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(We do not play dice.)

「何のつもりだ」

車椅子に身体を預け、若葉色をした髪を一つに纏めた彼が紡ぐ。それはこちらの台詞だと思ったから、私は困ったように笑って彼を挑発的に睨み上げてみた。
子供である私の目でも、彼に「不愉快」だと思わせるだけの力くらいは備わっている筈だから、決して臆することなくその赤い目を視線で貫き続けた。

いつものように10番道路へと向かっていた私は、ソウリュウシティの街角にて、訳も解らないままデスカーンに羽交い締めにされて連れ去られた。
この町からジャイアントホールまでかなりの距離があった筈だけれど、私を背に乗せたサザンドラはクロバットに負けないくらいのスピードで、あっという間に空を駆けた。
そして今、私は再び彼と、以前と同じこの場所で対峙するに至っている。

「貴方に呼ばれるとは思っていませんでした、ゲーチスさん」

「……」

「でも、会えてよかったです。私も、貴方と話がしたいと思っていましたから」

彼はその顔を僅かに歪めたものの、傍らにいたサザンドラに指示を出すことはしなかった。
両腕の自由を背後のデスカーンに奪われた私を、傷付けることなど今の彼なら簡単にできたのだろう。
けれど彼はそうしない。彼の体調が万全でないというのもあるのだろうけれど、それ以上に、彼の目的は私を叩きのめすことではきっとないのだろう。

では、彼はどうして私を呼んだのだろう。けれどそれはもう、考えるまでもないことだったのだ。
私が此処で彼と対峙しているもう一つの理由に辿り着くことは、驚く程に簡単だった。
彼もまた、アクロマさんと同じことを語ろうとしているのだ。軽率に差し出した文字を、それが生む自由の重さを説き、私を責め立てようとしているのだ。
けれど彼がアクロマさんのように私を案じる必要などないように思えたから、少し、ほんの少しだけ不思議だった。

今から彼が為すであろう叱責は果たして誰の言葉なのだろうかと思案し、おそらくはこの人自身のためのものだと、思い至る。
彼はそうした、利己的な人間である筈だった。だから私に「余計なことをしてくれるな」と糾弾しようとしているのだろう。

「安泰に甘んじていれば良いものを」

ゲーチスさんはそんな呟きを零す。おおよそ彼らしくない単語に私は笑って首を傾げた。

「貴方がそれを言うんですね。ポケモンやトレーナーを苦しめ、プラズマ団の人達を騙し続けた貴方が。自らイッシュに波紋を起こし、皆の安泰を壊した貴方が」

「悪いか」

「いいえ」

静かに首を振る。その声がジャイアントホールの洞窟に反響した。
あの時と同じ場所で、こうして彼と対峙しているのに、不思議と恐怖は湧き上がってこなかった。
彼は何もしないことが解っていた。復讐を目論んでいたのなら、その機会は幾らでもあったのだ。
……では私はどうするべきなのだろう。冷たい空気を挟んた向こう側の彼に、明言こそしないが諭してくる彼に、私は何を言えば良いのだろう。

私は目を閉じる。脳裏によぎるのはイッシュの神話だ。
世界を救った英雄は誰だったのだろう。それはきっとNさんでもトウコ先輩でも、ましてや私でもない。
誰かを救おうと足掻けば足掻くほど、どこかで誰かが苦しんでしまう。全てに報いることはできない。英雄なんて何処にもいない。

誰もが誰もを救うことができなかった。

「誰も、何も間違ってなんかいなかったんです」

それはおそらく、私自身に言い聞かせた言葉であったのだろう。
誰も間違ってなどいなかった。彼等が一様に悲しい目をしていたのは、彼等のせいではない、他の誰かのせいでもない。彼等の悲しさはそんなものでは取り払いようがない。

「全部を手に入れることはできないから、私達は選ぶんです。私の選んだ世界と、貴方が選ぼうとした世界は相容れなかった。だから私は貴方と戦った」

自由には責任が伴うのだ。選ぶとは、自由に生きるとはそういうことだ。戦ったり、奪ったり、何処かで悲しい人を増やしてしまうということだ。
それでも私は選んでしまった。ポケモンと一緒にいる世界を選び取り、彼と共有すべき世界を選び取った。そうした選択はきっとこれからも続いていく。
きっとこの冷たい季節は、彼の自由を知るための時間であり、そして私が私の自由の責任と向き合うための時間でもあったのだろう。


「だから私は、私が選び取ったこの世界を絶対に手放さない」


彼の「知りたい」と言う言葉に、最後まで応えたいと思う私は、英雄でも何でもない、ただの人間だった。
自由と選択と責任とを背負った、ただの人間だった。

「でも私は、貴方の自由を奪い取ることはできない。だから貴方がもう一度、手に入れられなかった世界を手に入れようとしたとして、私はその選択を責めることなんかできない。
だから、待っています。貴方がもう一度イッシュを脅かす日を、私はいつまでも此処で待っています。貴方の選択が変わらない限り、私は何度でも貴方を止めます」

「……」

「きっと、ダークさんも貴方を選びます。自由になった場所から、また貴方に仕えることを選びます。だから大丈夫です。貴方が変わらない限り、何も、変わりません」

これが、私が彼に歩み寄れる限界だと解っていた。私が縁あって出会うことの叶った彼に示し得る、最大の誠意であると心得ていた。

彼の考えを変えられるなどと思い上がるつもりは更々なかった。
私の言葉で誰かを変えられる筈だ、などという思い上がった自信は無謀に変わり、暴走する。誰かを変えたいと躍起になる。
ただの意見の押し付けに成り下がった歪な希望による低俗なコミュニケーションを、きっとこの人は許さない。何より私が耐えられない。
だから私は、この人に対して潔く在りたかった。同時に誠実で在ろうと努めていた。

相容れない所にいる彼と、こうして、静かに話がしたかった。今はもうこれで十分だと思えた。
あとはただ私が待てばいい。彼が再び力を取り戻して私の前に姿を現す日を待っていればいい。
二度と現れないのであれば、それが彼の選択だったのだと、そうして彼の自由を受け入れる覚悟ならとうに出来ている。

彼は小さく溜め息を吐き、左手に持ったステッキをカツン、と叩いた。
瞬間、デスカーンがまたしても私を引きずり、ジャイアントホールから連れ去っていく。サザンドラの背中にぽんと放り投げられた。
おそらくは直ぐに羽ばたいてしまうのだろう。解っていた。解っていたから、背を向けた彼にあらん限りの声音で叫んだ。

「言葉の力は一方的に相手を屈服させるものじゃないんだって、Nさんが教えてくれました!」

貴方の選択を見届けます。
だからどうか、私が「彼」に為した選択を許してください。

ダークさんを理解することは、私にはとても難しかった。
人間らしい姿と人間らしくない姿とが交互に見え隠れしていて、彼を彼たらしめる確固たる要素を私はまだ見つけることができずにいた。
「見分ける必要などない」と冷たく告げた彼、その彼が彼たる所以は何処に在るのだろう。
「読めない」と言ったあの日から、私はずっと考えていた。

他の誰でもない貴方でなければいけないのだ、私は貴方の傍を選んだのだと、どうすれば伝えることができるのだろう。
それは価値観の押し付けではないのか、と理性が囁く。でもその矛盾が人間を人間たらしめるのだということも知っている。

私は選んでしまった。選んだのだ。

彼が手にした新しい世界、今ならその全てに責任を持てる。全てに寄り添えると、そう誓える程にきっと、私は。


2012.12.11
2016.3.17(修正)
(私達はサイコロを振らない。)

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