの背中を撫でていたこの男の姿は、クロウリーの目にどこまでも異質なものとして映った。厳格でこそあったが決して冷徹という訳ではない彼が、この事態を「何とも思っていない」などということがあるはずがない。にもかかわらずあの涼しげな顔である。つまりこの男は、異常な事態の中で通常の有様を貫ける「何か」を持っているのだ。そう確信してクロウリーは今夜、彼を訪ねた。……その勘はこの通り、大当たりであった。

「分かっていたんでしょう? 彼女が誰にも言わずに帰ろうとしていたこと、貴方だけがその例外であったこと」

 彼女が真に心を許したのはこの男だけ。先輩も、他の教師も、学園長も、クラスメイトも、長く相棒として暮らしを共にしてきた小さなモンスターでさえ、彼女が真に安堵する対象にはなれなかった。彼にだけ「挨拶」があったことがその証明であった。

 モーゼズのただ純朴であるばかりの相槌は、彼女の心にこれ以上ない程の温かな「同意」として届いたに違いない。きっと彼女はそこに自身の一番欲しいものを見たのだ。異質で無力で怖がりであった彼女は多くを求めていなかった。そうしたありのままの自分に対して「そうか」とただ頷いてくれるだけでよかったのだ。
 個性の強すぎる生徒たち、そんな問題児たちをまとめるためにより強烈な振る舞いと圧政を余儀なくされた学園関係者たち。彼等の誰もが彼女に期待し、命令し、時に恐喝し、時に懇願した。多くを望まれた異世界からの訪問者、厄介事ばかり押し付けられてきた監督生。そんな彼女が唯一望んだ安寧を、何とはなしに差し出すことができていた唯一の人物。それこそが彼だと白銅色の蝶が示していた。その唯一性を祝福するように夜へと舞っていた。

「ちゃんと我々を代表して、彼女に別れの言葉を贈ってくださいました?」
「……」
「七つの寮と学園の未来を守ってくれた貴方に誰もが感謝しているって、そんな貴方が急にいなくなったりすればきっとみんな寂しがるだろうって、挨拶くらいしてくれたって良かったろうにって、貴方のことがみんな本当に大好きだったんだって、……ねえ、伝えてくださいました?」
「言ったはずだ学園長。私は、何もしなかったと」

 その安寧を信頼しきっていたからこそ、彼女はこの男にだけ挨拶をしたのだろう。この男なら彼女の帰還にも「そうか」とただ頷いて、静かに送り出してくれるに違いないと、そうした確信があったからこそ彼女は最後に全てを明け渡したのだ。そして彼はそんな彼女の信頼に「何もしない」という形で徹底的に応えた。彼の在り様は最後まで完璧だった。

「貴方の厳格さはよくよく分かっているつもりだったのですが、いやはや、此処までとは!」
「……学園から巣立つ生徒に対して、労いと祝福の挨拶以外に必要なものがあるようには思えなかったものでな」

 澄ました顔で肩を竦めるこの教師、モーゼズは監督生にとって悉く無害であった。毎日のようにトラブルが起こる騒がしい学園の中に見つけた絶対的な安寧を、無害であるという確信の中で笑える時間を、きっと彼女は何よりも愛していたはずだ。そしてモーゼズもまた、異世界で何もかもに怯えながらも懸命に生きる彼女の拠り所で在れたことを、相応に喜んでいたはずだった。でなければ、こんな風に蝶が飛ぶはずがないのだから。

 けれども彼女は生徒である。そしてモーゼズは教師である。彼という安寧を離れ、いずれ彼女はこの学園から卒業することになる。それより先にきっと彼女はこの世界から卒業することになる。いつまでも「蛹」のままではいられない。固い殻の中で羽化を拒み腐りゆくような真似は許されない。分かっていたのだ。彼女も、彼も。
 だから彼女は最後まで生徒の枠を出ようとはしなかった。だから彼も最後まで教師で在り続けた。二人の静かで不思議で強固な信頼関係により、彼女は無事に「蝶」へと羽化し、元の世界へと羽ばたいていった。彼は無事、最後まで凛とした態度のまま彼女を見送ることができた。

「ねえ……彼女のこと、好きだったんですか?」
「……どうやら学園長殿は、私の年齢と職業をお忘れのように見える」
「まだそんな耄碌する年じゃありませんよ。ただ、想いを交わし合うのに年齢差や教育倫理への憂慮など邪魔なだけでしょう、と思いましてね」

 ただその信頼関係の結びとして、彼の生徒でなくなった彼女は「卵」を預けていったようである。
 その卵は、何十通にも及ぶ手紙の形をしていた。そこに綴られた想いは、彼女が生徒で在り続けるために長らく隠してきたものであった。そこまで分かってしまえばもう、クロウリーは納得せずにはいられない。今宵、その想いが見せる蝶の舞がこんなにも眩しく美しいのは、当然のことであったのだ、と。

「そうしたものをかなぐり捨ててまで10代の女生徒へ恋焦がれるだけの度胸などありはしないさ。クルーウェルやサムくらい若ければ、そうした心地にもなれたかもしれないが」
「ああ違うんですよ、彼女を手に入れようとしたかどうかを訊いているんじゃありません。彼女の存在が貴方にとってどうであったかを訊いているんです」

 その言葉を受け、しばらく考え込むような素振りをした後で、彼は宵闇に指を掲げた。呼ばれたことを察したらしい一通の手紙がその指先に止まる。静かにはためく白銅色の蝶の、羽の隅。十代の女の子らしさを残した小さな丸文字が「ずっと大好きです」と綴っているのをクロウリーは確かに見た。彼はクロウリーに目配せをしつつ蝶を再度送り出した。

「私には彼女のように、懸命に切実に心を揺らせるだけの若さはもうないが……それでもたまに、静かな時間を回し続けることに名状し難い寂しさを感じることがある」
「……」
「たった一人で異世界へとやって来た彼女も、似たような寂しさを覚える機会が少なからずあったようだ。放課後の教室で私達がしていたのはそうした孤独の埋め合いに過ぎず、そこに貴方が期待するような恋愛事の実りは一切なかった。ただ、彼女との時間を過ごすことで、私の、教師ではない部分の心が満たされていたことは否定しない」

 なんて健気で臆病な告解だろうと、クロウリーは自らの胸が締め付けられるような感覚を覚えた。満たされていたことを否定しない、そんな言葉でしか自らの想いを吐き出せない彼の心持ちをいじらしく、またもどかしく思った。もっとこの男に相応しいハッピーエンドがあったのではないかと考えずにはいられなかった。けれど彼の腕の中、彼のそうした全てを受け止め許すように大きな欠伸をしたルチウスが、お前も許してやってくれと乞うように見上げてくるものだから、クロウリーは胸の痛みを忘れる努力をしながら「そうでしたか」と下手ながらも真心を込めた同意を為すほかになかったのだ。
 使い魔の出来過ぎた達観と許容に、クロウリーは僅かながら羨望を覚える。悔しいような眩しいような、そうした気持ちにさせられてしまう。

「でも……ねえ、その心が満たされる感覚というものを、人は好意とか恋慕とかいう風に呼ぶものなのでは?」
「さてどうだろう、答えは私自身にも出し難いな。ただひとつ確信があるとするなら、私はこれからもずっとこうしていくだろう、ということだ」
「……これからも、こうしていく?」

 そうとも、と微笑む彼の背後で蝶がやわらかく光っている。彼女が残した想いは手紙という形で孵化し、更には彼の手によりあっという間に蝶へと羽化した。こうして出来上がったまほろばで、彼は彼女のいない未来を眩しく美しく飾るのだ。

「寂しい時にはこうして一緒にいてもらおうと思う。『彼等』に孤独を埋めてもらおうと思う。遺された想いが夜に羽ばたく様が今日のように美しいものである限り……私はこの先、きっと何にも苦しむことなく生きていかれる」

 ……長い、長い沈黙の末にクロウリーは笑った。お腹を抱えて声を上げて、子供のように笑ってしまった。おっと失礼、などと申し訳なさなど欠片も有していないような愉快そうな声で謝罪を紡ぐ学園の長を、彼もまた子供のようにくつくつと笑って許した。
 孵化し、羽化し、蝶へと化けた想いは彼女のものだけではなかったのだと、そうした確信は胸を焦がすような感動に変わり、クロウリーを満たした。嬉しくないはずがない。喜ばしくないはずがない。

 ああ友よ、長くこの学園を共に守り続けてくれた、私の戦友モーゼズよ。こんなにも美しいまほろばに生かされてしまうなんて、これからもずっとそうなのだと夜に誓えてしまうなんて、それはもう。

「愛していると言っているようなものじゃありませんか」

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