どうということはない

彼が落ち込んでいることに気付いた私は、何も聞かずに彼をミアレシティのカフェに誘った。
温かいカプチーノに口を付けながら、この場所で彼が元気にならなければ私の手には負えないと思った。
つまり、カフェに連れ出して美味しい飲み物を頼み、気分転換をはかれば、彼の気分はある程度上昇すると確信していた訳で。
しかし彼はテーブルの向かいに座る私を見つめ、本当に申し訳無さそうに笑ったのだ。

「ごめんね、君に気を使わせているね」

そして、そんなことを言うのだ。
どうしたのだろう。私は益々心配になった。

「あの、私で良ければ話を聞きます」

「……」

「私は、博士のように賢くないし、何の力もありませんけれど、博士の声を聞いて、それを大切にすることは出来ます」

そんな申し出がとても虚しいものに聞こえて、私は思わず眉を下げていた。
ああ、私はこんなにも無力だ。大人である彼と一緒に居ると、それを悉く思い知らされる結果となる。そんなことは解っている。
そんな劣等感、虚しさ、悔しさ、もどかしさ。それらを回避したいなら、私は彼の元へ来るべきではなかったのだ。
大人と子供である博士と私の隔絶はあまりにも大きい。

しかし、大人である彼は、幾度となく私を助けてくれたのだ。
ある時には相談に乗ってくれた。またある時は何も言わずにカフェへと連れ出してくれた。
その方法は多様だったが、彼の気遣いはいつだって私の心の曇りを取り除いてくれた。
臆病で努力が苦手で、それでも旅を続けたいなんて言う、そんな我が儘な私に彼は寄り添ってくれた。時に支え、時に背中を押してくれた。

「うん、ありがとう。シェリーは優しいね」

彼はそう言って笑った。それは優しい拒絶だった。
私はやはりこの人の力にはなれないのだろうか。そんな虚しい予測を持て余していた。

彼の親切が一方通行の性質を持つとはどうしても考えたくなかったのだ。
つまりは私だって同じように、彼に関わることが出来ると信じていたのだ。
彼の半分程しか生きていない私が、彼に出来ることなどありはしない。解っている。そんなことは解っている。それでも私はそこに拘りたかった。

ボクが君にしたことは、君が君の後輩にしてあげればいいよ。
そんな風に言って彼は笑ったが、我が儘な私はそれでは納得がいかなかった。
つまりは彼にされたことを彼に返さなければ意味がない気がしたのだ。
私が大切にしたいのは、まだ見ぬ私の後輩などではないからだ。他でもない彼が大切だからだ。他でもない彼に報いたいと思っていたからだ。
しかし、私は臆病で努力が嫌いなどうしようもない奴だ。そんな私に何が出来るというのだろう。現に彼も優しく私を拒絶した。

「……ああ、君がそんな顔をすることはないんだよ」

「ごめんなさい」

もう口癖になってしまった謝罪の言葉を紡げば、彼の長い指が向かいから伸びてきて私の口をそっと塞いだ。
そんなこと言わないで、ね。と笑うこの人は何所までも優しい。いつまで私はこの人に甘えることが許されるのだろう。
私は彼に報いたかった。私は彼との時間を手放したくなかった。

「あのねシェリー、ボクは君が思っているより、ずっと子供で、かっこ悪い人間なんだよ」

突然、彼はそんなことをいった。私は反射的に勢いよく首を振った。
そんな筈がない。彼はいつだって大人だった。いつだって私を支え、導き、励ましてくれた。彼はそうした人だった。
しかしこの発言が、彼によくある冗談の類ではないということにも私は気付いていたのだ。

「どうして、そう思うんですか?」

だから私は、ありのままを尋ねてみることにした。
もうこの段階で「彼を励ます」という当初の目的が何所かに追いやられてしまっていたのだが、それを気にする余裕は私にはなかった。
彼は悲しげな笑みを湛えたまま沈黙した。暫くして、徐に口を開いた。

「だって、だってね、ボクは君が大人になって欲しくないと思っているんだよ」

今度は私が沈黙する番だった。彼は本当に悲しそうに笑った。

「君はボクが居なくても歩いていける方がいいんだ。最終的にはそうなるべきで、その時はきっとすぐ傍まで来ているんだよ。
そして君は、もっと素敵な人と沢山出会うだろう。ボクなんかよりも、ずっとね」

「……」

「ねえ、ボクはこんな人間なんだよ、解るかい?まだ現れもしていない、君にとっての誰かが、羨ましくて羨ましくて仕方ない人間なんだよ」

例えば、カルム君とか。

私はゆっくりと首を動かした。横に振って、真っ直ぐに彼を見据えた。
彼のグレーの目を見つめながら、私は自分の中の感情を一つずつ整理していた。
やがて、全てのものに名前をつける作業を終えた私は、彼と同様に、徐に口を開いたのだ。

「言いたいことが、2つあります」

「……どうしたの、改まって」

怖いなあ、と冗談のように笑う彼の言葉が、冗談ではないことを、ようやく確信することが出来たのだ。
更に言えば、彼が今日、落ち込んでいたのは、そんなことを考えてのことだったのだ。
つまりはそういうことだったのだ。どうして私が口を閉ざすことが出来ただろう。
私は閉じた拳から人差し指だけをそっと伸ばした。

「1つ目ですが、貴方が言った「私にとっての誰か」は、もう既に居ます」

「……ああ、そうだったのか。ごめんね」

彼は優しく微笑んだ。私は自惚れることが出来たのだ。
この甘美な確信が愛しい。

「2つ目ですが、博士は「それが自分のことだ」と確信したことはなかったのですか?」

すると彼の顔色が変わった。安堵だ。その色を私は読み間違えなかった。
彼は笑った。本当に嬉しそうに笑った。
ああ、なんだ、そっか、そっかあ、そうだったんだ。
そんな感嘆詞を呟きながら、その動揺は安堵に、そして喜びに変わっていく。その色の変化を私は目に焼き付けていた。

「ごめんね、シェリー。かっこ悪いだろう?……君は人を見る目がないね」

ああ、彼も臆病な人間だったのだと気付いた。彼も我が儘な人間だったのだと知った。
その共有はどうしようもない熱を持っていた。それは冷え切った私の心を温めてくれた。

「いいえ」

その否定に彼は本当に嬉しそうに微笑んだ。
私達はとてもよく似ている。

2013.12.25
25万ヒット感謝企画作品。
月夜さん、お待たせしました!
リクエスト内容と少しだけズレが生じてしまいました。申し訳ありません。

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