不可視の星を集めて

1

※「シンオウ地方で旅をしたかつての主人公が数年後、アルセウスに呼ばれた」
という設定で物語を組んでいます。

 シマボシは驚愕した。らしくもなく不安を覚えた。恐ろしいとさえ感じていた。空から落ちてきた異端者があっという間にポケモンを三匹も捕まえたことにではない。その凄腕の異端者が、齢十五程度の華奢な少女であったことにでもない。その少女がシマボシを見た途端、顔をぱっと輝かせてひどく嬉しそうに微笑んだことにこそ、驚かされたのだ。
 まるでずっと前からこちらを知っていたかのような目で、不安そうにしながらも真っ直ぐにこちらを見ている。おかしい。わたしはキミに露程の覚えもないというのに。

 その困惑と不安を顔に表出させず、いたって冷静に連絡事項を告げ終えることができたのは彼女の持つ類稀なる精神力の賜物である。己が動揺を労わるかのようにして足早にその場を去り、シマボシはいつもの食堂にて普段よりやや多めにイモモチを平らげた。

 驚くべきことはまだ続く。他地方から連れ込んできたミジュマルたちのみならず、彼女は黒曜の原野に生息する、人慣れしていない野生ポケモンの捕獲まで見事にやってのけたのだった。大きな怪我や疲弊、精神的な衰弱があるようにも見えず、むしろその顔には「楽しかった」と書いているようにさえ感じられた。
 この子供の才能は本物であった。身寄りのないこの世界で生きるため、きっと今後も努力を惜しまず励んでくれるであろうことも容易に想像が付いた。その頼もしさを分かりやすい形で目の当たりにし、シマボシの心は一気に軽くなった。こうした類の驚愕ならば歓迎すべきだろう。そのように思い直せるようになった頃には、昨日の不安な心地も概ね消え失せていた。

「空から落ちてきた異端者がまだ生きているのは、キミの才覚と努力の結果である」

 普段言わないような真っ直ぐな称賛の言葉がこの口から滑り出たのも、きっとそのせいであろう。

「いいか、多くの人は分かりやすいものを好む。団員ランクを上げれば、空から落ちてきた怪しい人間も受け入れてもらえるだろう」

 続けたこの言葉とて、皮肉や嫌味を込めたものでは決してなく、ただ今の彼女に有益と思われる助言を言語化しただけのものであった。けれどもその音を受けて彼女の表情があからさまに変わったため、シマボシは僅かばかり動揺してしまう。驚いている、というよりは、シマボシの発言に納得しつつもショックを拭いきれずにいる、といった風に見えて、その不可解さに思わず首を捻りたくなってしまう。
 そうですね、と、見開かれた大きな目のままにぼんやりと相槌を打った彼女は、幼い形の眉をくにゃりと歪めて泣きそうに笑いながら、不思議なことを言うのだった。

「そう……そうでしたね。見えないものはまやかしでしたね。信頼も、絆も、いつかは揺らいで、消えてしまうものなんですよね」

 何らかの確信をもってその言葉は紡がれているように聞こえた。誰かに教わった言葉を繰り返しているようにも感じられた。シマボシのみに向けて放たれるそれは所謂「同意」を求める音であり、彼女がこれを受けて「そうとも」と答えることが、もうずっと前から分かっているかのような言い方なのであった。

「ああ、そうとも」

 果たして彼女の想定通りの相槌を打ちながら、何故かシマボシは急にイモモチが恋しくなった。あの味を舌の上で転がしてひと時の安息を得たくなったのだ。だが夕食までに済ませるべき執務はまだ残っているし、昨日のような大食を二日続けて行う気にもなれなかった。何より見知らぬ世界に落とされたこの少女が、生きるため、懸命にその才覚と努力を振るったことに対する「称賛」がもっと必要だと思ったのだ。それはきっと、彼女に優しくしてくれる博士やテルと共に食べるあの美味なイモモチであるべきで、談笑の得意ではないシマボシはそこに同席するべきではないし、ましてやそのイモモチの在庫を減らすような大食を彼等に先んじて行うなどもってのほかである。
 故にシマボシはそのまま彼女を見送った。踵を返して駆けてゆく細い背中に謎の安堵を覚えてしまい、今度こそ彼女は大きく首を捻ってしまう。
 やはりおかしい、どうかしている。彼女とは昨日初めて会ったばかりだというのに、何故わたしは彼女に「懐かしまれている」ように感じているのだろう。

*

 あからさまな贔屓こそしなかったものの、シマボシはこの少女にその後も目をかけ続けた。理由は分からないが、出会っただけで嬉しそうにしてくれて、無条件に頼られ慕われ、団員ランクが上がるごとにシマボシが為す短い称賛を大はしゃぎで喜んでくれる、そんな少女に気分を良くするなという方が無理のある話である。それらは、シマボシの人生においてとても珍しいことでこそあったが、悪い心地がするものでは決してなかった。彼女の気質上、それらの好意に「慣れる」までには多少の時間が、……具体的にはそう、少女の団員ランクに「ホシ」が八つ付くまでの時間が……必要ではあったのだが。

 彼女があらぬ疑いを掛けられてコトブキムラを追われる羽目になった折にも、シマボシは彼女を見送るため黒曜の原野へと歩を進めつつ、できる範囲での援助をしようと画策していた。勿論、後で上にバレればただでは済まないことなど承知の上である。シマボシが彼女に目を掛けていることを知りながら、彼女のことをこちらに任せてきた団長の落ち度だと開き直り、調査のために特別な便宜をはかることにしたのだ。そこに「優秀な人材をこのような形で手放すのは惜しい」という隊長としての考えだけでなく「可愛い部下を失いたくない、どうか無事で戻ってきてほしい」と願う己が心が介在していたことは最早否定しようもなかった。

「命令する。野垂れ死にするな」

 出会った翌日の入隊試験において、成果を出せなければキミは野垂れ死にだろうな、などと冷たく言い放つことでしか発破を掛けられなかったことを思い出す。今、あの言葉を告げたのと同じ口で、どうか一人で死んでくれるなと祈るように命じている、そんな自身の変わりようにシマボシは少し驚く。そして自分は、この少女に好かれ慕われ尊敬され、心を開くことを覚えたことでどうにも「弱く」なったのかもしれないとさえ、考える。
 それでも、その精神力の劣化により、今の彼女の不安な心地へ、その心細さへと寄り添えるのなら安いものだ。献身的にこのムラとギンガ団に尽くした優秀な団員のため、何より自分をこの上なく慕ってくれる大事な部下のため、それくらいの犠牲ならシマボシは躊躇いなく払えた。

「いいか、誹謗も称賛も所詮は他人の感情。重要なのはキミ自身がどうあるべきかを強く持つことだ」

 その言葉に、彼女のくにゃりと下がり切っていた幼い眉が、何か強烈なエネルギーでも与えられたかのようにぴたりと跳ね上がった。激励の言葉として放ったそれが正しく彼女に届いたことに安堵しながらも、シマボシは僅かな不安を覚える。
 彼女との間にはたまにこうした空気が生まれることがあった。シマボシが放った言葉、シマボシ自身の反応、そうしたものに対して、彼女は時折、シマボシではない別のものをなぞっているかのような視線を、言葉を、表情を、こちらに向けてくるのだった。その度にシマボシは安堵と不安を同時に覚える。出会ったあの日や翌日の入隊日にも感じた、あの「懐かしまれている」ような感覚がそうさせるのだ。

「私の心を強く持つことが、大事だってことですか?」
「ああ」
「今、コトブキムラの皆さんが私に向けている感情よりも、私自身が持っているこの気持ちを大事にしていいって、手放さなくてもいいって、そういうことですか?」
「そうとも」

 感極まったように、噛み締めるように、今にも泣き出しそうな顔で眉を下げたまま微笑む彼女。彼女の感慨が「何」を意味するのか、シマボシには皆目見当も付かなかった。そしてこれからもきっと、分からないままなのだろうなと思われた。
 空から落ちてきた異世界の少女、そんな彼女自身にも分からないことだらけであるはずの、彼女のこと。それを詮索したいとは思わないしする必要性も感じない。この感情はシマボシのみが持ち得るものとして、シマボシだけがその重要性を分かっていればいい。今、彼女に説いたのと全く同じ理屈だ。部下へ為した助言くらい、自身で実行できるようになっておかなければ。そうだろう?

「他人の、ただ尖っているだけの感情に流されて、キミが持つその意思を殺したりしてくれるなよ」
「は、はい!」
「それと、キミは随分とわたしを慕っているようだが、その『他人の感情』にはわたしの分も入っている。わたしの言葉に流される必要もない。例外は作るな」

 いつもの笑顔を取り戻し、元気よく返事をした彼女へ釘を指すようにそう告げる。彼女はとうとう声を上げて笑いながら「ええ、大丈夫です」と力強く返して、暗い空の広がる黒曜の原野へと駆け出した。去り際、大志坂を少し下ったところで振り返った彼女は、実に「らしい」宣誓を大声で為した。

「シマボシさんがどう思おうと変わりません! 私は私の意思で貴方を慕い、貴方を信じて、貴方がくれる言葉を喜んでいます。この気持ち、決して手放したりなんかしませんよ!」

 力強くこちらを見上げてくるその目の眩しさに、シマボシは今の赤い空に決して見えることのない「星」と、彼女がギンガ団で集めた八つの「ホシ」を同時に重ねたくなった。それら星の光をゆめゆめ失わせてなるものかと、シマボシは彼女を見つめ返し大きく頷いたのだった。

Next >

© 2024 雨袱紗