※バッジ7つ目を入手する前の話だと思われます。
フウジョタウンからフロストケイブに向かう途中の山道には、モミの木が多く自生している。
クリスマスシーズンでは、それらが鮮やかな電飾に彩られるのだ。カロス地方では毎年、この催しが行われるらしい。
普段は静かなこの雪の降る通りが、人で埋め尽くされている様はとても衝撃的だった。
イルミネーションに興味があって訪れてみたものの、その人の賑やかさに私は圧倒され、逃げるようにその場所から離れていた。
町から遠ざかる程に、モミの木の電飾は減っていく。観光客の数も少なくなり、彼等の喧騒が遠くなる。
やっと静かになった。私はいつもの景色が戻ってきたことに満足していた。
目を閉じれば、風がモミの木をさわさわと揺らす音が耳をくすぐる。ただそれだけのことが楽しくて思わず笑ってしまう。
いいんじゃないかな。私はそう思いながら歩みを進めた。
だって今日はクリスマスだ。一年で一番輝いている日。幸せの色が飛び交う日。
だから私も、ちょっとくらい楽しい気分になってもいいんじゃないかな。
この幸せな時間を共有する相手がいないからといって、クリスマスを楽しんではいけない理由にはならないのだから。
恋が叶おうと叶うまいと、クリスマスが素敵な日であることに変わりはないのだから。
しかしそんな穏やかな時間が、ポケットの中で震えるホロキャスターによって破られる。
私は慌ててそれを取り出し、受診したホログラムメールを開いた。
『メリークリスマス。』
私は息を飲む。ああ、きっと私は今、カロスで一番幸福なのだと思い至る。
だってそうでなければ、彼が、私にこんなメールを送ってくれる筈がないのだ。きっと彼の気紛れに、私が選ばれてしまったのだ。
私はその偶然にこそ感謝すべきなのであって、変な期待を持ってはいけないのだ。
『私は今、フウジョタウンのフロストケイブへ続く通りに来ています。』
「え……」
『フラダリラボでは毎年、その通りにあるモミの木にイルミネーションを施す催しを行っています。もし近くにいるのでしたら、是非足を運んで頂きたい。』
私は青ざめる。今まさに、その場所の眩しさと喧騒から逃れてきたのだと、彼が知ったらどう思うだろうか。
そもそも、カップルの聖地のようなあの場所に、私が一人でポツンと赴くことがどれ程恥ずかしいことかを、この人は解っているのだろうか。
何より、そんな姿を誰よりも貴方に見られたくないのだと、私が思っていることを知られてしまえば、彼は驚くだろうか。
友達も、恋人もいない。
そんな私が、あのキラキラした場所に赴いていい筈がない。今だって、私はあの場所から逃げてきたのだ。眩しすぎて耐えられなかったのだ。
それなのに、私の足はあの場所へと踏み出していた。眩しすぎて、自分が恥ずかしすぎて耐えられなかった筈のその場所で、私は彼の姿を探していた。
彼を見つけて、どうしようというのだろう?
私は何も考えていなかった。ただ、彼を見つけたい一心でその足を動かしていた。
だって今日はクリスマスだ。きっと、一年で一番キラキラした、素敵な日だ。
だから私も、ちょっとくらい欲張りになってもいいんじゃないかな。この特別な日に、好きな人をこの目に収めておきたいと思っても、いいんじゃないかな。
彼からのメールだけでは飽き足らず、その姿に、声に、触れてみたいと願ってもいいんじゃないかな。そんな我が儘の元に動いても、いいんじゃないかな。
最終的に、遠くから見ていることしかできなくても、それはそれで、いいんじゃないかな。
だって、クリスマスだもの。
「シェリー!」
「!」
私は息を飲んだ。
まさか見つける前に見つけられるとは思ってもいなかったからだ。
弾かれたように振り返れば、長身の彼が少し離れた場所でそっと手を上げていた。
私はぺこりとお辞儀をして、人混みをぎこちなくすり抜けながら歩を進める。
背の高い彼の視野は、私のそれよりもずっと広いらしい。
探していたのに見つけられなかった私に、探していないのに私を視界に入れてしまった彼は微笑む。
背が高いって、素敵だ。
「フラダリさん、こんばんは」
声が震えないように気を付けてそう紡ぐと、彼は肩を竦めて小さく笑った。
「確かに今は夜ですが、今日は別の挨拶の方が好ましいでしょうね」
「あ、えっと、……メリークリスマス、フラダリさん」
出だしから挨拶を間違えてしまったことに私は顔を赤くする。
しかし「ごめんなさい」と謝罪の言葉を紡ぐことはできなかった。何故なら彼が私の腕をそっと引いたからだ。
私は訳の分からないままに、彼の後をついていく。
すれ違う人よりも頭一つ分は高い彼の背に、どうして私は気付かなかったのだろうと、時間差で自己嫌悪に襲われていた。
彼は人混みを抜け、フロストケイブの方へと歩みを進めた。イルミネーションの付いたモミの木が少なくなり、喧騒が遠くに感じられた頃に彼はようやく手を放す。
「あの喧騒の中では、ゆっくり話ができそうにありませんでしたからね。場所を変えさせて頂きました。乱暴に手を引いてしまって申し訳ありません」
「あ、いえ、そんなこと」
彼は本当に優しく私の手を引いていたのに、そんな謝罪の言葉を紡ぐのだ。
私よりも沢山のものを持っているにもかかわらず、決してそれを鼻にかけない紳士的な態度に私は当惑した。
この人は本当に、素晴らしい人だと思う。私は彼のことを素敵だと思うし、彼に焦がれてもいた。
しかしそれと同時に、この人の隣に立つと自分の矮小さを思い知らされるようで、少しだけ息が詰まるのだ。
「一人で来ていたのですか」
「……おかしいですよね。こんな場所に、一人だなんて」
「そうは思いませんよ。美しいものは万人に開かれるべきだ。……それに、私も同じようなものですからね」
私はその言葉に息を飲んだ。この完璧な人が、こんなに素敵な日を一人で過ごしていることが信じられなかったのだ。
それでいて、一人である自分に臆することなく、こんな眩しい場所に堂々と足を運んでいた彼に私はまたしても尊敬の念を抱いた。
私なんか、イルミネーションが見たくてやってきたものの、あまりの喧騒と居心地の悪さに逃げ出してきたというのに。
そして、そんな彼との間に生まれる沈黙が耐えきれなくて、私は慌てて口を開く。
「背が高いと、やっぱり視野も広いんですね。この人混みの中で視界に入った私を見つけてくれるなんて、凄いです。……私も背が高かったらなあ」
十八番である無いものねだりをして私は笑った。ようやく緊張が取れかけてくる。
すると彼はその端正な顔を軽く傾げて、困ったように笑ってみせた。
「……ああ、違いますよ。偶然ではありません」
「え……」
「君を探していたのだから、視界に入った君を見逃さないのは当然のことでしょう」
ぱちん、と何かが弾ける音がしたような気がした。或いはすとん、と何処かに足を着ける音がしたような気がした。
それは彼への畏敬の念が生んだものでも、羨望が転じたものでもなかった。
確かなそれらの音の正体を、初めて聞いたその音を、しかし私は知っている気がした。
彼はそっと私の手を取る。
「君も私を探してくれていたのですか?」
私は何か言おうとして、しかしそれらは声にならなかった。
代わりに取られた手を強く握り返す。
彼は少しだけ驚いた様子を見せたが、やがてその、僅かに青い目を細めて私の目を覗き込む。
「シェリー、君のクリスマスを頂いても?」
私は意識を飛ばしそうになりながら、更にその手を強く握り締めた。
彼の大きな手は、私をあやすようにそっと包んだ。
心臓が壊れてしまいそうな程に大きく揺れていた。不思議な音はまだ、止みそうになかった。
2014.12.25
恋は盲目だなんて誰が言ったんでしょうね。