B14

それから、あたしはハジメ……日向創と長い間、会話を続けた。
もっとも会話というにはそれはあまりにも一方的であったのかもしれない。
あたしはあたしの知りたいことを隠さずに、そのままハジメへと疑問の形で投げつけていたにすぎないのだ。

矢継ぎ早に疑問を投げ続けるあたしに、ハジメは困り果てたように苦く笑っていた。
まだ痛むらしい頭を押さえながら、冷たい床へと座り込んだまま「俺に分かることしか答えられないからな」と前置きして、少しずつ話してくれた。
けれどもイズルに才能を渡されているハジメが「分かること」は随分と多く、あたしは彼の言葉だけで、ここ数年の空欄を随分としっかり埋めることができたのだった。

「数年前は意識の奥底に沈められていたはずのあんたが、どうして表へと浮上してくることができたの?」
「絶望の残党だった俺達は、苗木達によって新世界プログラムにかけられたんだ。意識を……お前の嫌う概念の世界に写して、学園の入学時の記憶からやり直す試みだった。
ただ入学の段階ではまだイズルはいなかったから、プログラムには俺の意識が使われていた。俺が表に出て来られたそのきっかけは、間違いなくあのプログラムだったはずだ」

「イズルは最初から、あんたに全てを返すつもりだった? だからわざと間抜けなふりをして未来機関に捕まって、その新世界プログラムとやらでハジメに意識を譲ったの?」
「確かにイズルなら未来機関から逃れることなんか容易かっただろう。
それでも絶望の残党を自ら名乗ってあの「保護」に甘んじたのは、「新世界プログラムを利用した意識の交換」っていう目的があったからなのかもしれない。
……イズルはその件に関しては口を割ろうとしないから、今のは俺の都合の良い憶測に過ぎないんだけどな」

「才能を抱えすぎると精神がもたないって、どういうこと?」
「イズルの精神は大量の才能を使いこなせるように、感情の類がかなり制御されているけれど、俺はそうじゃない。
だから全てをそのまま受け取ると、俺の元々の感性や感情の類が才能の方に振り回されて、潰れてしまうらしいんだ。だから普段、俺の意識は才能を忘れている」

「イズルはあんたの記憶を情報として引き出すことしかできなかったのに、どうしてあんたにだけイズルの感情らしき心の揺らぎを読み取る力があるの?」
「最初、俺とイズルは意思の疎通を取れる状態にあったんだ。ただ、イズルは俺の意識を情報とみなし、俺はイズルの声を声としてそのまま聞いた。それだけの違いだ」

「一つの脳に二人の人格が存在しているという今の状況を、あんたやイズルは苦しいと思ったことがないの?」
「慣れるとそんなに悪いものでもないぞ。俺の身体や脳に負担は間違いなくかかっているだろうけれど、少なくとも俺の心はその負担に支えられているんだ。
勿論、明け透けに「いいものだ」なんて断言するつもりはないし、俺のように馬鹿なことを考える奴が、お前含め、今後一切出て来なければいいとも思っているけどな」

「二人はいつから、そんな風に互いを認め合えるようになったの?」
「認め合えるようになったのは最近のことかもしれない。でもそれよりずっと前、多分一番初めの頃から、俺達は互いが互いの意識の隅に在ることを受け入れていたはずだ」

「あんたの会いたい人とイズルの会いたい人が違う場合は、当然、あんたの意思の方を優先させるのよね?」

最後の質問に彼はいよいよ驚いたようで、柔らかな苦笑を作ることさえ忘れて沈黙した。
この青年にだって、大切な人がいる。かけがえのない存在がいる。その大切な人を想うハジメの心を邪魔するようなことはしたくない。
一つの身体で仲良くやっているこの二人だけれど、どちらか一方を選ばざるを得なくなった場合、優先されるべきは絶対にハジメの方だ。
分かっている。先程のイズルとの会話で、あたしはもう、その辺りに関する覚悟がすっかり出来てしまっている。構わない。寂しいけれど、もう、構わない。

「イズルならきっとそうするわ。それが正しい形だって、言っていたもの」

「いや、それが……」

けれども言葉を濁したのはハジメの方で、彼は頭を押さえていた手を今度は口元に添えて、顔をおかしそうに「歪めた」。
それは何かをひどく楽しんでいるような表情で、あたしを揶揄っているような口の形がその指の隙間から見えてしまって、金色と赤色の眼球だって嬉しそうに細められていて、
故にあたしは、この超人は今度は何を言おうとしているんだと、それなりに身構えて、肩を強張らせてハジメの言葉を待った。待った、のだけれど。

「イズルはどんな手を使ってでもお前と一緒にいるつもりらしいぞ」

「は?」

「そのために必要になるからって、さっきから才能の類を送り込まれっぱなしだ。正直、頭が割れそうに痛いから、お前からイズルを宥めてくれないか」

おそらくそれは、あたしの人生において初めて作ってしまった表情だった。それを隠そうとして、今度はあたしが慌てたように手を口元へ添える羽目になった。
彼はそんなあたしのあまりにもひどい赤面に気が付いたのだろう、お腹を抱えて至極愉快そうに笑い始めた。

未来機関は猫の手も借りたい程に忙しい状況が続いていて、そんな組織に潜り込んで労働と引き換えに衣食住を保証してもらうことくらい、イズルでなくとも簡単にできた。
才能に頼ることなく逞しく生き抜いてきたあたしの仕事は、思いの外、沢山あった。
コンピュータの類はさっぱり分からなかったため、あたしができるのは現場での活動、ワープロ程度の事務作業、そして雑用全般だった。
そんなに難しいことはできなかったけれど、できることに関しては全てにおいて卒なくこなしていたので、あたしという人材はそれなりに重宝されていた。

あたしに「できること」があるというこの現状はそれなりに楽しい。
また、温かい食べ物を口に運べて、熱いシャワーを浴びられて、清潔な布団を被って眠れるという状況も、あたしを大いに満足させていた。
そうした生活に満たされ過ぎていて、新しいこの暮らしが思いの外楽しくて、実はあたしはしばらくの間、イズルのことを忘れていた。
……この罪深い忘却を、彼には絶対に知られないようにしなければいけない。

けれどもそうした日常の中においてあたしがささやかな忘却を犯していた間にも、ハジメはイズルに流し込まれた才能を駆使して「何か」をしていたらしい。
彼の言葉を借りるなら「どんな手を使ってでもあたしと一緒にいるつもり」であるというイズルが、どのようなものを使ってその意思を現実のものとするのか、興味があった。
だからあたしは、待っていた。あの二人の超人的な力に驚かされることになるその日を。そしてイズルが「奇跡」を起こすその日を。

そんな風に調子に乗っていた罰が当たったのかもしれない。あたしは意図せずあれを落としてしまったのだ。
常に小さな鞄の中に入れて持ち歩いていた借り物の洋書、それが無くなったと気付いたのは夜のことで、あたしは半ばパニックになって部屋中を荒らす勢いでそれを探した。
まるで強盗に押し入られたかのようにぐちゃぐちゃになったその空間の真ん中で、あたしは呆然と立ち尽くした。
あの洋書はもう「親友からの借り物」という以上の意味を持っていて、それを失ってしまうことはあたしにとって最早致命的であると言ってよかった。
とにかく、見つけなければ。この未来機関の宿舎にあるはずだ。事務室か、それとも会議室か。ぐるぐると思考を巡らせながら、自室のドアを乱暴に開けた。

「えっ!?」

「うわっ!」

そのままタックルするように廊下へと飛び出したあたしは、今まさにドアをノックしようとしていたと思しきハジメに勢いよくぶつかってしまった。
ハジメは廊下側へ、あたしは自室側へと倒れて尻餅をつく。ほんの少し遅れて、二人が床に倒れた音とは別の、機械と書物が落下する音があたしの耳に届いた。
まさか、と思って顔を上げると、二人の間にはあたしが先程まで血眼になって探していたあの洋書と、不思議なデザインをした腕時計が転がっていた。

瞬間、喉の奥から吐き気にも似た強烈な安堵が沸き上がってきて、親友との思い出でありイズルと繋がっていることの象徴であるそれが戻ってきたことが本当に嬉しくて、
あたしは震える声で「ありがとう」と「何処に落ちていたの?」と「見つかってよかった」と、とにかくそうした類のことをまくし立てようとしていた。
その腕時計の電子板からあまりにも懐かしい姿がホログラムとして浮かび上がり、あたしの顔を真っ直ぐに見上げてこなければ間違いなくそうしていた。

『ほら、貴方のものでしょう。いずれは彼女に返すことになるのですから、もっと慎重に扱ってはどうです?』

「……」

『約束通り、奇跡を起こしにきました。僕にとってはそこまで難しくないことでしたが、貴方はきっと驚いてくれるでしょうね』

あたしはハジメを見た。
目元に深いくまを彫った彼は「その「奇跡」のおかげで俺は連日寝不足だったんだぞ」と、相変わらずの柔らかい笑顔で抗議してきた。
あたしは洋書を拾い上げて鞄の中に仕舞った。そしてイズルの宿るその不思議な腕時計を拾い上げて、自らの腕に通してみた。
腕時計のベルト部分にありがちな複数の穴は見当たらず、ただ一つ存在するその金具部分を固定すれば、あまりにも都合の良いことに、あたしの左腕にぴったり合った。

これはきっと、あたしの腕にしか嵌められないように造られている。イズルやハジメは、あたしが一番近いところでイズルに会えるようにとこれを設計していた。
それが分かってしまったからあたしは随分と嬉しくなって、小さく首を傾げるその「黒いワカメ」に、涙を堪えつつ微笑みかけたのだった。

「随分と小さくなっちゃったのね」

『僕としてはこの体でも特に支障はないのですが……貴方が等身大の僕を希望するのなら、ハジメと一緒に新世界プログラムの中へ同行してみますか?
この時計での僕とハジメの中での僕、双方の情報を整理するための場として、これからは定期的に新世界プログラムの中を借りるつもりですから』

まるで「明日、遊園地に行きましょうか」と告げるような自然さで、小さなイズルはあたしを、あたしの嫌っている「概念」の空間へと誘った。
あたしの親友が焦がれたもの。あたしの親友を殺したもの。何も生まないはずの忌々しい世界。夢見心地なあいつが生み出した、悲しい場所。
けれどもそれと同じもののおかげで、イズルはイズルの姿を保って此処に在る。
あたしはもう概念を嫌えない。イズルに、そうさせられてしまった。

ああ、これこそがあたしの敗北だろうか、と思った。
「新世界プログラム」というものがあってよかった、と思ってしまうことこそが、現実に生きることへ拘泥しすぎたあたしの敗北だったのではなかろうか。
……けれど、もう悔しくはなかった。随分と穏やかな心地だった。勝気であるはずのあたしは実に呆気なく、すんなりと、その敗北を受け入れて笑うことができたのだった。

「そうね、たまになら行ってもいいわ」

あたしは「降参」の意を示すように、イズルごとその両手を挙げてひらひらと振った。
けれどもその大袈裟な反応を喜んだのは、イズルではなくハジメの方で、ぱっと笑顔になったかと思うとあたしの手を取って、
「本当か?」「ありがとう」「そう言ってくれてよかった」と、そうした類の言葉ばかり繰り返すものだから、あたしは少し面食らってしまった。

「どうしてハジメが喜んでいるの?」

「そりゃあ……いや、うん、まだ言わないでおくよ。お前が一緒に来てくれるまで秘密だ。なあ、イズル」

あたしは訝しげな表情でイズルへと視線を落とした。
あたしの左腕に生い茂る黒いワカメは「ええ」と同意しつつ少しだけ首を傾けた。
ふわりとたなびくその黒の隙間、そこから覗く小さく鋭い二つの眼球がいつものようにすっと細められた。

2019.7.23
Thank you for reading their story !
→ Next is ……?

© 2024 雨袱紗