5、"This is our cruel prayer."
「やさしくありませんように」と祈らなかった人物など、誰もいない。
あとがきのページではそう書かせていただいたのですが、折角ですのでもう少し詳しく説明します。
以下、メインとなる5人の人物における「やさしくありませんように」が、具体的にどのような様相を呈していたのかを、紹介させていただいています。
①アルミナの祈り
「他のことは何も、あなたのこともこの子のことも、ピアノもマリーもお花も怖くないのに、此処に在る全てが優しいのに、ただ、生きていることだけが、とても」(第二章37話)
「いいえ、「世界」が素敵な場所であろうとなかろうと、わたしもあなたも、きっと生きなきゃいけないの。
生きるってとても惨たらしいことだから、ひどく辛いことだから、……だから人は誰かの手を探すのね。一人になりたくないから、誰かの手を握るのね」(第三章57話)
優しいものに囲まれていた筈の彼女は、しかし「生きている」という「やさしくないこと」にのみ苦しめられていました。
けれども「あたし」との時間により、彼女は止めていた時を動かすことを選びます。
彼女の祈りは「一人になりませんように」「わたしの大好きな人達と生きていかれますように」ということでした。
②ズミの祈り
生きることは優しくなどないし、易しくもないのです。そうでなければいけないのです。
もし、生きることが本当に優しいものであったなら、では私は、彼女が毎日の時を回すことにあれほど苦しんでいる、その苦痛の理由を何処に見ればいいというのでしょう?
もし、生きることが本当に易しいものであったなら、では私は、彼女を生かすことに悉く苦戦を強いられている私を、どのように嗤ってやればいいというのでしょう?(第二章25話)
「もう貴方は、私がいなくても大丈夫ですね」(終章62話)
彼は、自身がこんなにも苦しんでいる理由を求めていました。彼は、彼女があんなにも生きることを苦痛に思っている理由を探していました。
第二章での彼の祈りは「私達の苦しみに意味を下さい、理由を下さい」ということでした。
終章での彼の祈りは、アルミナが62話で推測していた通りです。「私がいなくても、貴方が生きていかれますように」ということでした。
その祈りが届いても尚、彼等は共に生き続けています。
③あたしの祈り
生きることは易しくない。生きることは優しくない。だから、こんなことをしようとしているあたしは、もしかしたら易しくて優しいのかもしれなかった。(第三章56話)
「あたしはきっと、あなた達を生きていかれるようにするために生まれてきたんだわ」(第三章58話)
いつか来る「死」というものに備えて、その訪れが限りなく優しいものになるように、生きている。やさしくない世界を、生きている。(終章64話)
56話にて死のうとしている自身のことを「優しくて易しい」と形容しているところから、彼女の「やさしくない」とは「生きている」ということだと推測できます。
彼女の力強い祈りはブレていません。「今を懸命に生き続けたい」「あたしの大切な人達に生きてほしい」ということでした。
④お姉ちゃんの祈り
でも、それでもいいわ。生きているってきっとこういうことなのよ。優しくも、易しくもない。やさしく在ってはいけない。やさしくない方がきっといい。
やさしく、ありませんように。(終章67話)
負け惜しみであるかもしれない「生きていることへの喜び」を、それでもいいとすることのできる強さが、67話の彼女にはあります。
それを彼女はきっと「あたし」から貰ったのではないでしょうか。
彼女の静かな祈りは「生きていることを喜べますように」ということでした。
⑤マリーの祈り
「誰かの死が誰かを引きずり込むようなことが、誰かの幸せごと連れ去るようなことが、そんな優しくないことが、あってはいけないんです。
でもやっぱり、現実は優しくなんかないでしょう?人の死は相変わらず、重くて、惨くて、優しくないままでしょう?」
「私の死が誰かを道連れにするかもしれないと、誰かの幸せを奪ってしまうかもしれないと、
そうした疑念が少しでもあるうちは、自ら望んで死ぬなんてこと、できないんです」(第二章32話)
この世界線のマリーに「生きたい」という意思は希薄です。沢山の人との縁を繋ぐことで、その幾重もの絆の糸によりなんとか生き長らえている状態です。
彼女はいつでも死ぬことができます。彼女の脚を縛る絆の糸がなければすぐにでも死ねます。超えてはいけない理の向こう側、親友はいつでも彼女を呼んでいます。
彼女の祈りは「私が生きなければならない理由がなくなってしまいませんように」ということでした。
6、Out of the book
<ある著者の後悔>
実は、ずっと思っていたことがあるんです。酷いことです、惨いことです。
でも、もしズミさんがあの人と、アルミナさんと出会わなければ、彼はもっと幸せに生きられたんじゃないかって、そう、思わずにはいられないんです。
確かに、芸術の世界に浸り過ぎているところのある人でしたが、彼はそれで幸せだった筈です。
アルミナさんと出会わずとも、彼は料理とポケモンバトルの世界を回し続けるだけで、十分に幸いだった筈なんです。
どうしてズミさんはアルミナさんに出会ってしまったのか、どうしてあの日、まだ子供だったアルミナさんの料理を作ったのが、他の誰でもなく彼だったのか。
そんなことを、私は何度も考えるんです。二人が出会ってしまった意味を思って、苦しくならずにはいられないんです。
同じようなことを、私は何度も何度も思うんです。
もし私の娘が二人のお子さんと出会わなければ、お子さんはもっと楽しく生きることができたかもしれない。
この町の呪いのことなんか何も知らずに、もっと自由に生きられたのかもしれない。
強くて勇敢で、生きるための何もかもを備えていたあの子は、きっと一人でも外に出て、あの町で沢山、友達を作ったことでしょう。
社交性のあるあの子なら、他の誰かを親友と呼ぶことだって叶った筈です。
でも、私の娘だった。他の誰でもなく、私の娘があの子と親友になってしまった。
それは本当に歓迎されることだったのか。他にもっとまともな幸いがあったんじゃないか。私が娘をあの子に会わせたことは、本当に正しかったのか。
そうしたことを、私は何度も何度も考えるんです。
もしズミさんが私に出会ったりしなければ、彼はもっと心穏やかに、アルミナさんとの時間をゆっくりと回すことができたのかもしれない。
もしあの子が娘に連れられてあのカフェに向かうことがなければ、あの子はあのカフェでの仕事に縛られず、もっと穏やかに生きていられたかもしれない。
もし私が娘をカロスに連れて来なければ、娘は私が大量に持っていた手紙の正体に気付かないまま、何も知らないまま、明るく元気に成長してくれていたかもしれない。
もし私が、……私が、出会わなければ、もし出会わないままだったら、そうしたら。
……もしかしたら、花は枯れなかったかもしれない。今も、生きていたかもしれない。
思わずにはいられないんです。どうしても、考えてしまうんです。何度も何度も夢に見て、何度も何度も悔いるんです。
でも、戻れないんです。出会ってしまったら、もう出会う前には戻りようがないんです。
そうした不可逆的な罪を、取り返しのつかない罪を、私は生きるために、沢山、沢山重ねてきたんです。
出会うってとても残酷なことですね。縁って、どうしようもないことですね。悲しくて惨たらしくて切なくて虚しくて、とても、本当に、
「それでもわたしは、貴方に傘を差し出せてよかったと思っていますよ」
貴方の罪が本当に「罪」の形をしていたのか、確かめてきては如何でしょう、と彼は言いました。
貴方はきっと、とても驚くことになると思いますよ、と彼は笑いました。
貴方の目には「罪」にしか見えないものが、周りの人の目にはこの上ない「救い」として映っているのですから、と、限りなく優しい言葉だけを選んで、告げました。
「大丈夫ですよ、貴方は間違っていません。仮に間違っていたとしても、わたしが支えます」
(太陽の呪いは塩辛く、海はただ静かに凪いでいる)
2017.7,7
Thank you for reading their story.
And thank you for reading her sorry.
I pray for you keeping alive even if I disappear.