Crazy Cold Case


Case2:毬花に降る苦い懺悔

Case2:ホップ
ユウリが久し振りに研究所へやって来る!
ライバルからの久し振りの連絡に、ホップは浮足立っていた。

歩む道が多少異なったとはいえ、彼女が今もホップのライバルであることには変わりない。
いつかポケモンバトルで彼女から勝利をもぎ取ってやる、という闘志は、あの頃と変わらず彼の中にあった。
そして彼女が、そんな彼の挑戦を断ったことは一度もなかった。

やって来た彼女のニットベレーは赤色だ。この前、トーナメントで戦った際にはその色は緑に変わっていたような気がする。
彼女曰く「曜日や天気によって変えているんだよ」とのことで、彼女自身は別段、好きな色がある訳でもファッションに拘りがある訳でもないようだった。

そんな、女の子らしさには少しばかり欠けているこの少女は、けれども今日もかっこよく笑って「やあ! 元気かいホップ」と名前を呼んでくれる。
お茶を出してくれようとしているソニアに、そろそろホップの分の白衣も用意してあげたらどうだい、などと言葉を掛けている、その肩をポンと叩いてみる。
きょとんとした表情で振り向いた少女は、どうしたんだいと完璧な笑顔で尋ねてくる。
完璧だ。兄とは異なる意味でこの少女は完璧であった。
その完璧な様相は、ホップの目にはいつもと同じに見えた。何も変わっていないように思えた。

けれども、少女には確実に何かしらの「変化」がもたらされているらしい。その頭の中に、並々ならぬ不安と葛藤を飼っていて、彼女はひどく苦しんでいるようなのだ。
そのことを、ホップはつい先日、兄であるダンデから聞いて知るに至った。

「ユウリ、最近調子が悪いのか? アニキが心配していたぞ? トーナメントにもあまり出ていないみたいだし、バトルは……相変わらずすっげえ強いけどさ」

ホップの頭脳や観察力が、少し前まで無敵のチャンピオンであった兄に叶うはずがないとは思っていたが、
それでも、長くライバルとして共に励んできたユウリの変化を自身よりも先に兄に見抜かれてしまったという点については、やはり悔しかった。
兄に敵わないことへの悔しさではなく、ユウリのことを今までもこれからも完璧であると信じて疑いもしなかった自身のことが、いつかのように悔しくて、嫌だったのだ。

「ダンデさんが心配? ……ああもしかして、前に会った時のことかな。大丈夫だよ、気にしないで。少し、駄々を捏ねていただけだからね」

椅子に腰かけ、出された紅茶にお礼を言ってから口を付ける。
「安物でごめんなさいね」と告げるソニアに「いや、ニルギリも好きだよ。あっさりしているから飲みやすくていいね」と、ホップの知らない茶葉の名前を口にして微笑む。
向かいの椅子に座って冷たいモーモーミルクを飲み下すホップは、そんな彼女のそんな言葉に、首を捻る。

駄々を捏ねる、というその動詞と、この完璧なチャンピオンを、ホップはどうしても結び付けて考えることができなかった。
好奇心が旺盛で、変な言い回しを好み他者を煙に巻こうとするようなところは確かにあったけれど、
素行も良く、博識で、礼儀を弁え、大人の指示には素直に従う、所謂「聞き分けの良い」子供であったユウリが、そのようなことをするはずがない、とホップは思った。
けれども「するはずがない」などという妄信が自身の中に残っているうちは、まだこの少女のことを理解などできないのだろうとも思われて、やはりどうにも、悔しかったのだ。

「オマエが駄々を捏ねるなんて、何かとんでもないことがあったんじゃないのか? 悩みがあるならオレやアニキにちゃんと相談しろよ!」

「相談……。分かった、善処しよう。ありがとうホップ」

この少女の力になりたいとホップは思っていた。
かつて少女が迷っていた頃のホップを受け止めてくれたように、ホップも彼女に対してそうできればいいのにと心から思っていた。

強くなること、兄の名声に傷を付けずに済むよう力を付けること、それらに拘りすぎて落ち込んでいた彼の、
手探りに近い、がむしゃらめいたポケモンバトルの相手を何度もしてくれたのは、他ならぬユウリであった。
ジムチャレンジャーとして夢中で駆けていた頃も、トーナメントを終えたガラルに起きた騒動を鎮めるために走り回っていた頃も、
ホップは強く在らねば、変わらなければと意識していて、それ故に彼の戦い方は前のめりであった。戦い方も強くなるための意識も、常に「変わり続けること」こそが彼であった。

「ではホップ、私の懺悔を聞いてくれるかな」

「……やっぱり、何かあったんだな。大丈夫だ、オレやアニキがちゃんと力になってやるよ!」

そんな彼の挑戦を常に受け、幾度も彼とバトルをしてきたユウリの戦い方は、ハロンタウンでメッソン1匹を繰り出しホップに勝利したあの頃から何も変わっていなかった。
彼女は常に冷静であった。勢いに任せて攻め込むような指示は滅多に出さなかった。
後手に回ることの多い、素早さの低いゴーストポケモンを多く連れていたから、というのもあったのかもしれないが、それを抜きにしても彼女の指示には焦りの一切がなかった。
唯一、素早い攻撃を得意とするインテレオンに出す指示さえ、慎重で、予想外からの致命傷を警戒することを忘れない、大人びたものだった。
それでいて、そうしたバトルをする彼女はいつだって不敵に笑っていた。ポケモンと一緒になって戦えることをこの上なく楽しみ、彼等が手にした勝利をこの上なく喜んでいたのだ。
その戦い方も強さも、ホップに対する、焦りや悔しさを受け止めていつものように笑ってくれる大きな器も、そのかっこいい笑顔も、何も変わっていない。
そういう意味においてやはり「変わらない」ことこそが彼女であるように思われた。

けれどもそうした彼女が「変わろう」としているのであれば、ホップがその支えになれる気がした。ホップは、変わること、変えることに関してはユウリよりもずっと得意なのだ。
だから大丈夫だ、オレが手伝ってやる。ホップはそう思っていた。心から前向きに、心から真剣に、そう思っていた。

「ダンデさんもキバナさんも、君を知る人なら皆が期待していたであろう「兄から弟へ受け継がれるはずだったチャンピオンの冠」を、私は横取りしてしまったんだ」

「えっ、何だよ急に……。冠? 横取り? オマエが?」

「ガラルを盛り上げるための予定調和、それを乱したのはこの私だ。どうやって償えばいいと思う? どうしたら、私は君に、君達に、このガラルに許されるだろうか?」

彼女がいつもの笑顔でそのようなことを言い出すまでは、ホップは本当にそう思っていたのだ。
けれども完璧な彼女の抱える「葛藤」というものは、やはり完璧な彼女に相応しい、難解で厄介なものであり、
立ちはだかったあまりにも大きな壁に、ホップは怯んでしまわざるを得なかった。

以前のチャンピオンであったホップの兄とホップの戦い方は似ていた。ホップが意識して、ボールの投げ方から全て似せていたのだから当然のことであった。
けれども現在のチャンピオンであるユウリとホップは何もかもが違うように思われた。
チャンピオンになるための素質というのは、必ずしも「兄」の形をしている訳ではないのだということを、ホップはチャンピオンの座に就いた彼女を見て、初めて気付いたのだ。
だからこそ、ホップはユウリのことを心から祝福できた。自らのジムチャレンジにおける最大のライバルがユウリであったことを心から誇りに思っていた。

「それが、オマエの懺悔?」

「そうとも、がっかりしたかい」

けれども、ホップよりも大きな栄光を手にし、ホップよりもずっと喜んで然るべきな彼女が、全く嬉しそうではない。
その事実はホップを少し、いやかなり混乱させていた。

オマエの何を許せって言うんだよ。だってオレや皆がユウリを「許さなかった」ことなんか、「認めなかった」ことなんか、今まで一度もなかったのに。

何が起きているのか訳が分からなくて、けれども凛として微笑むだけの彼女からはそれ以上何も聞き出すことができなくて、
……それでも、ホップはユウリのように沈黙して思考するタイプではないから、どうしても思いより先に口が出てしまうのだった。
「一人で抱え込み過ぎるなよ」と「誰もオマエを嫌ってなんかないんだからな」と、そうした言葉を笑顔で告げた。
その笑顔が少しばかりの不安に曇っていることも、きっとこの観察眼に優れたユウリは見抜いているのだろう。
それでもよかった。このような形でしか、ホップは自らの思いを伝えることができなかったのだ。これが今のホップにとっての最善手であったのだから、仕方なかったのだ。

「ごめんなさい、許してください、などと泣きじゃくるのは私の柄ではないけれど、許されるならそうして吐き出したい気持ちさえしていたんだ。
だから君に聞いてもらえて嬉しかった。本当は君にだけは言うべきことではなかったのにね。……狡いことをしてごめんなさい、ホップ」

「そんな風に言うなって。オマエが謝る必要なんかないんだ。悪いことなんて一つもしていない、誰もが認めるガラルのヒーローじゃないか! 皆、オマエのことが大好きなんだぞ!」

謝る必要などないと口にしながらも、ホップは少しばかり嬉しかった。
不安や葛藤を晒すことなどしないと思われていた彼女から、こうした言葉を引き出せたこと、彼女らしくない思いを聞くことができたことが、嬉しかった。

「君にだけは言うべきことではなかった」と彼女は言ったけれど、むしろホップは自身にこそ言ってほしかった。
それは他の第三者に告げるべきことでも、一人で抱え込むべきことでもなく、その懺悔の相手であるホップにこそ話すべきことだったのだ。
だってホップ自身でなければ、その懺悔を「不要だ」と告げることも、真っ向から許してかかることもできなかったのだから。

「ガラルだけじゃない、オレのことだって助けてくれただろ? オレはオマエのおかげで立ち直れたからこそ、今こうして新しい夢に向かって頑張れているんだ」

本当はずっと、ずっと前にこの懺悔を、する必要などもない懺悔を聞き、こうして真っ向から彼女の重荷に手を伸べるべきだった。そうしたかった。
けれども今、この懺悔だって、ホップは兄の話を聞かなければ引き出すことさえできなかったのだ。
そんな自分自身のことがやはりホップは悔しくて嫌だった。けれども兄のことも彼女のことも大好きであったから、その悔しさを抱えてホップは益々自身を成長させていくのだ。
彼はそうした、どこまでも純粋で強靭な人間であったのだ。

「そうだね、私も皆のことが大好きだ。それを踏まえてもう一度言わせてほしい」

そして、ホップが誰かを嫌ったり邪険にしたりするような人間でないように、ホップもまた、誰かに嫌われたり蔑ろにされたりするような人間ではない。
ユウリもまた、ホップのことを大切に思っている。それは紛うことなき真実である。ホップもそれはよく分かっている。
だからこその不要な懺悔が此処に在り、だからこそのもどかしさがホップの首を絞めている。

「ごめんなさいホップ、本当に」

『オマエがいてくれてよかったぜ』
なあ、ユウリ。オマエにもいつか、そう思ってもらえるようなオレになりたいよ。
「ごめんなさい」じゃなくて「ありがとう」って、そのかっこいい顔に言わせてやりたいよ。

2019.12.15


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