無彩色を打つ波紋

※50万ヒット感謝企画、参考曲「君がいるから……」(西脇唯)、ゲーム本編での流れを追う形での回想、BW2を思い返しながらお楽しみ頂けると幸い

これは科学者たる男と、ポケモントレーナーたる少女の、奇跡の共鳴を綴った記録だ。

この科学者にとってポケモンは、自らの求める真理に辿り着くための研究対象であった。それ以上の愛着や情というものは、真理を追い求めるための妨げになるものと信じていた。
勿論、ポケモンのコンディションを整えるためのケアは綿密に施したし、彼自身、自らのポケモンを相応に信頼していたが、
それを「ポケモンに対する愛情のため」とするには、どうもそうした温度がなさすぎるように、彼自身も常々感じていたし、
また科学者として、そうした温度を持たせるべきではないと心得ていた。

彼は常識と良識のある人間だった。
それ故に、自らの思考や価値観が少しばかり常人のそれとズレたところにあることにも気付いていた。
しかし科学者というものは得てしてそういうものだと思っていたため、その隔絶を恐れる気持ちなど更々なかったのだ。
物事をどこまでもフラットに見る感覚、真理を何処までも突き詰めていく情熱と好奇心、そのためなら手段を択ばない見境の無さ。
研究者たる彼が染まるに至ったそれらの「性分」を、彼が悔いたことなどおそらくはただの一度だってなかったのだろう。

しかしそうした男の、今までずっと揺るぎなかった、そしてこれからも揺らがない筈であったポリシーを揺らしたのは、たった一人の、それもたった12歳の少女だった。

砂嵐の吹き荒れる4番道路で行った彼女とのバトルで、彼女の繰り出すポケモンはあまりにも軽快に、情熱的に動いた。
彼女の上擦った声音で繰り出される指示に応えるべく、視界の効かないフィールドの中で必死に男のポケモンに狙いを定めるポケモンの姿がそこにはあった。
そして少女の必死な指示はポケモンに力を与え、男のポケモンを打ち負かすに至ったのだ。

「貴方は各地のジムリーダー、あるいはポケモンリーグにいる四天王とチャンピオンのように、ポケモンを大切にすることでその強さを導き出す人であるようですね」

「え?……ふふ、そうですね。そうできていればいいなって、思います」

「おや、確固たる信念の下に行動しているのではなかったのですか?」

彼女は子供らしい小さな肩を竦めて困ったように笑い、「まだそんな立派なものは、持っていなくて」と申し訳なさそうに告げた。
彼はその答えに特に頓着することなく、ポケモンバトルの礼を告げたのだが、立ち去ろうとする間際に少女は「でも、」とやや上擦った声で、背を向けた彼を呼び止めた。

「でも、私のポケモンとの関わり方に信念があるとすれば、「ポケモンが好き」だということがそれに相当するんだと思います」

若干12歳の幼い子供が、真摯な思考で捻り出すことの叶った疑問を、しかし男はどうにも迷いなく肯定してやることができなかった。
そうした愛情めいたものというのは、個人の思いに過ぎないものだと思っていたからだ。
それはこの世界に羽ばたく大きな理論や真実の下では、何の意味も為さないものであると考えていたからだ。

そうした男の怪訝そうな表情をから少女も何かを察したらしく、「確かに、不確かで主観的なものでしかないのかもしれないけれど、」と首を捻って紡いでから、
けれど真っ直ぐに男を見上げ、はっきりとした迷いのない声音で紡いだのだ。

「どんなに多くのデータより、どんなに正確な理論より、私と私のポケモンとの間では、きっとこれが真実です」

この少女は、真理を求めるために旅をしているのでは決してないのだろう。
ただ大好きなポケモンと、共にイッシュを巡り、多くの出会いを経てその小さな身体に数多の経験を詰め込むことが、彼女の旅の目的であったのだろう。
そうした、研究者としての心得を何も持ち合わせていないこの少女は、しかし男が研究者であり続けるために捨ててしまった何もかもを振りかざして、
何の裏付けもない筈のその言葉を、しかし彼女自身のバトルによって、ポケモンとの絆によって「これが私の真実だ」と断言した。

その言葉はアクロマに、理論やデータを飛び越えたところにある己の信念を思い出させるだけの強烈な引力を持っていたのだろう。
彼とて、ポケモンを好きでない筈がない。彼は科学者であったが、それ以前に一人のポケモントレーナーであった。ポケモンとの時間を愛する一人の男であった。
そのような当然のことを、けれど研究者たる彼が長年忘れてしまっていたことを、少女の言葉はあまりにも鮮烈に、ともすれば暴力的な威力をもってして、呼び起こした。
だからこそ、彼は少女の言葉を、彼女とのバトルを、忘れることができなかったのだろう。

「わたくしが学究の徒として求める理想、真実、それはポケモンが持つ本来の力、それをどうすれば引き出せるのか……。
できうるならばこれまでどおり、トレーナーとポケモンとの信頼関係であって欲しい!あなたはそれが正しいと教えてくれるのか楽しみです!」

ホドモエシティのPWTにて、決勝戦まで勝ち上がって来た少女に放ったこの言葉、おそらくはこれが男の全てだったのだろう。
これが、少女と同じ「たった一人のポケモントレーナー」というところに降りた彼の、心からの願いであり信念だったのだろう。

少女の信念は男のそれを呼び覚まし、見事な和音で共鳴するに至ったのだ。

この少女の掲げた信念を見届けたいと思った。それは純粋な好奇心であり、また彼自身の願いでもあった。
そうして彼女の旅路に幾度か現れ、彼女のポケモンの成長を自身の目に焼き付けた。

彼女の想いがポケモンに与える力は、男の予想を遥かに上回っていた。
これまで自分が積み重ねてきた幾多の実験、そこから導き出される技の威力の理想値、それを彼女のポケモンはいとも容易く超えてきていた。
彼女がかつて男に放った根拠のない信念は、しかし彼女自身の歩みによって真実へと姿を変えようとしていた。

「貴方は、プラズマ団と戦うのですか?」

だからこそ男は、少女の手を引いてしまったのだろう。
それが男の立場に悖ることだと知っていながら、どうしても彼女を引く手を離すことができなかったのだろう。

この少女の信念は、プラズマ団との対峙によって必ず真実へと姿を変える。
根拠などなかった。全ては少女の中に起きた一つの現象にすぎず、たった一つの経験だけでは、それまでの理論を塗り替えることなどできはしない。
それでも手を引いてしまったのは、そこに男個人の希望が含まれていたからだ。少女の求める理想が真実になればいいと、願ってしまったからだ。

人の情緒や祈りとはそうした、根拠のない、けれど確かな意思と信念から来るものであると、男は他でもない、この少女に教わったのだ。
嘘を吐くこと、人を疑うことさえ知らないような幼い少女の姿が、彼に教授し彼に思い出させたことはあまりにも沢山あった。ありすぎたのだ。

『わたくしの望む答えを、あのトレーナーが教えてくれた!』

しかしそうした人の心から長年離れすぎていた男は、気付かなかったのだ。
少女がプラズマフリゲートで男の姿を見つけた時、どれ程のショックを受けたのか。己の立場に悖ると解っていながら、それでも自身を導いてくれたことがどれ程嬉しかったか。
また、感謝の言葉だけを告げて忽然と姿を消してしまったことに、どれ程傷付き、どれ程悲しんだのか。
そうして再びポケモンとの旅路を歩みながら「会いたい」と思い続けたことが、少女の小さな歩幅をどれ程大きく、どれ程忙しないものにしたのか。
彼はそれら全てに思い至ることができなかった。

故に数週間後、プラズマフリゲートに飛び込んできた少女が男の姿を見つけた瞬間にわっと泣き出したことに、彼が酷く驚き狼狽したとして、それは当然のことだったのだろう。

「……此処まで来るとは、貴方も物好きですね」

そう告げて手袋を外し、少女の涙をぎこちない指使いで拭いながら、男はようやく、自らの胸にふわりと沸いた幸福の色を知覚するに至ったのだ。

今日もプラズマフリゲートの甲板に小さな足音が響く。こんにちは、と他愛もない挨拶の言葉が、屈託のないソプラノで男の背中を確かに叩く。
そうして暫く他愛もない話を重ねたところで、どちらからともなくポケットからモンスターボールを取り出す。
少女は微笑んで踵を返し、甲板を駆けたその向こうで勢いよく彼女の愛した命を繰り出す。

バトルは少女の勝利に終わることが殆どであったが、いつか彼女と遜色ないところまで辿り着けると男は信じていた。
彼女に教わった何もかもは、今もそのまま男の真実に溶け続けているのだから。
そのことを確認するように、その幸福を噛み締めるように、男は少女に問い掛ける。

「ポケモンが好きですか?」

少女が満面の笑みで「大好きです!」と、モンスターボールを宝物のように両手でふわりと包み込んで告げる。男も当然のように微笑んで頷く。
二人の共鳴を祝福するかのように海が揺蕩う。その波紋が二人のもっと深いところへと届くまでに、そう長く時間は掛からないように思われた。

2016.3.12
真美さん、素敵な曲のご紹介、並びに企画へのご参加、ありがとうございました!

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