Ghostは、生前に加え、死後に蓄えた知識の豊富さから、教鞭を取る立場として招かれることもある。
とはいえ霊感の強い人間でなければ、その教員の姿を捉えることなどできやしない。
けれどもGhost本人は見えずとも、そのGhostが黒板に書かれる字や、Ghostが動かしているものなどは目視できる。
そのため、教員との会話を必要としない座学などの教員枠に欠員が出た場合などは、半透明の教員が授業をする光景がホグワーツのあちこちで散見される、といった具合であった。
霊感の弱い人間にとって、姿の見えない存在を「教員」とするのは不自然極まりないことであるが、
Ghostが教鞭を取るという事実がホグワーツの会議で問題になったことはこれまで一度もない。
生きている教員にとっては悔しい話であるかもしれないが、姿が見えず声も聞こえないという大きなデメリットに目を瞑れば、
彼等は知識人として、教員として、十分すぎる程の活躍ができていたからだ。
生きている人間よりもずっと長く、学問を究めたり薬物の調合に勤しんだりしていたのだから、そうした分野においてGhostが秀でてしまうのは仕方のないことであった。
食事も睡眠も必要なく、壁をすり抜け宙に受ける存在というのは、何かを極めるにあたっては非常に都合がいい。
「生命の維持」とかいう面倒なものに縛られることなく、好きなことを好きなだけできるからだ。
そういう訳で、長く生きたGhostほど、人間としての常識を忘れがちであり、彼等は総じておおよそ化け物じみている。
命のない姿でいればいる程に、彼等は人間だった頃を忘れていく。
彼等は生きている人間と会話を楽しみ、随分と良い気分になっているようだが、それはGhostの側だけが見られる泡沫の夢のようなものだ。
人間からすればあたし達など、人型をした怪物に過ぎない。
*
信じられなかった。自分の目を疑って、何度も何度も瞬きをした。
大きなテストが終わり、成績優秀者の貼り出しが行われたその日、私はGhostだけでなく、生徒の間でも有名人になってしまっていた。
……いや、今までも十分に「何もないところに怒鳴りつける変人」「いつも一人で辺りを睨みつけているおかしな子」というような悪目立ちはしていたのだけれど、
そうした悪い有名性ではなく、一般的に見て誇れるレベルの有名性を、あろうことか私が手にしてしまう日が来るなんて想像もしていなかった。
廊下に張られた白い紙、その一番上に見つけた自分の名前。「今回のテストのトップを飾ったのは貴方だ」という事実を知らされ、私はひどく困惑した。
もしかしたら、同じ名前の誰かがいたのだろうか。私はクラスメイトの顔と名前さえまだ覚えきることができていないので、その可能性は大いにあった。
けれども名前の隣に記されたテストの得点も、私の手元にある答案用紙のそれと1点のズレもなく同じだった。
成る程、これは確かに私の名前だ。それは信じられた。けれども私が1番というのは在り得ない、とも確信していた。
つまりこの紙は偽物で、誰かが私を揶揄うために取り付けた悪趣味な罠なのだろう。
誰の仕業かしら、などと思いながらその紙を剥がそうと手を伸べたのだけれど、通りかかったスリザリンの寮監、サカキ先生に咎められてしまってそれは叶わなかった。
「おい、何をしているんだ」
「……えっと、この悪戯を剥がそうとしていたんです」
「これは本物だ。端にちゃんとホグワーツの印鑑も押してあるだろう。……どうした、信じられないのかね?」
サカキ先生は苦笑しながら杖で私の額を軽く突いた。もう一度その貼り紙を見れば、確かにホグワーツの印鑑を隅っこに確認することができた。
けれども、この紙が真実なのだとすれば益々おかしい。いくら私がここ数週間でがむしゃらに勉強していたとしても、それでも一番になれるはずがない。
私の分からないことを全て教えてくれて、いつだって私の先を行く知識と知恵を鮮やかに披露してくれた、そんなあの子の名前が私の上にないなんて、絶対におかしい。
「この採点、間違っていると思います」
「何故そう思うんだ」
だって、××の名前がその場所になければいけないんです。
そう続けようとした言葉は、絶妙なタイミングで天井から降ってきたKの姿により遮られた。
Kは比較的霊力のあるGhostに分類されるらしく、またサカキ先生もそれなりに霊感を持ち合わせているようで、
互いに互いの存在を認識したKとサカキ先生は、目を見合わせて軽く挨拶を交わしていた。
次の授業へと向かうため足早に立ち去ったサカキ先生を見送り、Kは眉を釣り上げた尊大な表情で私を見下ろす。
サカキ先生との会話を遮られたことに文句を言うべきところだったのだろうけれど、
その自信に溢れた視線と、弧を描いた唇と、上質なカーテンのようにサラサラと垂れ下がる前下がりのワンレンボブが美しくて、私はつい息を飲んでしまう。
「××はね、此処に自分の名前を載せたくないんだって。だから先生に、自分を省いたリストを作ってほしいってお願いしているのよ」
「……どうしてそんなことを?」
「さあ? どうせ目立つのが嫌だとかそういう陰気な理由なんでしょう。本当のところを知りたいなら、あんたから聞いてみるといいんじゃないかしら」
そう言って彼女は床へと消えていった。私はどうにも釈然としない気持ちのまま歩き出していた。
勉強を教えてくれたのは他でもない××だった。それまでGhostの介入により、授業すら満足に受けられなかった私に、××は呆れることなく丁寧に教えてくれた。
1年生は3回目だからと彼女は謙遜したが、まるで先生に教わっているように分かり易かったのを覚えている。
解れば勉強が楽しくなる。知識を得る快感を知れば「もっと」を望む。図書館に入り浸っていたこともあり、私は勉強の虜になっていた。
しかしそんな「純粋に楽しいから続けているのだ」という建前の中に「××のようになりたい」という本音を潜ませていたことは否めない。
彼女はそう思わせるに十分な魅力を備えていた。だから私は彼女に付いて行こうと思ったのだ。
『私と友達になって!』
あの時、そう声を張り上げることのできた相手が××で良かった。私は本気でそう思っていた。
友人として、先輩として、一人の人間として、そうした全ての名称において彼女は私の憧れであり目標だった。
故に私は、今回の張り紙の件を彼女に尋ねないことにした。
彼女がどういった理由で自らの名前を隠すことにしたのか、そうしたことを根掘り葉掘り尋ねる時間を、私はもう少し有意義なことに使いたかったのだ。
それに、彼女の素晴らしさが他のクラスメイトに知られていないという事実は、奇妙なことに私を少しばかり嬉しくさせていた。
彼女は私の友達であり、私も彼女の友達であり、私達には他に誰にも干渉せず、誰からも干渉されず、これからもずっと静かに過ごしていくのだろうと、
そうしたことを考えると、私はたただた幸せな心地になれてしまったのだった。
私はもう一人ではない。そして私の孤独を埋めてくれたのが、他の誰でもない、私の憧れた彼女である。他に何が必要だったというのだろう。
「お前がコトネか?」
けれどもそうした静かな世界、歪であると何処かで自覚していながらも、きっとそのあまりよくない平穏に甘んじ続けるのだろうと思っていた私は、
その世界が破られるあまりにも鮮烈な音に、びくりと肩を跳ねさせることになってしまって、その驚きのまま弾かれたように声の方へと振り返ることとなった。
Ghostに話し掛けられることがほとんどなくなった今、この声の主が「生きた人間」それも「同い年のクラスメイト」であることは容易に予測できた。
そして案の定、まだ完全に声変わりをしていないのだろうと思われるやや高めのテノールボイスは、私と同じくらいの年の男の子のものだった。
レイブンクローのネクタイをしていて、傍にヒノアラシを連れていて、赤い髪が肩の上で特徴的に跳ねていた。
「……えっと、はい、そうですよ」
「敬語は要らない。俺はシルバー、レイブンクローの1年だ」
その名前には聞き覚えがあった。先ほど夢か現かと迷ったあの貼り紙、一番上にあった私の名前。シルバーという名前は、その直ぐ下にあったのだ。
彼の足元で、ヒノアラシが激しく炎を燃やしている。そこに敵意めいたものを見ることは驚くほどに容易く、私は次に彼が何を口にするのかを察することができた。
「俺と今すぐ、此処で勝負しろ」
私より先に反応を返したのはチコリータだった。腕からぴょんと飛び出して、ヒノアラシに駆け寄り得意気に笑ってみせる。
その動作に続く形で私も「いいよ!」と快諾して、競うように中庭へと駆け出した2匹に続く形で廊下を走った。
自明のことだがチコリータは草タイプだ。そしてヒノアラシは炎タイプ。にもかかわらず、チコリータの、そして私の笑顔が崩れることはなかった。
勝気な私のパートナーと、調子に乗っていると思われても仕方のない私の笑顔を見た彼は、けれども私達の傲慢を許すように同じく強気の笑顔を浮かべた。
「じゃあ始めようか。負けないよ!」
「学年1位ともあろう奴が、タイプ相性を知らないのか?」
「うん、知っているよ。知っていて、その上で言っているの」
その言葉にシルバーは面食らったような表情を見せたけれど、すぐにまたあの眩しい笑顔へと戻った。
まるで私が、このような自信に溢れた文句を紡ぐことが分かっていたかのような表情だと思った。
幼さの残る声でヒノアラシに指示を出す彼、シルバーは、けれども私が知る1年生の中で、誰よりも大人びているように見えた。
*
ポケモンバトルの成績は、××にタイプ相性や特性などの知識を教わる前からそれなりに良かった。
Ghostの半透明の体をすり抜けてチコリータの葉っぱカッターが空気を割くこの瞬間を、私はいっとう好んでいて、
故にタイプ相性の悪すぎるヒノアラシ相手にも、馬鹿の一つ覚えのように葉っぱカッターやマジカルリーフなどの指示を繰り返していた。
力でのごり押しと捉えられても仕方がなかったが、チコリータは満足そうであった。そんな彼女、チコリータに、私はパートナーとして全幅の信頼を置いていた。
この子が人間の言葉を喋れる存在であればよかったのにと、独りであった初秋の頃はそう思っていたけれど、
けれども私がこの子との時間で完全に満たされてしまっていたなら、××と出会うことも、そしてきっと彼とバトルを楽しむこともできなかっただろうから、
……そう考えると、この最愛のパートナーが持つ不自由性というものは、私にとっては喜ばしいものであったのかもしれなかった。
そんなことを考えながら思いっきりバトルを楽しみ、チコリータは辛くも勝利した。負けるつもりは私にも彼女にも微塵もなかったけれど、やはり物凄く嬉しかった。
シルバーは倒れたヒノアラシを抱き上げこそしたけれど、労りの言葉を投げることはせず、険しい表情でこちらを見るのみであった。
「お疲れ様って、言ってあげないの?」
「今そんなことを言ってどうする? そんなものは気休めだ。今は生温い言葉を掛けるべきじゃない。それを俺もこいつも理解している」
そう言いながらすぐさま傷薬をポケットから取り出すその姿を見て、私は幾分か安堵した。
この人は自分にも他人にも厳しいのだろう。その厳しさをきっとヒノアラシも好ましく思っている。だから傷を癒されている今、その表情は安心しきっているように見えた。
私とチコリータの間にあるのとは少し違う種類の「信頼」の形は、少し眩しかった。
「……流石に強いな」
しかしそんな彼が、そのたった一言で私を認めてくれた、その事実に今度こそ私は眩しくなって、ただ、ただ眩しくなってしまって、
有り体な謙遜も、調子に乗った文句も紡ぐことさえ忘れて、ただチコリータを腕に抱いて息を飲む他になかったのだった。
「俺より優秀な奴がどんなバトルをするのか知りたかったが、成る程、敵わないはずだ。技の火力が桁違いだし、攻撃に躊躇いがなさすぎる」
「……あ、えっと、ありがとう!」
「ふん、そうやって余裕ぶっているといい。いつかその足元を掬ってやるぞ」
「またバトルしてくれるってこと? いいよ、待ってる!」
これから彼が何度も私に挑んでくるだろうことは容易に想像がついた。そして、私はその全てに勝たなければいけないと思っていた。
この人はおそらく、私が変人であること、おかしな子であることを知っている。知っていて、それでも声を掛けたのだ。
成績優秀者の最上段にいた私が気になったから。その力を味わってみたかったから。そしていつか私を打ち負かして、彼自身があの頂点に立ちたいと思っているから。
……だから、もし私がこの彼との楽しすぎるポケモンバトルを望み続けるのであれば、私は常に彼より秀でていなければならなかったのだ。簡単な仕組みであった。
そしてきっと私は、そのためなら、孤独を回避するためならきっと何処までだって頑張れてしまうのだろうとさえ思われたのだ。
私と××だけで繰り広げられていた、あまりよくない平穏を、彼が破ってくれた。
どんなに霊力の低いGhostでも見えてしまう変人。誰もいない場所を睨みつけるおかしな子。
そうした周囲からの印象なんかよりもずっと、私の強さというものが彼にとっては大事であるらしかった。
「話し掛けてくれてありがとう」
「おい、勘違いするなよ。お前と仲良くするつもりで声を掛けた訳じゃないんだからな。……でもまあ、俺も一匹狼だから、暇な時なら相手くらいはしてやってもいい」
君が注目してくれた強さに足る人間になろう。君にとって「都合の良い好敵手」で在り続けよう。
こうしてまた一つ、私が頑張るための理由が出来た。
2013.12.3