此処で一つ、この魔法界にだけ存在する奇妙な現象について説明しておこう。「転生」という概念についてだ。
花の種を土に植えると、芽が出て茎を伸ばし葉を茂らせ花を咲かせて、実を作って死んでいく。残された種を土に植えれば、同じ命がまた芽を出す。
1年の周期で巡ることが多い花の命だが、この魔法界にも巡っているものがある。それは人の命だ。
魔法を操る力を先天的、あるいは後天的に会得した人間達を外界から呼び寄せ、杖を与えることで魔法界の「輪廻」へ組み込むこの試みは、
全ての人間が持っている訳ではない「魔法の力」というものを絶やさないため、魔法という高尚で神秘的なものを未来永劫受け継がせるために、何百年も前から続けられている。
魔法の力を持つ者に送られる「ホグワーツ本校」への招待状。
あれが「巡る命」という、美しく憐れな花のそれに似たおぞましい呪いの契約書であることを、生きている人間はきっと誰も知らない。
*
「じゃあ、ホグワーツ一周にしようよ」
「いいぜ。今日こそ負かしてやる」
お姉ちゃんから譲り受けた箒に跨り、私は勢いよく地面を蹴った。
レイブンクローの先輩でもある彼女はとても几帳面な性格で、そんな彼女に使われた平凡なブランドの箒は、
けれどもニンバスやファイアボルトなどの新作に劣らないスピードで空を駆けてくれる。
クディッチのような瞬発力および持久力が求められる競技で使うならともかく、個人で空を飛んで楽しむ程度ならこのお下がりで十分すぎる程だ。
どんなに上質な箒を手に入れても、下手な人間にそれは使いこなせない。
クディッチのプロは練習用の安い箒でも見事に飛んでみせるのだ。ワタル先生やイブキ先生が良い例だった。
より有効な手段を求めればキリがないし、それならば与えれらた道具を文句を言わずに使いこなした方が良い。
上手く飛べないのは箒のせいだ、なんて言ってしまうのは格好が悪いし、何よりそれは間違っていると思えた。
……同様に、配属された寮に文句を言っている生徒を見ていると、何故か無性におかしくなった。
どうしてそんなものに拘るのだろう。大事なのは結果であって、そこに至るまでの過程を麗しく飾り立てることも、自分にくっ付いた名前に拘ることも無為で馬鹿げたことなのに。
そんなものが無くたって××は素敵だ。素晴らしい成績を残しているし、控え目で大人しい彼女は今まで出会ったどんな大物よりも魅力的だ。
彼女のようになりたい、彼女にいつか追いついてみたいという夢は、今でも私の中にずっとある。
似たような考えをシルバーも共通して持っているらしく、彼は私よりもずっと育ちが良さそうでありながら、所持している杖や箒の高品質性にはあまり拘っていない。
スリザリンには魔法界で名の知れたお役所の人や学者の子供達が沢山いるけれど、そうした存在には見向きもせず、
彼は真っすぐに、平々凡々な生まれでしかない私のところへやって来るのだ。
いっそ頑固とも取れそうな程の徹底した実力主義、置かれた場所で咲くことを美徳とする価値観、彼に宿るそれらの信念が私は好きだ。
だからこそ、彼と競争している時間は最高に楽しかった。
けれども彼と競い合える時間、というものを純粋に楽しみながら、私の心を躍らせたのは「絶対に負けてはいけない」という強い緊張感だった。
この楽しい時間を続けたければ、彼の美しい信念に長く触れていたいのならば、常に彼より秀でていなければならない。
彼に劣る部分が、少なくともテストやバトルのような勝敗が客観視できるものにおいては、ただの一つもあってはならない。
私はそう、本気でそのように思っていて、だからこそ以前にも増していろんなことに熱心に打ち込んでいた。
「私、強くなるよ。もっと、ずっと強くなる。そしていつまでも、君が追いつけないままの私でいるの」
そう一人で呟き、私は更に飛行スピードを上げた。もう後ろにシルバーの気配は感じない。当然だ。私の前を飛ぶシルバーの姿など、想像するだけで恐ろしかった。
……あれから、私の生活は少しだけ変化した。
今まで××を中心に回っていた世界が、少しずつ広がりつつあった。
シルバーとの会話がその最たるもので、彼は私の予想通り、事あるごとに勝負を申し込んできたから、
××と一緒にいられない時でも、私は「生きている人間」と会話をする機会を多分に得ることができていたのだ。
「ほら、私の勝ち!」
そして、そうやってシルバーと関わっている私に、話し掛けてくれる人がごく稀に現れた。
それは「おはよう」とか「おやすみ」とか、「相変わらず箒、上手だね」とか、そうした挨拶や一言の感想を贈られるだけのものだったけれど、
今までそんな遣り取りすらなかった私には、そうした言葉が生きている人間から飛んでくることがどうしようもなく新鮮だった。
随分と遅れを取ったものの、私はようやく普通の学園生活を楽しむことができているのかもしれなかった。
彼等は勿論、シルバーにも挨拶をしたり、声を掛けたりする。彼は「ああ」と短い相槌で挨拶を返すだけで、特にそれ以上、誰かと会話を続けようとはしなかった。
そんな彼は、初めて会った日の言葉通り、レイブンクローの中でも「一匹狼」を貫いている。
それは彼が私のように変人扱いされている訳でも気味悪がられている訳でもなく、彼の性分というか、個性のようなものなのだろうと思う。
コミュニケーション能力を著しく欠いているとかそういうことではなく、単に「同じクラスに気の合う奴がいない」のだと彼は話していた。
そんな彼だから、何かしらの「目的」がなければ人と関わろうとはしない。「強者に挑む」という目的があるからこそ、彼は私に声を掛けているのだ。
その「強者」がこの場合は私であり、シルバーにとって私の存在は、とても、……その、都合が良かったのだろう。
彼は私ではなく、成績優秀者の一番上にいた私に声を掛けただけなのだ。そして本来ならば、声を掛けられるべきは私ではなく××であるはずだったのだ。
これはきっと、偶然の一致に過ぎない。私がテストでトップに立ったのも、××が自分の名前を隠すように頼んだのも、彼が私の名前に目を付けたのも、きっと全て、ただの偶然。
だからこそ、そうした不思議な偶然が運んできてくれた出会いを大切にしたかった。
「駄目だな、飛行術は分が悪い。」
「そうかな? バトルの方が勝負は見えていると思うけど」
「言ったな。今に見てろよ」
射るような鋭い眼で睨まれて、しかしそこに憎悪や嫉妬の色は窺えない。彼が持っているのは単純な悔しさだった。
彼のそれなりに高いプライドを幾度となく折ってきてしまった私にも、八つ当たりをしたり、暴言を浴びせることはしない。そうした上品な姿勢にも彼の育ちの良さが窺えた。
少なくとも彼なら、しつこく話し掛けてくるゴーストに対して怒鳴りつけたりもしないのだろうな。そんなことを考えて私は笑った。
彼は私と似ている部分を多分に持ちながらも、やはり私とは決定的なところで大きく違っているのだ。その違いを今は面白く心地の良いものとして楽しむことができていた。
「だってね、シルバーが私に対して対策を立てられるように、私もシルバーとのバトルに対策を立てられるんだよ?」
「……まあ、そうだな」
「だから、数をこなして有利になっていくのはシルバーだけじゃないよ。私だって成長できるの。だからまだそう簡単に負けてあげないよ」
腕の中でチコリータが得意気に鳴いた。シルバーは難しい顔をして考え込んだが、しかし何か思いついたように笑った。
「いいや、そうだとしても俺の方が少しだけ有利だろう」
「どうして?」
「コトネは成績こそ秀でているが、頭はあまり良いとは言えないからな」
言い返せるか? と楽しそうに聞かれて私は言葉に詰まった。
大方、今でもホグワーツの造りが解らずに迷子になったり、箒に「上がれ」と命じることを忘れて暴走させたりしたことを思い出しているのだろう。
「何所か抜けている」という評価は、私にとって甚だ喜ばしくないものだった。こんなことで××のようになろうなんて無理な話だ。
「だから直ぐに追い抜いてやるさ。努力する才能に関してはドローだが、俺の方がここは恵まれているからな」
自身の頭を指さした彼に腹が立って、私は彼の頭上にある跳ねた赤い髪を引っ張った。
何をするんだ、と怒った彼は、私の短いツインテールを掴もうとして、しかしその手は不自然なところで止まった。
自分にも他人にも厳しい彼だが、礼儀には人一倍気を遣っている。他者の髪を引っ張るという行為は、彼にとっては粗野で無礼なこととして認識されていたに違いない。
そんな彼を差し置いて、その髪を引っ張ってしまった自分が情けなくて、私は視線を足元に落としつつ「本当にそうかもしれないね」と呟いた。
しかし突然彼は私の頭を軽く叩き、彼が浮かべるにしては珍しい、眩しく朗らかな笑顔を、何かを大きく深く許すような笑顔を、私に向けた。
「らしくないことを言うな。冗談だよ」
困ったように笑いながら「本気にしたのか?」と尋ねてくれる彼の前で、どうしてこれ以上へそを曲げることができただろう。
彼は優しい。私には持ち得ない優しさを、さも当たり前のように差し出してくれる。
それにどう応えられるのかと迷った挙句、やはり何もできなかった。それでも彼は私を責めない。彼は私を否定する言葉を選ばない。その点は××にとてもよく似ていた。
「……どうした?」
「ううん、ありがとう」
不思議な偶然の重なりが運んできてくれた彼との出会い。私はこの出会いを大切にしたいと心からそう思っている。
そして、友達の作り方を知らない私は、××に全て許され全て導かれてばかりだった私は、
その「出会いを大切にする方法」というものを「彼に勝ち続けること」くらいしか、思い付くことができない。
この致命的な欠陥を、強者であり頂点であるはずの私の欠落を、彼が知ればどう思うのだろうか。
2013.12.4