食べられないものがあったっていいじゃない。いくら人間が雑食だからといって、そんな好みまで一様に決められている訳ではないのだ。
私にも好きな食べ物、嫌いな食べ物があるのだ。それを一様に食べて欲しいなんてそれは無理な話だ。
そう思いながら、しかし無理にでも口に入れるべきだったのではという懸念も頭をもたげている。それはむくむくと膨らみ、罪悪感に形を変え、そして私を圧迫する。
私は本日何度目かになる溜め息をついた。ポケモン達のボールが鞄の中で心配そうに揺れた。
大丈夫だよと嘘を吐き、ああ、こうやって彼にも嘘を吐くべきだったのかもしれないと考えてまた新しい溜め息をつく。
別に彼と喧嘩をした訳ではない。プライドが高くて、人一倍自分のポリシーに誇りを持っている彼のことを、私はそれなりに理解しているつもりだった。
彼の料理に込める情熱は並々ならぬものだ。それを私に振舞ってくれるその意味を、私は正しく理解しなければならなかったのだ。
『新作の料理を食べて頂きたい。今日の夜、レストランに来てくれませんか。』
『私で良いんですか?』
『ええ、ラストオーダーの時間を過ぎた頃にいらして下さい。貸切ですよ。』
そんな申し出を受けたのが昨日のことだった。私はポケモンリーグの常連客となっていた。
バトルの終わりに一言二言会話をする。そんな時間を楽しみにしていた。
強情で、自分の信念を曲げることは決してない。生き辛いだろうなと思いながら、その愚直ともいえるカリスマ性に惹かれて、多くの人が彼を崇拝した。
それは四天王という実力者に、又は一流の料理人としての尊敬だったが、私は一人の人間として、彼を心から尊敬していた。
自分の信念を貫くには生半可な覚悟ではいけないのだと、私は彼に教わった。彼のような強さが欲しかった。つまるところ、私は彼に憧れていた。
しかしそんな「憧れ」すら建前であったことに、私は薄々気付き始めていた。自分の心に嘘を貫き通すのは容易なことではない。
そんな彼からの誘いだ。断る筈がなかった。
しかし呼ばれたレストランで、私は無礼を働いてしまった。出されたものを残すのは料理人への侮辱だった。しかしどうしても食べられなかった。
しかし今となっては、その事実に後悔しか残らない。
あの時、私が妥協すべきだったのだ。彼が美味しくない料理を作る筈がなくて、だからきっとあの料理だって美味しいものだったのだろう。
私の嫌いな食べ物だって、彼なら美味しく作ってしまえるのだろう。
信じられなかった。彼が何より大切にしているものを信じられなかった。
それに激昂してくれた方がまだ良かった。「この痴れ者が!」と、いつかのように怒鳴り付けてくれた方が楽になれた。
しかし彼はそれを許さなかったのだ。
『いいえ、構いませんよ。ではこちらはお下げしましょう。』
彼は穏やかに笑って皿を下げたのだ。頭を殴られたような衝撃が走って、私は泣きそうな顔で「ごめんなさい」と謝罪した。
その日は逃げるようにレストランを後にした。彼の顔を見られなかった。
彼に妥協させてしまった。
ああ、つまりはやはり私が悪いのだと、視線が綺麗に磨かれたフロアに落ちた。
そんな無礼を働いて尚、その謝罪をする為に私はこの場所を訪れている。
*
しかしポケモンリーグに足を踏み入れ、水門の間を潜り、満たされた水の上を歩いて階段を上った私は、いつもと変わらない彼の表情に面食らうことになる。
「シェリー、昨日はありがとうございました」
そして、そんなことを言うのだ。私は堪らなくなって頭を振った。
どうしました、と尋ねる彼に、私は小さく謝罪をした。
「折角ズミさんが呼んで下さったのに、私、料理を残すなんて……。本当にごめんなさい」
「ああ、そんなことを気にしていたのですか」
道理で顔色が悪いと思った。そう苦笑して彼は私に歩み寄った。
私はというと、憧れの人に距離を詰められたことに顔を赤くしたり青くしたりしていた。
どうして謝ろうと思ったのですか、とその青い目に尋ねられ、私は言葉を奪われたように口だけで「だって」と紡ごうとした。
「寧ろあの場で無理をして食べられた方が、私の信条は益々害されていた。だから貴方が取った行動は正しい。
料理は美味しいものです。視覚的にそれを訴えることが出来なかったのだとしたら、それは私の落ち度だ。それを教えて下さり感謝しています」
「……」
「それに、貴方にも妥協できないものがあるのだと知れて、私は嬉しく思っていますよ」
そして彼は信じられない言葉を紡ぐ。
「貴方は私に似ていますね」
瞬間的に私は数歩後ずさった。それは殆ど反射的な行動で、私もズミさんも一様に驚いていた。
彼は信じられないことを言った。誰が?私が彼に似ている?
そんな筈はない。この誇り高い人と私は対極にあった筈だった。だからこそ私は彼に焦がれていたのだ。
しかし彼は優しく微笑んでそれを否定する。
「どうして、そう思うんですか?」
慌ててその言葉を否定することも出来たが、尊敬する彼の前であまりみっともないことはしたくなかった。
あくまで落ち着いた封を装って、しかし心臓は張り裂けそうだった。彼の口から次はどんな言葉が飛び出すのか全く予想できなかった。
彼は暫く難しい顔をして考え、そして紡いだ。
「貴方を見ていて、そう思いました」
「!」
「貴方は頻繁に此処へ来てくれていたでしょう。だから私は貴方のことを見る機会が十分にあった。
言葉を操るのは得意ではありませんが、この時間が、私の発言を支える証明になればいいと思っています」
それは。
彼も同じように、この時間に何かしらの意味を見出してくれていたということなのだろうか。
憧れが先走り、何度もこの場に通い詰めた。少なくともその時間を彼は否定しない。
それどころか、その時間に私と同じ価値を見出してくれていたのだ。
残念ながら私の乏しい人生経験の中で、これ以上の幸せを私は知らない。
しかしそれだけでは終わらなかった。言葉を失った私の代わりに、彼は更に言葉を重ねた。
「さて、貴方にお聞きしたい」
「……は、い」
「貴方はこの時間を、此処だけのものにしたいと思っていますか?」
それはとても解り難い言葉だった。言葉を操るのが不得手だなんて嘘だ。
瞬間、私はとてつもなく悔しくなった。どう足掻いても彼には適わない気がしたのだ。
しかしそんな悔しさは本当に一瞬だった。私の理解力が正しいものなら、彼はこんな私でも良いと言ってくれているということなのだから。
彼の青い目は真っ直ぐに私を見据えていた。その目に映る私の顔があまりにも強張っていることに気付き、ようやく笑うことが出来た。
後ずさったことで出来た距離を、今度は私から踏み出して埋める。
「いいえ」
「奇遇ですね、私もです」
彼は本当に安心したように笑って、ああ、こんな顔もするんだ。と私は眩暈に襲われた。
建前は昨日の夜、残した料理の中に沈めてきてしまった。
2013.12.5
236400を踏んで下さった方のリクエスト作品。ありがとうございました。