窓のある壁際に凭れ掛かるようにして星の雨を眺めていたあなたは、いつの間にかフローリングにぺたりと寝転がるような形で眠ってしまっていたようでした。
当然、その間、閉めることを忘れた窓は開け放たれたままで、その窓から「何か」が入ってきてもおかしくないような状況ではありました。
そしてあなたは昨夜、降り注ぐ星の雨を見ながら、「あれ」に手が届いたらどんなにか素敵だろうと、確かに思っていたところでした。
けれどもまさか、その願いがこのような形で叶ってしまうなんて!
あの流星群は、夜空から降り注いでいた星の雨の正体は、これだったなんて!
「お姉ちゃん!」
あなたは今が何時であるのか、確認することさえ忘れて、そのタマゴらしき物体を抱きかかえたままに、彼女を呼びました。
寝室の扉を勢いよく開けて、散らかった部屋の隅に位置するベッドの中、もぞもぞと動くその人物にあなたは大声で話しかけました。
「……おはよう。随分と、早起きね……」
「起こしちゃってごめんなさい。でも、見て!」
糸のように細くしか開かれていない、彼女の眠そうな眼前に「それ」を差し出せば、ややあって彼女の目がぱちりと大きく開きました。
あ、と声を上げて、沈黙して、そしてクスクスと楽しそうに笑いました。
そっと手を伸べて、タマゴのようなものの表面をそっと撫でて、懐かしむように笑って、また撫でて、また笑って。
そうしたことをしばらく繰り返していた彼女は、ふっと小さく息を吐いてあなたに、信じられないようなことを告げました。
「これはポケモンのタマゴだよ。もう中で動いているから、そろそろ孵るんじゃないかしら」
「……」
「よかったね、セラ。貴方はこの子が孵ると同時に、ポケモントレーナーになるのよ」
あなたは何から驚けばいいのか、とても迷ってしまいました。驚くべきことが、あまりにも多すぎたのです。
ポケモンは、タマゴから生まれる生き物だった!
つい昨日まで、ポケモンを見たこともなかったあなたの腕に、何故だかポケモンのタマゴがある!
そのタマゴは元気よく動いていて、近いうちにあなたの腕の中を選んで生まれてくる!
その瞬間、あなたはただの小学6年生から「ポケモントレーナー」になる!
「……どうしよう」
あなたは思わずそう呟きました。途方に暮れてしまったのです。
嬉しくて、嬉しくて、どうにかなってしまいそうでした。あなたに訪れたあらゆる衝撃は、あなたが消化できるレベルをゆうに超えてしまっていました。
少し落ち着く時間が必要であるように思われました。呼吸さえも覚束なくなってしまいそうでした。
「大丈夫よ、落ち着いて」
そんなあなたの心を読んだように、彼女はあなたの肩をそっと抱きました。
ぽん、ぽんと規則正しくあやすように背中を叩かれて、それでようやくあなたは呼吸を思い出すことができたのでした。
「セラ、着替えておいで。そのタマゴのことをとてもよく知っている人のところに、話を聞きに行こう」
「……えっと、今から?」
「そうよ。あの子には朝しか会えないから、今の内に捕まえておかなくちゃ」
まるで蝶を捕まえるかのような言い方をして、お姉ちゃんは楽しそうに微笑みました。
ベッドから勢いよく起き上がり、一歩を踏み出そうとしたのですが、彼女は足元に撒き散らされた書き損じの紙の存在をすっかり忘れていたようです。
それを思い切り踏みつけてしまい、つるんとまるで漫画のように滑って、あまりにも綺麗な尻餅をつきました。
痛みに涙を浮かべた彼女は、笑いを堪えているあなたを見上げて、「起こして」と乞うように、幼子のように手を伸べて笑いました。
この女性は、とにかくよく笑う人でした。
あなたは彼女を引っ張り起こしてから、早速、自室に戻ってお気に入りの服に着替えました。
裾に僅かなフリルのついた半袖のトップスと、シンプルな動きやすい7分丈のズボンでした。
流行のデザインではありませんでしたが、動きやすく、またささやかなフリルがあなたの気分を上向きにしてくれるということもあって、あなたはこれを好んで着ていたのです。
お姉ちゃんは乱暴な水音を立てながら顔を洗い、タオルで顔をごしごしと拭きつつ、あの散らかった部屋に戻って、
山積みにされた洗濯物の中から適当なワンピースを引っ張り出し、頭からがばりと被りました。
髪を二つにきつく縛って後ろへ流してから、麦わら帽子をくいと被り、あなたが帽子を被っていないことに気が付くと、
彼女は笑いながら、クローゼットの奥から似たデザインの麦わら帽子を出してきてくれました。
「それ、貸してあげる。都会みたいにアスファルトの照り返しはないけれど、お日様は相変わらず暑いから、熱中症にならないように帽子は被っておこうね」
「いいの?ありがとう!」
あなたは帽子に付いた白いリボンをとても気に入りました。とても柔らかい生地のそれは、きっとこの町の優しい風に吹かれて、とても美しく揺れるのだろうと思いました。
あなたは帽子を被り、1階へと降りて外に出ました。ドアを閉める直前、カフェの壁にかけられた時計をあなたは目にして、時刻が朝の6時30分であることを確認していました。
まだ早朝だというのに、夏の日差しは既にとても熱く、あなたは麦わら帽子が作る日陰の恩恵に早くもあずかることとなりました。
腕にしっかりと抱きかかえたタマゴにも、帽子の影はしっかりと差していました。
よかった、これならタマゴの中の子も暑さに苦しまずに済みそうだ、と、あなたは自然とそう思ったのでした。
「朝の7時からラジオ体操があるの。町の子供達はあの公園に集まって、一緒に体操をするんだよ。小学校の先生が一人来ていてね、スタンプも押してくれるの」
彼女がそう告げて指差した先には、広い公園がありました。
滑り台、ブランコ、鉄棒、砂場など、公園に相応しい遊具が幾つか、その広い敷地の中に点在していました。
鮮やかな葉を生やした大きな木が、公園の中に何本か背を伸ばしており、下に涼しそうな木陰を作っていました。
最も大きな木の下には、大きな恐竜のような緑色のポケモンが、その長い首を曲げて涼んでいました。
その丸く大きな背中に寝転がって、本らしきものを読んでいる一人の少女に、お姉ちゃんは声を掛けました。
「おはよう、クリス!」
「えっ?……わあ、マスターだ!貴方がこんなに早くから外に出てきているなんて、珍しいね」
その少女はぱっと笑顔になって、勢いよく身体を起こして、その恐竜の首を滑り台にするように、つるんと地面へと滑り降りてきました。
肩より少し上のところで切り揃えられたウェーブヘアは、目の覚めるような空色をしていて、大きく見開かれた目もまた、その髪に等しい色をしていました。
「だって早朝じゃないと貴方が捕まらないんだもの。会えてよかったわ。今日は貴方にお願いがあって来たの」
「ふふ、何かしら?イーブイのタマゴを無事に孵してほしいとか、そんなところ?」
「あはは、ご名答!お願いできるかしら?」
「勿論!他でもない貴方の頼みだもの。断る理由なんてないわ」
空色の少女、クリスの奏でる声は、まるで歌っているかのような独特の抑揚がありました。
まるで彼女の言葉は、ずっと前から用意されていた詩歌のように、するするとあまりにも淀みなくその小さな口から紡がれ続けていたのでした。
クリスはあなたの方へと向き直り、にっこりと微笑みました。少し、笑い方がお姉ちゃんに似ているような気がしました。
「こんにちは、セラちゃん。貴方のことはマスターから聞いて知っていたの。会えて嬉しいわ」
「は、はい!こんにちは!」
「ふふ、そんなに緊張しないで。私はクリス。マスターの「お友達」をやっている、17歳の高校3年生よ。
貴方よりも少しだけお姉さんだけど、丁寧に話そうとしなくていいからね。貴方の、お姉ちゃんみたいになれたら嬉しいわ」
あなたは思わずクスクスと笑いました。
全く同じことを昨日、お姉ちゃんに言われたばかりであることを伝えると、クリスは僅かに頬を赤くして、お姉ちゃんと顔を見合せて、肩を竦めて弾けるように笑いました。
「私とマスターはお友達だから、そういうところ、似ているのかもしれないね」
あなたは少しだけ驚きました。
マスター、すなわちお姉ちゃんの年齢はまだ聞いていませんでしたが、カフェを経営していること、一人暮らしをしていることなどから、
彼女は少なくとも成人していて、この空色の少女よりはずっと年上なのだろうと考えていました。
それ程までに年が離れているにもかかわらず、二人は「お友達」であると、クリスはとても嬉しそうに告げています。
お姉ちゃんも照れたように笑いながら、同意するように頷いています。
どうやらこの町では、年が離れていても「お友達」になれるようです。
都会とは少し違う、この町の「常識」に、あなたは嬉しくなりました。
もしかしたらあなたは、同年代の子供達だけでなく、もっと年下の子や、年上の人、そして大人とさえも、まるで友達のように仲良くなれるのかもしれません。
あなたはそうした期待に胸が膨らみました。この町での暮らしが、より楽しいものになってくれるような、そんな気がしてならなかったのでした。
2017.8.2