ピンク色のシンプルな、膝丈のワンピース。背中の腰の部分に少し大きなリボンがふわりと付いている。裾には二重に布が使われていて、とても贅沢だ。
5cmのヒールの付いたクリーム色のパンプス。何の装飾もないけれど、先にかけて細くなっているヒールの形がさりげなく上品。
首元にはお気に入りのネックレス。光の入る角度によって色を変える赤いガラス玉は、メガバンクルのキーストーンのように、不思議な輝きを持っている。
白いショルダーバッグは、母からの誕生日プレゼントだ。金の留め具がお洒落で、気に入っている。
赤いバンダナを外して、肩より少しだけ長いその髪を丁寧に整える。首元に風が吹き付けないことが随分と新鮮だ。
家を飛び出し、鞄から笛を取り出して吹けば、眩しい空から1匹のポケモンが降りてきてくれる。
普段とは違う私の格好に、彼も驚いた様子を見せた。私は彼に駆け寄り、くるりと一回転して今日の装備を見せる。
ヒールの高い靴を履くのは久し振りだったが、それまでに踵の高い靴を飽きる程に履きこなしていた私には、5cm程のヒールで歩くことなど造作もない。
「どうかな、変じゃない?」
ラティオスは高い声で一鳴きし、私にそっとすり寄ってきた。私も彼をぎゅっと抱きしめて笑う。
とてつもなく長い時間を費やして、今日の服や靴、鞄、アクセサリ、髪型を決めた。
大丈夫かな、笑われないかな、悲しいフォローをされないかな。そんなことを思いながらワンピースを身に纏い、髪を整え、踵の高い靴を履いた。
けれど、別にいいのかもしれない。変に見えたって、似合わなくたって、笑われたって、そんなこと、どうでもいいことだったのかもしれない。
だって、彼に会わずとも、会う前から、こんなにも楽しいのだから。今にも羽が生えて飛んでいけそうな心地なのだから。
私はラティオスの背中にひょいと飛び乗った。
「それじゃあ、ミナモシティに連れていって!」
日曜ということもあってか、ミナモシティのデパート近辺はより多くの人で賑わっていた。
その中に、見慣れた赤い髪を見つけた私は、その背後へそっと忍び寄る。
いつもの赤いコートやブーツではなく、グレーを基調としたスーツ姿らしい。きっとネクタイの色は真っ赤に違いない。そう思いながら私はそっと彼の目を塞いだ。
彼の肩が少しだけ跳ねる。私はおかしさにくすりと笑みを零しながら口を開いた。
「マツブサさん、お待たせしました!」
「……トキちゃんか。背後から奇襲をかけてくるとは、私も想定していなかったよ」
私が彼の目に添えていた両手を、彼はそっと掴んではにかむように笑った。
彼の手は書類仕事のせいなのか少しだけ乾燥していて、私の手よりも少しだけ冷たかった。
「……」
何故かその瞬間、私の心臓は大きく跳ねる。大きな違和感と動揺が喉元をせり上がってきた。
ただ手に触れられただけだ。マグマ団アジトの彼の部屋で、同じソファに並んで座った時の方が、距離としては近いだろう。
しかしあの時よりも煩い。どうしよう、止まらない。そんな落ち着かない鼓動を誤魔化すように私は笑った。彼もそれに合わせて笑ってくれた。
「ごめんなさい、遅れてしまって」
「気にすることはない、私が早く来ていただけのことだ。まだ10時3分前ではないか」
彼は自分の腕時計を一瞥してそう紡いだ。シンプルなシルバーの腕時計は、太陽の光を僅かに反射して鋭く光った。
確かに約束の時間にはまだ余裕があったが、それでも私は少しだけ申し訳ない気持ちになる。
彼が約束の時間よりも随分早めに足を運んでいることなど、容易に想像できた筈なのに、私は自分のことばかりで浮かれていた。
そこまでを推し量って行動するには、私はまだ幼すぎたし、何よりこのような経験が少なすぎた。
「では行こうか。はぐれないようにしっかり付いて来たまえ」
その言葉にはほんの少しだけ、私へのからかいの意図が含まれていたのかもしれなかった。
いつもの私なら笑いながら反論していた。「私はもう16歳なんですよ?」とか「子供扱いしないでくださいよ」とか、そうしたことを言えた筈だった。
しかし、何もかもが初めてであるこの空間で、緊張と高揚と同様とが混じり合った状態の私が取れた行動は、ただ「はい!」と勢いよく返事をすることだけだった。
おかしい。彼との時間はもっと穏やかで、心地良くて、優しいものである筈だった。それなのに、今も尚、速さを増した鼓動は落ち着いてはくれない。
それは人混みのせいだろうか。いつもと違う服のせいだろうか。彼の手が冷たいせいだろうか。
彼の前で私は、どんな顔をしていたのかしら。
彼の半歩後ろを歩く。決して見失わないように、けれど、決して近付き過ぎないように。
この人と町を歩くのって、こんなにも大変なことなのかしら。こんなにも神経を張り巡らせなければならないことなのかしら。
そんな筈はない。だって私は彼と、昨日まで、ごく普通に会話をしていた。
同じソファに肩を並べて、他愛もない話を饒舌に並べる、そんな戯言ですら愛おしいと感じていた。
それなのに、どうしてだろう。
「トキちゃん」
どうして、息苦しいと感じるのだろう。
「どうした」
「!」
「何処か具合でも悪いのか?」
彼はその背を少しだけ折り曲げて、俯いたままの私の顔に目線を合わせた。
怪訝そうに眉をひそめてはいるが、他でもない私を気遣っての表情だと、私は知っていた。
彼はちゃんと傍を付いて来ない私に苛立っているのではない、普段のように饒舌に明るく振舞わない私を不安に思い、気遣ってくれているのだ。
解っている。彼との時間を重ねてきた私は、それをちゃんと理解している。
私は、今の自分のことは理解できないけれど、彼のことは、理解できる。信じられる。
「ここが、少し痛くて」
その声は震えていた。私は自分の右手で、自分の左胸にそっと触れた。
心臓は、弾けそうな程に大きく揺れていた。それを自覚して、私は益々居たたまれなくなって顔を伏せた。
しかし彼はその言葉に目を見開いて、絶句する。その顔がさっと青ざめていく。
いけない。あらぬ勘違いをさせてしまった。
この人はきっと、私に心臓の持病があると判断したに違いない。
私は慌てて彼の腕を掴む。きっと私の言い方が悪かったのだ。取り敢えず、この誤解を解かなければいけない。
「違います、マツブサさん。具合が悪いわけじゃないんです」
「だが、顔色が悪い。手の温度も下がっているようだが……」
「でも、病気じゃないんです。こんなこと、初めてで、少し怖かっただけなんです。本当です」
こういう時に、普段から嘘吐きで生きてきた私の言葉は信用が薄い。
だから「本当か」と尋ねられる前に「本当です」と念を押すことが必要だった。
しかし、そんなこと、しなくてもよかったのかもしれない。だって今、私の目の前に居るのはマツブサさんだから。
私と同じくらい、いや、もしかしたら私よりも私のことを理解している彼だから。
「……」
長い沈黙の後で、彼は小さく溜め息を吐いた。
呆れられたのだろうか。思わず彼を見上げて、絶句した。彼は微笑んでいたからだ。
その小さな溜め息が、呆れではなく安堵によるものだったと、私は確信する。
「少し、寄り道をしようか」
彼はそっと私の手を引く。私はまたしても煩く鳴り始めた心臓を持て余していた。
先程、触れた時には私よりも冷たかった筈の彼の手は、何故か僅かに温かくなっていた。
2015.1.10