火花は雨のように

毎年8月、カイナシティで花火大会が行われる。
アオギリはアクア団の活動を、今日の夜7時から全面的に休止するように予定を組んでいた。
若者が集うこの組織は、お祭りごとが大好きな集団でもある。彼等のモチベーションを高めるためにも、アオギリはこの花火大会を、アクア団の予定の一つとして入れていたのだ。

仕事をキリのいいところまで片付け、ミナモシティから出る船でカイナに向かった。
サメハダーの背に乗った方がずっと早く着くのだが、着慣れない浴衣を身に纏っているため、今回は大人しく船の世話になった。
既に多くの人がカイナシティに集まっている。焼きトウモロコシやカステラ、リンゴ飴といった食べ物関連の屋台も大通りにずらりと並んでいた。

青い浴衣にアクア団のマークを付けた部下たちは、砂浜にゴミを捨てないようにと呼び掛けたり、大きなゴミ袋を抱えて彼等のゴミを回収したりしていた。
この花火大会への参加は、彼等の息抜きであると同時に、砂浜の美化活動も兼ねていたのだ。
アオギリはそれを明言しなかったものの、彼等はそれを解っているようで、その働き様に思わず笑みが零れる。
その中で、率先してそうした活動に取り組むべき人物が、その大きな体躯を持て余すように大通りの隅に座り込んでいたので、その笑みを苦笑に変えてアオギリは歩み寄った。

「おいウシオ、何やってんだ。お前もあいつ等を手伝ってやれよ」

「兄ィ……。だって、オレっちが歩くと子供が泣いて逃げていくんだ」

自らが泣きだしそうになりながらそう告げる部下を笑いながら励まし、下っ端の集まりに何とか参加させたところで、今度は別の方向から声が掛かった。
「なんだイズミ、お前まで……」そう言って振り返った先に、思わぬ人物の姿を見つけてアオギリは目を見開く。

「アオギリさん、こんばんは!」

彼岸花のような赤を身に纏って、その少女はいつもの笑顔でこてんと首を傾げてみせた。
何故、アクア団の連中と一緒にいるのだろう。怪訝な表情をしたアオギリの疑問にイズミが答えてくれた。

「下っ端の女の子たちに浴衣を着せるのを手伝ってもらっていたんだ。アタシだけじゃ手が足りなくてさ。いいところのお嬢様は、着付けまでできるんだね」

「へえ、そうかい。うちの奴等が世話になったな、トキちゃん」

「いいえ、楽しかったです。お礼にリンゴ飴も買ってもらったんですよ」

その少女の手元には、もう8割方食べられたリンゴ飴が握られていて、少女は笑いながらその残りに豪快に歯を立てた。
果たして、イズミの言うところの「いいところのお嬢様」である彼女に、そんな砂糖をコーティングしただけのものが口に合うのか否かは甚だ疑問ではあったのだが、
口を動かして飴の中のりんごを咀嚼しながら「美味しい」と微笑む少女が本当に嬉しそうだったので、アオギリは余計な口を挟むまいと相槌だけ打つことにした。

「リーダー!そろそろ花火が始まりますよ!」

砂浜の方にいた部下からの呼び声と同時に、夜空に一輪の花火が咲いた。あまりに大きな開幕の合図に、大通りがざわめく。
数秒遅れて聞こえてきた轟音に懐かしさを覚えながら、少女の方へと視線を移し、……息を飲んだ。
屋台の明かりに照らされた彼女の顔は、笑っていなかったのだ。
つい先程まで朗らかな笑みを見せていた筈の彼女が「笑っていない」。いつもの表情が失われた彼女のその横顔は、アオギリに相当の衝撃を与えた。
しかし彼女は直ぐに笑みを取りなし、少しだけ早口で紡ぐ。

「それじゃあ私、知り合いと待ち合わせをしているので、これで失礼しますね」

「あれ、そうなのかい?てっきり一緒に見られるものと思っていたよ。それじゃあ、今日は世話になったね。また遊びにおいで」

イズミが残念そうな声音で彼女を見送り、砂浜の方へと歩き出した。
アオギリもそれに続きながら、僅かな違和感を看過することができずに振り返る。
真っ赤な着物の背と辛子色の帯。いつもは無造作に後ろで一つに括っているその髪は、上で団子状に纏められ、白い首筋がやわらかな女性らしい曲線を描いていた。
その髪に刺された朱色のかんざしには、ちりめん細工の赤い花が3つほど、縦に吊り下げられ、彼女が足を踏み出す度にゆらゆらと揺れていた。

わっという歓声があちこちから聞こえる。どうやら次の花火が上がったらしい。しかしアオギリは海の方に視線を移すことができなかった。
夜闇に浮かび上がる大きな大輪が、少女の後ろ姿を照らし、そして、

「!」

数秒ほど遅れてやってきた轟音とほぼ同時に、その紅い姿がアスファルトに蹲った。

先を歩いていた部下に「悪い、ちょっと抜けるぜ」と告げたアオギリは、履き慣れない下駄でアスファルトを蹴り、少女の方へと駆け出した。
その華奢な体躯に近付き、目線を揃えようと屈む。
「どうした、大丈夫か?」と尋ねようとしたところで、彼女の両手がその耳に押し当てられていることに気付き、そういうことかと苦笑した。

アオギリは考えるより先に手を伸ばしていた。少女の膝の裏あたりに腕を指し入れ、ひょいと抱き上げる。
突然のことに「え!?」と悲鳴に近い声を上げる少女だが、その腕の主が見知った相手であることに気付き、鈍色の目を大きく見開いた。

「え、アオギリさん、どうして、」

「ほら、もういっちょ来るぞ」

夜闇に大きな花が開くと同時にそう告げれば、彼女は再び両手を耳に当てた。
成る程、先程の不自然な早口はそういうことだったのかと、おそらくこの場から一刻も早く立ち去りたいであろう少女のために、人の波に逆らいカイナシティの北へと歩いた。

人の波が少し緩やかになったところで、少女の方から「アオギリさん、大丈夫ですよ。腰が抜けた訳じゃないんですから」と、笑い声と共に告げられた。
しかしその笑い声は少し掠れていて、ああ、虚勢と解る虚勢はこんなにも痛々しいものなのかと、アオギリは苦笑しながら少女を下ろした。
彼女はまだ両耳に手を当てていて、その体制のままにアオギリの方を真っ直ぐに見上げ、恥ずかしそうに肩を竦めてみせる。

「お恥ずかしいところを助けて頂き、ありがとうございます」

耳を塞いでいるため、自らの口から出る声の加減が解らないのだろう、やや大きな声音で感謝の言葉が紡がれた。
気にするな、とその頭をいつものように撫でようとしたが、あまりにも美しく整えられたその髪を崩してしまっては申し訳ないと思い、肩を軽く叩く程度に留めておく。
「花火の音が怖いのか」と、解り切ったことを尋ねるのはどうにも躊躇われ、ではどのような言葉なら相応しいだろうと考えていると、彼女の方から口を開いた。

「今まで聞いたことのない音だったので、驚いてしまって。……アオギリさんは平気なんですね、羨ましいなあ」

「そりゃあ、毎年のように聞いてりゃ慣れもするさ。それで、知り合いとは何処で待ち合わせているんだ」

その言葉に彼女はその強張った表情にいつもの笑みを浮かべ、声を上げて笑い始めた。どうやら耳を塞いでいてもこちらの声は拾うことができるらしい。
「アオギリさん、こんな時くらい私の嘘を見抜いてくれてもいいんじゃないですか?」と、軽く非難するように紡ぐ。
勿論、「知り合いと待ち合わせをしている」という、別れ際の彼女の言葉が嘘であることにアオギリは気付いていた。
花火の音を聞いただけで戦慄し、身動きが取れなくなってしまう彼女が、こんな場所を待ち合わせ場所に選ぶ筈がない。
今の言葉は彼女の肩の力を抜かせるための戯言に過ぎなかった。

「!」

再び、海の方から花火が上がり、数秒遅れて轟音が聞こえる。
耳を塞ぐだけでは足りないのか、肩を竦めて目を瞑る彼女だが、音が去った次の瞬間には夜空を食い入るように見つめ、あの花が上がるのを今か今かと待っているのだ。

「この音を聞きたくないなら、家まで送ってやるが、どうする?」

「……いいえ、見ます。だって、ずっと見たかったんですもの。浴衣も、リンゴ飴も、花火も、……この轟音だって、ずっと、夢に見ていたんですもの」

そうして彼女は花火を目で追う。鈍色の目を大きく見開き、そこに夜空の色彩を閉じ込めるように、瞬きすら惜しむような必死さで花火を見つめている。
ああ、この少女は今まで、浴衣を着たことも花火を見たこともなかったのだ。だからこうしてカイナシティを訪れ、花火の美しさに見惚れ、そして、あの轟音に驚いたのだ。
アオギリやイズミがいたあの場を去ったのは、おそらくこの音に驚き、あまつさえ恐れを抱いている姿を知られたくなかったからだろう。
なんとも彼女らしい見栄だと思う一方で、そんな恐怖の対象である筈の花火から決して目を逸らさない彼女に、いじらしさのようなものを覚えた。

アオギリはその隣で、花火と少女の様子とを交互に確認するように視線を泳がせていた。
やがて慣れてきたのか、少女は両耳を塞いでいた両手をそっと離す。途端に聞こえてきた轟音にその華奢な肩が跳ねる。しかし、もうその手が耳を塞ぐことはなかった。
彼女は笑うことも怯えることもせず、ただその目を大きく見開き、空に向けて呟いた。

「……心臓を、持っていかれそうになる」

真っ赤な着物の背と辛子色の帯を締めた、いつもと違う装いをした少女。
髪を団子状に纏めて白い首筋を晒し、夜の薄闇にやわらかな女性らしい曲線を浮き上がらせる少女。
花火の轟音に驚く度に、その髪に刺された朱色のかんざしに吊り下げられたちりめん細工の花が揺れる。

再び聞こえた轟音に、アオギリの心臓までもが「持っていかれる」。

「アオギリさん。私のこんなかっこ悪いところ、誰にも言わないでくださいね」

言うものか、とアオギリは思った。
花火や浴衣に歓喜の情を露わにする彼女を、その轟音への恐怖に蹲る少女を、驚愕と戦慄を繰り返しながらも花火から目を逸らすことのできない彼女を、誰にも教えるものか。
果たして「かっこ悪い」のはどちらだったのか。アオギリはそんなことを思いながら、「トキちゃんのお願いを無下にはできねえなあ」と、快く了承の返事を紡ぐ。

2015.8.21

© 2024 雨袱紗