八つのパンドラ

※50万ヒット感謝企画

悪魔(ここではポケモンということにしています)を召還・使役して、町を襲う悪魔(ポケモン)と戦い、壊滅していく世界を守るために「7日間」を生きる物語。
突如として溢れかえる謎の生き物、ポケモンに対抗する術を探していたトウコは、自らを「N」と名乗る不思議な青年と、その青年が率いる組織「プラズマ団」と出会う。
プラズマ団は、この崩落する世界を守るために以前から活動していたらしい。
そのトップにいる彼はポケモンの力を使いこなすトウコに目を掛け、自分の組織に引き入れようとする。しかし彼女はどうにも、この大きくて小さな王様が気に入らないようだ。

不思議な男だと思った。けれどそれ以上に、不愉快だった。
この崩壊する世界を前にして、全ての人が驚き、恐怖し、混乱し、そして絶望していた。
けれどこいつだけは、いや正確にはこいつの率いるプラズマ団とかいう組織の連中もそうなのだけれど、彼等は一様に、あまりにも淡々とし過ぎていたのだ。
ずっと前から「こう」なることを予測していた、と言う彼等は、しかし混乱する民衆を、まるでアスファルトに落ちた煙草の吸殻か何かのように冷めた目で見ていた。

「あんた達、安全な避難場所を作っているんでしょう?あの人達を助けるための食糧だって持っているんでしょう?どうして分けてあげないの?」

一度だけ、Nにそう尋ねたことがある。
私は何故だかこの王様に酷く気に入られていたから、私を含めた私の周囲の人間に対する、プラズマ団の対応はかなり手厚いものだった。
だからこそ、そうした対応は、私にだけ為されるものであってはならないと思ったのだ。それはこの世界に生きる人間として、ごく普通の、当然の考えだと思っていた。

「……何故ボクがカレ等のような、無能な人間を助けなければいけないんだい?」

それは皮肉でも何でもなかった。彼の声音や表情には、そうした醜い一切の色が含まれていなかったのだ。
彼は、私がかつて生きていた世界の皆を「無能だ」と蔑み、その中で私だけを「特別だ」とし、拾い上げている。
それは彼の中で、非常識なことでも非道なことでもなく、ただ効率的で合理的な「当然の」ことなのだと、彼のあまりにも真っ直ぐで残酷な声音がそう告げていた。

恐ろしかった。不気味だと思った。しかしそれ以上に私は、憤っていた。
ほんの数日前まで私の宝物だったこの町が、異世界から現れたポケモンとかいう生き物にめちゃくちゃにされていく。
そして同じ人間である筈の彼は、しかしそんな凄惨な町並みを見て「カレ等は無能だったから当然のことだ」と、ただ淡々と告げるのだ。

この男は思い上がり過ぎていた。思い上がらないことを知らなかった。だから私はこの男を嫌い、この男から距離を取ろうと努めた。

けれどこの王様は、何故か私に酷く懐いた。その「懐き」に私の実力を評価する意味が含まれていないことを、私は彼との会話の中で少しずつ理解していった。
私を評価し、特別扱いをするためだけなら、何もこいつが直々に出てくる必要などなかったのだ。プラズマ団には多くの団員がいるのだから、彼等に私の世話を任せておけばいい。
けれど彼は毎日のように私の隣を歩く。そして事あるごとに私の腕を取り、「あれは何だい?これは何故?」としきりに尋ねる。
……そう、この大きくて小さな王様は、極度の世間知らずだった。

「ボクはハルモニアの一族として、この世界を守るための知識だけを効率的に教わって来たからね。こういうことは、知らなくてもよかったんだ」

そう言いながら、自分のスニーカーの靴紐を結びあぐねて「おかしいな」と首を捻る彼の姿を見て、私は憤怒とはまた別の感情が、自分の中に湧き上がっていることに気付いていた。
強烈な濃度で私の脳を支配した「呆れ」の感情は、私が彼を拒むことを柔らかく禁じた。

難解で複雑な数式を鼻歌代わりに呟き、素人には意味を推測することすらできないような専門的な用語を操って団員に指示を出す。
そんな聡明で博識の過ぎる彼は、しかし私のような一般人が生きる世界のことを殆ど知らないらしい。そのアンバランスはあまりにも滑稽だった。
けれど「あんたにそんなことを教えてあげる義理などない」と、その長身に似合わない細すぎる肩を突き飛ばすことはもう、できなかった。

私は、思い上がらないことを知らない彼のことは嫌いだ。けれど、何も知らない彼のことは拒めない。
この複雑な感情は私を苛立たせたけれど、最近ではもう、どうでもいいような気がした。
「どうでもいい」などとみっともなく全てを看過してしまえる程に、ここ数日で起きた世界の崩壊は凄まじく、私からいろんなものを奪い過ぎていた。
今更、こいつに何を奪われようとも構わない。このアンバランスな王様に憤るだけの気力は、もう、私には残っていない。
だからせめて、こいつまでも失うことのないようにと祈っていた。気に食わない男だけれど、こいつが世界を救うための鍵ならば、手放してはいけないのだろうと心得ていた。

プラズマ団の本部、その地下にある不思議なワープパネルは、私達を遠く離れたジョウトの地へと運んだ。木曜日の、昼下がりのことだった。
コガネシティという、ジョウトでは一番大きな都市を歩いていた。隣には当然のようにNがいる。「どうして私に付いてくるの」と、顔をしかめて尋ねることはしなかった。
ジョウト地方も大きな被害を受けているようだったけれど、コガネシティは幸いにも攻撃を免れているようだった。
けれど隣で彼は神妙な顔つきを崩すことなく、「此処にはラジオ塔があるから、何としてでも守らなければいけないね」と呟く。
どうして塔を守らなければいけないのか、私はよく解らなかったから「ふうん、そうなの」と適当な相槌を打つだけに留めておいた。

ねえ、N。私は、あんたが何をしようとしているのか、推測することすらできないような、酷く出来の悪い人間なのよ。
ただちょっとポケモンに指示を出すのが上手いだけで、本当なら私も、あんたの言うところの「無能な人間」に含まれる筈だったのよ。
いつ、あんたが私の空虚さに気付いてしまうのか、それが、少しだけ恐ろしい。

「……トウコ、あれは何だい?」

声に出すことなくそうした何もかもを呟いていた私に、彼はいつものようにクエスチョンマークを呈した。
さてこの王様は何に興味を示したのかと、その長い指の先を追えば、たこ焼きの赤い屋台が目に飛び込んでくる。
鉄板で生地をひっくり返しているのだろう、その音と、ソースの匂いがここまでやって来て、思わず笑ってしまった。
「美味しそうだなあ」と思わせる何もかもをその屋台は有していて、私は彼の質問に答えるより先にそちらへと駆け出し、ポケットから財布を取り出した。
どうやら1パック600円であるようなので、千円札でいいか、と紙幣を取り出すと、隣にNが怪訝そうな顔をして歩いてくるのが気配で分かった。

「この丸いものは……ひょっとして、炭水化物なのかい?」

「たこ焼きっていうのよ。食べたことない?」

「こんな道端で乞食のようにお金を強請る人の品など、ボクは受け取ったことがないからね」

カウンターの向こうでおじさんが表情を強張らせるのが分かったから、私は小声で「ごめんなさい」と謝ってから、おつりを受け取ることなくその場を後にした。
おじさんに謝りはしたけれど、私はNを責めなかった。責めたところで彼は自分の発言を、悪いものだと決して認識しないと分かっていたからだ。
こいつに、働いている人を侮辱するのは最低の行為だと戒められるほど、私は出来た人間ではなかったし、何よりそうした教育を施す余裕など、とうに失われてしまっていた。
だから私は何も言わず、隣で静かに白い発泡スチロールのケースを開いた。けれどやはり彼はその丸い炭水化物……が気になるらしく、興味深そうにこちらを覗き込んでは首を捻る。

「特に特殊な調理方法を必要とするものではない筈だけれど……これはあのように、外で作らなければいけないものなのかな?」

「そんなことないわ。でもああやって、ソースの匂いや鉄板の音を私達に拾わせることで、美味しそうだなって、食べたいなって思わせてくれるように出来ているのよ。
それに、焼き立てが食べられるから味だってずっと美味しいわ」

それでも尚、彼は苦笑して「どうにも効率の悪い食べ物のように感じるね」とのたまう。
そんなことを言うのならあんたはサプリメントと砂糖だけで生きていればいいのだと思ったけれど、どうにも憤ることすら大変なことのように思えて、私は微笑みだけ湛えておいた。
細い楊枝でたこ焼きの一つを突き刺し、歩きながら口へと放り込んだ。「随分と行儀の悪いことをするんだね」と眉をひそめる彼に、思いっきり、声を上げて笑った。
彼はそんな私を、軽蔑的に、呆れたように、しかしどこか恐れるように、見ていた。

Nは屋台でたこ焼きを買う時の、あのどうしようもないわくわくとした心地を知らない。Nの持つものさしには「効率」と「非効率」の目盛りしか刻まれていない。
私の世界とNの世界は交わらない。にもかかわらず、こいつは私の隣に並ぶ。「あれは何だい?」と必死に私の世界へと下りようとする。
その本質は私達の生きるこの世界にどう足掻いても交わらないものである筈なのに、それでも彼はこちらの世界への、そして私への興味を失わない。
難儀なことだと思った。可哀想だとも思った。何よりこいつに対してそんな風に思ってしまう私が、誰よりも滑稽なもののように思われてならなかった。

二つ目のたこ焼きに楊枝を突き刺し、それをNの口元へと持っていけば、彼はその、色素の薄い目を大きく見開いて沈黙した。いつしか、私達の足は完全に止まっていた。

「ほら、早く口に入れないと冷めちゃうわよ」

彼は暫くの逡巡の後で、躊躇いがちにその口を開けた。えい、と笑いながらたこ焼きを押し込めば、彼は酷く長い時間をかけてそれを咀嚼し、飲み込み、やがてそっと、口を開いた。

「美味しいね」

パチン、と何かが弾ける音を聞いた気がした。Nのたった一言は鋭い針となって、私の心に大きく膨らみ続けていた、諦念という名の風船を、あまりにも豪快に、割った。
後に残ったのは、どうにも醜い欲望だけであるように思われたけれど、それでも私はその欲に忠実に従って、Nの腕を、掴んだ。

この、酷いことばかり言う王様と、私の世界は交わらないものだと諦めていた。
生きてきた世界も、知っていることも、為すべきことも違うのだから、こいつのことなど何も解らないのだから、適当にあしらっていればいいのだと思っていた。
けれど、私の言葉は彼に届くのかもしれない。私と彼は違い過ぎると諦めていただけで、実は、私達の世界は共有されるのかもしれない。
だって、「美味しいね」と困ったように笑う彼は、ただの、少し背の高い男の子以外の何者でもないように思われてならなかったから。同じなのではないかと、夢見てしまったから。

「キミの見せてくれる世界は、とても素敵だね」

私はNの腕を掴んだまま、三つ目のたこ焼きを黙って彼の口に押し込んだ。
とても素敵、なのは何も私が見せる世界に限ったことではないのだと、この世界にはそうしたことで溢れていて、だからあんたに彼等を切り捨てる資格など何処にもないのだと、
……いつか、私は、こいつに知らしめることができるかもしれない。その頃には、もしかしたら、私もこの大きくて小さな王様を、嫌いにならなくなっているかもしれない。

これが私の掴んだ唯一の希望、崩壊していく世界の中に見出した、私だけの意味だ。

2016.3.3
くまさん、素敵な作品のご紹介、並びに企画へのご参加、ありがとうございました!

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