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転生自体はきっと、外界にも普通に存在するのだろう。また、霊感が極端に強い人間であれば、外界でもGhostに似た霊体の存在を確認することだってできていたはずだ。
けれども、外界のGhostと魔法界、特にホグワーツに住まうGhostには大きすぎる違いがある。

外界では、霊体が消滅することを「成仏」や「浄化」などの言葉で表現するようだが、
ホグワーツでの霊体の消滅は、「転生」を指しており、姿を消した霊体は、再び新しい命となって外界もしくは魔法界に生まれてくるのだ。
……当然のことながら、その新しい命は以前の命と同じ「魔法の力」を持っているため、あの呪いの契約書を受け取ってホグワーツを訪れることはほぼ必至である。

つまりこのホグワーツの長い永い歴史というのは、その実、同じ魂の繰り返しであり、魔法使いという貴重な資源をリサイクルのように回し続けた結果の生成物に過ぎないのだ。

「シルバーに会ってほしい子がいるの。私の、たった一人の友達で、ちょっと体は弱いけれど物凄く博識で優秀なんだよ」

私はそう言って彼を教室へと呼んだ。
彼とは中庭でのポケモンバトル以来、競争事、と称して多くの時間を重ねてきていたけれど、
同じく座学などで多くの時間を友人として共有してきた××を、彼に紹介したことはなかったのだ。
私はシルバーとの件をきっかけにして、他の友達とも挨拶程度の会話ならできるようになったけれど、彼女の引っ込み思案は未だに続いていて、
……後から考えればそれはほとほとお節介なことであったのだけれど、彼女のそうした気質が、この出会いを契機として変わっていけばいいと思っていたのだ。

いつものように、教室の隅の席に座って本を読んでいる彼女の名前を呼ぶ。
徐に顔を上げて、私の方を見て微笑んでくれる。立ち上がり、手を振ろうとしたその華奢な腕が不自然なところで止まった。
彼女の深い太陽のような目は、シルバーに釘付けになっていた。
そこには色々なものが混ざった複雑な感情があることは分かったけれど、その感情の中身が何であるのかを紐解くことはできそうになかった。

「シルバー、彼女が前に話した××だよ」

すると彼女は思わぬ行動に出た。慌てたように立ち上がり、私を盾にするようにシルバーから隠れたのだ。
彼女のこんな臆病な仕草は初めてで、思わず私は目を見開いてその華奢な肩を抱いた。

「どうしたの、××? 大丈夫だよ」

ぞっとする程に冷たいその肩は震えていた。そこに私は、彼女が孤独で生きてきた年月の長さを見て取ることができた。
私が押し潰されそうになりながら、何とか孤独と戦って来た時間は、しかし実際に換算するとそれ程の長さにはならなかった。
1か月と少しばかりの孤独は、××とシルバーが押し流してくれた。それで私は普通の、人との関わりを喜べる女の子に戻ることができた。
しかし1年生を3回繰り返し、孤独という名の重たい冷気に慣れ過ぎた彼女が、その孤独を手放し人との関わりの中へ飛び込んでいくためには、
私には想像も付かない程の、勇気や度胸といったものを必要とするのかもしれなかった。

彼女がこんなに怖がることが想定外で、私はどうすることもできずに、その肩にそっと触れた状態のまま立ち竦むしかなかった。
私よりも長身である彼女は、しかし私よりもずっと華奢だ。
それは見た目だけではなく、その心にも言えることだと知ってしまい、彼女の気構えが成っていないうちに他者へと引き合わせようとした私の迂闊さがただ悔しかった。
そんな狼狽える私を助けてくれたのはシルバーだった。

「怖がられているみたいだし、今回は止めておこうか?」

「……うん、ごめんねシルバー、折角来てくれたのに」

「いや、それは別にいい。……そうだな。昼食の奢りで勘弁してやるよ」

彼はそううそぶいて、××を窺うように視線を私の背中に運んだ。
相変わらず深く俯いたまま固まっている彼女に苦笑しながら、彼は優しく言葉を掛けた。

「××っていうんだな。俺はシルバー、レイブンクローの1年だ」

そこでようやく××は顔を上げた。シルバーは精一杯優しい顔を作っているようにも見えた。
言葉を選びながら、慎重に話し掛けてくれた。元来彼はそうした気遣いの出来る優しい人なのだ。
少なくともそれは、××の気持ちを考えずにいきなりシルバーを紹介してしまった私には、到底持ち得ない優しさだった。

「××のことはコトネから何度か聞いていたんだ。また機会があれば、俺にも勉強を教えてくれ。コトネの教え方は下手だからな」

「酷い!」

すると××は僅かに笑って、小さく、本当に小さく頷いた。
シルバーはそれに安堵したように微笑み、その場を後にする。教室が再び静かになった。
生徒達は授業のギリギリにならないとやって来ない。それまで貸切状態の教室で、私は××と授業の予習をしたりお喋りをしたりするのが日課だった。

「……××、ごめんね」

青ざめた顔の彼女に話し掛ける。彼女は優しく首を振り、決して私を責めなかった。

「良いの。気にしないで。コトネ以外のクラスメイトに話しかけられるのが久しぶりで、びっくりしただけだから」

悲しそうに笑う、そんな彼女をどうにか助けてあげたかった。しかしそれは杞憂だったのかもしれないと思い始めていた。
多くの人と関わることをしなくたって彼女は変わらず魅力的だ。そんな自分の周りにある装飾に拘っていたのは、他でもない私だったのだと気付かされた。
そんなものに拘るなんて馬鹿げていると言いながら、私の中にもそうした汚い、俗めいた考えが潜んでいることを知った。
しかもそうした考えを抱くだけに飽き足らず、私はその価値観を××に押し付けようとしたのだ。それはとんでもなく罪深い行為に思われて、私は強い罪悪感に苛まれた。

「良いんだよ」

しかし彼女は優しく笑う。ただ笑っている。私のせいで辛い思いをしたはずなのに、そのような心地をおくびにも出さない。
静かに凪いだそのメゾソプラノが、私のことを否定も軽蔑も非難も叱責も決してしないその優しい声が、何故だかほんの少しだけ、怖いと思ってしまった。

「ねえコトネ。もう私のところにいなくても大丈夫でしょう?」

「え……?」

コトネには、もっと素敵な人がちゃんといてくれるでしょう?私なんかよりもずっと、素敵な人が」

私は愕然とした。勿論、彼女の発言にではない。そんな発言を彼女にさせてしまった残酷な自分が許せなくて言葉を無くしているのだ。
どうしてそんなことを言うのだろうと泣きたくなった。お願い、そんな風に簡単に私を切って捨てたりしないでと縋りたくなった。
彼女にそのようなことを言わせるきっかけを作ったのは間違いなく私の方であるはずなのに、どんなことがあっても彼女は私を責めたりしなかったのに、
私はあろうことか、彼女を、私が悲しむ言葉を紡ぐことを選んだこの天使を、責めようとしている。

「嫌だよ、私は××じゃなきゃ嫌。ねえ、××はいいの? 私が××から離れてしまってもいいの?」

そういうことだろうか。そんな残酷な言葉を平気で口にできる、そうした位置にしか私はなれなかったのだろうか。
彼女にとっての「友達」とは、その程度のものでしかなかったのだろうか。
それとも彼女は孤独に慣れすぎていたのだろうか。だから私よりも容易にそんな言葉を紡げるのだろうか。
一人に、独りに戻ることを私のように恐れていないから、その辛さを覚えすぎているから、だからそのようなことが言えるのだろうか。
全てのことが私には解らなかった。理解の及ばなさはもどかしさに変わり、私の心臓をぐつぐつと煮詰めた。××に対してではなかったはずの感情が溢れて止まらなかった。

「だって、それがきっと大人になるってことだよ。いつかは皆離れてしまうの。変わってしまうの。それは悲しむことじゃないんだよ。
コトネは今、とても正しい変化をしているの。私はその背中を押せることがとても嬉しい」

彼女は何もかもを諦めているようにも見えた。私にはそれが許せなかった。
孤独に過ごしてきた時間が少し違うだけで、こんなにも私達の間には隔絶が生じてしまうものなのだろうか。
それとも、私が子供で、××が大人であるだけなのか。

「私はこの通り、病気がちだから、きっとこれから先も何度か留年するよ。私はそういう意味でもいつか貴方に置いていかれてしまうね。だから、気にしなくていい」

「じゃあ、一緒に大人になろうよ。私が貴方の手を引くから。貴方が何度病気になったって、何度留年したって、私、貴方の友達でいるよ。貴方のことを大好きなままでいるよ」

「……」

「私はずっと××と一緒にいたい」

息を飲む音がすぐ近くで聞こえた。
呆然と立ち尽くす私の飲み込んだ息は、きっと彼女の肌のように冷たかったに違いなかった。

「そうだね、一緒に、いられたらいいのにね」


私の天使が、泣いていた。


溢れてくる涙を両手で次々と拭いながら、それでも彼女は困ったように笑うのだ。あまりの痛々しさに眩暈さえ覚える程であった。
やめて、笑ったりしないで。泣いているのに笑顔なんて作らないで。けれども言葉にできない懇願が届くはずもなく、彼女は困ったような笑みを崩さなかった。
まるでそれが天使の責務だと言わんばかりに、彼女は微笑み続けていた。だから私は、その濡れた頬に指を伸ばす他になかったのだ。
驚く程冷たい頬を伝う涙は、やはり同様に冷たくて、まるで本当に天使のようだと、思えてしまって。

「ありがとう」

それは何に対しての言葉だったのか、私にはよく分からなかった。
そんな曖昧なお礼なんて要らない。今の私に必要なのは許しであり、確信だった。
彼女の隣に在ってもいいとする彼女からの許しと、彼女が私を求めてくれるという確信が欲しかった。

「ねえ××。大切な人と離れることが大人になることなの? それなら、私は大人になんかなりたくないよ」

その言葉を彼女は決して否定しないだろう。分かっていてそのようなことを口にした。
そんな私は、いっそ悪魔めいた狡い我が儘を振りかざす私は、もう××の導きなしには歩けなくなっているこの私は、いつか彼女の、天使の、羽を。

2013.12.5

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