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(A7サイズのリングノートが、図書館の禁書コーナーに捻じ込まれている)

1、初代AとCの場合
空色の髪を持つ男と、空色の髪を持つ女は、二人が出会ったときの姿を選び取った。二人は飽きることなくいつも一緒にいた。
女の方には霊感が皆無だったらしく、ゴーストになることで、ホグワーツに住まうゴーストの数を初めて認識することが叶ったようであった。
ゴーストってこんなに沢山いたのねと、感心したようにそう告げて、ホグワーツのあちこちをその半透明の姿で飛んで回った。男は苦笑しつつ彼女にぴたりとついていた。

壁を擦り抜けられること、宙に浮かべること、空を飛べること、死なないこと。生きていてはできなかったあらゆることを、この女は悉く楽しんでいた。
その一方で、生前の趣味であった読書には一層、磨きがかかった。寝食を忘れても、ゴーストの身体は殆ど影響を受けないため、彼女の読書を邪魔するものは何もなかったのだ。
本を読み、論文を書き、ゴーストとなってからも広く活躍していた彼女と、その補佐を献身的に続けた彼の姿は、ゴースト界隈でも有名になりつつあった。
数年もすれば、彼等がアルファベットを名乗ることに異議を唱える人間は誰もいなくなっていた。

ホグワーツに現れるゴーストの多くはCの知り合いであった。Cは生前も死後も、随分と顔が広かったのだ。
不思議なことに、Cに近しい人間であればあるほど、彼女が「此処」にいることを期待してゴーストになることを選んでいるようであった。
明らかに未練のなさそうな魂でさえ、ただ彼女に「会う」ためだけにゴーストの姿を希っていた。
彼女の妹、彼女の後輩、彼女の読書仲間……あらゆる人物が彼女を慕った。
彼女はそうして多くの人に囲まれていたが、彼女自身が真に心を許している人物は、常に彼女の傍にあるAを置いて他にいないようであった。

Cは優しい女性だった。優しいから一人になったのだ。そういう人であった。
Aは優しくない男性だった。優しくないからCを一人にできなかったのだ。そういう人であった。

CとAはまるで生前と同じような暮らしぶりをしていた。朝から晩まで図書館にこもって本を読み耽り、論文を書き、たまに外へ散歩に出かける。
元から寝食を大切にする人間ではなかったため、ゴーストという姿は彼等にとっては、寧ろ都合が良かったのかもしれなかった。
彼等はいつまでも、いつまでも「そう」しているのかもしれなかった。

けれど彼等がゴーストになってから100年余りが経った頃、彼等はその半透明の姿を手放し、命の巡りの中に戻ることを選んだ。
ゴーストになってから手にしたあらゆる学術的栄光を、このホグワーツで手にしたあらゆる思い出を、彼等は同時に手放した。
大好きな図書館の中で、互いの半透明な手を握り合い、互いに名前を言い合って、空に溶けるように消えた。

美しい、と思った。美しい在り方をする魂ほど、あまりにも呆気なくいなくなるものなのだ。

2、二代目AとCの場合
二代目のCは、初代のCをとてもよく慕っていた。少女の姿を取ったそのゴーストは、純粋な目で彼女に教えを乞い、いつまでも、いつまでも彼女に師事することを望んでいた。
初代のCに比べれば、彼女は随分と幼い子であると言わざるを得なかった。聡明で博識ではあったが、やはり初代のCに比べれば見劣りした。
彼女自身もそれはよく解っているようで、加えて彼女は「初代のCを超えたい」などとは全く思っていないらしかった。
ただ、楽しく学ぶことができればそれでいいようであった。半透明の姿でささやかな強欲を愛し続けて、今年でそろそろ、100年を超える。

初代のCがAに支えられていたように、二代目のCを支えたのもまた、「A」を譲り受けた長身の男だった。
常に白衣を着ているそのゴーストのことを、誰かが「白衣の優男」と呼んでからかっていたような気がする。

二代目のAは確かに優男であった。けれど同時に科学的であった。更に彼は人間的であった。それが彼をややこしくしていた。
無機質と有機質の間にピンと糸を張って、そこを綱渡りして楽しんでいるようなところのある男であった。
けれどそんなAが支えるのも、とても人間らしからぬ強欲を抱えたCであったから、この二人は案外、お似合いであるのかも知れなかった。

初代と二代目との最も大きな違いは「生者へと積極的に関わっていくか否か」という点にあったように思う。
二代目のCもAも、ホグワーツに生きる人間をそこそこ愛していた。
彼等はホグワーツの廊下を漂いながら、生徒に挨拶をしたり、教師と雑談をしたりすることをとても楽しんでいたのだった。

初代はゴーストだけと関わり、生きている人間に視線を向けることをしなかった。けれど二代目は命の有無に拘らず、生者にも死者にも同じように視線を向けた。
初代は古い思い出を何度も振り返り、懐かしむことを好んでいた。二代目は新しい思い出を作ることを躊躇わなかった。
初代は本の世界に悉く閉じていたけれど、二代目は本を読みながら、本の世界をこよなく愛しながら、科学的かつ人間的にその世界を広げ続けていた。

初代は確かに死んでいたけれど、二代目のそれはまるで、生きているかのようだった。

3、初代Gの場合
生前の人生の大半を「待つ」ことに費やしたこのゴーストにとって、ゴーストで在り続けることは苦痛でもなんでもなかった。
尊大で高慢な態度を崩さない彼だが、その実、彼も命の巡りの中に還ることを恐れているのかもしれなかった。
それにもし彼が恐れなくなったとして、二代目のCがいなくならない限りは彼も消えたりはしないだろう。
そういう関係なのだ。二代目のCはGの唯一無二の友人であり、彼がゴーストなどという退屈なもので在り続けている理由など、彼女を置いて他にある筈がなかった。

彼は自らの名前を「消滅の呪文」にしていない、数少ないゴーストの一人だ。

……すなわち、彼もまた、生き直すことなど全く考えていないのかもしれない。
彼にはゴーストとして此処に留まり続ける理由を多く持たない。けれども彼は命の巡りの中へと戻るべき理由を、ただの一つも持たない。
だから、此処にいるのだろう。そういうことなのだろう。

4、生き直すことを選んだ無名のゴーストの場合
そう考えると、あの臆病で強情なゴーストが、自分の名前を消滅の呪文に設定していたのは、いずれこうなることへの布石であったのかもしれない。

「生きるとはなんて恐ろしいことだろう。命とはなんて残酷なものだろう。だから私はずっと此処がいい。死んだままがいい。命なんかもう要らない」

……などとふざけたことを言いながら、その実、彼女は生き直したくて堪らなかったのかもしれない。
もっとも、彼女に魔法をかけたとき、私にそのような憶測が働いていたかと問われれば間違いなく「否」であった。
私は「ただ、面白そうだから」という理由で、彼女に魔法をかけた。私の、ただの悪戯だ。

半透明の姿でも随分と綺麗な容姿をしていることが解ったこのゴーストは、けれど色と質量を持つとより一層美しくなった。
皮肉にも私は、私が編み出したこの魔法によって、「生きているとはどういうことか」をあまりにも鮮明に、痛烈に、思い知る結果となったのだった。

この臆病な無名のゴーストが、人と関わることで自らの自尊心をじわじわと満たしていることは知っていた。命を持たない自身のことを恥じていることも解っていた。
だから彼女が、その魔法を解きたがらないだろうということを私は見越していた。
そして、それ故に「本当に生きている人間の中に混ざって」暮らすことを選ばざるを得なくなった彼女が、どれ程の恐怖と苦痛を強いられるのかということもある程度見越していた。

死んだままの方がいいと歌いながら、その実どうしようもない生きたがりである、この臆病で強情なゴーストの「生き直し」を、私は、見届けたくなった。

実体を持っていれば、当然のようにお腹も空くし眠くもなる。何度もその姿になったことのある私は、彼女に必要なものがある程度、解っていた。
医務室の隣を数十年振りに押し開いて、埃を被った掃除用具を適当に片付けた。
食事ができるだけの金額を用意した。寒くないように生徒用の黒いローブを調達した。
彼女が生前に使っていたものと同じ杖を見繕ってきて、それら全てを渡すために、彼女をこの倉庫へと呼んだ。

「眠くなったら此処に来なさい。お腹が空いたらこれでカフェテリアに行きなさい。生きているふりをやめたくなったら、杖を振りなさい」

……正直、1週間も持たないだろうと思っていたけれど、彼女は9月の始めから3か月余りの間、一度も、私がかけた魔法を解こうとはしなかった。
泣きながら、恐れながら、苦しみながら、悲しみながら、それでも彼女は生きようとしていた。それでも彼女は、誰かと共に在ろうとしていた。

彼女が半透明の姿で私に「もう一度、あの魔法を」と乞うたのは、12月の中頃であった。
「ちゃんと生きてみたいんです」と美しいソプラノボイスで告げた彼女は、その夜、本当に自らの名前を紡いでいなくなってしまった。
私は彼女に「生き直す」という勇気を与えた「誰か」に興味が湧いて、それから彼女がホグワーツへと戻って来るまでの12年間、たまにふらりとあの男のところへ訪れた。
他愛もない話をした。一緒に商店街にも行った。久しぶりに食べる抹茶のドーナツは少ししょっぱいような気がした。今は塩味が流行っているのかもしれない。

12年後、あの子は本当に此処へやって来た。
ハッフルパフのネクタイを締めて、腕にラルトスを抱いて、臆病と強情と泣き虫はそのままに、今日もホグワーツで生きている。
一度だけ、生きているふりをしてあの子に話し掛けたことがあったけれど、あの子は肩を大きく跳ねさせて泣きそうに震えながら、何故か「ありがとう」と口にした。
私は性格が悪いから、その「ありがとう」を、私の魔法に対するお礼の言葉であると妄想しておくことにした。

「どういたしまして。ねえ、プラターヌ先生のこと、好き?」

彼女はぽろぽろと涙を落としながら笑った。私は彼女の生き直しの手伝いができたことを、ほんの少しだけ、光栄に思った。


5、YとKの場合
自らの名前を「消滅の呪文」にしていないゴーストも、僅かではあるが存在する。前述したGもその一人だ。
私も、私の友人も、生まれ直す気など更々ない。希うための名前などもう忘れてしまった。
だからこのホグワーツにおいて、YとKが「代替わり」することはきっとない。

私達には夜顔よりも、冷たい羽がきっと相応しい。

(Written by K)
2017.3.31

Thank you for reading her memory.

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