(夢を見るための捏造が施され過ぎている)
▼1
これから何するの、と声が尋ねました。何だってできるさ、と声が答えました。
じゃあ何処へ行くの、と声は更に尋ねます。何処へでも、と声は更に答えます。
「一緒に行こうぜ、何処までも」
いいなあ、と思いました。楽しそうだなあ、とも思いました。高い音と低い音とが交互に響くこの空間はとても心地の良いものでした。
そして「私」がそう感じたのであるならば、きっとこの二人にとっても「そう」であるのだと、何故だか私は確信していました。
この優しい場所、孤独とは対極に在りそうなこの温かい空間に、私は私の音を混ぜてみたくなりました。
私は此処にいる、と訴えたくなりました。私を見て、と強請ってみたくなりました。
私は「私」が何者であるのかさえ分かっていないにもかかわらず、そうした「孤独を恐れる心地」だけは誰よりも理解できてしまっているようでした。
けれども声は、出ませんでした。私の想いは音の形を取ることなく、ただ私という概念の中で静かに渦を巻き続けるばかりでした。
あの二人にできていることが私にはできない。あの二人には当然のように存在する「互いの認識」という祝福が、私には与えられていない。
驚愕、混乱、困惑、失望、静かに渦を巻くそれらを私が持て余していると、二人は私に背を向けて歩き始めました。
待って、と引き留める声は音の形を取りませんでした。あの子のように喉を震わせようとしましたが、それも叶いませんでした。
何故なら喉が、なかったからです。音を結ぶための喉も、それを言葉の形に整えるための舌も、私には与えられていなかったからです。
私に何が起こっているの、私は何のために此処にいるの、どうして貴方達は私に気付かないの、どうすれば貴方達のようになれるの。
声を出す器官を与えられていない私は、それらを音に変換することができません。
当然のことながら、そんな私の疑問に答えてくれる声などあるはずもありませんでした。
けれども、少しばかり喜ばしいことが起こりました。待って、と二人を引き留めずとも、私は彼等に付いていくことができたのです。
それは私の意思とは全く別のところで決定されている行動のようでした。いっそ運命めいた導きのようにさえ思われました。
この動きに抗おうとは思いませんでしたが、仮に二人へと付いていくことを拒んだとしても、私は一人になることなどできなかったことでしょう。
私に何が起こっているのか、私は何のために此処にいるか、どうして二人は私に気付かないのか、どうすれば二人のようになれるのか。
浮かぶ疑問は一つも解決されませんでしたが、それでも私には分かることがありました。
私はこれからずっと、おそらくは二人、彼等の世界が終わりを迎えるまで、彼等の傍に在り、彼等を見守り、彼等の声を聞くことになるのだということ。
彼等が「一人と一人」ではなく「二人」であるその姿に私は喜び、羨み、時には恨んだり妬んだりもして、
……それでもきっと、私はこの二人を、根本的かつ原始的なところで結ばれているこれらの存在を、嫌い、見限ることなどできないのだろうということ。
そうして最後の瞬間まで、見えも聞こえも触れられもしない私はずっと、ずっと独りであるのだということ。
▼2
二人は別々の姿を取りながら一つであり、それ故に互いの理解者となることが叶っていました。
互いのことで理解できないことなど、ないのだろうと思えました。
男性が落ち込んでいるときには少女が励まし、少女が機嫌を損ねているときには男性が面倒そうに慰めました。
そうして二人は、この殺伐とした悲しい世界の中でも正気を保ち、明るさを失うことなく生きていかれたのでした。
私は男性を励ますことのできる少女を羨ましく思い、少女を慰めることのできる男性に憧れていました。
男性のために武器の形を取れる少女に焦がれ、少女と共に在ることを喜べている男性にささやかな嫉妬を抱いていました。
この二人に尋ねたいこと、言いたいこと、聞いてほしいことが、沢山ありました。
一つの魂を分けてまで孤独を埋めたかった、そんな貴方がたの以前の悲しみとは、一体どれほどのものだったの。
一番近くに、自身のことを最もよく分かってくれる誰かがいるというのは、どれくらい嬉しくて、心地良く、幸せなことなの。
その、魂を分けるという行為で二人が救われるのであれば、私はとても嬉しい。喜ばしいことだと、心からそう思っている。
けれど、それでも私は寂しいままで、もどかしいままで、ねえ、この孤独はそれでも、貴方が以前に感じていたものよりはずっと弱いものなのでしょう。
私は二人のことを理解したいと思っていました。
私が二人を理解したがっていることを、二人に知ってほしいと願っていました。
このもどかしさ、寂しさ、悲しさ、そうした気持ちを総括する「孤独」という概念。
独りでなくなった二人の代わりに、以前の貴方が抱えていた大きすぎるそれを引き取る存在として、私のようなものが必要だったのかもしれません。
その推測を確かめる術はありませんが、そう考えることで、私も二人の今を支えられているのだと思い上がることで、私は満たされました。
それで十分だと思いました。
▼3
バッカじゃないの、と少女の叱責が銃口から聞こえてきます。男性が叱責を欲しているからこそ、彼女はそうした言葉を選んでいるのでしょう。
「仲間が死んで減るのがイヤなら、あんたが戦うしかないだろ!」
守るために戦ったところでどうせ誰かが死ぬ。どうせ皆は彼を置いて、遠くへ行ってしまう。
彼のそうした根深い諦めを抜き取るように、少女は声を枯らす勢いで叫びます。
戦わなければならないと、男性も心の何処かでは分かっています。だから少女は叫んでいるのです。
彼女の真っ直ぐで躊躇いのない勇気はそのまま彼のものであるのだから、当然のことでした。
少女に、もう一人の自分に背中を押され、彼は再び臨戦態勢を取ります。
戦闘の凄まじい轟音に交じって、私には彼の声が聞こえます。敵である相手に追い詰められていく彼の心の声が、私には分かります。
『弱い奴が羨ましかった。弱ければいくらでも群れていられる。弱くなりたい。弱くなりたい』
『それが無理ならせめて、俺と同じくらい強い仲間を』
男性から引き出された悲しい本音を噛み締める間もなく、全てが一瞬にして過ぎ去っていきました。
少女が消えていきます。男性が胸を貫かれて致命傷を負います。
「俺と同じくらい強い仲間を」と望んで生まれた少女と同じタイミングで男性が終わりを迎えてしまうのは、無理からぬことであると思いました。
また、この「共に逝ける」ということさえ、孤独を恐れた彼等の本願だったのではないかとさえ思われたのでした。
私は彼と共に奈落へと降りることができました。
どす黒い地面に叩きつけられた彼は、薄れゆく意識の中でとある言葉を繰り返していました。
『一人じゃない。一人じゃない。もう、一人じゃないんだ』
この人は死ぬことを待ち侘びていたのかもしれません。
大勢の仲間を失ったという彼、同胞に先立たれるという経験を重ねすぎた彼。
そんな彼にとって死ぬこととは、孤独が終わることと同義であったのかもしれません。
彼はできることならずっと、弱くなって、群れ合って、そうしてひとまとめに、強い誰かに殺されてしまえたらと思っていたのでしょう。
けれどもそうなれなかったから、彼の強さと、生き残った者たちとの絆が、それを許さなかったから、彼は死ぬまでの孤独を耐えるしかなかったのでしょう。
その孤独を埋めるために分かたれた魂、そのうちのひとつ、実態を持てなかった出来損ないがこの私。
ならば彼の死は私の死と同義であり、私の孤独も、もうすぐ終わりを迎えるのかもしれません。
……。
私は、驚きました。
目が、合ったような気がしたのです。
意識の薄れゆく中、ようやく死にゆくことの叶うという儚い喜びに包まれていたはずの彼が、そっと目を開けて私を見たような気がしたのです。
そんなはずはありませんでした。私は人の形はおろか、実態すら取ることが許されなかった、ただの孤独の受け皿に過ぎないのですから。
そんな私が孤独でなくなってしまうことなど、在り得ないはずなのですから。
ああでも、その役目が終わろうとしているのならば。今この時をもって、私は、私さえも、一人じゃないと唱えることが許されるのならば。
「寂しかったろ」
……。
「ごめんな」
違う、そんなことない、と否定の言葉を紡ぎたくなりました。謝らないで、とあの少女のように叫びたくなりました。
勿論そのようなことができる身ではありませんでしたが、その不自由もあと僅かなのだろうという確信が、じわじわと私を溶かし始めていました。
貴方たちの孤独を引き取れる私でよかった。最後の最後に貴方に見てもらえる私でよかった。
スターク、そしてリリネット。貴方たちはもう、一人ではありません。
もし孤独のない世界が死の先にあるならば、それならば。……私も、仲間に入れてくれますか。
2019.11.30
魂の双子を愛する貴方へ